備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

マクロードガンジ

マクロードガンジに行くという選択をしたわけだが、行き方としてはまずアムリトサルからパタンコートというカシミールにほど近い都市までバスまたは電車で行き、パタンコートからダラムサラまでバス、さらにダラムサラからマクロードガンジまでバス、という形になる。

パタンコートまでの電車は本数が少ないので、バスで行くことに。バスターミナルに着いて水とスナックを手にして、発車しかけているパタンコートいきのバスに飛び乗る。

何回か停車を繰り返した後、3時間半ほどでパタンコートに着く。オンボロバスだったが臭いとかもなく、130ルピー(200円程)なので全然許容範囲内。

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パタンコートに着いてからはダラムサラ行きのバスを探す。ダラムサラ行きのところにはすでにバスが停まっており、近くにいた警察にいつ出発するのかと聞くと「多分16時半」と。3時間後に出発じゃあ遅すぎる、と思いもう一度係の人らしきところに聞きに行くと、15分後に出るぞ、と言われたので、バスターミナルの露店で売っていたポテトパイをささっと食べてバスに乗った。乗ろうとしたときには自分と同じような質問をしている外国人旅行客がいた。この人もダラムサラに行くらしい。

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パタンコートからダラムサラまでは3時間ほどで140ルピー。バスは綺麗とはお世辞にも言えないが、車窓からの景色はとても綺麗だったので退屈することはなかった。とにかくヒマラヤ山脈はでかいし、どこまでも広がる緑色の景色はとても心地よいものだった。

ただインドの運転のセオリーと山道の相性はすこぶる悪く、とにかく横に縦に揺れる揺れる。前に座ってたインド人も完全にダウンしていた。

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そんなこんなでダラムサラに着いて、そこからさらにマクロードガンジ行きのバスを探した。バスを見つけて乗り込むとさっきの外国人旅行客がいて、ああこの人もマクロードガンジに行くのか、となった。マクロードガンジ行きのバスに乗るとチベット仏教の僧侶がたくさん乗っていて、まるで違う国に来たかのような錯覚に陥ったと同時に、いよいよ来たなと言った興奮も覚えた。

ゆっくりゆっくりと山道を登ってマクロードガンジに着くと、そこはインドとは思えないくらい涼しく、街並みも全然違っていた。まずチベット色が強いので、学校や家、お寺などにタルチョーというカラフルな旗がつけられているし、街もかなり整然としている。インドなのにリサイクルやゴミ捨てへの意識も高く、これも宗教の差から来てたりするのか?などと考えていた。

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また、ほかの土地では見かけなかったおしゃれなカフェがいくつも存在し、日本で言うならば軽井沢のような場所が近いかもしれない。

着いたときすでに18時。朝昼とほとんど食べていないに等しく流石にお腹も空いていたので、チベット料理を食べに行くことに。

宿から15分ほど歩いたところにある評判の良いレストランに行き、テントゥクというすいとんのような料理とモモを注文したがこれがめちゃくちゃ美味しかった。スパイスを使ったものももちろん美味いのだけれど、ずっとスパイスを使ったものを食べ続けてると発酵調味料系の食べ物のおいしさ、ありがたさが際立つ。やっぱり自分は日本人だなあと思わずにはいられなかった。

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食べた後少しぶらつくとまたさっきの外国人旅行客に出会った。彼女はインドネシア人で自分の母親くらいの年齢、旅行が趣味で一人で回っているらしく、翌日暇だと言うので一緒に行動することにした。

 


しかしこれだけ平和な街にいるとなかなか書くことがない。改めてインドのメインストリームは日本人の目から見るといかに特異だったかがわかる。

この街はほかの街に比べてリキシャやタクシーの客引きも少ないし、路上生活者もあまりいない。しかしそんな街でも一度物乞いにあった。正確には二回か。

赤ちゃんを抱えた50歳くらいのおばさんに、「彼女はミルクを欲しててとてもお腹を空かせてるの。お金はいらない、ミルクを買って」と言われた。一気に無視して立ち去ればいいのだが、やはりまだ慣れておらず一瞬立ち止まったが故にかなりしつこく付いてこられた。ミルクなんて20ルピーくらいで買えるだろう、と思って仕方なくその老婆と一緒に売店に行くと、粉ミルクのような袋を二つ買ってくれ、と。値段を見たら二つで800ルピーで、無言でその場を立ち去った。

倹約をすれば800ルピーあれば3日は余裕で暮らせるくらいのお金だし、何よりも「お金は要求しないから食べ物さえくれれば」みたいな善人面をしてきて、お金で渡すとしたら法外な値段のものを買ってという傲慢さに腹が立った。

そのあとしばらく経ってから近くを歩いていると、今度は同じ老婆が金銭だけを要求してきた。そこに赤ちゃんの姿はないのを見て、ああこれがレンタル赤ちゃんかな、と思った。インドでは赤ちゃんが金稼ぎの方法として使われていることがしばしばあり、実子ではなくレンタルな場合もよくあると言う。もしあそこで粉ミルクを親切に買っていてもあの赤ちゃんのお腹は満たされなかっただろうと思うと払わなくてよかったな、と思った。もちろん元を辿れば貧困が悪いのかもしれないけれど、それでも幼児を金稼ぎの道具として使っているのはどうしても受け入れられない。

 


その後ぶらぶら歩いていると、ふと張り紙が目に入った。大半がチベットの弾圧に対するものであったり、行方不明者に関するものだった。行方不明と言っても、日本の行方不明とは訳が違う。彼らのほとんどは、どこかで中国政府等に逮捕され、その後の行方が分からなくなっているというものだ。

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またチベットに関するポスターもただ貼ってあったというより、たまたま訪れた3日前がチベット人の民衆蜂起からちょうど60周年で、そのための抗議活動を呼びかけるものであった。

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チベット博物館にその後行き、弾圧や焼身自殺の歴史などをちらっと勉強したけれど、このマクロードガンジという場所は彼らにとってとても安心できる場所なんだろうな、と思った。それと同時に、いつか彼らがチベットに帰ることが出来れば、とも。

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マクロードガンジはこの度の最終目的地のようなもので、残りの1日はデリーに帰るしかなかった。

デリーへはそれなりに豪華なバスが出ていて、それに乗って帰ることに。所要時間11時間、値段900ルピー。

悪くないと思っていたもののそもそもの道が山道の連続、バスもすきあらば追い越し、加速をかけるのであっという間に気持ち悪くなり、かなりしんどいまま朝を迎えた。

 


