備忘録

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東欧旅行記#6「バルカン縦断、最後の難関」

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12月28日、7時過ぎに出るであろうスコピエ行きの電車に乗るため、6時前に起きる。外はまだ暗い。昨日駅舎まで行ったものの駅舎は閉まっていて、依然電車が走っているかどうかは不明だ。チェックアウトを済ませ、暗い中駅舎に向かって歩く。
昨日きた道を20分ほど歩き駅舎に到着する。相変わらず駅舎はボロボロだが、駅舎には灯りがついており、扉も開いていた。期待を膨らませて駅舎に入ると、そこには駅員が立っており、「ノースコピエ、トゥデイ」と東欧訛りの英語ではっきりと言われた。どうやらコソボ国内の列車は走っているようだが、スコピエまでの電車はないそうだ。スコピエまでの電車を含めても、プリシュティナ駅を通る電車は一日たったの5本しかない。改めて東欧における電車事情の厳しさ、ネット上の情報の信用ならなさを実感する。

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プリシュティナ駅舎

悲しみに暮れている暇はない。翌日にギリシャテッサロニキから帰るのだから、一刻も早くスコピエに着く必要がある。プリシュティナ駅を後にし、徒歩でバスターミナルに向かった。

プリシュティナ駅からバスターミナルの道を歩いているときに気づいたが、さびれた駅舎とは対照的に、駅の周りは再開発が進んでいた。再開発が済んでこの辺が栄えたらもしかすると鉄道事情もマシになるだろうか。
バスターミナルに着いて、とりあえずスコピエ行きを探すと、タイミングよく10分後に出発するスコピエ行きのバス見つけた。急いでチケットと朝食を調達して乗り込む。
濃霧なのか大気汚染なのか分からないが、もやの先に見える幻想的な太陽を見ながらプリシュティナの街を後にした。
少し寝るとコソボマケドニアの国境に着く。バスを降り、パスポートチェックを済ましてマケドニアに入国。スタンプを見て、キリル文字の国に入ったことを実感する。マケドニアに入って2-30分ほどでバスターミナルに着いた。
バスターミナルに着くや否や、かなりたくさんのタクシー運転手に声をかけられるが、無視してチケットカウンターを目指す。テッサロニキ行きのバスを確保しなければならないからだ。事前情報だと17時にあるとのことだったのでチケットカウンターで聞くと、「テッサロニキ行きのバスは今日も明日もない」と言われた。念のためにチケットカウンターの違うスタッフや、ターミナル内の旅行代理店にも聞いたが、帰ってくる答えは同じだった。バスがなくても電車があるはず、と言うことで併設の鉄道駅のカウンターに行ったがそもそもスタッフすらいない。これはかなり困った。絶対にあると思ってたテッサロニキ行きの交通手段がない。が、帰るにはテッサロニキに行くしかない。先程無視したタクシー運転手が群がる方に行き、テッサロニキに行きたい旨を伝えてみるが、提示される額は150ユーロほど。下がったところで120ユーロだった。正直妥当な額だとは思うものの、もう少し安い方法を探したい。
ここまでバルカンにしてはかなり順調に来ただけに、最後にして最大の関門が現れた。とりあえず近くのショッピングモールで作戦会議をすることにした。
スコピエからテッサロニキまで直接行ける交通手段が存在しない、となると、国境近くの街に行き、そこから何らかの方法で国境を越えて、その後ギリシャ側の交通機関テッサロニキに行くのが一番有力だ。
調べていくと、国旗から5キロほどの位置にあるGevgelijaという北マケドニア南部の町まではバスが出てそうで、そこから何らかの方法でギリシャのポリカストロと言う街まで行けばテッサロニキ行きのバスないしは鉄道がありそうなこと、もしくは少し遠回りになるがBitolaという南西部の都市からギリシャのFlorinaという都市まで行き、そこから鉄道でテッサロニキまでいけそうなことが分かった。
計画が頓挫した際はタクシーを使ってテッサロニキまで行くしかないので、出来るだけ最短距離の移動の方が望ましい。そのため前者のGevgelija経由を第一候補として進める。

Gevgelijaからのプランは、Gevgelijaからボーダーコントロールのところまではタクシーを捕まえて連れて行ってもらい、徒歩でギリシャに入る。そして入国後、Evzoniという街まで2キロほど歩き、そこでまたタクシーを捕まえてポリカストロへ。そしてポリカストロからバス、と言う算段だ。これならある程度安く、また翌日の飛行機に間に合うはず。

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30分ほどで考え付いた2通りの移動パターン


再びバスターミナルまで行ってGevgelijaに行くバスを探すと、14時と18時があった。スコピエの観光もしたかった我々は18時のバスを選んだ。
ギリシャ入国には抗原検査によるコロナの陰性証明書が必須なので、観光をする前にまずは抗原検査を受けられる場所を探す。市内中心から比較的近くに受けられる場所があったので、2000円ほどで抗原検査を受けた。これでギリシャ入国の準備は整ったので、バスの時間まで観光をすることにする。
スコピエの街も例に違わず共産主義時代に建てられた無機質な団地が多い。またティラナやプリシュティナに比べると、寂れている感がより強く、ポドゴリツァのような印象を受ける。が、スコピエが他の近隣諸国の首都と決定的に違うのは、観光地化にかなり力を入れていると言うことだ。それも少しズレた方向に。
スコピエの路線バスの半分ほどは、赤い2階建てのいわゆるロンドンバスだ。これがロンドンでもう使わなくなったバスを使ってる、とかなら分かるのだが、そう言うわけではないのは車内に書かれた中国語の文字から分かる。スコピエで走ってる2階建てのバスは中国のYutong社の新車で、観光地化のために導入されたらしい。

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スコピエの路線バス

また、スコピエの中心に行くと頻繁に見かけるもの、それは銅像だ。とにかく360度どこを向いても銅像がある。広場には絶対あるし、大きな交差点には四隅にあったりする。屋根の上、建物の側面、橋の手すり。本当にどこにでもある。この街を歩いている間に銅像を何十体見たか分からない、それくらい銅像がある。
また観光地化を目指しているだけあって、新市街の中心地はかなり整備されておりカジノなども見受けられる。旧市街のオールドバザールはコロナ禍だからなのかオフシーズンだからなのかは分からないが少し寂れていて、サラエボの旧市街の方がよほど観光地としては評価できる。
と言うわけで観光地化しようと頑張ってるのは分かるし、現にスコピエはオンリーワンの都市になっているとは思うのだけれど、果たして共産主義の雰囲気が残った街並みに走るロンドンバスと、市内中に散りばめられた銅像を見るためにわざわざスコピエに来る観光客がいるのだろうか?と考えると甚だ疑問だ。

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銅像の嵐。

街を歩いているとマケドニア生まれのマザーテレサの資料館のようなところにたどり着いた。入場料無料なのでとりあえず入ってみる。
資料の中の一つに、世界初のマザーテレサの献身性に関する博士論文、と言う説明書きと共に2冊の本があり、一つは日本語だった。この博士論文が書かれたのはスコピエ大学で、どうやら20年前らしい。本のタイトルもマケドニア語だったので本文もマケドニア語なんだろう、と思うと恐ろしいバイタリティだ。海外でこうやって活躍している日本人の存在を見るとモチベーションになるなと常々思う。
そんな展示を見たこともあって、旧市街を一通り見終わった後比較的近くにスコピエ大学があったので見に行ってみたが、まるで廃墟かのように活気がない、古びた奇抜な建物が乱立していた。自分なら3日で逃げ出しそうなキャンパスだ。ここで博士号を取ったと言うのは本当にすごいと感じる。

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スコピエ大。

 

やることも無くなったので、ショッピングモールのカフェで時間を潰し、バスターミナルに向かう。バスターミナルでもう一度念のためにテッサロニキ行きのバスを探したがやはりなかった。ギリシャはシェンゲン外からの入国を原則許可していないため、需要がほぼなく軒並み運休になってるのでは、という憶測を友達と話していた。
とりあえずバスが来るまで、2人でGevgelijaまで行った後の行動パターンをかなりの数シミュレーションした。その過程で、どうやら航空写真を見るに国境は高速上にあり、夜に徒歩で越えるのはかなり危ないのでは、と言う話になった。となればGevgelijaからテッサロニキ、もしくは国境近くのEvzoni、ポリカストロまでタクシーで行くのが安パイだ。いろいろ調べていると、Gevgelijaのタクシー会社でテッサロニキまで50ユーロで連れて行ってくれる会社があることがわかったので、その会社のタクシーに乗ることを目指すことにした。
17時50分、Gevgelija行きのバスに乗り込む。予想に反してバスの乗車率は8割ほどで狭い席に荷物を持って乗る羽目になった。Gevgelijaまでは2時間ほど。時間を潰しつつ、目的地に近づいていく。
地図を見るともうGevgelijaは目と鼻の先、と言うところまで来たが、灯りはさほど着いていない。街の規模はある程度大きくても田舎は田舎だ。20時30分、人1人としていないようなGevgelijaの小さなバスターミナルに着く。無論キオスクのような店もなく、待合室があるだけだ。この時点で、この暗さで徒歩で国境を目指すのは危険すぎると思ったので狙いをタクシーに絞った。

