備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

イスラエル2日目

さて、イスラエル2日目かつ最終日である。本当であればベツレヘムなども行きたかったが、日程が日程だけに効率よく回らねばならなかったのだ。
前日は体調不良のピークが来ており、胃痛と寒
気にやられていたが、起床してみると多少マシになっていた。
ホテルのビュッフェで7時過ぎに朝食を頂き、まずは岩のドームへ。岩のドームイスラム教の聖地である。聖なる岩なるものがここには存在するため岩のドームと言うらしい。
非常に混むと聞いていたものの、8:30に行くと全く並ぶことなく入ることが出来た。

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やはりイスラム建築というのは幾何学模様や植物文様、文字装飾が綺麗だなと思う。教会のフレスコ画などにも圧倒されることはあるが、やはりイスラム建築の装飾美には及ばないと個人的には思う。これらは全て偶像崇拝の禁止によるものだそうで、その結果基本的にほとんどのモスクの装飾は幾何学模様・文字装飾・植物文様で埋め尽くされるらしい。

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中は見学できないので、一通り見た後はキリスト教の聖地、聖墳墓教会へ。厳密にいうとキリストが有罪判決を受けた教会から、十字架に架けられた跡地である聖墳墓教会への道、ヴィア・ドロローサも回った。
これはイスラエルを離れてから知ったが、有罪判決を受けた教会だと思っていたところは全くの別物だったらしく、結果として第1,2留は訪れられなかった。とにもかくにも、ヴィア・ドロローサを歩いて聖墳墓教会を目指した。この道自体、知らなければただの道である。しかし道の途中から不思議と悪寒が走りはじめ、聖墳墓教会についた頃には全身鳥肌が立っていた。そして聖墳墓教会についた瞬間、不協和音のような鐘がちょうど鳴り響いた。偶然の産物ではあるが、なんとも不気味であり、結果として寒気が促進された。この寒気が、身体のコンディションによるものなのか、そうでないのかは分からない。けれどホテルに戻って身体を温めて以降は悪寒は走らなかったことを考えると、やはり宗教的な何かを感じずにはいられないなと思った。信仰の有無はおいておいて、自分のアイデンティティキリスト教である。何か祈る時は自然と聖書に出てくる神様が浮かぶし、初詣に行ったのも高校生になってからだし、お賽銭もほとんど投げたことがないし、改めて考えてみると一般的な日本人に比べるとかなりキリスト教色は強いと思う。今回のその不思議な経験も、そういったルーツがあったからこそなのかな、とも思った。

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ヴィア・ドロローサ

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エスキリストの眠っている場所。多くのキリスト教巡礼者がここを目指す。
チェックアウトまで時間があったので少し休んで、ギリギリの時間で出発、新市街へと向かった。
新市街に入ると、旧市街とはまた少し雰囲気が違う。旧市街のいかにも中東の市場、と言った感じとは違い、新市街ではイスラエル人がイスラエル人のために商売をしている色が強かったように思う。もちろんおみやげ屋さんもあるが、大多数は八百屋だったりファストフードのお店などである。こちらの方が生活色が強いので、より日常をリアルに感じられた。

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イスラエルは、除け者扱いされた歴史を持つユダヤ教の人々が一つの地に集まって作られた特殊な国である。なので勝手な先入観として、ユダヤ人しかイスラエルにはいないもんだと思ってた(パレスチナに住むアラブ系は置いておくとして)。しかしながらイスラエルでは信仰の自由も認められているし、それ故にムスリム系のイスラエル人もいる。イスラエルとはいえ、当たり前のようにモスクからアザーンは聞こえてくるのである。そもそもユダヤ人というのが一度散り散りになっていることもあって、多民族で形成されているのだ。
国際問題としてのイスラエルパレスチナ問題は解決に時間がかかるかもしれないが、ローカルではユダヤ人、ムスリム、クリスチャン、そして世界中からくる多様な巡礼者・観光客がうまく共存している、という事実に一番驚かされた。
彼らがお互いをどう思っているのかは分からないけど、少なくとも実生活レベルでムスリムであるという事実がイスラエルでの生活を不便にするような光景はあまり見えなかったように思う。またこれは個人的な推察ではあるが、自分と同世代とかだと、信仰心の薄れであったり、問題となっている事象が過去の事となってきていたりで、あまりそう言った事を気にしない人が多いんじゃないかなと思う。現に日中、日韓関係もそうだ。実生活レベルで反日感情を持った同世代の中国人、韓国人にあった事がない。それどころかほとんどが親日派である。過去にあった事は記憶にとどめておく必要があるが、それをいつまでも引きずるのではなくて、良い方向に持っていく必要があるし、持っていく事は可能だと思う。同じ事は南京に行った時にも感じた。
宗教のこと、国際関係のことなど色々なことを考えながらエルサレムからテルアビブまで移動した。

 

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イスラエルの広場。老若男女が楽しげに会話している姿は日本と全く変わらない。


エルサレムからテルアビブまでは16シェケル。500円程でいける。街の中心ではないが、バス一本で中心までたどり着く事ができる。

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エルサレムのバスターミナル。新市街にはこのような近代的な建物も多い。


まず向かったのはカルメル市場。ここもまた、ありとあらゆるものが売られているカオスな市場で、せっかくだからとヘブライ語で書かれたTシャツを購入した。

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次に向かったのはヤッフォ旧市街。アラブ系の人たちが未だに住んでいるテルアビブ南部の地区で、ここには蚤の市が広がっていた。ここでたまたま旧硬貨を売っていたのでこれもお土産で購入。現在のイスラエル通貨は「新シェケル・補助通貨としてアゴラ」だが、旧通貨は「シェケル・補助通貨として新アゴラ」というなんとも紛らわしいことになっているらしい。

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地中海に沈む夕日を見たいがために足早に旧市街を後にし、海岸沿いを歩いて良いスポットを探すことにした。
夕暮れ時、子供たちは浜辺ではしゃぎ、若者は釣りをし、それにおっさんが茶々を入れ、親子連れは手を繋いで散歩をし、老人は鳩にパンをやっている。犬を連れて散歩する人、猫とコミュニケーションをとる人、ひたすら昼寝をしている人…
ここイスラエルにも、世界中にありふれた日常が確かに存在していた。それを自分の目で確認できただけでも良かったと思う。自分が見たのはテルアビブとエルサレムだけだし、滞在もたった2日だ。他の場所はそうではないかもしれないし、これらの場所の人々だって心の中では恐怖を覚えているかもしれない。でも瞬間瞬間を切り取って考えれば、自分が見た光景は間違いは無いと思う。

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そんなことを考えていたらまもなく日の入りを迎えたわけで、これがとても美しかった。やっぱりこの辺の地域の夕日はなぜだか美しい。そして夕暮れ時に鳴り響くアザーンもまたとても美しい。

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飛行機は翌日の早朝の便だったので、カフェやレストランで時間を潰して空港に向かった。出国時は、行きとは比べ物にならないくらいあっさりとしたものだった。
これでイスラエルの旅は終わり。国際関係はかなり複雑だし、これが本当の意味で解決するのかどうかはわからないけれど、自分の見た子供の笑顔だったり、そこに存在していた日常はせめて続いてほしいな、と感じた。