さてデリーである。デリーについての情報を何も知らないので、とりあえずバスを降りた後は安全な場所に行くのが最優先だった。降りた瞬間からリキシャに囲まれ、「どこに行くんだ」と聞かれるが、どこに行きたいかなんてこっちも分からない。とりあえずそこから地下鉄の駅まで歩けるというわけでもなさそうだったので、最寄りの地下鉄駅までリキシャで行ってもらう。すると「ほら見ろ、地下鉄は閉まってるだろ!6時半まで動かないぞ。良いホテルがあるからそこに連れて行ってやるよ」と運転手。この自信満々の嘘からのホテル誘導を聞くのを楽しみにすらしている自分がいる。運転手が力説している目の前で人が地下鉄駅に入っていったので無視してお金を払い降り、地下鉄駅に向かった。地下鉄駅は驚くほどきれいだしなによりカードが使えるのがいちばんの驚き。デリーに来てほとんど国際カードが使えなかった中でこれはありがたかった。そして無論地下鉄も5時半にちゃんと来た。

とりあえずいちばん大きそうな駅であるニューデリー駅に行き、6時にバーガーキングが開くというので店の前で待って開店と同時に入った。

バーガーキングで見慣れないメニューばっかりだなあ、と思った後にふと気付いたが、ここインドではヒンドゥー教の教えで豚と牛が食べれないため、肉といえば鶏か羊しかない。バーガーとはかなり相性の悪い国だ。そしてここで食べたチキンバーガーが、実に初日ぶりの肉だったし、魚も2日目以降食べていなかったので、1週間擬似ビーガン的体験をしてきたことになる。

1週間野菜生活はしたくてした訳ではなく、入るレストランが大体ベジタリアンレストランだった、という方が正しい。でも大体の食事は美味しかったし、バーガーキングに入るまで自分が1週間も肉を口にしていないだなんて考えもしなかった。動物愛護の観点からベジタリアンになりましょう、というアプローチはあまり響かないけれど、単純に野菜しか使わない美味しいお店が日本にも増えれば、気付かぬうちに肉の消費量が減るんじゃないかなあとも思ったり。

 


デリーの観光地とかを調べていると、さすが首都、とにかく見どころがたくさんある。

これを全て見るわけにもいかないので、クトゥブミナールとフマユーン廟を見に行くことに。

とはいえ連日の旅で多少なりとも疲れていて、ダラダラしながらこれらを回ってると気付いたら夕方になっていた。タージマハルに行かない決断をしていた分、フマユーン廟に行けたのは良かった。

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ご飯を食べて残金をお土産などで消費して、空港行きの電車のチケットを買い残金を残り1ルピーにして電車に乗り込む。空港駅に着き降りたものの、空港らしきものは見えず、まばらな降車客は皆散っていくしリキシャは「ホテルはどこだ」と聞いてくる。あれ?ここ空港駅じゃないの??となり警備員に聞くと「空港駅は次だぞ」と言われた。

残金1ルピーでは公衆トイレも使えない。終わった、と思った。背に腹はかえられぬということで、駅員に対して、マジで1ルピーしか持っていないこと、間違えて降りてしまったことを必死に伝えてなんとか電車に乗れることに。そうして無事空港に着き、税関の検査やらシャワー浴びれなかったりと色々あったもののインドを出ることが出来た。

 


インドという国は人生観を変える、なんて言葉をよく聞くし、2度と行きたくなくなるか沼にハマるかの二択だ、なんて言葉もよく聞く。

人生観は変わるというのはなかったかな、と。変わったのはトイレの汚さに対する免疫くらいだ。今なら日本のどのトイレでも我慢できる自信がある。

割と思い描いていた通りのインドだし、現地の人と仲良くなるみたいな出会いも宗教・信仰の力強さも今までいった国で経験していたからだと思う。というか多分人生観というか世界観みたいなのはカタール1ヶ月滞在でだいぶ変わったからもう一回変わるってことはないのかな、という気もする。

もう一回行きたいかどうか。これに関しては絶対にもう一回、いや、後何度でも行きたい。今回コルカタ、バラナシ、アムリトサル、マクロードガンジ、デリーを訪れたが、どの街もそれぞれに特徴があったし、今まで訪れた国にはないくらい多様性があったように思う。それ故に、ふと自分がどこの国にいるのかが分からなくなることがしばしばあった。

しかし自分が見たのはインド全体のほんの一部だ。南インドデカン高原のあたりも見たいし、バングラデシュのさらに東側とかも見たい。とにかくまだまだ新しい発見が沢山ありそうなので、もう一度行きたいな、と思った。

 

経由地のクアラルンプールは発展度合いにビビり、それでいてなお昔の街並みも残ってはいてなかなかユニークだなあと思いました。レトロとモダンの混在もいいですね。これにてインド旅行記は終了です。今回の旅行記が今までで一番長かったんじゃなかろうか。読んでくださった方ありがとうございました。

アムリトサル

アムリトサルへ着いた。

シク教の聖地である。シク教といえばターバンを巻いた人たちのこと。👳🏾‍♂️はここアムリトサルにかなりの数居住している。というかバラナシでもコルカタでもこう行ったターバン巻いてる人たちはほとんど見かけなかった。

なぜアムリトサルに来たか?それは1つはこのシク教に多少なりとも興味を抱いていたからだ。宗教の規模の大小に関わらず、一つの宗教の聖地になっているというだけで興味深い。そしてシク教の聖地があるが故に、宗教からみたここの人口構成も一般的なインドのそれとは異なっている。さらにデンマークで一度シク教の寺院に訪問したことがある、というのも一つ。

もう一つは、ここアムリトサルの近くには印パ国境の中で唯一陸路で抜けられる場所がある(ワガ・アターリー国境)。パキスタンに行くわけではないが、ここワガ国境では、なぜか盛大な国境閉鎖パレードが行われているのである。こういうのが大好物な人間なのでアムリトサルに行かない理由はない。

 