Gevgelijaのバスターミナル。何もない。


唯一いたタクシー運転手に声をかけられ、試しにテッサロニキに行きたい旨を伝えてみると80ユーロと言われた。英語も大して伝わらないし、調べた会社よりも高いのでまずはタクシー会社に電話してみる。
すると、夜間料金で運賃が60ユーロ、それに加えて運転手のコロナテスト代で17ユーロで77ユーロと言われた。額面上はほぼ変わらないが、電話をかけて会社の方が信頼できるので、予約を取りタクシーを待つ。これでテッサロニキに行ける。かなり不安だった国境越えも何とかなりそうな目処が立ったので肩の荷が降りた。
20分ほどして予約したタクシーが来た。見た目はただの乗用車だが、流暢な英語を話すドライバーだった。パスポートと陰性証明書を確認して、国境に向かう。
北マケドニア側の国境手前のガソリンスタンドでドライバーがコロナのテストを受けるために車を停めた。陸路国境でもこうやって手前でコロナのテストが予約なしで受けられるのは便利なシステム。
結果が出るまでの時間でギリシャ入国のための位置追跡フォームを記入し、結果が出たらいざ国境に向かう。
まずは出国審査。国境に着き、運転手と自分ら2人、合計3人分のパスポートを北マケドニア側の審査官に渡す。すると、審査官は険しい顔をしながら運転手に対してマケドニア語で話しかける。何を話してるか分からないが、運転手が運転席から降りて話を始める。1,2分ほど話した後、パスポートが返却される。スタンプは押されていない。そして運転手は車のギアをリバースに入れる。まさか出国拒否を食らったんじゃないか、という嫌な予感がする。タクシーを捕まえて安心しきっていたが、ここでまた一気に緊張が走る。
運転手いわく、審査官に言われたのは「この車はタクシーのランプがなくてタクシーだとぱっと見分からない。EUマケドニアではルールが違うし、ギリシャ側で問題になるかもしれないから通すことはできない」と言われたとの事だった。と言う事で、タクシーのマークが付いた車をもう一台呼び、その車で出国をし、出国が済んだら元乗っていたタクシーに乗り換えてギリシャに入国する、との事だった。正直よく分からない事だらけだが、言われた通りタクシーを待つ。

この時点で北マケドニア側の時間は22時を回る。そしてギリシャは1時間早いので23時。ここである不安がよぎる。午前中に色々調べていた時に出てきた情報の中に、Evzoniの国境は23時に閉まる、と書いてあったのだ。ここで国境が閉まったら我々はもうどうすることもできない。

そんな不安を抱えつつ20分ほどすると、タクシーがやってきた。荷物を持ってそのタクシーに乗り込む。今回も同じ審査官だったが、不機嫌そうにスタンプを押して、無事パスポートが帰ってきた。通常陸路国境はそれぞれの国が出入国を管理しているため、間に「無の区間」が存在する。この無の区間で、言われていた通り元のタクシーに乗り換える。

が、やはり腑に落ちない。元々乗っていたタクシーで出国できなかったのは「このタクシーで行くとギリシャ側に入国する際に問題になるかも」という話だったのに、その問題になるかもしれないタクシーで入国するのだ。本当に大丈夫か、と心配になりつつも、タクシーの運転手は悪い人ではないことは直感で分かっていたので、彼を信じ国境へ進む。

ギリシャ側の国境へ着く。シェンゲン圏への入国、ということでオランダの滞在カードを見せ、陰性証明書を見せるとあっさり入国は済んだ。マケドニアのムッとした入国審査官とは対照的に、ギリシャの入国審査官は酔っぱらっているかの如く陽気だった。

ドライバーには「あなたはタクシー運転手?」と聞いていたが、特に何事もなく入国出来た。本当に拍子抜けだ。その後コロナの検査を再度され、今度こそ無事に入国。結局マケドニア側の出国の際のいざこざは何だったんだろう、と思っていると、運転手が「見た?このギリシャ北マケドニアの差。マケドニア側の人は、あれは多分お金を5ユーロか10ユーロでも掴ませれば問題なく通れたと思うよ。彼らは月給450ユーロしかもらってないから。旧ユーゴでは警察の賄賂が横行してるんだ。」と言われた。旧ユーゴの賄賂、といえばストイコビッチの自伝で読んだことはあるけど、それから20年ほど経った今でも賄賂はあるのだな、そしてこれほどまでに露骨に。

5~10ユーロなら払ってもよかった気がするが、確かにその場で「彼が賄賂要求してるから、それを払えば今すぐ出国できるけどどうする?」とか聞かれたら絶対グルの詐欺だと疑ってしまうし、それをしなかった運転手は賢明な判断をしたなと思うし、ますます彼への好感度が上がった。

安堵したせいで急激に眠気が来たが、我々にとって救世主のようなドライバーの横で寝るわけにはいかない、という無駄な意地を張りつつ、1時間ちょっとでテッサロニキに着いた。これで無事に帰れる。

1か月半前に来たホステルにまた来るとは思ってもいなかった。安堵した我々は24時間やっているコンビニへ行き、各々飲み物を買って部屋で乾杯した。この旅一番の乾杯だった。

 

後日談

入国のストレスなのか、毎日動き回ってたまった疲労なのかはわからないものの、家に着いた後ドッと疲れが来て、疲れが来すぎて高熱を出し、ベッドの上で年越しを迎えました。こういうハードな旅はもうそろそろ卒業しろということなのでしょうかね(毎回いってるけど、のど元過ぎちゃえば熱くないんですよね)

東欧旅行記#5「バルカンの異端、コソボ」

前回の記事はコチラ↓

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昼食を取って、コソボ行きのバスに乗る。首都のプリシュティナではなくまずは古都のプリズレンまで行き、プリズレンを観光したのちにプリシュティナに向かう。2時のバスで5時到着予定、着く頃には日は暮れているはずなので、観光のメインはおそらく明日だ。

久しぶりにバンではなくちゃんとしたバスでの移動。座席に付いていたコンセントは機能しなかったが、それでも快適なのには変わりはない。バスの中で流れるちょっとアラブっぽい音楽やラジオにももうすっかり慣れきった。
1時間ほどすると休憩に入る。英語の喋れるおばちゃんが「10分の休憩だからね」と教えてくれた。ほんと、アルバニア人にここまで親切な人が多いとは予想していなかった。
出発から2時間半ほど。バスが国境で止まる。コソボの警察がバスに乗ってきて、ワクチンのチェックをした後にパスポートを回収していく。どうやらアルバニア側のチェックはないようだ。
外を見るとトランクの中や、トラックの荷台の中なども入念にチェックしているようだった。15分ほどするとバスが動き出し、パスポートが手元に返ってくる。これで晴れてコソボに入国。
コソボは旧ユーゴスラビアの一部で、近年までセルビア内の自治州として国際的には認識されていた国だが、国民の大半はアルバニア系で言語もアルバニア語、国の中でもアルバニア国旗やシンボルである双頭鷲のマークをよく見る。アルバニアがそもそも旧ユーゴスラビアには含まれていないことを考えると独立も自然だが、とにかくこの辺の歴史は複雑だなと感じる。
しばらく乗っていると、先ほどの親切なおばちゃんが「このバスはプリズレンには行かないから、あなたたちは途中で降りて乗り換える必要があるわ」と伝えてくれた。ネットの情報でもそういうケースが存在することは知っていたが、まさか自分らがそのケースに当たるとは。
バスステーションとも言えないようなガソリンスタンドで降ろされ、そこからミニバンに乗り継いでプリズレンのバスステーションへ。
プリズレンは勝手にベラットやジロカストラのような、こじんまりとした古都だと思ってたが、市街に入ると、ショッピングモールが沢山あり街としての規模がかなり大きいことに気付かされた。

プリズレン市内のショッピングモール


旧市街の周りも比較的新しい建物が多く、クリスマスということもあって非常に賑わっていた。街を歩いていると教会よりも圧倒的にモスクの方が多いのにも関わらず、街はクリスマスムード一色、という点ではアルバニアと同じだ。川沿いの景色は少し鴨川っぽくもあり懐かしさを感じた。やはり川が流れてる街は好きだ。ただ空気は例の如くかなり悪い。煙突からの煙に加えて、やたら喫煙率が高いためか、しばらく歩くと洋服が雀荘に入った後のような臭いになっていた。

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プリズレンの旧市街。やはりモスタルと雰囲気は被る。


コソボに入ってからやたらと声をかけられる。アルバニアでも声をかけられることはあったが、コソボはその比じゃない。アジア人が珍しいんだろう。が、多くは「コソボへようこそ」とか「メリークリスマス、Bro!」とかで友好的なものが多く悪い気はしない。
夜景を見にプリズレン要塞を登ろうと試みたが、道が暗くて断念。次の日に回すことに。
宿では「コソボでは電力不足だから、もしかしたら停電するかも」と説明された。慢性的な電力不足なのかと思って調べてみるとどうやらそういうわけではなく、つい1週間ほど前に技術的な問題で最大の火力発電所が止まってしまったらしい。

12月27日。朝10時にチェックアウトして朝食を食べる。この日はプリシュティナに行くだけなので、比較的ゆったりしていた。プリズレンの旧市街はそこまで大きくないので、少ない時間で歩ききれてしまう。雨雲が少し心配なものの、とりあえず昨日登れなかったプリズレン要塞に登ってみることにする。途中で逆方向から歩いてくるおばちゃんに日本語で「こんにちは、またね〜」と声をかけられる。何者かはわからないが、気前のいいちょっと日本語が少しできるコソボ人、と言ったところだろうか。とにかくプリズレンではよく声をかけられる。要塞へのルートは夜だと分かりにくいだろうな、という感じで昨日は登らなくて正解だった。きついと思ったらやめる。損切り大事。ジロカストラの旧市街での教訓だ。
要塞を登り切ると、プリズレンの街が一望できた。こうみると単なる古都ではなく、かなり大きな街であることを改めて実感する。高い建物こそ少ないものの、かなり先まで密な建築群が続いている。そしてモスクの数もかなり多い。

