備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

旅に出ています。

久しぶりに旅に出ています。

去年修士を卒業して働き始めたので、流石に今まで通り旅行に行くわけにはいかず、週末にサッカー見に行く程度でセーブしていたのだけれど、仕事始めて以来最大の激務(自分比)だった時に平静を保つために航空券を予約し、上司に「ここは何がなんでも休みますんで!」と宣言し、今はヨーロッパにいる。

ヨーロッパに来た最大の理由はFCコペンハーゲンがCLを勝ち抜いて決勝トーナメントに進んだから。あんな劇的な試合を立て続けに見せられたら試合を見に行かない手はない。

で、「この時期アジアカップなら、ドーハでトランジット挟めば決勝見にいけるな?」「カタール航空のステータスが切れるギリギリだし、無料アップグレードの特典残ってるな?」など、色々組み合わせられることが分かったので、予約する決心がつくまでにはあまり時間を要さなかった。金曜夜に出て、1週間後の月曜日に帰ってくるプラン。およそ10日間で、今までに比べたら短いけれど、仕事しながらこれだけ行けたら十分。オッケーをくれた会社の懐のデカさにも感謝。

 

ヨーロッパ内の行ったことないとこに行きたい気持ちと、友達とかに会いたい気持ちと、色々迷ったけど結局は友達に会いに行くことを選んだ。あとはスキーをどうしてもまたやりたかったので、行きはスイスはチューリッヒに飛ぶことにした。チューリッヒは2回目なはずなんだけれど、びっくりするくらい覚えていなくて、地図を見ても全然ピンとこない。唯一覚えているのは空港内を移動するトラム内で流れるグダグダなアナウンスで、それは4年前と同じく健在だった。

1時間半ほど遅延し、さらに機内にパスポートを忘れると言うヘマをしたせいで1時間のディレイ。

チューリッヒ中央駅でコーヒーを買い、ルツェルンを経由してEngelbergに向かう。キオスクで買うコーヒー一杯で4.7フラン。ユーロ換算で5ユーロ。流石に高すぎて、1ユーロが100円だと思って暮らさないとやっていけない。社会人になって金銭的に余裕ができたとはいえ、ヨーロッパの物価は相も変わらず高い。

ルツェルンという湖畔に広がる町は前回も行ったのだけれど、ルツェルンに行くまでの車窓から見える風景が綺麗なのは鮮明に覚えていて(なんならチューリッヒよりもよっぽど鮮明に)、それは今回も変わらず。

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ヨーロッパの電車は、ボックスシートで窓が日本よりも大きい気がして、雄大な景色を眺めるためにこうなったんじゃないかと思うような設計になっていて、外を見ていても全然飽きない。そして、やはりヨーロッパは落ち着く。行ったことない場所だろうと、たとえスイスが2回目だろうと、何とも言えないホーム感があって落ち着く。やっぱりヨーロッパにまた帰って来たいなと思い、今年からデンマークに移住する友だちの話を思い出して羨ましくなる。

今回は書くネタが特段なさそうな旅程なので尻切れトンボ的に投稿が終わりそうな匂いがプンプンしているけど、まあそれはそれ、と言うことで。

エンブレムと行く先

新エンブレムが発表されて一晩経ち。改めて色々考えると、自分がエンブレム変更にあまり乗り気ではなかったのは、「自分の中で大きな意味合いを持っているものが変わってしまう怖さ」みたいなところから来ていたと思う。

自分の人生の中でめちゃくちゃ大きな意味合いを持っているFC東京のことを、自分ごとと思えなくなるのではないか。仮にそうなってしまった時、人生の大きな部分を失った自分はやっていけるのだろうか。そんなIFを想像することから来る不安が大きかったのだと思う。

東京こそすべて - 備忘録

 

一晩経って、エンブレムが変わるという事象自体で自分のFC東京への気持ちが失われるということはなさそうだな、とは思った。これだけ大事にして来たものがすぐに自分の中から失われることはなさそうだと思って安心した。1番の不安は拭えたように思う。

「なんだこれ?」と発表時に思ったエンブレムも、見慣れてはきた。これを自分のクラブのものだと受け入れるには時間はかかりそうだけれど、意地になって受け入れないという逆の努力をするつもりは全くなく、あくまで自然体で。

これから入ってくる選手や今いる選手が新しいエンブレムを胸に、自分の好きなFC東京というチームを代表して戦って行くのを見て、自然と自分ごとになっていけば、と願っている。