というわけでアムリトサルに着いたのが朝5時。何もリサーチしていないが、空港の外に出るとFree Busの文字が。どうやらシク教の聖地、黄金寺院まで無料のバスを走らせているらしい。「タダほど高いものはない、それもインドで。ただしアムリトサルは除く」と言った感じで、アムリトサルのタダは割と信用な値する。シク教カーストを完全否定しているからか、寺院で無料のご飯、お菓子、さらには宿までを、見た目や宗教に関係なく提供しているのだ。そんなうまい話があるかという気もするが、これが本当に無料だから驚く。今回のバスもなんてことなく無料だった。

 


黄金寺院に入ると、そこでは何か聖句のようなものを唱えてる人、祈る人、聖なる水を飲むために列をなす人、沐浴する人など早朝なのにとにかく人が多かった。爆音でエキゾチックな音楽が流れ、大型ビジョンには聖句がひたすら映されている。やはり聖地は他教徒であっても畏敬の念を抱かざるを得ないような力強さを感じさせてくれる。イスラエルで感じた感情と似ている。

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本当はここで思召しを頂きたかったが、あいにくの腹の調子なので我慢して胃に優しそうなものを食べることに。胃の状態が格段と良くなっている以上ここで無理するわけにはいかない。

ご飯を食べた後は宿に直行しアーリーチェックインを使って10時ごろにチェックインし、シャワーを浴びて一休みすることにした。

午後は例のワガ国境に行くことに。旅の道中に会ったインド人には「カシミールの揉め事のせいでもうパレードはやってないよ」と言われたものの、この国では自分を信じるしかない。ワガ国境まではシェアのタクシーまたはオートリキシャで行くことになり、14時半くらいに黄金寺院付近を出発する。14時くらいに黄金寺院周りをうろついてると、立て続けに「Border?」と声をかけられ、ツアーをやってるということを確信した。一番最初に声をかけてくれたシェアタクシーに乗り込んで、いざ国境へ。

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着いた頃には通り雨みたいな大粒の雨が降っていたが、皆気にせずに国境へ向かう。おかしな話なのだが、この国境のセレモニーのためにスタジアムのようなものがインド側、パキスタン側に設置されているのだ。

セレモニーが正式に始まるまでは、軍人が観衆を煽り、音楽に合わせてその場で集まったであろう若い女性達が踊っている。

セレモニーが始まると兵隊達がドラムの音に合わせて階段からおりてきて、観客は軍人とコールアンドレスポンスを行う。この時点で観客のボルテージは最高潮である。

そしてパキスタン側の兵隊と息のあった威嚇を行い、全兵隊がそれぞれのパフォーマンスを終えると、一番偉いであろう印パの兵士ががっちりと握手をし、国境が閉ざされる。

こう淡々と書いているが、この旅で一番テンションが上がったのはこの瞬間だと思う。サッカー観戦やライブと同じで、この臨場感は行かないと伝わらないと思う。なので少しでも興味を持ったら行くのが早い。

 

 

 


国境から帰ってきた後は夕食を食べて、ふたたび黄金寺院へ向かった。早朝よりシク教徒の割合が少なかったが、夜の黄金寺院は想像を絶する綺麗で、聖地にふさわしいオーラを放っていた。

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そこから下痢止めの薬を買い足して、宿への帰路へ着いた。そしてここで翌日からの予定を決める必要があった。

この日を入れてのこり4日。ここからデリーに戻ってタージマハルを見に行くか、さらに北へ行ってチベット亡命政府のあるマクロードガンジに向かうか、で揺れていた。無難なのは前者だが、後者の方が奥深さはある。結局リスクとかそんなものは置いておいて、より興味のある後者を取ることにした。

 

 

 

アムリトサルという街

たった24時間強のステイでは街のことなどわからないとは思うが、アムリトサルコルカタやバラナシに比べれば随分と洗練されていたように思う。黄金寺院の周りはインドらしからぬ建物だったし、普通の通りでもカオスさはそこまでない。

 人柄に関しては、インドとは思えないほどおしとやか、という話を聞いていたけれど、ここに関してはうーんという感じ。というかインドだけでなく世界中どこでも、良い人はいるし悪い人もまたいるということを再認識させられた。

乗ったリキシャでは二台立て続けに乗った後に値段を倍にするというせこい真似をしてくると思えば、次に乗ったリキシャのおじさんには言い値を払っただけなのに感謝のハグまでされたり。

全く知らないクソガキに水風船を後ろからぶつけられたと思えば、入った薬局のおじさんが「君は外国人だよね?そしたらディスカウントしてあげる」と2割引で薬を売ってくれたり。

どうしようもない卑しい人もいれば、聖人のように優しい人もたくさんいる。ただインドでは、そのどうしようもない人間がどうしようもなさを思いっきり発揮して悪目立ちするから、インド人はウザいと言われるのだろうな、と。逆に日本人と言えば値段を倍にしてくるリキシャを見て腹が立ったが、これもまた彼が今までに乗せた旅行者の態度が悪かった可能性もある、と思うと、、

そんな風に自戒した、アムリトサルでの1日だった。

煙立ち昇る街

毎日いろいろなことが起こりすぎてその日のうちに書き留めておかないとすぐに忘れてしまう気がする。

 


その辺の屋台でベンガル名物のフィッシュカリーをいただき、朝食と飲み物を買い込んで寝台列車に乗り込む。スリーパークラスの乗車口では人々が半ば殴り合いのような様相を呈しながら我先にと乗り込んでいた。この光景がもうすでに、観光客はスリーパーに乗らない方がいい、と言う事実を示しているように思う。

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いざ自分の車両に乗り込み席を見つけると、そこには他のインド人グループが当然のように座っていた。チケットを見せると、どうやら団体で来ていて隣の二段ベッドと交換してくれ、と。三段が二段になるので悪い話ではないなと思い、隣に移ることにした。

そして熟睡とまではいかないものの眠りについていると、唐突に叩き起こされた。何事かと思うとどうやら列車の係員で、チケットを見せろと言うことらしい。チケットを見せた上で「隣に乗ってる人が席交換したいって言ってきたから」と言うものの隣の人はとっくに降りている。係員が言うには「お前の席には本当は乗客がパトナから乗ってくるはずだったけど乗らなかったから寝てていいよ」と。駅員も駅員で、問題ないなら起こさないでよという感じだし、交換を申し出てきたインド人も適当すぎだ。笑

そんなこんなで、残り10キロまでは定刻どお着き、そこから長い停車時間を経て、結局1時間半遅れで到着した。


バラナシについて、まず感じた違いは牛の存在である。コルカタではほとんど牛を見なかったが、ここバラナシにはびっくりするくらい牛がいる。牛は神なので、何をするでもなく当然野放しである(といっても実際の牛の扱いは結構雑だったりする)