ただ慣れとは怖いもので、これだけ毎日のように街を一望できるスポットに行ってると感動は薄れていく。きっとプリズレンが初めての要塞ならもっと感動したのだと思う。

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プリズレン市内を一望。

登るのは大変でも降りるのは一瞬だ。プリズレンの街はある程度歩いたので、行き来た道とは違う道でバスターミナルを目指す。途中、煌びやかな店が並ぶショッピングストリートを通る。女性が身につける金属の装飾品や、正装らしきドレスなどが売ってた。コソボの伝統衣装なのだろうけど、とにかく煌びやかで美しい。

13時過ぎ、バスターミナルに到着すると、おじさんに「プリシュティナ?」と声をかけられる。Yes、と力強く答えると、発車しかけのバスに声をかけてくれ、半分動いてるバスのドアが開く。何分間隔でバスが出てるのかは分からないが、着いてすぐ乗れたのはラッキーだ。これならなんとか夕暮れ前にプリシュティナに着きそうだ。
結構な数の街を経由し、予想より遅い15時半ごろにバスターミナルに着いた。
バスターミナルは少し中心から離れたところにあるが、そこから宿までの道のりで主要な観光地を回れそうだったので、徒歩で宿に向かうことにする。
プリシュティナには旧ユーゴ時代のものと思しき団地がたくさん存在していた。が、色が塗られているものも多いためそれほど無機質だとは感じない。同じような地域でも場所によって微妙な雰囲気の違いを感じ取れるのは東欧の良いところであり、複雑さを表しているようにも思う。とりあえず、プリシュティナは思ったより都会だなと感じるし、「何もない」と言う評判を同様に持つポドゴリツァに比べるとだいぶ都市の規模も大きい。

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プリシュティナの団地。相変わらずごちゃついているのには変わりはない。

しばらく歩くと、ビルクリントンの像と巨大な壁画が現れた。コソボアメリカからの多大な支援を受けていて、至る所でアメリカに関連する銅像や、星条旗を見ることが出来る。アルバニアの国旗があるのはまだ理解できるが、第3カ国であるアメリカの星条旗がたくさんある、というのはいくら支援が手厚かったとはいえ新鮮だ。ちなみにコソボと仲の悪いセルビアは親ロシア路線なので、ここでも対立構造が見られる。

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ビルクリントン像。

歩いていると建設中の近代建築をよく見かける。が、外資系のショップなどはやはりあまり見かけず、この辺はティラナと同様で、きっと街の発展も過渡期なのだろうと予測できる。
実は4年前にセルビアベオグラードからプリシュティナに行こうとしてて断念している。バスチケットも買ったが、まあ色々あってベオグラードからテルアビブに飛んだため、プリシュティナに行くことはなかった。この時に行ってたらまた色んな新しい発見があっただろうか、とか思ったりもする。

4年前に迷った時の記事↓

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プリシュティナで見たいと思ってたのはコソボ図書館。ここは異様な見た目で有名な図書館だ。ブロックを積み重ねたような見た目、天井には無数のドーム、そしてなによりも壁面につけられた格子状の飾り。中の明かりは付いているものの入れるわけではなく、遠くから見たら異様な廃墟のよう。日が落ちて薄暗い中ぽつりと建っている図書館の屋根には、おびただしい数のカラスが止まって鳴いていて、より一層不気味さを増していた。

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プリシュティナにはこれ以外にも奇抜な建築は沢山ある。お世辞にもクールな建築だとは思えないが、記憶には残る。
そのほかのプリシュティナといえば、な観光地といえばNEWBORNと書かれたモニュメント(BE KOBEみたいなやつ)だが、これが観光名所なくらいプリシュティナには何もない。まあただ、これはコソボが独立した日に出来たものであって、コソボの象徴として捉えるのであれば歴史的価値は高い。歴史を体感できるようなアート作品やモニュメントは実は意外と多いなと思う。
プリシュティナのメインストリートはクリスマスのイルミネーションとともに賑わっていた。それと同時に、子供の物乞いもちらほら見かける。発展はしつつあるとはいえ、まだまだ貧しい層が沢山いるという事実の現れだとは思う。
宿についてチェックインを済ませる。部屋に入り一休みしつつ、明日以降の移動について考える。明日28日はプリシュティナからまずスコピエに移動し、そのまま夕方ごろにスコピエからギリシャテッサロニキに移動できればベストだ。とにかく、明日はなるべく早めにプリシュティナからスコピエに移動したい。プリシュティナからスコピエへの移動手段は、電車かバス。調べていると電車が朝7時にあるということだったので、これを第一候補にして予定を立てる。早朝の電車ということでその日にチケットを買えるかどうかが怪しかったので、夕食を食べに行きがてら鉄道駅に行き、チケットを買えるかどうか確かめに行くことにした。
プリシュティナには多くの路線バスが走っていて、値段も0.35ユーロと格安なのでこれに乗り鉄道駅の近くまで行く。鉄道駅なのか家なのか分からないくらいこじんまりした駅舎が暗闇の中にぽつりと建っていた。鉄道駅の中を覗くと、明かりは付いておらず鍵も閉まっていた。これは明日の電車があるかどうかも怪しい。
今日はもうどうしようもないので駅から宿に帰るまでの道中で夜ご飯を食べることにした。入ろうと思ったお店がまさかの満席だったので、ウェイターにおすすめの店を聞きそこに行く。かなりの量を2人で平らげ、オランダなら1人50ユーロはしそうなところ1人17ユーロで済んだ。やはり物価の安い国は最高だ。

食べたご飯の一部。エビのリゾット、牛ランプのステーキ


宿に帰ると、コモンスペースで「君たち今朝プリズレンにいなかった?」と訛りのない英語で話しかけられる。話していると、要塞に向かう途中で日本語を話しかけてきたおばちゃんであることが分かった。彼女はアメリカ人でバルカンには旅行で来ており、たまたま全く同じ行程を辿っていたらしい。日本語については、日本に何回も遊びに行く過程で少し覚えたそうで、地理にもかなり詳しかった。世間は狭いし、こういった再会はなんでか分からないが少し嬉しくなる。

 

2日弱の滞在ではあったけれど、コソボは十分満喫できたと思う。いや、満喫しようと思えばもっとできたんだろうけど。とにかく飯が最高だった。住民構成はほぼアルバニア人ではあるものの、国としてはユーゴスラビア、そしてセルビアの一部として1世紀近く見なされてきていて、なおかつ母体のようなアルバニア本国は鎖国していたりしたのだから、どこの国とも違うような雰囲気を醸し出していて当然だと、行ってみて実感した。コソボは日本人からするとどうしても紛争のイメージがまだ強く、バルカン半島の中ではかすんでしまう存在かもしれないけれど、間違いなくどこの国とも違った異端のような存在だと思った。

そんな考えを宿で消化させつつ、溜まっていた洗濯を済ませ、翌日に備えて休息を取る。

つづく。

東欧旅行記#4「アルバニア・想像と現実」

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モンテネグロポドゴリツァ出発から30分ほどで国境に着いた。シュコダル湖という、モンテネグロアルバニアの国境にある湖が真横にある美しい国境だ。モンテネグロ側では通例的にスタンプを押されず、パスポートを見せて終わりだった。
アルバニア側は、というとこれまた適当で、コロナのワクチン接種証明書すら見せずにパスポートにスタンプを押されて終わりだった。ということであっさりアルバニアに入国する。人生50ヵ国目となるアルバニア。どんな国だろうか。
アルバニアをネットで調べると出てくるのは「ヨーロッパ最貧国」「かつては無神国家」「ヨーロッパ唯一のムスリムが多数の国家」「91年まであらゆる国と断交して実質鎖国状態に」「開国後はネズミ講で国民の1/3が破産」などで、とにかくそこにはカオスが広がってるのだろうと思っていた。果たしてこのイメージはどう変わっていくのか。

アルバニア側に入っても景色が急激に変わるわけでもない。強いて言うならアルバニア国旗がそこらじゅうに掲げてあるからアルバニアだ、と認識できるくらいだ。
しばらくするとシュコドラ(シュコダルのアルバニア語名)という地方都市に入る。とにかく車の数が多いのでひどい渋滞が発生している。バスの車窓からは、年季の入った建物とたくさんの露店が見える。汚れたバスの窓というフィルターを通しているからか、見える景色は2021年のそれとは思えない感じだ。想像していた通りのアルバニアだった。それなりに大きい都市なはずだがバスターミナルは存在せず、適当な場所でシュコドラで降りる客を降ろし、そのまま南下してティラナに向かう。

シュコドラの街並み


ひどい渋滞を抜けて、15時ごろにティラナに到着した。バスターミナルは思っていた通り、無数の旅行代理店が並び、一歩歩けばタクシードライバーに声をかけられるカオスが広がっていた。
が、そんなカオスも束の間、自分の思い描いていたアルバニアのイメージは覆ることになる。しばらく歩くと、数年以内に建てられたであろう広々としたガラス窓を持つ近代的な建物が見え、その中はショッピングセンターになっていた。そしてそう言った近代的な建物が一つではなく、いくつもそびえ立っている。共産主義時代に建てられたであろう建造物ももちろんあるが、それにしても新しめの店やおしゃれなカフェが多く、街も活気にあふれている。道路も整備されているし、かなり発展している印象だ。街の中心に近づくにつれ近代的な建物は増え、まだまだ建築途中の高層ビルもたくさんあった。ただそんな建物をバンバン建てるほどの財源がどこにあるのか、はわからず。