 

で、それはそれとして、今までのエンブレムはクラブが歩んできた25年間の歴史と共に残るし、歴史と共に心の中に生き続けるものだとも思っている。そういう思いから幕を作った。

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これは、今季だけではなく、これからも出し続けたいと思っている。旧エンブレムへの固執とか、レジスタンスとか誤解されそうだけど、そうでは全くないというところはここに書いておきたいと思っている。

新しいものは新しいもので受け入れつつ、過去のものは過去のもので記憶に残し続ける。そこを伝えるのはサポーターの役目なのかとも思っている。そして別にどちらか一つを選ばないといけないものではないと思っているし、どちらも愛し続けることは悪いことでないと思っている。

 

最後に。FC東京というチームはコレクティブからかけ離れた文化を有していると思っていて、それはポジティブな形で残して行くべきだと思うし、事実クラブの出している多様性という方向とも合致する(クラブの意図する多様性がそれを意図してるかは別として)。自分自身が右に倣えの社会が嫌いだから、FC東京のこの辺りはすごく居心地がいいと思っている。

サッカーファン文化人類学 - 備忘録

多様なものを許容しながら、ここ一番、ここぞのタイミングで息が合う瞬間があるのが、たまらなく好きだったし、今もそうありたいと願っている。

SNS、特にTwitterが普及してから、今までは住み分けできていたであろう、完全に意見の違う人たちの意見が目に入るようになったり、攻撃的な発言も目に入ってしまう、という構造の変化が起きたように思う。クローズドな場所で言うならば全く問題ないことも、他の人の目に触れることで摩擦が起きることも多い。多様性はある程度の棲み分けによって実現できるが、壁が取り払われた結果摩擦が生まれると言うのは、社会でも起きうること。

SNSは自分の言いたいことを言う場だから言動自体を否定するつもりはないし、これはもう世の中の変化なので不可避的な事だとは思うけれど、少し残念に感じてしまう。

自分(これでも)ある程度は気をつけてる、つもりだけど、それでも全方位に良い顔とかは無理だと思うし、SNS全盛期の現代において多様性を維持しつつまとまる時はまとまる、なんて無理なのか?とも思う。

色々考えてみた時に、見てる場所とか考え方に関係なくオフラインでの集まりだったり色んなレイヤーが存在することが大事なのかなと思ったり。フットサルとか、ペーニャとか、バーベキューとか、そういうので色んなコミュニティがメッシュ状につながり合いつつ、考えが違っても直接会ってコミュニケーションを取る事で「ああこう言う人もいるんだな」と尊重できるようになるんじゃないかな、とぼんやり思う。

なので、サラリーマンミニサッカー大会はめちゃくちゃ楽しみにしてます。(結論そこ!?)

 

「俺たちの東京」から「他所から見た東京」へ

自分は東京生まれ…ではないけれど、物心ついてすぐに東京に引っ越したので、それより前に住んでいたところを地元だとは思っていないし、東京育ちだ。ただ、「地元(出身)はどこ?」と聞かれたとしても、「東京」とは答えないだろうし、強いて答えるなら「練馬」だ。練馬大根やとしまえんに愛着はあるし、練馬区には愛着は確実にある。でも、同じ感情が東京にあるか、と言われると、即答はできない。東京名物といった時にもんじゃがあるけれど、もんじゃに対して誇りを持っているかと言われると別にそういうわけでもなく、なんとなくよその食べ物な気がしてしまう。新宿や渋谷だって、おらが町ってわけでは決してない。多分八王子に住んでる人も自分と同じような感じだろうし、山手線の中に住んでいる人からすれば、練馬区なんてなんもない地味な区だろうし、23区以外を東京だと思ってないひとすらいるだろう。47都道府県の中で下から数えて3番目という地理的な小ささの割に、東京は「デカい」。

そんな「デカい」東京全体に対して、地元という概念は中々当てはまりづらいなと個人的には思ってしまう。くるりの『東京』というタイトルの曲中では「東京の街に出てきました」と歌われているけれど、街という単語で形容するには東京はデカすぎる。同時に、地方の人が感じる地元への愛、みたいなものと、東京の人が東京に感じる気持ち、みたいなのはだいぶ違うんだろうな、という風にも思う。「東京の街に出てきました」「東京の空の星は見えないと聞かされていたけど」という上京のフレーズを聴くたびに、地元と東京の対比に対して共感できるアイデンティティを少しうらやましくも思ったりもする。東京はくそデカい。

