備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

自分の目で確認することの重要性

カタールというクソ退屈な国においても、人とのつながりを通じて感じることがあったのでそれを少し。

  まず、この国は民族構成という意味で、特殊な国である。カタール人が1割強しかおらず、残りはビジネスマンと出稼ぎの労働者がほとんど。働いているのは出稼ぎとビジネスマンで、カタール人は全くと言っていいほど働いていないという。確かにカタールで出会った労働者のほとんどが南アジア・中国・アフリカ系でカタール人と思しき人は1人しかいなかった。そして僕の見たカタール人とは、昼間からショッピングを楽しんだり、コーヒーを飲みながら新聞を読んだりしている、そんな人々であった。

 話は変わるが、この国での主な移動手段はタクシーである。歩行者には不便だし、交通マナーの悪さ故に自転車は命がけ、バスはあるけれど本数が少ない、といった具合であり必然的にタクシーを使わざるをえない。タクシーにも2種類あって、メーターが付いているものと付いていないものであり、メーター無しのタクシーは事前に値段交渉が必須である。さて、私はカタールに渡ってからの数日、このタクシーに悩まされた。というのも、こちらが旅行者と分かるや否や、割高な値段を設定したりメーターを誤魔化したりでとにかくぼったくろうとしてくるのである。私も負けじと対抗するので次第に言い合いになり、大体の場合私が折れて言い値を支払う事になる。そんな時の私のテンションは最悪で、「こっちが明らかに正しいのに、なんでこんなに払わないといけないんだ」と思っていた。
 しかしこの考えはある運転手に出会って変わった。到着して5日ほど経った時に乗ったタクシーでの話である。他の運転手同様、「どこから来たの?」「仕事か?」と聞いてくるので、「日本から来た、ただの学生だけど」と答えると「日本人はみんな金持ちだから多く払ってね」と言われた。理不尽極まりないこの言い分に対し僕はムッとしたのだが、その一方で色々な考えが浮かんできた。確かに現地での予算を見れば、私はお金を十分に持っているとは言えないけれど、母国を離れ異国の地で懸命に働き、母国に送金している彼らが、趣味でカタールに来ている日本人に対してそういう思いを抱くのはごく普通な事なのではないか、と。ぼったくりを許容するわけではないが、ぼったくられる額はせいぜい150〜1000円ほどであるし、そこに腹をたてる必要はあるのか、必死になって1円でも払う額を少なくしようとするのは果たして正解なのか、と。
 タクシー運転手に限らず、この国にいる出稼ぎ労働者は皆必死に働いている。冬はまだしも、夏の気温は50℃近くにもなり、まさに命がけだ。2022年のカタールW杯に向けた建設ラッシュにおいて、多くの労働者が酷使され、中には命を落とす人もいる。文字通り命がけである。そんな彼らを目にした後に、平日昼間から優雅にコーヒーを飲んでいるカタール人達を見ると何とも微妙な気持ちになる。批判を恐れずに言うと、歪んだ社会構造だな、というのがその時の率直な感想だ。そして、この感情がカタールのどんな美しい高層ビル街を見ても、どんな壮大な計画を聞いても、虚しさを抱かざるを得ない原因なんだろうなーと。
まあ何が言いたいかというと、そこに行かないとわからないことってたくさんあるよねっていうこと。そこに行かないとわからないこと、そこに行かなければ出会わなかった人々の存在が次の旅を駆り立てているなあと。

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