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バスターミナル近くのショッピングセンター。

昼から何も食べてなかったので、ホテル近くのBurekを売っている店でBurekを食べる。モンテネグロのBurekとほぼ変わらず、餃子を思い出す味で美味しい。そして値段も安く、120レク。1レクほぼ1円なので計算が楽。ホテルにチェックインをしようとすると、レセプションには誰もおらず、「この番号に電話してくれ」という貼り紙があった。が、インターネットも電話も通じないので連絡手段がない。とりあえずSimを契約しに来た道を戻って、無事Simを契約した後戻り無事宿にチェックイン。

日が暮れ、夜になって街を歩く。ティラなの中心にあるスカンデンブルク広場という巨大広場では、巨大なクリスマスマーケットが展開されており、移動式のアミューズメント。前述した通り、アルバニア人の多くはムスリムが多い。が、共産主義国家時代に無神国家を標榜したこともあって、アイデンティティとしてムスリム文化が残っている、といったくらいな気がする。実際ヒジャブを被ってる人もムスリムの割合に対しては少ない。結果としてクリスマスをカジュアルに楽しんでる人が多いイメージだ。
クリスマスマーケットの真横にモスクがあるので新鮮な光景には変わりはない。

 

広場の横に核シェルターがある、と言うことでそこに寄ってみる。昔は軍の極秘施設だったようだが、共産主義体制が崩壊した後に観光地として公開し、現在はアルバニア共産主義時代の歴史資料を公開したり、一部をアートの展示場として使用している。500レクを払って入場してみる。最初は核シェルターについての説明が多いもんだと思い込んでいたが、実際はいかにアルバニアが1991年までとち狂った国家だったかが伝わる良い施設だった。まあ実際に一度も使われたことがない機能についての説明が少ないのは仕方ない。1991年の動画も流れていたが、その光景はヨーロッパ最貧国のレッテルに相応しいものだった。そこから良くここまで30年で持ち直したな、と広場の周りの栄えっぷりをみると実感する。そしてそんな狂った時代の最中に国交を樹立した日本も凄いなと思った。

核シェルターを後にして広場を歩いてると太鼓の音と歌い声が聞こえたので近寄ってみると、サッカーのファンだった。どこの試合かは分からないためアルバニアリーグの試合日程を確認すると、ティラナのチーム同士の試合が19:45からあるらしい。時間的にもちょうどいいし、チケットもまあなんとかなるだろう、という算段の元友達とは別行動ということにして、急いでカメラ類などの荷物をホテルに置きに帰りスタジアムに向かう。
スタジアムは一見スタジアムなのか、ショッピングモールなのか分からないくらい近代的で、高層ビルも併設されていた。警察が大量にいることから試合が行われることがわかる。まずはチケットを探すところからだが、チケットカウンターと思しき施設は見当たらない。こう言う時はチケットを持ってそうな人やファンに話を聞くのがいい、が、無闇に聞くのも危険だ。爆竹の音が定期的に鳴り響くスタジアム周りをうろうろしていると、おそらくレプリカではあろうが斧をもった覆面の男と目が合った。その瞬間、向こうは獣の如く徐々にこちらに向かってきた。冷やかしなのか本気なのか分からないが、マジもののレイシストやネオナチなどだと洒落にならないので全力で逃げる。この時点でスタジアムで観戦する気が半減したが、気を取り直してチケット探しを続行する。追いかけて来たのはホームチームのファンだったので、アウェイ側のチケットを探すことに。
アウェイ側に行くと人だかりが出来ていて、そこにはダフ屋が大量のチケットを握っていた。いくらか聞くと、1500レク。まあそれくらいなら良いだろうと言うことでアウェイゴール裏2階のチケットを買う。チケットにはしっかりと500レクと書かれていたが、まあ仕方ない。
アジア人ということもあってあまり変な人に絡まれたくないので、すかさずアウェイチームのマフラーも購入してスタジアムへ。
幾度ものセキュリティチェックののち、無事スタジアムに入場できた。スタジアムは新設で25000人収容。今年のUEFAカンファレンスリーグの決勝の地だが、それに相応しい箱だと思う。

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Air Albania Stadium


試合30分前の客の入りはまあまあだが、2階席まで埋まりつつあるアウェイ側に対して、ホーム側は1階席のみの開放。ティラナのチーム同士の闘いでこれとは情けない。
試合開始直前になり、アウェイ側のゴール裏は埋まる。が、よくよく見ると応援団が二つあり、一つはゴール裏一階の真裏で、もう一つはゴール裏2階の端で応援していた。しかも、後者の方はフェンスで区切られていて行き来も出来なくなっていた。
試合開始。程なくして、敵味方どちらのチャンスとか関係なく、閃光と爆音を発する爆竹のようなものが両チームのゴール裏から投げ込まれる。危険だしそもそも味方が攻め込んでる時にすら投げ込むのは訳がわからない。
そして、2階側のサポーターグループから色付きの煙が出るタイプの発煙筒が投げ込まれる。投げ込む理由も分からないが、チームカラーが青なのに対して投げ込まれるのは黒、赤、黄、青など。相手のチームの色は赤と黄色。この時点でだいぶ幻滅したというか、冷めてしまった。
自分は海外でサッカーを見に行く時は、自分が見ているサッカーを他の国の人はどう見てるのかに興味があるが、こういうのを見ると「なんだ、ただの真似事か」という風に感じてしまう。
試合自体も精彩を欠いていて、気温もかなり低かったので後半途中で試合会場を後にして、ホテルで暖を取ることにした。

12月24日。クリスマスイブ。今日から友達と、コトルで出会った日本人と3人で車を借りてアルバニア世界遺産、ジロカストラとベラットを回る。
ヨーロッパでは基本マニュアルを運転しているが、アルバニアの混沌とした運転マナーを昨日見ていたのでオートマ車を借りることにした。2日間で50ユーロなのでかなり安い。
慎重に運転をしてティラナの市街地を抜けていく。中心から離れると、中心地の発展度合いが嘘のように古びた平家ばかりになる。
ティラナからジロカストラまでは約3時間だ。距離こそあるものの、アルバニアは意外と地方への幹線道路の整備がしっかりとなされているためそれなりに速度を出すことができる。とはいえ遅い車もいるので、片側1車線の道路だろうとそういう車を追い抜かしていく必要があり、これが案外怖かった。
曇りと聞いていたものの、所々雲の切れ間から光が差し込んでいてかえって幻想的だった。紅葉している山、冠雪している山肌が見える山、平地、散在する家、ライトブルーの川が織りなす景色はどこまでも雄大だった。
昼食を間に挟みながら3時間ほど運転してジロカストラに到着する。ジロカストラの道は入り組んでいて、非常に運転しづらい。なんとか宿の近くに車をつけて、ジロカストラ1番の見所、ジロカストラ城にむけて登っていく。日没まで残り1時間ほど。
ジロカストラ城は1500年の歴史を持つ城で、そこが驚くべき保存状態で残っている。そして城からはジロカストラの街やその下に広がる平野、奥の山脈を一望できる。コロナ禍かつオフシーズンというのもあるだろうけど、この絶景をほぼ人がいない状態で堪能できるというのは贅沢極まりない。

 

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ジロカストラ城の内部

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ジロカストラ城からのながめ

 

観光を終えて、宿のオーナーに勧められたお店に夕食を食べにいく。店に着くと、優しそうなおばちゃんが出迎えてくれる。英語は喋れないものの、身振り手振りで色々説明してくれる。結局、ここジロカストラの名物料理であるライスコロッケと、おすすめされたTiganja Derri(直訳するとフライドポーク)という料理を頼む。これらが絶品で、特に後者は今まで食べてきた旅行飯の中で5本の指に入るような美味しさだった。せっかくなのでこの料理はメモしておきたい、と思ってネットで料理名を調べても出てこないし、多分家庭料理のようなものなんだと思う。そこに行かないと食べれないような料理、というのもそれはそれで旅行っぽくて良いとは思うけど。とにかくまた食べに来たい、と思うくらい美味しかった。しばらくすると、店を経営してる夫婦の息子が帰ってきて、その息子がラキヤという果実の蒸留酒をサービスしてくれた。とにかくサービス精神が旺盛なお店だった。息子曰く、「中国のお土産とか、韓国のお土産は店に飾ってあるんだけど日本だけないんだよ、次来たら何か持ってきてほしい!」と言われたので、その時持ってたオリンピック記念で作ったステッカーを渡したら嬉しそうにしてくれて、こういうのを見るとステッカーとか作成して良かったなとなる。
帰り際に旧市街を通るとイルミネーションが点灯していて、クリスマスソングが流れていた。地元の子と思しき若い子たちが友達同士で楽しく歩いていた。もちろんアルバニアキリスト教の主流である正教会のクリスマスは1月6日なのでそういった人たちにとっては12月24日はただの1日、という気はするが、それでもメリークリスマス!と言ってくる人もちらほらいるし、やっぱりクリスマスはカジュアルなイベントなのだろうな、と思う。

 

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ジロカストラ旧市街の様子

 

12月25日。この日はブルーアイという透き通った湖に行った後、ベラットに行き、ティラナまで戻るという全長300km超えのハードスケジュール。朝9時前に宿を出発してブルーアイへ向かう。
ブルーアイは今まで見てきた湖、川のなかでも屈指の透明度で、1時間弱山道を運転した甲斐があった。帰り際に道を工事していたアルバニア人のおじさんに「ブルーアイは良かったか?」と言ったニュアンスでサムアップをされたのでサムアップを返しといた。アルバニア人は予想に反して(と書くと少し失礼だが)陽気で親切な人が多い。