 

FC東京は、そんなくそデカい「東京」という看板を背負って、Jリーグに参加している。Jリーグ百年構想には「地域に根差したスポーツクラブ」とあるので、曲がりなりにも「東京」という看板を背負ったうえで地域密着を目指していることになる。そんなFC東京のエンブレムに東京タワーなどが入っていないのは、「今あるシンボルに頼るのではなく、FC東京が東京のシンボルになるため」という説を聞いたことがある。FC東京のエンブレムに東京タワーが入っていたら、どこかチームのことを他人ごとに感じていたかもしれない。

 

東京で地域密着、いかにも無理難題なようにも見えるが、これはこれで、意外と東京都民にとって大事というか、欲している人がそれなりにいるんじゃないかと思っている。東京という都市が地元という概念に合わない一方で、FC東京という媒体を介することで「東京全体」を自分自身も背負うことになるからだ。狂ったように「愛してる東京」と叫び、東京のチームを応援している。そしてそこで知り合う人らは、東京の別の地域の出身だったり、出身は地方で東京に住んでいたりする、職業も年齢も違う人らだ。FC東京がなければ、別にその人たちとシンパシーを感じることもなかっただろうけど、FC東京のおかげで、別の地区に住んでいる人だって「同じ東京に住んでいる人」という風に思える様になった。東京が少し自分事になった気がする。そして、東京の中でも地域ごとにペーニャがあって、地域の名前が書かれた幕がスタジアムに貼られているのは、東京ならではだと思う。

そんな経緯があるから、FC東京には、東京だからこそ、地域を大事にすることを疎かにしないでほしいと思っている。自分が長いこと見てきたFC東京というチームは、東京というデカい街の中で暖かさを感じるような居場所であったように思う。外から見た「東京」に見合うようなイケてるチームでは決してなかったかもしれないけれど、かえってその不格好さが、「外から見た東京」と「自分の住んでいる・過ごしてきた東京」とのギャップを代弁してくれているようで、自分にとっては唯一無二のチームだった。

 

親会社が渋谷のIT企業になり、「東京=FC東京となるようなブランディング力の強化」を今まで以上に感じることになった。、「今あるシンボルに頼るのではなく、FC東京が東京のシンボルになる」という設立時のスタンスと変わってないようにも思えるが、似て非なるものだと感じる。花火をたくさん打ち上げ、レーザー光線で試合前の演出を行い、インフルエンサーを招待する。ブランディング力の強化の名目の元、エンブレムの変更も決まった。きっと今のものよりもスタイリッシュになるのだろう。新しい経営陣の頑張りを全否定する気はないし、IT企業らしく、対応が早い部分もある。事実外国人ファンに対するチケット販売やホームページの対応がとても速かったりしたのは素晴らしいと思った。

自分は今のFC東京に対する違和感をずっと、ピッチ内外のアンバランスさにあると思っていた。ピッチ外のことが充実すればするほど、ピッチ内で起きる事象への投資の消極姿勢が目立つし、そのサッカーがびっくりするくらい可能性を感じないにもかかわらず、そこに対して危機感を持っていなさそうなところ。サッカー舐めてるでしょって。

でも、本質的な理由はそこではないんじゃないか、と、ポスターの受け渡しを郵送にパタッと切り替えたニュースを見て感じた。今FC東京が行おうとしているブランディング力の強化というのは、「キラキラとした、大都市東京」に見合うようなクラブになろう、といったベクトルだと思っていて、これは他所から見た東京に近い。花火が派手に上がり、おしゃれな人や外国人が集まる、そんな場所。渋谷や新宿の真ん中で育ったような人からすれば、そういった東京も自分事かもしれないが、自分はそういう「キラキラした東京」はだいぶよそよそしさを感じずにはいられない。確かに新規顧客を呼ぶためには―東京観光といった時に多くの人が山手線の内側にとどまるように―そういったキラキラとしたイベントも必要なのかもしれない。けれど、それだけだと、自分からすればどんどんチームが他人事になっていく気がしてならない。「他所から見た東京像」に近づけようとする人からすれば、「東京で地域密着なんて無理でしょ」と思っているのかもしれないけれど、東京だからこそ、地域密着を意地でも目指す意味があると思うし、そこにFC東京にしか作れない文化やコミュニティが生まれるんじゃないか、という風に思っている。