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そしてコルカタは熱気で満ちているのに対し、バラナシは活気に満ちていると言った感じで、観光客、巡礼客が多い分商人が多い。コルカタではタクシーとリキシャと物乞い運転手以外にはあまり声かけられなかったものの、バラナシではとにかく声をかけられる。

しかしその商人の多さは一方でイスラエルやモロッコカタールで感じた既視感があり、個人的には安心できた。

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まずは荷物を置くためにホテルへ向かう。バラナシは細い道が多く、そこを人、犬、牛が行き来し、時折バイクがけたたましいクラクションを鳴らしながら通っていく。糞もかなりおちているし、危険は感じないが歩くストレスのようなものを多少感じた。人間が捨てたゴミを牛や犬が漁るため道はとにかく汚い。

ホテルに着き、荷物を置いた後は市街地に出て昼食を食べることに。ベジタリアン向けのターリーを食べた後、近くのガートに向かうと、そこにはババという一番偉い人がいたり、人々がリラックスしてたり沐浴していたりした。そこで牛の写真を撮っていると、子供が走ってきて写真に写り込んできた。そしてこっちから写真を撮ったわけでもないのに「10ルピー」と要求してくる。貧しさからくるものだとはわかってはいるものの、それでもなんというか、この狡猾な金銭の要求はなんというか腹が立った。花を売ってくる少年や、ただ食べ物を要求する少女の方がまだかわいい。

ガートでゆっくりするつもりがそんな少年たちが現れたのでそそくさと退散し、マニカルニカーガートへ向かった。ここはガンジス川に面する火葬場で、次から次へと死体が運ばれてきてはヒンドゥー教のしきたりに倣って遺体が焼かれていた。子供や若い人は人生を全うできなかったとして、焼かずにガンジス川に沈められるらしい。

また全土から遺体が運ばれてくる、というと全ての遺体がここで焼かれるような印象を受けるが、実際は日本と同じように近くの火葬場で焼かれてから、灰をガンジス川に流すらしいし、ここに運ばれてくるのはごく一部なのかもしれない。

ここに来たのは怖いもの見たさみたいなのもあったが、それ以上に死を理解するのにはいい場所なのではないか、と思ったことが大きい。親が死んで、身体が焼かれて骨になるというのはだいぶ堪える事象であって、自分の中でも未だに頭で理解しきれていなかったけれど、こうやって当たり前のように遺体が焼かれているのを見ると、理解もだいぶ追いついたような気がした。

改めてインドという国はすごい。焼かれる遺体があり、それを悲しむ遺族、淡々と燃えかすを整理する人、薪を割る人、吠えて争う犬、遺体の装飾の花を食べる牛、それらが同じ場所に存在しているのだから。自分の想像を毎回軽く超えてくる。

そんなことを色々と考えながら、2時間ほどぼーっとして、着いた時に運ばれてきた遺体が焼かれて原形をとどめなくなったあたりで火葬場を後にした。

 


そのあとはしばらく細い道をブラブラしていた。時折バイクは通るものの細い道だと交通量も多くなく、自分が今どこの国にいるかを一瞬忘れてしまうあたり、自分の中でのインドのイメージはやはり桁違いの喧騒らしい。あまり観光地としての魅力はないコルカタという都市から旅行をスタートしたのは正解かもしれない、とこのとき思った。

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夕食時、ライトの近くに案内されたこともあって蚊がものすごくたくさんいた。一度ブラジルでデング熱にかかってる以上、蚊には神経質なのでついつい殺そうと手を叩くと、ウェイターがすごい怯えたような、不快なようなしかめっ面をしてきた。その時、ヒンドゥー教が不殺生なことをふと思い出した。不殺生という戒めがあるからこそ、牛はともかく、蚊や犬なども自然がなすままに増えるんだなということを思った。この国で犬に噛まれたらだいぶやばいので、犬の存在はかなり厄介である。まあでも、劣悪な環境とはいえ、増えすぎたからといって殺されることもなく、それはそれで幸せなのかなとも思ったり。


2日目はまず日の出をみれるボートツアーに参加することにした。5時半に起き、ガードへ行ってボートに乗る。船一艘で400ルピー。

船に乗って漕ぎ出すと早くも太陽が昇り始める。こういうのって普通クライマックスだと思うんだけど、まあ日の出前なんて対して何も見えないから個人的にはこのくらいの方がいい。陽が昇ると、ガートで沐浴してる人、洗濯してる人など、いろんな人が見えた。なんというか、水質云々は抜きで、こうやって人々がガンジス川で沐浴したり生活用水として使ってるのを見ると、だんだんガンジス川が神聖に見えてくる。ヒンドゥー教でなくともここにずっといると沐浴したくなってくる気持ちがなんとなくわかる気がする。

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ボートツアーの後は一回睡眠を挟み、再び街へ。とはいえ市街地中心は歩き回ったので、サイクルリキシャを使ってバラナシヒンドゥー大学へ。ここにはかなり大きなヒンドゥー教寺院があるらしい。

寺院まで行くと、どうやら靴を預けないといけないらしい。インド人は50%くらい土足で入っててそこはノーチェックだけど、外国人だからか、土足で入ろうとすると止められる。せっかくきたので中に入るために靴を預けに行くと、1.00RS/personの表記が。流石に100ルピーではないよね、と思って預けようとすると受付の少年が「100ルピー」だと言う。絶対そんなことはない、と思って戦ってるとインド人の大学生2人組が助けてくれた。

彼らのおかげで無事靴を預けられ、流れで彼らと共に回ることにした。彼らは流暢な英語を喋れる、と言うわけでもないが、それでも色々と世間話をしたり、神々の説明などをしてくれた。

その後彼らと別れて、図書館の見学に行き30分ほどで図書館を出てリキシャを探しに行くと、たまたまさっきの大学生と鉢合わせた。彼らと一緒なら向こうもぼったくってこないし、交渉も楽だから、と思って声をかけると、彼らの乗るオートリキシャに一緒に乗ろうと言うことになった。当初のプランとしては図書館見学の後市街地に出る予定だったが、彼らがアッシ・ガートに行くと言うのでそれに同行した。日没前後にガートではプージャーという儀式のようなものが行われているので、それを見つつ川沿いを歩いていった。