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ブルーアイ。その名の通り中心が真っ青になっている。



ブルーアイを出発するとそろそろ昼時だったのでレストランを探す。昨日ロードサイドのレストランに寄ったが「まあまあ」と言った感じだったので、今日はうまい昼飯に辿り着きたい。ということで、昨日食べた夕食をもう一度食べようということになった。これが悲劇の始まりだった。
ジロカストラの街をGoogleマップに沿って車で登っていくと、道がどんどん狭くなっていく。ある地点で車が通れるかどうかかなり怪しい。しかし、引き返せそうな場所もないので、我々は進むことにした。格闘すること数分、皆の悲鳴が。嫌な音と共に車の右前ドアには塗装が剥がれた傷跡が。痛恨すぎるレンタカーでの傷。これは流石に進むのは無理だろう、と言うことで100mほど細い道をバックして引き返した。
時間のロスをしただけではなく、皆のテンションも下がる。保険には入っているものの10%は払わないといけなかったので、運転手的には皆に対してそこが申し訳ない気持ちになった。同乗者の2人が優しかったおかげでなんとか持ち直せたが、車の事故はいくら軽微でもへこむ。
気を取り直し、結局昨日ご飯を食べたロードサイドの飯屋で同じものを食べ、ベラットへ。
ジロカストラからベラットまで抜ける山道はあるが、速度が出せないため結局山脈を迂回する形で幹線道路を走ったほうが早い。3時間ほど車を走らせて、またしても夕暮れ直前に目的地に着く。ベラットの街はジロカストラよりも整備されていて、また活気がある。クリスマスマーケットやイルミネーションも多数用意されてて、街はお祭りムードだ。
ここベラットは無数の窓が並ぶ建造物群が有名なのだが、それと同時に城壁からの景色も壮観。ということでまたしても頂上を目指して登る。
ベラットの城砦の場合、城壁内部にも普通に家が存在しているというなんとも不思議な作りになっている。登り切ったところからの景色は絶景で、アルバニア観光を締め括るにはちょうどいい景色だった。ちょうど日没を知らせるアザーンがモスクから流れてきて心地が良い。

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ベラット城塞からの景色

さて、一通りベラットの観光を済ませて頭にチラついてくるのは「車の傷をどうするか」だ。おそらくアルバニアの物価なら板金修理はそんなに高くないはず。むしろレンタカー屋に国際価格で請求されるほうが怖いから、だったら板金屋に持っていって道中で直してもらおうということになった。ベラットからティラナに向かう道で一番近いカーサービスの店に行き、Google翻訳を使って直せないか店の若者衆に聞いてみた。が、そこでは塗装などの修理はやってないようだった。「多分ティラナに行ったほうがいいんじゃないかな」というようなことを伝えられ、じゃあもうティラナに向かうか、と思って車を出そうとした瞬間若者のうちの1人が車をノックしてきた。アルバニア語で何かを言われたが分からなかったのでGoogle翻訳を使ったら「あそこの店がやってるかもしれないから一緒に今見に行ってみよう」とのことだった。便利な時代である。そして本当にアルバニアは優しい人が多いな、と思った。残念ながらそのお店はやってなかったけど、それでも人の優しさに触れられたという意味では修理以上の価値があった。結局板金修理は諦めて、レンタカー会社による請求が安く済むことを願うことにした。
車内では日本食を食べたい話で盛り上がりに盛り上がったので、その日の夕食は日本食で、ということになった。渋滞を経て2時間ほどでティラナへ到着。到着する頃には自分もすっかり図々しく車線を変え、遅い車がいたらガンガン抜かしていくアルバニアのドライバーになっていた。さすがにまだクラクションをガンガン鳴らすのははばかられるけど。車を置き、再合流して寿司屋へ。3000円ほどで食べ放題のお店で、まあクオリティは推して知るべし、と言った感じだけれど長らく寿司を食べていなかった自分からすれば十分満足できるものだった。
コトルから4日ほど共に旅をしたが、我々はここからも急足でバルカンを回らないといけないため、この日でお別れ。寿司屋を出て前の広場で11時過ぎまでいろんな話をして別れた。
以前であれば旅人で日本人、なんてそこら中で見かけたからあまり声をかけたりとかはしなかったし、行程を一緒に、なんてことはあまりしなかったけれど、コロナ禍で海外で日本語をめっきり聞かなくなってから、日本人を見かけた時に話しかける、話しかけられる頻度が上がった気がする。そしてこうやって旅程の一部を共にする、みたいなのも良いなと思った。
この日はバスタブ付きの部屋を取っていたので、数ヶ月ぶりの湯船に浸かって長距離運転の疲れを癒した。

 

12月26日。9時起床。湯船に使ってゆっくり寝れたこともあって、かなり疲れが取れた気がする。珍しくちゃんとしたホテルを取っていたので朝食をホテルで頂き、いよいよ運命のレンタカーの返却。
レンタカーを返却し、正直に傷がついてしまったことを伝える。初日に対応してくれたスタッフが眉をひそめながら傷をまじまじと見つめる。すかさず「いくら払えば良い?」と聞くと、数秒間の間を挟んで、彼は「オーケーオーケー、ノープロブレム」と発した。まさかのまさかだ。日本なら100%数万円を取られるような傷跡だ。念のために0ユーロかどうか確認すると、力強いYESが帰ってきた。
前日に冗談で「クリスマスプレゼントに傷を消して欲しい」とか言ってたのが、形が違えど本質的な願いは叶った形に。ありがとうサンタさん。
車を返し、しばらくホテルでゆっくりした後チェックイン。この日はコソボのプリズレンに移動する予定だが、それまでの時間でティラナの街歩きをする。
核シェルターに並ぶ共産主義時代の負の遺産の一つが、ピラミッドの形をした美術館跡だ。独裁者の娘がデザインしてそれをそのまま建てたらしいが、今は廃墟になっていると聞いた。
その地に実際に行ってみると、建物はフェンスに囲われ見えないようになっており、フェンスにはパース図のようなもの、完成予定のデザインが掲示されていた。どうやら公共施設に生まれ変わるらしい。向かい側にも、アルバニア銀行の本社ビルの建設が予定されていた。ティラナの中心は建設ラッシュで、至る所に建設中のビル、クレーンなどが見受けられる。調べてみると、Tirana2030という都市開発プロジェクトの最中で、今はこの街の過渡期らしい。これをみると数年前にティラナに来ていれば、というふうにも思ったが、共産主義時代の建物と近未来的な高層ビルのコントラストは過渡期ならではだと思う。

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ティラナの高層ビル。こういったのが市内にはいくつもある。

ティラナの地価も年間6%ほど上がっていて、現在の地価は平米あたり20万円近く、ということで日本の地方都市並みの地価はあるようだ。ただ気になるのは、外資系の大企業が入ってるのをほとんど見かけないし、これと言った産業の面影も見当たらない。果たして街が出来上がった時に、それがうまく機能するのか。機能しなかったら抜け殻のようになったビルが乱立するのではないか、そんな予感もしてしまう。
が、とにもかくにももう一回来て変化をこの目で確かめたい、と思う街だ。
せっかくなので中心地以外も歩いてみる。少し中心地から外れると、そこはポドゴリツァと同じか、それ以上に古びた無機質な団地が並んでいた。中心地だけを見れば発展しているように見えるが、すぐそばに寂れた団地街があるのを見るとアルバニアの格差も凄いのだろうなと思う。地方都市と首都ティラナの格差だけではなく、首都内部でも格差は激しい。
ティラナの無機質な建造物と他の近隣国のそれの違いを無理やり見つけるならば、必ずと言って良いほどバルコニーに日除けがついてること、やたらとインコを飼ってるところが多いこと、壁面アートが多いことくらいか。理由はいずれもわからないが、これがティラナの特徴だとは思う。いずれにしても不思議な街だなと感じた。

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すこし中心から離れればこの雑多さ。

 

想像していたアルバニアと、現実のアルバニアはかなり違ったように思う。それもいい意味で。またいつか来る予感はするし、そのころには最貧国のレッテルをはがせているといいなと思う。

つづく。

東欧旅行記#3「モンテネグロ、2つの街のコントラスト」

前回の記事はコチラ

kerompa-tokyo.hatenablog.com

 

12月21日。朝8時起床。9時半のバスなので、8時半に宿を出て歩いてモスタルのバスターミナルに向かう。途中のカフェで、これ以上使わないマルクを綺麗に使い切る。
バスの時刻表にも予約サイトにも記載されていないバスって何なんだろう?と疑問に思いながらバスを待つ。バスはコトルが終点ではなく、アルバニア国境に近いウルツィニという街まで行くらしい。予定出発時刻から10分ほど遅れて、発着所に到着したのはバスというよりは大型のバンだった。確かにこれは調べても出てこなさそうではある。コトルに行く上で右側の席が眺めがいいと聞いていたので、右側の1人がけの席に座る。
モスタルを出ると、10分もしないうちに荒野と山が広がりだした。これが何東部ボスニアの標準的な景色なんだろうなと感じる。バンはものすごい速さで山道を走っていく。1時間半ほどすると、トレビンイェという町に入る。トレビンイェに入ると、見慣れた旗がはためいていた。2日前にバニャルカで見た、スルプスカ共和国の旗だ。ここもスルプスカ共和国なのか、と驚くと同時に軽く混乱した。なぜかというと、バニャルカは北西に位置し、ここトレビンイェは南東に位置する。そしてその間にあるモスタルサラエボボスニアヘルツェゴビナ連邦の側にある。そして、過去行ったことのあるボスニア北東の都市、トゥズラも同じく連邦の領土だった。一体どういう形をしているのだろうか、と思って調べてみると、どうやら北西から南東まで、ブーメランのような形をしながら国境に沿ってスルプスカ共和国が広がっていた。