 

色々書いたけれど、自分がFC東京の応援をやめる未来は想像できない。なんやかんや惰性で見続けるだろう。でも、チームの変わっていく方向的に、自分の居場所はどんどん小さくなっていっている気がしてならない。今は周りのたくさんの知り合いがいるからそこに居場所はあるけれど、その人たちがいなくなった時に、自分の居場所がスタジアムにあるんだろうか、と自問自答した時に、Yesと答えられる自信は正直なところあまりないように思う。

アフリカと自分

ABEMAで配信されている『世界の果てに、ひろゆきをおいてきた』、なんとなく気になっていたので見始めたのだけれど、意外と面白い。

旅へのこだわりが強いからか、旅系の番組だったりYouTubeはハマらないのが多いのだけれど(水曜どうでしょうだけは何度も繰り返し見てしまうのだからすごい)、アフリカに行ったことがある人にしか分からないような絶妙なあるあるからリアルさを感じ取れるのがよい。ひろゆきの行動に「ん?」と思うことはありつつも、意外にも見れる。

アフリカ系の旅の動画はアフリカに対して穿った見方だったり見下した感じを醸し出しているものが結構あって、そういうのは見るに堪えないけど、ひろゆきはそういう感じではないのが良いなと思う。

そして、自分が一年前にアフリカを路線バスメインで旅していたこともあって、追体験をしているような感じになる。多分それがなんとなく見たくなる理由な気がする。

 

アフリカ旅行後、色々な幸運が重なってアフリカ関係のことが出来る仕事に就くことが出来た。仕事はとても楽しいしアフリカとも自分の思っているような関わり方が比較的出来ているので、これもまた非常にありがたいなと感じている。

その一方で、こういう旅番組を見ると、もっともっと自由にアフリカと接していたいと思ったりもする。アフリカに興味を持って、アフリカのことを勉強し始めて、アフリカ関連の仕事に就きたいならその前にアフリカをもっと知っておくべきだろうと思って、アフリカを旅したり、アフリカでインターンをしたりした。なのでその時点では、「アフリカを旅した経験が仕事に還元できるはず」というような見方をしていた。で、今は、仕事でアフリカに貢献したいという想いはありつつも、もっとアフリカを肌で感じていたい、という気持ちが大きいことに気付かされる。

 

アフリカは好きだし、アフリカのためになることはしたい。その気持ちは間違いなくある。けれど、自分がアフリカに拘る理由みたいなものは、何かそう単純に言い表せるものなんかではない気がしていて、それを探すには仕事など全く関係のないところでアフリカに身を置かないといけない気もしている。クリスチャンの家に生まれたから前世とかは考えないのだけれど、それでも前世はアフリカに関係していたんじゃないかと思ってしまうくらい、不思議なこだわりと引力を感じる。

 

ニジェールガボンでクーデターが起きて、特に興味のある中央・西アフリカの治安は正直だいぶ終わっているけれど、それでもそういう場所に行きたい、という気持ちはかなりある。翻って他の地域の紛争地域に行きたいかと言われるとそんなことは全然ないので、やっぱりこの大陸には何かがある気がしてならない。

 

まあ「じゃあ仕事辞めます」なんて言うわけではなく、仕事の目線はそれはそれで、外国人としてのアフリカとのかかわり方、みたいな視点では大事な気がするから、何か成し遂げるまでは続けたいと思う。ので、単なる備忘録と旅番組をみて旅をしたくなった、というお話。

群馬でサッカーを見て思ったこと

夏の三大スポーツ大会。

夏の甲子園、全国都市対抗野球、そしてクラブユース選手権。異論は認めない。

どれもそれぞれ魅力があって面白いのだけれど、クラブユース選手権に関しては、夏のクソ暑い時期に群馬に通い詰めるあの感じも含めて風物詩だと思ってる。

そんなわけで今年も群馬に通い詰めてるわけだが、日月と連続で試合があり、帰るのも面倒くさかったので初めて宿泊することに。そしたらタイミングよくザスパクサツ群馬のホームゲームがあるとのことで、観に行くことにした。関係のないチームの試合なんて国内ではほとんど観ないのに、ましてやJ2、最後に観たのがいつだか思い出せないくらい観ていない。

 