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このプージャーを見ていると、儀式を執り行う人がいて、それに対して祈る人々がいかに沢山いるかがよく分かる。イスラエルに行った時も思ったことだけれど、宗教のもつ力強さを改めて実感した。

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沐浴はしない予定だったが、せっかくきたのだから控えめな沐浴をした。インド人曰く誰もが皆全身をガンジスに沈める訳でもないらしい。

この街はいろんなところで煙が立ち上っている。といっても遺体が焼かれているというよりは、仙人のようなババという人たちが火を焚いてたり、といったものがほとんどなのだが、この煙はバラナシを特徴付けてる気がする。

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そうして宿まで歩き、彼らと別れ、その後、勧められた有名レストランで夕食をとった。マサラコーラとかいう飲み物が死ぬほど美味しくなかったので(インド人もまずいって言ってた)、興味本位で頼まない方が良い。

 


朝6時、腸がグルグル鳴っているので起きた。下痢気味でもなく、腹痛はないし、大丈夫かな、と思いトイレを済ませて二度寝

朝9時、再び起きるとまた便意を催した。そしてトイレに行くと液体しか出ず、これはやばいかもしれない、と思った。

とはいえこの時点では頻繁にトイレに行きたくなるだけでお腹も痛くなかったので、そのまま活動することに。前日紹介してもらった布屋で色々物色していると、またしてもトイレに行きたくなる。この時点から段々と腹痛が激しくなってきた。スパイスは極力避けた方がいい、とのアドバイスに従って泣く泣く近くの日本食レストランでヘルシーなものを食べる。

しかし食べれば食べるだけ痛いのだ。そしてこれはイスラエルでもドバイでもロシアでも経験した胃腸炎と同じ類だな、と悟った。「意外と大丈夫じゃん?」と4日目までは思っていたけれど全然大丈夫ではなかった。

とりあえずこれまた教えてもらった信頼できる薬屋にいって、症状を簡潔に伝えると、バカでかい2種類の錠剤を売ってくれた。45ルピーで腹痛が治るなら万々歳だ。

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段々と身体も弱りつつあるのを感じたので、泣く泣く泊まってたゲストハウスに戻ってコモンスペースで休ませてもらうことに。そうするとオーナーが「自分の部屋のベッド使っていいよ」と言ってくれたのでベッドで横になることができた。

インド人は基本的に優しい人が多い。もちろん商売をしている以上、あくまで商人と顧客の関係であることには変わらないが、お金を要求するわけでもなくとにかく親切にしてくれる人は結構いる。しかし問題なのはそういった人と騙そうとしている人の区別が全くつかないことだ。これだと仕方なく街中で声をかけてくる良いインド人に対しても冷たい対応をせざるを得なくて、毎回申し訳なく思ってしまう。

 


さて、話はずれたが薬を飲んだらびっくりするくらい腹痛がマシになった。下痢は依然として治らないが、少なくともトイレに駆け込みたい衝動は消えた。その代償かどうかはわからないが、とにかく寒気と関節痛が止まらない。今までにも何回も同じ目に遭ってきてるので、とりあえず我慢することに。

しかしここから空港までの道のりはめちゃくちゃしんどかった。インドの交通量の性質上仕方ない部分もあるが、とにかく行けると思った時にアクセルベタ踏み、ぶつかりそうになると急ブレーキ、の繰り返し。これのせいで吐き気を催すことになった。全身から汗が噴き出してきて本気でやばいと思ったが、なんとか耐えて空港へ。

空港で軽く夕食を食べ、2回目の薬を飲むと、関節痛と寒気もだいぶ消えていった。まだ寛解とはいかないが、それでもインドの薬は偉大であると感じた。このままホテルで寝れれば良いのだが今日はあいにく空港泊。空港で夜を明かした後、シク教の聖地である、パキスタンにほど近いアムリトサルへ飛ぶことに。

コルカタという街

インドの地を踏む

インドの空港に着いたのは夜の1時。

この時間から市内に出る方法とかを調べたものの大体の日本人は空港泊をしていると言うことで、同じように空港内で世を明かすことにした。

税関を抜けたら少し危険な気もしたので、荷物を受け取る場所の椅子に座っていた。考えることは同じようで、その後日本人が何人か同じ場所に来て数人で荷物を見張りながらよを明かすことに。

うち一人がインドに行ったことがあって、「バラナシで信用していい日本語喋れるインド人が一人だけいる」とかいろんなことを教えてもらい、気づけば朝8時まで空港内で過ごしていた。

空港の外に出て、ATMで無事お金を降ろしたあと、早速タクシーのところで交渉が始まる。プリペイドのタクシーで、街中まで行くなら一人300ルピーで連れてってやると言うのだ。そんなわけはなく、結局公式の受け付けで2台で600ルピーで乗れたので、一人300ルピー=合計1500ルピーは飛んだぼったくりだ。

 

圧倒的な光景

タクシーで市街地に向かってからと言うもの、全ての光景に圧倒された。人と犬が同じように路上で寝て、車は常に様々な音色のクラクションを鳴らし、日本では考えられないような密度の家、側溝から湧き出したグレーの水で洗濯する人、歯磨きする人、はたまた調理器具を洗う人、とにかくその光景に釘付けになった。

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他の日本人とタクシーをシェアしてたこともあって、ホテルのあるエリアまではタクシーで辿り着けたものの、そこからは住所だけを頼りにひたすらホテルを探し歩き、30分ほどうろうろした結果なんとかたどり着いた。この時点で午前10時。

じつはコルカタで1泊するのを決めたのが前日の夜だったので、そこから先は8日にバラナシにつく必要があること以外なにも決まっていなかった。なので、とりあえずネット回線の確保と7日のコルカタからバラナシ行きの電車を確保することに。

 


列車のチケットセンターは駅から少し離れたオフィスで、そこまではタクシー。前日にチケットの売れ行きを見たところほとんど売り切れになっていたので不安になっていたが、いざ買いに行くと普通に売っていた。インドの列車にはスリーパークラスから3,2,1等級まであり、3-1がエアコン付きだった。スリーパークラスは睡眠環境よりむしろ客層が良くない、と言われたので、残り2席の3Aクラスをなんとか予約した。

予約の合間にお腹が空いていたので、路上で売っていたジャガイモのカレーとチャパティを食す。これがとても美味く、それでいて10ルピー。今の所お腹も大丈夫だし、路上のポテンシャルを思い知った。