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赤い部分がスルプスカ共和国

トレビンイェで1時間休憩をする、というので、せっかくなので歩いてみる。やはりスルプスカ共和国キリル文字を目にする機会が飛躍的に多くなる。旧市街にも入ってみたが、まあ非常に小さい田舎町、という感じでそれ以上でもそれ以下でもなかった。サッと昼食を取りバンに戻る。
出発して30分もしないくらいで山中にあるボスニアモンテネグロの国境についた。バンを降ろされた後は飛行機のパスポートチェックと同じ要領でチェックして行き、特段何もなくモンテネグロに入国する事ができた。ボスニアヘルツェゴビナ側を見ると、「スルプスカ共和国へようこそ」という文字しか記載されていなかった。

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モンテネグロ側に入ると、一気に山を降っていき海岸沿いの道に出る。Herzeg Noviという都市を経由してコトルへ。入り組んだ湾に沿った道を駆け抜けるのだが、この道がとにかく絶景だった。目の前には青々とした海。そしてそのすぐ向こうには赤い屋根を持った白い家、そして背景に雪が被った山脈。とにかく絶景というほかない。

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バスからの景色

そんな絶景を堪能している間にコトルに着く。時刻は15時。9時半に出た時は「このバンで6時間弱か」とため息をついたけど、終わってみればかなり楽しめたバス移動だった。
コトルは入り組んだ湾に面した港町で、モンテネグロ一の景勝地とも言われている。とにかく城壁の上からの景色が絶景だと聞いていたので、荷物を背負ったまま城壁を登る。
断崖絶壁に作られた城壁を重い荷物を背負って登るのは正直かなり大変で、途中で諦めようかとも思った。が、せっかく来たのに登らないのは勿体なさすぎるので、心を無にして歩いた。中腹で友達と喋りながら休んでいると、「日本人ですか?」と日本語で声をかけられた。コロナ禍で日本人の旅行者が激減しているので、お互いこんなところで日本人に会うとは思っていなかった。その人と喋りながら登山を再開する。
そうこうしながらかれこれ40分ほど登ると、城壁の頂上についた。
落ちかかってる太陽が山の斜面を半分ほど照らして、その部分がピンクになっている。下を見下ろせば城壁と赤い屋根の家が連なっている。そして複雑な形の湾。ここでしか見えない絶景だったと思う。かなりキツかったが、キツかったことを忘れるくらいの絶景だった。

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コトル城壁からの景色。

日が完全に落ちると道が見えなくなり危険なので、ギリギリの時間帯で下山する。そしてそのまま明日のチケットを買うためにバスターミナルへ。
アルバニアのティラナ行きのバスは1日1本。それも朝だったので、これに翌日乗るとすなわちコトルの観光は一切出来ないことに。
一方で、1日ずっとコトルにいるほど、コトルに色々あるわけではない。
ということでアルバニアのティラナに行く前に、中間にあるモンテネグロの首都、ポドゴリツァに翌日行くことにした。

日の暮れたコトルを歩く。現地人向けのショッピングモールがあったりと、モスタルよりかは幾分か活気があったような気がする。
モンテネグロEU非加盟国なのに通貨がユーロということで、ATMで下ろしても手数料がかからない。ボスニアで現金不足に苦しんだので100ユーロほどおろす。

この日はおすすめされたレストランで夕食を食べ、家で作業をして2時ごろに寝た。

 

12月22日。朝9時起床。昨日洗濯したものが乾ききってなかったので、チェックアウトの時間までドライヤーなどを使って乾かす。
この日は夕方ごろのバスでポドゴリツァに行くことに決め、それまではコトルの少し北にあるペラストという町に行くことに。昨日会った日本人とも合流して、ここからしばらく旅程を共にすることに。
ここには1400年代に湾の真ん中にぽつりと建てられた教会が存在している。せっかくここまで来たので行くことにした。
教会まではボートで行けるものの、コロナ禍で中には入れなかった。それでも島から見るペラストの風景はこれまた絶景だった。
水辺に浮かぶ教会というと、スロベニアブレッド湖も有名。ここには過去2回行ってるが、正直ペラストの方が綺麗だった気もする。時期と天候に左右される気もするが。

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湖に浮かぶ教会と修道院

 

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教会側から撮ったぺラストの街並みとコトル湾

 

ペラストを観光して、コトルのバスターミナルへ。20分後のポドゴリツァ行きのバスがあったのでそのチケットを買う。
昼ごはんを何も食べていなかったので、バスターミナルについてたパン屋でボスニアで食べたピタを食べる。モンテネグロではブレクという名前らしい。

コトルからポドゴリツァまでは2時間ほどで、寝て起きたらポドゴリツァだった。着いたその流れで翌日のティラナ行きの便を予約する。「チケット3枚」というと、「1枚しか用意できない」と言われて焦ったが、その後少しすると「3枚ね、大丈夫」と言われた。なぜ1枚しかないと言われたのかは分からないが、とりあえず買えて一安心。

ポドゴリツァに着いた頃にはもう夕暮れ時であまり街を見渡せなかったが、無機質な団地がかなり多いことはわかる。日本の地方都市を想起させる光景だ。
宿にチェックインした後、街を歩いてみる。独立広場という広場を中心に広がるダウンタウンは比較的新しい建物も多く、外資系の店こそないものの賑わっていた。セルビアベオグラードと雰囲気は近いが、こっちの方が幾分か規模は小さい。そして高い建物もあまり多くない。
ダウンタウンエリアを抜け、川を越えたところにあるNovi Gradというエリアに入る。新市街という名前なので比較的高いビルがあるのか?と思ったもののそういうわけでもなさそう。とはいえ比較的新しめのパン屋など、先進国にあってもおかしくないような見た目のお店も沢山あった。
ポドゴリツァが他の街と決定的に違うのは空気の悪さだ。基本的に煙突からの煙が原因だと思うが、それだけでこれだけ空気が悪くなるか?って思うくらい視界も悪く、息をすると喉がやられるような感じだった。市街地でマスクをしてる人が多かったが、コロナ禍によるものなのか、大気汚染によるものなのかは正直分からない。

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光の線がはっきり見えてるのは煙のせいだ。


街の雰囲気、というか建物の雰囲気は正直夜歩いても分からない。ご飯を食べて宿へ。明日のバスが10時なので、それまでに少し歩いて雰囲気を感じられればいいな、とは思う。

12月23日。午前8時起床。バスの時間は10時だが、朝食を外で取って、その後街歩きをするために少し早めに起きる。8時40分ほどに出たので、歩ける時間は1時間くらいだ。ダウンタウンの方に行くと時間が厳しくなりそうなのでバスターミナルの周りを歩くことにする。
朝ごはんを求めてカフェ&バーという名前の店に行くが、食べ物はないと言われた。カフェというとパンの1つや2つあっても良いのでは、と思うが、バルカンのカフェ&バーは本当に飲み物以外提供してないようなところが結構ある。ということで近くにあったベーカリーで適当に朝ごはんを済ませる。
色彩がよりはっきり見える朝に街を歩いてみると、いかにポドゴリツァに無機質な団地が多いか、がわかる。箱型の無機質な建物は白か淡いピンク、黄色などが多く、それらが煤で黒ずんでいる。そして景観を全く気にすることなく置かれた室外機。1階には商店が入ってるが栄えているお店は少ない。どこか昔ながらの日本の団地を思い出して懐かしくなる。こういう光景に失望したかといえばむしろ逆で、所謂ヨーロッパ的な洗練された街並みはもう嫌というほど見ているので、ポドゴリツァはむしろ期待に応えてくれた形だ。

 

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ポドゴリツァの団地。

そんなポドゴリツァの団地巡りを済ませ、ポドゴリツァからアルバニアの首都、ティラナに向かう。

東欧旅行記#2「サラエボ~モスタル・ピザ屋の思い出」

以前の記事はこちら

kerompa-tokyo.hatenablog.com

 

1220日、朝5時半。アラームで目が覚める。まだ寝ていたい所だが、モスタル行きの電車は朝7時なので朝6時には宿を出たい。重たい体を起こして準備をする。

鉄道駅は昨日降りたバスターミナルの隣で、トラムまたは徒歩だ。早朝でトラムがあるか分からなかったが、トラムの発着所に行くと朝6時なのにもかかわらず多くの人が待っていた。

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サラエボ旧市街。

 

街はまだ暗い。サラエボは谷にある川沿いに発展した町で、周りは山に囲まれている。山の斜面に出来た家の灯りがとても綺麗だった。トラムに乗り鉄道駅に向かう。途中でトルコ人に声をかけられた。彼も同じ電車でモスタルに向かう観光客だった。

鉄道駅のカウンターでチケットを買う。111マルク(700円ほど)マスターカードのマークがあったのにカードが使えず、少ないマルク紙幣を消費することに。

駅のカフェでコーヒーを飲んだ後、モスタル行きの電車に乗り込む。電車は思ったより近代的で、コンセントもついていた。

 

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サラエボの駅舎。まだ薄暗い。

 