試合30分前にスタジアムに着くが、日曜夜のゲームにしては思ったより盛況している。12年前、まだザスパ草津だった時に来た時よりも全然盛り上がっている気がするのは、当時ラフィーニャにチンチンにやられて記憶が抹消されているからか。

 

メインスタンドのチケットを購入してスタジアムに入る。ピッチ上でスポンサー企業の社長さんがおそらくアドリブで喋っている緩さがなんとも良い。

ゴール裏の真ん中には他のクラブと違わず、拡声器を持った人がいるのだが、「◯◯選手コール行きまっしょう〜」とちょっとチャラついた口調で呼びかけてる感じは中々に新しい。かっこいいかどうかで言ったらカッコはつかないのかもしれないけれど、過激なファンが少ないようなチームにおいてはそういう言い方の方が盛り上がるのかもしれないなとも思う。「応援とは何か」という本質的な議論に立ち返った時に、①選手に対して気持ちを届ける②カッコよさを突き詰めて、雰囲気を作って選手を奮い立たせる、だと思ってる。選手コールを少しでも大きな声で、ゴール裏にいる年配の方にもちびっ子にも声を出してもらおう、と考えるなら、「◯◯選手コール行きましょう」と伝えるのも一つの手。

FC東京U-18OBのサトリョーも個人の応援歌を作ってもらえてた。消えてる時間が多かったけどしっかり1アシスト残すのは偉い。

 

そして草津にルーツを持つこのチームのサポーターエリアには、昔から湯もみ娘がいる。意味がわからないかもしれないけれど、文字通り湯もみ娘が木板を動かしているのだ。これも、カッコいいかどうかは置いておいて、チームのルーツのアイデンティティを端的に表すものとしてとてもアイコニック。ちなみに自分はこの湯もみ娘はめちゃくちゃロックでカッコいいと思う。徳島が阿波踊りの鉦を使ってるのとか、この湯もみ娘とか、地域の文化がフットボール文化に融合してると言うのは素直に良いなと思うし、かっこいい。試合が盛り上がってきたら湯もみを放棄して木板でバモバモするのかなとか、ACLに仮に出たら木板持って中国に行くのかなとか、そんなくだらないことばかり頭に浮かぶので、試合に集中出来たもんじゃない。

 

ザスパ草津からザスパクサツ群馬に名前は変わり、「群馬のチーム」になりたいんだろうなと言う意図はひしひしと伝わってくるが、サポーターの歌う応援には「草津」というフレーズが頻繁に使われる。湯もみ娘もいる。草津で活動していたのははるか昔、彼らの大多数は草津以外に住んでるんだろうけど、それでもサポーターの在り方がこのチームを草津のチームたらしめていると思う。俺たちのルーツは草津にあるんだという「分からせ」みたいなのを感じる。

 

ザスパも最近の流行りに乗ってリブランディングを行うらしい。クサツの名はクラブ名には残るが、エンブレムも没個性的なものに変わり、ますます群馬色が強くなる。クラブとして生き残るために、前橋で活動をする以上、仕方ないのかもしれない。けれど、草津にルーツとアイデンティティを持つのだと言う意識を、少なくともサポーターからは強烈に感じたし、草津アイデンティティを持つからこそ成り立つ湯もみのような応援もあるわけで、それを放棄してしまうのは、いささか勿体無い気もしてしまう、そんなイチ部外者の気持ち。

狂気

日本のサッカー界では一般にはライトな層を指すために用いられる「ファン(fan)」という言葉はFanatics - 気の狂った人たち - という言葉から来ている。

日本だとサポーターが熱狂的な人、ファンがライト層という使い分けがいつからかされるようになり、「ファン・サポーターの皆様」というような言い方もなされてる。

この使い分けは甚だ無意味だと昔から考えているけど、語源を考えた時に自分自身の存在はファンに近いと思ってるから、ファンを自称している。


サッカーのスタジアム内には「ファン - 狂信者 -」が世界中どこでも山のようにいる。そしてその狂った奴らの狂気によって、サッカースタジアムにしか存在し得ない熱狂というものが生まれる。狂った奴らの数が多ければ多いほど、スタジアムの雰囲気はただならぬものになるし、良し悪しは置いておいて応援は今やサッカースタジアムにおけるコンテンツの一つになっている。