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列車の予約後はローカルバスを使ってSIMの販売場所へ。露天商のお兄さんに頼んでアクティベートをしてもらったのですぐに使えるように。

 

正解のない問題

次なる目的地はSIMを買った場所から程近いニューマーケットのはずだった。そして向かってる途中にある男が話しかけてきた。

彼は名前をカーンと言い、日本に行きたいから日本語を勉強している、と言っていた。

日本語で喋りかけてくるインド人には要注意、とはいうものの、彼に「今喉乾いてるからなんかオススメのジュース屋さん教えてよ」といったら「コルカタで一番美味いラッシー屋さんがあるから連れてってあげるよ」と言われたこと(実際そのラッシー屋さんは本当に美味しかった)、そこでの会計も払わせるわけでもなく、奢ってくれるわけでもなく、といった感じであったこと、「俺は店やっててお土産売ってるけど、無理やり売ったりはしないから」と言ってきたことなどもあって、少し信用してもいいかな、という気はその時していた。

しかしここはインドである。

というわけでコルカタの詐欺師情報を調べると、どうやらこの手の詐欺は割と良くあるらしい。

ラインを交換した時も「これ弟の名前」っていってたし、いかにも怪しいのだ。

このままのこのこと彼の店について行ったらどうなるかわからないので、「ごめん後でまた連絡するよ!」って言ってさっと握手し、そそくさと別れた。

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詐欺の情報を載せてる人は、大抵実名を載せていたのでまさかと思いLINEの名前を調べてみると、騙されたという話は出てこない。むしろいい話しか出てこないのである。ただ彼のLINEの名前は弟の名前だし、そもそもどこにでもいそうな名前だ。そして詐欺にあいました、と言う情報にもいくつも共通点がある。

これで普通にいい人だったら悪いことをしたな、とは思ったけれど、そもそも親切に仕向けて最後に騙すって言うのを実際にやってる人たちが一番悪い。そしてそう言う事態に直面して初めて、空港で言われた「バラナシにはひとりだけ信用して良い人がいる」と言う情報の大事さがわかった。

別れ際の向こうの顔は険しかった。これが「カモにならなかった」の表情か、「普通の人なのに詐欺師だと思われてしまった」の表情かは分からない。


彼と別れた後、すぐに5歳くらいの子供が付いてきた。お金が欲しいのかと思いきやどうやら食べるものが欲しいらしい。

その時に食べるものを持っていなかったので、取れる手段はその場で彼女に何か買ってあげるか、逃げ去るか、だった。

後者を取ろうと思うも、なかなかしつこく付いてくる。

あまりこういう時にあげるとそれを見た他の子供がねだってきてキリがない、みたいなのは良くあることなので、どうしようか迷ったがとりあえずその子の欲しいものを買うことに。彼女が指差したものは88ルピーだった。日本円からすれば大した額ではないがインドでは3食まかなえるくらいのお金。買ってしまっていいものか、とも思ったものの買ったら、女の子は照れ臭くハグをして、手を振って去って行った。そのちょっとした子供臭さが、この行為を肯定する要因になった。

ビクトリア記念堂


この2つの正解のない出来事が立て続けに起きたせいで、かなりどっと疲れたので、切り替えるために観光地であるビクトリアモニュメンタルに行くことに。

ビクトリアモニュメンタルの庭園には物乞いもいなく、中にいるのも観光客か家族連れの地元民。写真を撮ってーとかTiktok映ってーとか、そんな長閑な場所だった。最初ここコルカタに来る前は、インドにわざわざきて英領時代の場所に行く意味なんてなくない?と思っていたが、自分のようなインドが初めての人間にとって、インドは全てが圧倒的かつ受け取る情報量が桁違いで、そんな頭を休めるのには好都合な場所だったように思う。

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ビクトリアの庭園でボーッとしていたら閉園の時間が来てしまい、6時ごろにビクトリアを後にし、その後夕食、デザートを食べてホテルに帰ると泥のように眠ってしまい、朝を迎えた。

 

スラムの存在

水しか出ないシャワーを浴びてチェックアウトした後はまず朝食を。玉ねぎや青唐辛子の入った卵焼きをトーストにのせたやつが人気らしく、それを路上で食べて活動開始。

カメラをぶら下げてぶらぶらしてると、だんだんと道が細くなり、こちらを見る目つきが鋭くなってきた。すると、カメラを向けたわけでもないがおじさんが早口のベンガル語でまくし立ててきた。何を言ってるかはわからないが、「カメラをしまえ」と言ったようなことを言ったのだと思う。とりあえずカメラはしまうものの、すごい勢いで怒るわけでもなく何人か数人で必死に物事を伝えようとしている感じが伝わった。とにかくそこにいることが身分不相応なことは分かったので、そそくさとそこを後にすることにした。そこから一本入ったところは、映画やドキュメンタリーで見たことのあるスラムだったから、地元の人々がそうやって教えてくれたのも無理はない。

 


そこを抜け出して大通りへ出てからの、駅の方へ向かう道も強烈だった。

夥しい数のハエ、甘いものに群がるハチ、生臭さと獣の匂いと糞の臭いが混ざったような臭い、路上でものを売る人、道に横たわる人、狂犬病にかかった様子を見せる犬、鶏を捌いてる商人のよこで今にも殺されそうなニワトリ、クラクションを鳴らしながら通る車やリキシャ、とにかく見たことのない光景を脳内で理解するにはそれなりに頭を使う、ということがよく理解できた。インドは汚いとか人柄が嫌だとか、そんなことをよく聞くけれどそこは個人的には全く問題ない。とにかく強烈なのだ。強烈すぎて頭が疲弊して、時折日本に帰りたくなる。2日目の時点ではそう言った感じ。

 


そのごヒンドゥー教の寺院であるカーリー寺院に行ったものの、何が行われてるかはよくわからず、とりあえずなされるがままにオレンジ色の信仰の証をおでこにベタっと塗られただけだった。カーリー寺院から程近いベンガル料理屋で昼食をとる。

 

帰るべき場所

その後の予定は決めていなかったものの、メトロに乗ってナコーダ・マスジットという寺院に行くことにした。メトロの駅に向かう途中で、若者の集団にあった。ニコニコしながらこっちを見てきて、片言の英語で喋りかけてきたので、「写真撮ってもいい?」って言ったら「撮るならこっちのがいいよ、こっちきて」というジェスチャー混じりの英語で言われるがままに行くと、そこには神様の像と巨大なゴリラのモニュメントがあった。謎だ。