時間通りに出発して、電車は南へ。朝の天気は曇りで、霧もかかっている。数日前に雪が降ったこともあって、あたりはかなりの雪景色だ。

サラエボから少し出ると、コンクリでできた普通の一軒家がまばらに建っていて、いわゆる旧ユーゴ的な団地は姿を消している。山に生えている木や平地の畑なども相まって、家に煙突がなければ完全に新潟あたりの冬の田園風景だ。

 

徐々に太陽が上がってきて明るくなってくる。そうすると、霧が低地に滞留して、雲海のようになっているのが車窓から見えた。今まで見た車窓からの景色で一番綺麗だったかもしれない。

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車窓からの幻想的な風景

 

しばらくすると途中にある都市に入る。都市に入るや否や、新潟っぽさは一切影を潜めて、急に旧ユーゴっぽい無機質な団地、それもほぼ廃墟のような団地が広がる。この景色のコントラストを見れただけでも十分満足した。

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が、それだけでは終わらない。モスタルに近づくにつれて、鉄道は川沿いを走るようになる。東欧、特にこのあたりの川はミネラルの関係なのか真っ青な川が多い。真っ青な川、その先に高い山、そして完全に晴れた青空。とにかく絶景というほかない景色を堪能して、寝るつもりだったサラエボ-モスタル間はあっという間に過ぎていった。

 

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モスタルも人生で2回目だ。こっちの方がサラエボより記憶にある。

とりあえず朝から何も食べていないので、適当にやっているお店に入ってピタという餃子の派生版のようなものを食べる。3マルク。

それを食べたのち、モスタルの観光をして、モスタル郊外にあるブラガイという滝で有名な町に行く。

ブラガイまではバスで30分ほど。バス停がどこにあるかいまいち分からないが、記憶を頼りにバス停を探す。しばらく待っていると、ブラガイを通るバスがやってきたので乗り込む。バスに乗っていると、"Hey!"と声をかけられる。よく見ると朝サラエボで一緒になったトルコ人だった。彼らもブラガイに行くらしい。

前回ブラガイに来た時は、なんだか滝までやたら歩いた気がする。でも理由が思い出せない。

しばらく乗ってると、バスが何にもないところで止まって、"Blagaj, Here!!"と運転手に言われる。ここで合点がいく。ブラガイに行くバス、と言ってもブラガイの滝まで行くバスはほとんどないので、基本的には歩かないといけないのである。

ということでそこから1-2キロ歩いて滝に行く。閑散期ということもあるのだろうけど、それにしてもお土産屋の殆どが閉まっていて、メインアクティビティの洞窟の中に入るボートすら運行していなかったのは軽くショックだった。コロナ禍で観光業もかなりの影響を受けているのだろう。その多くがEU圏からだったのだと思うが、シェンゲン協定外のボスニアにこの時期に行こうとする人は流石に少ない。

景色がこれだけ綺麗なのに、これだけしか人がいなくてガランとしている。自分からしたら人が少ないのはストレスもないし楽だけど、観光業に頼ってる人のことを考えるとなかなかそうも言ってられない。

 

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ブラガイに行った時に鮮明に覚えているのが、あるピザ屋に入ったこと。確かバスが全然ないとかで、モスタル方面に歩いて幹線道路でタクシーを拾おうとした道中に適当に入ったお店だったと思う。なぜそんなに覚えているのか、というと、ピザのサイズが異様に大きかったことと、アジア人が珍しいのか、お店の人に写真を撮られて「お店のFacebookに載せていい?」と聞かれてオッケーしたら、実際にFacebookページに自分の写真が載ってたことが大きい。その時はまだ改装直後で、比較的新しかったと思う。正直大きなピザを食べるモチベーションはあまりなかったが、ピザ屋には寄りたいなと思っていた。

記憶を頼りにピザ屋を探すためにブラガイの滝を後にする。幸い滝からは一本道なので、そこを降りていけばあるはずだ。歩くこと30分、お店を見つけた。店内が暗いのでやってないかと思ったものの無事開いてて安心した。以前と同じ席に座り、ピザのJumboサイズを頼んで友達とシェアする。見覚えのある、とにかくでかいピザが来た。

会計の時に、店主のおばちゃんに「4年前に来たんだよ」と言っても英語が通じてないのかあまりピンと来てない感じだったので、Facebookの写真を見せて「これ俺」って伝えたら、無愛想な表情が一気にほぐれて「あー貴方ね!覚えてるわよ!」と言った感じで言ってくれた。ニコニコしながらそのことを同僚の人にも伝えているようだった。

東欧の人は比較的無愛想な人が多い気がする。けどそれは単に言語の障壁があるというのが問題になっているだけで、基本的には親切な人が多いなと思う。「チャイナ」と声をかけられたり吊り目のジェスチャーをされたり、ということもあるけど、そんなのがどうでも良くなるくらいピザ屋のおばちゃんの笑顔に救われた気がする。ブラガイやモスタルに、というよりかはこのピザ屋にまた来たいと切に思う。

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モスタルで食べたピザ。

 

なんとかバスに乗りモスタル市街まで帰ってきて、チェックインを済ませる。

 

ここまではある程度決めていたが、ここからは全てが未定だった。8日後にマケドニアスコピエからオランダに飛行機で帰ることしか決まっていない。モスタルから比較的近くで有名な観光地である、クロアチアドゥブロヴニクが第一候補だった。

7時のドゥブロヴニク行きがある、と時刻表には書いてあったものの調べてみると出てこないのでバスステーションに行って直接買うことにした。

チケットカウンターで「明日のドブロブニク行きのバスはあるか?」と聞くと、"No Dubrovnik tomorrow"と言われた。理由は知らないが、明日はとにかくないらしい。別のバス会社にも問い合わせたもののなかった。

モスタルに一泊するのはスケジュール的にもあまり好ましくない。そもそも、モスタルにもう一泊してもやる事がない。

ダメ元で、モンテネグロの港町、コトルまで行くバスがあるかを聞いてみた。ダメ元というのは、駅の時刻表にもネットの予約サイトにも情報がなかったからだ。そうすると、"Kotor, yes!"と言われ、9時半モスタル発のバスチケットを購入。これで予定を崩す事なく進める。

 

ただここでまた新たな問題が生じる。先日ロックダウンを決めたオランダが、渡航制限を大幅に強化したことが発表された。

自分の場合ワクチンも打っているしオランダの居住者なので入国は出来るが、旅行途中に通るモンテネグロが「非常にハイリスクな国」に指定されていた。非常にハイリスクな国から渡航する場合、従来の検疫ルールだと「PCRまたは抗原検査の陰性証明書の提示が義務」だった。これならまだいい。問題は、このルールがさらに強化されて、「非常にハイリスクな国から帰国する場合はワクチン接種の有無に関わらず自己隔離が義務」というルールに変わった。

帰国便の出る北マケドニアは非常にハイリスクな国ではないものの、シェンゲン協定外なのでオランダに着いた際にパスポートをチェックされる。この時にモンテネグロ渡航スタンプを見られると自己隔離になる可能性が高く、これは避けたい。ではどうするか。というと、オランダにシェンゲン協定加盟国から入れば良い。

北マケドニアから南に行くとギリシャという国がある。ここはシェンゲン協定内の国だ。

なので、ギリシャでパスポートコントロールを済ませて、そこからオランダに帰国すれば隔離の必要なく帰れることになる。という事で、テッサロニキからデュッセルドルフに帰る便を急遽予約した。

 

これで旅行が無事続けられる目処はある程度ついた。この日はモスタル市内でボスニア料理を堪能して、次の日に備えて寝た。

 

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モスタルの夜景。いつ見ても綺麗だ。

東欧旅行記#1「バニャ・ルカ紀行」

ひょんなところからバニャ・ルカという、数日前まで名前すら知らなかった都市に行くことになった。

ことの発端は、フランスに住む友達とクリスマス休暇を使ってどこか旅行しようという話をしてて、フランスからの便が軒並み高くサラエボ行きしか安い便がなかったため、サラエボから入って東欧を周遊しようということになった。

自分はケルンまで電車で行き、ケルンからサラエボまで飛行機で飛ぶ予定だった。

ただ、オミクロン株による感染拡大の影響で直前まで旅程が読めなかったこともあって、1週間前くらいまで飛行機を取らずにいると、ケルンからサラエボへの便が値上がりして100ユーロになっていた。

100ユーロでも距離を考えれば十分安いのだけれど、もっと安い方法を探すことに。

ボスニアヘルツェゴビナの国際空港はサラエボ、トゥズラ、バニャ・ルカの3つ。モスタルにも国際空港はあるが、ほとんど運行していない。この3つの空港に飛ぶ安い便を探して行くことに。しばらく探していると、オランダのアイントホーフェンからバニャ・ルカに行く飛行機を見つけた。値段なんと10ユーロ

友達が着く1日後に着く便なので、なるべく同じ日に着く他の便を選びたかったが、これ以上良い便がないことがわかったので予約した。

予約して間もないうちに、ある問題に気づく。それは空港までどうやって行くか。自分の住む街からアイントホーフェンの空港まで行こうとした時に始発でも飛行機に間に合わないのだ。飛行機の時間は955分なので、最低でも9時には空港に着いていたい。平日なら間に合うのだが、休日だと始発が遅いので、間に合いそうにもない。

とはいえ、これまで何度早朝の便に乗ってきたかわからないくらい早朝の便に乗ってきてるわけで、朝始発で間に合わないのであれば空港に泊まれば良い。そう思って空港のホームページを確認すると「12時から4時半の間は空港は閉まっています」