何故狂うのか?自身のアイデンティティと結びつくからなのか、スタジアムに身を置いているうちに自然とそうなったのか、理由は分からない。けれど、初めてゴール裏に行った日、周りのイカつい大人たちが椅子の上に立ち、自分も見よう見まねで椅子に立って、ほとんど何も見えないような中で過ごした90分。試合は旗や前の大人でほとんど見れなかったはずなのに、それまでで一番楽しかった試合なのは覚えている。自分もスタジアムの熱狂に飲まれたうちの1人だ。


「チームを応援する」という行為のために大声を出す、手拍子をする、そのために平日仕事を休んで地方に行く、応援をするために横断幕やゲートフラッグを作る、応援するという行為は徐々にエスカレートして行き、次第にそれは狂気になっていく。応援という行為、応援のための手段の帰結としての狂気はスタジアムの熱狂を生むし、サッカーがサッカーたり得るために必要不可欠なものだと思っている。どこからを狂気とするのかの定義は難しいけれど、ゴール裏に陣取る人々の写真のキャプションでしばしば「熱狂的なサポーター」と形容されることを考えると、一般の人から見ればゴール裏で応援してる人なんて行動の一つ一つを深掘りすれば大概狂ってるのだと思う。


狂気は色んなベクトルに向き得るが、サッカーのファン文化において、狂気の一つの完成系が発煙筒だと思う。発煙筒、Smoke bomb、ロケット花火を人が密集するスタジアムでやろうと初めて考えついた人間は間違いなく狂っている。

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初めにことわっておくと、発煙筒なんてロクなもんじゃない。2階席からのロケット花火の火の粉でお気に入りのダウンジャケットに穴は空いたし、大量の煙玉を使った時は煙くてむせるだけじゃなく二階席の屋根に煙が滞留して前半20分ほどまるで試合が見えなかったし、アルバニアで見た試合では発煙筒がピッチに投げ込まれたせいで試合は中断した。ギリシャのアウェイでは発煙筒がかなり厳しく規制されていたため、着火した瞬間に地面に投げ捨てられたせいで椅子が燃えた。それを鎮火するために、10分並んで買った飲み物を椅子にぶちまけた。

ロクなもんじゃない。現に、ヨーロッパのほとんどのスタジアム内での発煙筒は禁止されているから、発煙筒を焚く人は覆面を被っている。

ロクなもんじゃないんだけれど、ただならぬ狂気は自分の気持ちに火をつけるのもまた事実。結果としてスタジアムのボルテージは異様なものになる。知ってしまうとやめられない、一種の中毒のようなものだ。事実、"No Pyro No Party" (発煙筒無くしてパーティーは成り立たない)という言葉はよく見かける。

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自分は、スタジアムにおける狂気はあって然るべきものだと思うし、それをある程度は許容しないと本当の意味での熱狂なんて生まれるわけないと思っている。ただ、許容のラインは国によって、人によって異なるし、その平均のラインを超えたら怒られるのは当たり前だ。自分はヨーロッパにいたし色んな場所でサッカーを見てきたからその辺の許容ラインがだいぶ緩いのは自覚しているし、日本で発煙筒をやったら一線を超えた扱いになるのは当然理解している。

 


ただ、今回の件を見るに、狂気を完全に排除したい人が一定数いるんだろうな、とも感じた。クリーンなスタジアムを目指したいし蛮行が気に入らないんだろうけど、果たして狂気を完全に排除するなんて出来るのか?前述の通り、スタジアムにおける狂気というのは応援感情の帰結でしかないと思うので、既存の狂気を排除しても応援様式が今まで通りであれば、結局また狂気というのはどこからともなく発生する。狂気を完全に排除するなんて無理な話だし、サッカーにおいて狂気を完全に排除するのであれば、応援を一切無くす他ない。が、それは熱狂なんて一生生まれないスタジアムを生むだけだ。プレミアリーグではフーリガニズムを排除しつつも人気を維持しているが、あれは根底にサッカーが文化として根付いているが故だし、そもそもプレミアリーグだって暴力沙汰は排除しきれていない。「野球には応援もあるけどそういう事件はサッカーに比べて格段に少ないじゃないか」という意見もあるかもしれないけれど、サッカーにはサッカーの常識がある、としか言いようがない。サッカーの応援と狂気みたいなのが世界的に・歴史的に紐づいている以上、そういう思考の人が集まれば結局応援をしていれば狂気は生まれる。