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で、彼らに言われるがままに写真を撮ると、小さい子などとにかくそこの町中の子供達が群がってきて、「ぼくも」「わたしも」と大写真撮影大会。あーこれがよく聞く「インド人の子供にカメラを向けると『撮って!』って言われるやつか」となった。実際二日間移動してみて感じたこととして、言われるほど写真を要求されないし、むしろ敬遠する割合が多い気がしたが、それはそれで頷ける。思うに写真は富の象徴みたいな感じだろうし、今はそこまで珍しくないはず。別に撮られたからといって彼らに旨味はないわけで。多分自分がインド人だったら嫌がる。だから、店にせよ人にせよ、写真を撮るのは頼まれた時か、しっかりコミュニケーションを取ってからにしよう、と感じた。実際ここで子供の写真を撮っていた時も、彼らの母親、祖母の世代の人たちはそんなににこやかな感じではなかった。

とはいえ現代である。集団のうちの何人かはスマートフォンを持っていたので、facebookやWhatsappで連絡先を交換して写真を送ると、とにかく喜んでくれ、そのあとは子供とサッカーをしたり、子供が「こう撮って!」というのをひたすら撮るカメラマンになっていた。これはこれで心地が良いもので、何よりその写真が子供達に届く、というのがとても嬉しかった。日本のものも持っていなかったので、もてなしてくれたお礼も出来なかったが、写真がそれの代わりになるのであれば良いな、と。

1時間ほど彼らと遊び、もう時間だから、と行こうとすると最初に声をかけた高校生くらいの子たちがチャイでも飲もうよ、といって一緒にチャイを飲んで駅まで送ってくれた。

全く観光地でもなんでもない場所での偶然の出会い。旅をしてての出会いは一期一会なことが多いけれど、彼らはきっと一年後も、二年後もあそこにいるだろう。また今度ここに来ることを約束して、メトロに乗った。

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そして予定より1時間遅くナコーダマスジットをみたが、まあこれもムスリム寺院で中に入るのは気が引けたので、外側から見て引き返した。コルカタはあんまり見るものないよ、と聞いていたがそれはそうである。見るものは特にない。が、生活を感じられる街という意味では凄まじく魅力的で、圧倒的だった。

そして顔にはあまり出さないがインドの人は基本的に優しいし、とてもポジティブな印象。一方で、自分が普段日本やデンマークで接していたインド人はエリート中のエリートなんだな、ということも思い知らされた2日間だった。

これからバラナシに向かいます。

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バンコクからコルカタへ

タイ行きの飛行機で深夜特急を読んだのは間違いなく正解だった。「あーこれだよこれ!」となり、不安であった陸路の旅も楽しみになってきた。40年も前の話だから情報的な価値がどこまであるかは置いておいて、インドらしさを想像するのにはもってこいである。

この本を読み終えたあと、スラムドッグミリオネア、というスラム出身の若者がミリオネア(みのもんたのあれのインド版)で億万長者になるのを描いた作品を観た。が、これはインドに行く前に見るもんじゃねえなって思った笑 スラムの過酷さ、カーストの過酷さを描くためにかなりそこの描写がキツく、若干の不安が。笑

 


そうこうしているうちにタイに到着。

バンコクは3回目だが、1回目は小学生の時でそこまで覚えていなく、2回目は代表戦で30時間ほどの滞在だったので、3回目という感じもしない。実際に歩いてみたり、電車の中から注意深く外を見ると「おーバンコクってこんな感じのところあったのか」という新鮮な発見が多い。

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バンコクではそんなに時間があるわけでもなかったので、ブラブラしたり、ワットポー、ワットアルンを見たりしていたらあっという間に夜を迎え、気付いたらそろそろ空港に戻らねば、という時間だった。

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空港に戻るのはモーチット駅までタクシー→バスの予定だったが、タクシーの運転手に駅を指定したら列車駅のモーチットに来てしまい、行きたかったのはメトロのモーチット駅だったのでどうしようか考えていると、「それなら空港まで送っていくよ」というタクシー運転手の提案によりそのまま空港に行った。値段もバスに乗り換えるのと大して変わらず、それでいてチップを自分から要求するわけでもないあたりに当たり前のことではあるけれど人の優しさを感じたし、気持ちよくバンコクを後にすることができた。

 


夜のフライトだと着陸する前に窓から見える景色が好きで、未だに初めて一人で行った国、カタールのオレンジ色の灯りを見たときの高揚は鮮明に覚えている。

そして今回、このコルカタという街に広がる、特に規則性もなく広がる白い灯りは見たこともない風景であり、カタールの時と似たような高揚感を覚えた。

飛行機を降りると凄まじい熱気を感じるか、と思うとそんなことはなく夜間は意外にも肌寒い。まあとにもかくにもインド入国。

初日

今年も長期ではないものの10日間の旅に出る。

とりあえず成田空港に着いて時間を持て余しているのでこれを書いている。

 

今回の行き先は旅人なら一度は行きたい彼の国である。この国は昔からどうしても行きたかったが、なかなか時間的余裕も取れず、今回が初となる。

 

そんな憧れの国、普段ならワクワクするはずなのだが、今日はどちらかと言うとワクワクより不安を感じる。なんでかは分からないが、恐らく色んなところに行ったり、色んなことを経験するにつれて自分自身が死を多少なりとも意識するようになったからかな、という気もする。

行けばそんな不安なんて吹き飛ぶとは思うのだけれど。

 

空港についてブラブラしていたら、本屋が目に入った。今回は主にLCCを使うので、予め電子書籍やら映画をタブレットにダウンロードをしていたものの、やっぱり旅の前は何か本を買いたくなる。

そこでふと目に入ったのが、深夜特急だった。

深夜特急は大学一年生の時に読んだ。この本が頻繁に旅に出るようになったきっかけになったかどうかはあまり覚えていないが、少なくとも旅というものの見方に関してはこの本が強く影響していると思う。

この本では現代でフォーカスされがちな絶景とかそういうんではなく、物乞いとの出会いとか、大小のギャンブルとか、そういう人間味あふれる部分がどちらかといえばフォーカスされているし、読んでから4年経った今でも鮮明に覚えている。覚えているくらいには、自分の中での旅における人間との関わりの占めるウェイトは大きいし、あれを読んだからこそ、今の自分の旅行観がある、と思う。