問題が起きるリスクをゼロにしつつ、熱狂だとかを作り出すなんて、そんな虫の良い話は存在しない。結局のところ、狂気をうまく飼い慣らしていって、ギリギリのラインコントロールをするしかないのだと思う。飼い慣らすという意味では、まっさらにして新しい狂気に対応するくらいなら既存の狂気と上手く付き合った方が楽だよね、とも。


ひとつ、応援の帰結が狂気、と書いたけれど、その狂気だけを取り出して、それを目的にスタジアムに来る層というのは厄介だなと思ってる。これは世界中どこでもそうで、ヨーロッパにも喧嘩するためだけにウルトラスに所属する奴もいるし、こういうのはホントしょうもないと思う。サッカーを楽しむ、チームの応援をどうやるか、なんかは二の次で、「サッカースタジアムなら暴れていいんでしょ?」みたいな。応援の帰結としての狂気は好きだけど、暴れるためにスタジアムに来るのは好きじゃない。

先に書いたアルバニアでの事例はまさにこれだった。ファッションで発煙筒を焚き、投げ込む。応援の帰結でない狂気から熱狂は生まれない。そんなスタジアムの光景に嫌気がさして後半途中でスタジアムを後にした。スロバキアのアウェイに行った際も、ハーフタイムに覆面を被った喧嘩したいだけの連中がアウェイセクターを襲撃してきた。これもホントロクなもんじゃないし、クソダサい以外の感想が出てこなかった。

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狂気狂気と何度も書いて読んでる人も気が狂ってきたんじゃないかと思うのでこの辺で締めようと思うけれど、これと言った上手い締めくくりはない。ただ、自分は狂気が入り混じってるスタジアムの雰囲気が好きだ。その狂気が一線を越えれば罰せられるのも分かっているし、それは罰せられて然るべきとも思う。だからと言って一切の狂気をすることはスタジアムをディストピアにすると思うし、そんな未来は見たくないな、とも思ってる。

フランス語の語学学校に入校した

久しぶりのFC東京以外の話題。

大学院を卒業して、アフリカから帰ってきて、お仕事を日本で始めたわけですけど、やっぱり仕事が始まるとインプットの多くが仕事と関係してるとこから生まれたりするので、なかなかブログに書きづらいという。

 

2年前くらいから独学で始めたフランス語、完全に辞めたわけではなかったんですけど、やっぱり社会人になるとなかなか時間も取れないので、もうここから先は独学きついだろうってことで、評判の良かった比較的近所のフランス語の学校に入校。実力テストみたいなのをしたらB1のクラスに入れるけど、復習したいならA2の最後の方のクラスがいいかも、ということで、A2-B1くらいのレベルのクラスに入ることにしました。ここまでの流れを振り返ってみようと思います。

 

2021年以前

中学生の時に知り合いづてでフランス人がホームステイしてたことがあり、それきっかけで高校の時に選択できた第二外国語でフランス語を選択したり、大学の第二外国語でもフランス語を選択したりしたわけですが、モチベーションもそんなに高くなかったし、その後同じラテン語であるポルトガル語に傾倒したため知識はほぼ全部抜けており、そんな状態からスタート。

 

ちなみにフランス語を勉強する動機は、興味関心がアフリカで、アフリカにはフランス語が公用語の国がめちゃくちゃ多いため、フランス語が出来る出来ないでキャリアの幅がかなり変わってくるから。

 

2021年1月 勉強スタート

これまでの外国語の勉強は、「文法書買って、問題解いて」みたいないかにもな外国語の勉強だったものの、それじゃあうまく行かなかったので、文法をあえて一切触れない方法でやってみようと。

フランス語は発音が難しい&リエゾンが複雑、というのは過去の経験から分かっていたので、じゃあまずは簡単な単語を最低限覚えて、それらをある程度正確に発音できるようにしようと思い、必要な500ほどの単語が載っている超基礎的な単語帳を購入。

Ankiという最強のフラッシュカードツールを使って、ひたすらに500の単語を繰り返し覚えては発音、を繰り返していました。

で、それを覚えた後はその単語帳に載っていた例文を、音声から意味と綴りを推測、と言った形でひたすら例文を叩き込んで、この辺りで発音とリエゾンの感覚はなんとなく掴めてきました。

次に手をつけたのが、口が喜ぶフランス語、という、参考書で、「このフレーズ全部覚えればあとは単語の言い換えで言いたいこと言えるやろ」みたいな本。これもAnki使ってやってましたが、流石に200以上ある例文を暗記するのは苦行だし、でだんだんダレてきました。勉強始めてから約8ヶ月くらいの時点(確か)。あと、流石に文法全く知らずにやろうとするとこの辺りで限界が来たので、初めて文法書を購入。