 

そしてその旅行観というものを形成していくにあたって、絶景というものには正直うんざりしている部分もある。正確には絶景が嫌いなのではなく、そればっかりがフォーカスされるところに。正直時代の流れ的にインスタグラムやTwitterが最盛期な今、写真でそれなりにワクワクが手っ取り早く伝わる今、そうなるのは仕方ないとは思うが、それが一番に来るのはなんとなく気にくわない。

 

話はそれたが、旅の前だと言うのに漠然とした不安しか感じていない今、必要なのは深夜特急だと思い、3巻目を買った。

まずはトランジットでバンコクまで。出来れば現地に到着するまでにインドの章を読みきってしまいたい。そして表現し難い興奮を覚えつつその地に降り立ちたい、と思う。

撮りたいのは多様性である、という気付き

www.instagram.com

東京系のインスタグラムアカウントを作ってから、1週間くらいが経った。自己満足で作ったものの、やはり公開するからには見てほしいという欲も出てきて、何を撮ろう、何を載せようか迷ったりもするものの、やっぱり周りは気にせず自分の感性に合うものを載せよう、と最近思いつつある。

 

ちょっも前にこんなツイートをした。

 

実はこのツイートはまた別のことを複数人でやろうとして、その際のツイート。だけどそれのスタートが思ってたより遅くなりそうなのと、FC東京関連のデザインとかもたくさんしてきてアウトプットの場が欲しいなあ、と思ってたことから上記のInstagramアカウントを作った。

 

このツイートで「誰でもいいよ」的な旨を書いた真意は、単によりたくさんの人の目に留まって欲しいためだった。実績もない自分がモデルやインスタグラマーにオファーを出せるとも思えないし、それなら一般人で立候補してくれる方がこちらとしてもありがたい。こうツイートしつつも、その時の自分が思い描いていたのは美形のモデルに準ずるような人たちの写真だった。

が、今もっている考えは違う。違うというか、真逆だ。モデルなんてほんの一部でいい。そういう考えに至ったのは、自分がサポーターだからに他ならないと思う。

ーーー

 

サンダーランドこそ我が人生、というイギリスのサンダーランドというチームに焦点を当てたドキュメンタリーをご存知だろうか。

Netflixに入っていれば全エピソード観れるので、サポーターな方々には是非とも見ていただきたい。

www.netflix.com

 

残酷なまでに真実を描いたこのドキュメンタリーではサポーターへのインタビューがそれなりのウェイトを占めている。昇格を目標にしながら全然勝てないチームに対して、サポーターは時には毒を吐き、時には諦めの境地に達したかのような言葉をインタビュアーに放ちつつも、チームが勝てば喜び、称える。そんなチームに対する変わらぬ愛は確かに垣間見えた。限りなくリアルを映しているところがこのドキュメンタリーのいいところ、だと個人的に思う。

このドキュメンタリーでは、有名人にインタビューするのではなく、肉屋のおっちゃんとかもう本当にそこらへんにいるおじさんにインタビューしている。こういったところにリアルを感じたし、このドキュメンタリーに対する共感を得ることが出来たんだと思う。

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www.instagram.com

これはボカのサポーターにフォーカスしたインスタグラムのアカウントだ。

単純にこのアカウント単体を見てもおしゃれだな、と思うが、個人的に惹かれたのは若い女の子の写真ではなく、おばあちゃんが微笑みながらリケルメの写真を持っている写真や楽しそうにクンビアを踊るおばちゃんの動画、青と黄色のアイスを頬張る小さい子供の写真だった。

 
 
 
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なんにしてもこのおばあちゃんの写真は最高だ。直感的に最高だ、と思ったわけだが、理由を考えてみると、多分自分に無意識に重ねてしまうからだろう。自分はおばあちゃんでもないしそもそも女性でもないわけだけれども、少なくともこの写真を見ると「昔からボカを応援してきたのだろうか」とか、「年をとってもこうやってボカに対して愛情を注げるなんて素敵だなあ」とか、「自分が将来年老いても『梶山陽平のスルーパスはなぁ』って微笑みながら語ったりするんだろうか」といろいろ考えてしまう。

これが先ほどのサンダーランドのドキュメンタリーのようにリアルを映し出しているのか、というとそういうわけではないと思う。皆が同じビンテージユニフォームを持っているわけではないだろうし、もしかすると被写体がみんなボケンセでもないかもしれない。しかしノンフィクションではないにせよ、この写真はサポーターが少なからず持っているであろう理想像や、サポーターの歴史・文化を想起させるにはもってこいの写真だと思う。

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チームへの愛を感じられるサンダーランドのドキュメンタリーやボカのこの写真はとても好きだ。場所も応援してるチームも違うが、自分自身も同じようにひとつのチームをひたすらに応援しているからだと思う。そして上の例2つはサポーターが1つのチームを応援することにおいて経験する言語化し難い小さな幸せや喜び、時として訪れる絶望や怒りといったものを見事に表現しているような気がする。

 

 

この二つを見た今、自分が撮りたいのはモデルよりも等身大のサポーターなんじゃないか、と思う。それこそ八百屋のおじちゃんがユニフォームきながら野菜売ってるとか、小学生がユニフォームきながらランドセル背負って学校へ向かってる、そんな写真が撮れたら最高じゃん、って思う。現代風にいえばエモいのだ。

 

スタジアムの中には多種多様な人がいる。職業も、各々のバックグラウンドも、チームに対する考え方も本当に多様で、それでいて同じチームを自身のアイデンティティとして持つことで繋がるというところが面白い、と個人的に思う。だからこそ、一見繋がらなさそうな多種多様な人たちがユニフォームを着ている写真をまとめていけば面白いんじゃないかな、と思うし、そっちのほうがリアリティもある。そしてそのリアリティにサポーター心をくすぐられるのではないか、とも。 

 

 

というわけで、あらためて。色んなサポーターの写真を撮りたいな、と思ってます。今は知り合い中心にアプローチしてることもあって学生が多くなってるけれど、いずれは年齢も容姿も性別も多様な写真を撮っていければなあ、と思います。試合日にもカメラを持っていくので声をかけていただくか、事前に連絡をして頂ければ。