 

2021年末 モチベ低下〜課題の発見

さすがに同じツールを使って毎日狂ったように単語やフレーズを覚えようとしてると疲れてくるし、モチベも低下してきます。というか、これって実質文法書を使ってカリカリ勉強するのと変わらないのでは?となる。

 

モチベは低下してたわけですが2021年末に、2022年春からフランスの研究機関でインターンをすることが決まります(後に色々あって無くなりましたが)。

否が応でも勉強をしないといけない動機ができたので、じゃあオンラインでフランス語のレッスンでも受けてみようかな?と。玉石混交ですが、意外と安いです。

で、ここで受けたレッスンで壁にぶち当たりまして、例文とかまあまあ聞けるようになって、リスニングがある程度できるようになってたつもりなんですけど、向こうからの質問を理解出来ず、「あ、予測できない会話への適応力ゼロじゃん」となる。あとは、耳で聞いた情報だけを瞬発的に処理する、みたいな能力が致命的になかったので、これはやり方変えないとまずいぞ、と。

 

で、そのオンラインレッスンは一旦辞めて、フランス語のPodcastを使って、耳で聞いた情報だけを即座に解釈できるような特訓をしました。

個人的にはInnerFrenchというPodcastがオススメ。話の内容もそうだし、かなり分かりやすい。それを毎日聞くのを続けているうちにだいぶ瞬発力みたいなのが上がってきたので、「これならもう一回対人会話にチャレンジしても大丈夫かな」と思ったのが2022年1月くらい。

この辺りでフランス行きの話がポシャり、代わりにカメルーンに行くことが決まりました。

住んでた村で週一時間ほどフランス語で会話するのに付き合ってくれる親切な人が友人づてで見つかったので、今回は対面。これでだいぶ自分の話したいこととかを拙いながらも言えるようになった気がします。

 

2022年4-6月 カメルーン

そんなこんなでカメルーン。「まあカメルーンの人は割とみんな英語喋れるから心配ないよ〜」と上司に言われ、何を調査するのか等もあまりよくわからないままカメルーンへ。これだけ聞くとやばいバイト。

 

カメルーンに着いて気付いたこと。今まで勉強してきたフランス語の発音とびっくりするくらい違う。違いすぎてそれがフランス語だというのに気づくのにだいぶ時間がかかるレベル。

というのもカメルーンは超他民族国家なので公用語が必要、そこで国民みんなが喋れる言語としてフランス語が採用されたわけですが、みんなが喋れる=みんなが喋れるように発音が変化する、みたいな感じで、笑っちゃうくらい発音規則が違う。

それに、現地でしか使われてないようなフレーズも沢山あるので、そういったものをインプットしながら、徐々にカメルーン訛りのフランス語にシフトしていきました。

 

フィールドワークには英語とフランス語のバイリンガルも同行していましたが、とはいえ現地の人に手伝ってもらう上で毎回英語を訳してもらうのも非効率的だし、何よりいけすかない外国人ムーブだなと思ってたので、出来る限りフランス語で現地の人らとはコミュニケーションを取るようにしてました。伝われば良い、の精神だったけれど、これのおかげでだいぶ言いたいことは拙いながらも言えるように。

帰ってきた後にフランス語圏の友達と話したら「めっちゃアフリカのフランス語じゃん」って爆笑されましたが、自分のフランス語の目的を考えるとこれはこれでオッケー。

 

現在まで

カメルーンから帰ってきて以降、最低限今のレベルを維持しよう、とは思ったので、フランス語のCDを聴いたり、ラジオやポッドキャストを流し聞きはしているものの、それだけ。まあ時間も取れないし、あまり直近のモチベーションがない中でなかなかそれ以上をやるのも大変だし、何よりも自分が独学で出来るレベルはここまで、という限界も感じてました。

それでも、B1に片足突っ込むレベルまで独学かつ低コストで出来たのは自分の言語学習にとって大きな自信になったなと思ってます。

あとはもう強制的に勉強する機会を作れるフランス語学校に入校して、1-2年でなんとかB2取れるレベルまで持っていきたいなと。セカンドキャリアを考えるであろう年が3-5年後なことを考えると、それまでにDELF B2を取ることを目標に、引き続き頑張りたいなと思ってます。