このパターンは正直想定していなかった。じゃあ24時間営業のマックとかで、って思ったものの、ロックダウンの影響で午後5時以降は店がやっていない。

ホテルを取るのも考えたが、アイントホーフェンの宿は1人向けのとこがほとんどなく高い。80ユーロとかを払ってホテルに泊まるのであれば、ケルンからサラエボに向かえばいい話である。

そうなってくると最後の手段は野宿。野宿を最後にしたのはセブの空港だと思うけど、あの時は暖かかったから何とかなった。一度ブリュッセルで寒空の下野宿をしたことがあるけど、低体温症になるかと思うほど身体が凍えたのを覚えている。しかもその時は11月、今回は12月。天候は雨。アイントホーフェンにどれくらい雨風を凌げる場所があるか、またどれくらい安全なのかも見当がつかないので、正直この時期の野宿はリスキーだ。

野宿をするのであれば、

・極力遅くまで電車に乗ってる(終電は2時半に着くらしい)

・身体を冷やさないために歩く(空港まで徒歩1時間半)

などをすれば30分ほど駅で耐えれば大丈夫な算段。とはいえ、これは本当に最後の手段。他の方法を考える。

ロックダウンで夜店が空いてない時期、どこで夜を越すのが一番いいか?それは間違いなく24時間やってる空港だと思う。アムステルダムスキポール空港なら24時間やってるし、ある程度安全。そして翌日6時ごろの電車に乗れば間に合うはず。これがここまでで一番無難な案。

ただ、この後さらにいい案が浮かんできた。カウチサーフィンだ。カウチサーフィンというのは交流を目的に無料で宿泊できる、という旅人にとって神みたいなサービスで、今は月額制になったが1.5ユーロとかなので実質タダのようなもの。

自分もかつて何度か使っていたので、久しぶりにログインして、アイントホーフェンに住んでてアクティブなユーザーに片っ端からオファーをする。

すると、出発前日にアニオタでストリーマーというプロフィールのベルギー人が受け入れてくれることになった。ということで、これまでの心配も全て杞憂になり、ほぼ無料でアイントホーフェンの宿を手に入れることができた。

 

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前日に来たメッセージ。ありがたい。

 

当日、19時ごろにアイントホーフェンに着き、ホストのもとに向かう。気さくなベルギー人に迎え入れられ、話を聞くとライフコーチングをこれから職業にするらしく、人生についての話だとかを11時くらいまでしてたように思う。ぶっちゃけ話としては結構重たかったしカウンセリングのようなものを望んでたわけではなかったけど、それでも面白い経験だったとは思う。

マットレスで快眠し、天皇杯のラスト5分をストリーミングサイトで観戦して、8時に彼の家を出てバスで空港に向かう。

空港は朝早いというのに多くの人で賑わっていた。それもそのはずで、ヨーロッパは今日からクリスマスホリデー。いうならばゴールデンウィークやお盆の初日のようなもので、帰省ラッシュになる。

オペレーションが間に合っておらず、飛行機は軒並み2-30分ほど遅延していた。自分の場合、非EU国籍なこともあって、搭乗までに諸々手続きをしないといけなかったためかなり焦ったが何とか搭乗には間に合った。

アイントホーフェンバニャ・ルカなんてガラガラだから10ユーロ投げ売りなんでしょ、と思って乗ると実際は8割以上埋まっていた。殆どがボスニア国籍、もしくはボスニアにルーツを持ったオランダ国籍の人で、当然アジア人は1人もいない。そう考えると、この10ユーロという運賃は帰省をするためのウィズエアーからのプレゼントなのでは?という気もしてきた。

12時半、バニャルカ国際空港到着。

着陸する時も、まだ滑走路を飛行機が動いている状態なのに皆立ち上がって荷物を取り出した。機内アナウンスなんて何も役に立たず。規律を重んじたハリルホジッチが生まれた国とはとても思えないが、まあ厳密にはハリルホジッチがルーツを持つモスタルのあたりと、この辺りでは国は同じといえどそもそもが決定的に違う。

ボスニアヘルツェゴビナ、というバルカン半島に位置する国は、ボスニアヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国によって構成されている。スルプスカというのはセルビア人、という意味で、セルビア人共和国とも言えるがこれでは紛らわしいため、スルプスカと表記することが多いらしい。そしてこのスルプスカ共和国の首都がバニャ・ルカ。

降りるとまず目につくのはキリル文字の多さ。同じスラヴ系言語でも、ボスニアヘルツェゴビナでは基本的にはアルファベットを使うことが多く、セルビアではキリル文字を使うことが多い。つまりキリル文字を多用するというのはすなわちまさしくセルビア人共和国だからなのだろう、と思った。そしてボスニアヘルツェゴビナの国旗はほとんど見かけず、見かけるのはセルビア国旗に用いられている、トリコロールの旗。

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バニャルカ空港の外観

 

20分ほど並んだのちにパスポートチェックを行って、無事入国。バニャ・ルカ空港は、地方空港のくせにバニャ・ルカから20キロも離れている。市内へのアクセスの情報もろくに出てこなかったが、基本的にバルカン半島は「行けば何とかなる」

実際、空港の外に出ると市内に出るミニバンが待機していた。10マルクだと言われるが、現地通貨のマルクを持っていないため5ユーロを払う。大体1マルクが0.5ユーロなこともあって、ボスニアではユーロでの支払いが比較的容易。また、1マルクが実際には0.51ユーロなので、変な話ユーロで払った方が得である。

バニャ・ルカからサラエボまでのバスはネットで調べると16時のバス1本だったが、大都市間のバスなのでこれより早いバスが存在する可能性もある。ということで、30分ほどバンに乗りバスターミナルで降りてチケットを買うことにした。予想通り、14:30というバスがあったのでそのバスのチケットを購入する。30マルク、15ユーロだ。マルクはもちろん、ユーロすらあまり持っていないのでここはカードで支払う。

バスまでちょうど1時間あるので、少し街を歩いてみることにする。

中心地まで行くと最悪帰ってこれない可能性もあったので、1.5キロ先にあるスルプスカ共和国の政府本部の建物を目指して歩くことに。

最初に抱く印象としてはやはりバルカン半島の地方都市、といった感じ。セルビアのスボティツァ、ボスニアモスタル郊外やトゥズラと同じように、無機質で面白みのない、煤がついたコンクリートの建物がまばらに建っている感じ。メインストリートを歩いたが、結局この風景は政府関連の建物があるところまで行ってもさほど変わらなかった。

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ラウンドアバウトにポツンとたつスルプスカの旗

 

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バニャルカのメインストリート。いかにも寂れた東欧の田舎町、と言った感じだ。

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政府系の建物は流石に立派。

 

そして政府の建物は街の雰囲気に似つかわない高層ビルだった。その先を眺めると徐々に近代的な建物が増えていき、建造物の密度も増していたので、これよりも先の中心街に行くと状況も違うのかもしれない。そう思うと、14時半のバスじゃなくて16時のバスを取ってもう少し観光すればよかった気もするが、友達をサラエボで待たせている以上そういうわけにはいかない。政府系の建物の裏にはスタジアムがあった。FKボラツというチームのホームスタジアムらしい。チームカラーが青赤なのでグッズを売ってる店が開いてるなら、と思ったが日曜で閉まっていた。残念。スタジアムはいかにも一昔前のもの、といった感じで個人的には一度試合を見たいとも思った。

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FKボラツのホームスタジアム。

 

時間はすでに14時。そろそろ引き返さないと間に合わなくなるのでバス停に向かって踵を返す。

最短距離で歩いていると、H&Mなどの外資が入ったかなり大きなショッピングモールが登場した。東欧のショッピングモールは現地の小売店とかが入ってるような所が多いからこれは意外だ。残念ながら中を覗く時間はなかったから、外から見て満足したことにする。

バスの時間5分前にバス停に着いた。朝にマフィンを食べて以降なにも食べていなかったので、キオスクでサンドイッチと水を買う。現地通貨のマルクを持っていなかったのでユーロで払ってお釣りをマルクでもらう。

店を出るとATMが目に入ったので、50マルクだけ下ろした。1429分。バスに向かって急ぐ。

バスの内装は予想通り。日に焼けて色褪せたシート。コンセントもWi-Fiも当然ない、ごく普通の長距離バス。バスは意外にも定刻ぴったりに出発した。

バニャルカからサラエボまでは直線距離で120キロほど。なのにバスの所要時間は5時間とのことで、どういうカラクリかと思えば、スルプスカ共和国の街をひたすら経由していくため、とてつもなく迂回をしていた。

それでも、5時間の心算でいたので幾分か楽だった。

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哀愁ただよう古めのバス。

 

19時半、サラエボバスステーションに到着。4年前に来た時にこのバスターミナルを使った記憶が微かに甦ってくる。タクシーを使うのも怖いので、とりあえず旧市街の方にいる友達と落ち合うために勘を頼りに歩く。

10分ほど歩いていると、高層ビルの上にマイクロソフトのネオンという、見覚えのある光景が見えてきた。急激に4年前の記憶が蘇ってくる。

トラムに乗れば旧市街に着くはず。そう思ってトラムに乗り込む。トラムからは4年前に見たかどうか分からないようなかなり新しめのショッピングモールも見えた。

友達と合流して夕食を食べる。セバピという、味付けされた炭火焼きハンバーグをピタパンに入れた料理と、クレぺと言う水餃子を食べた。物価がとにかく安いので、会計を見るとユーロなのかと錯覚してしまう。

翌日は朝早くにモスタルに移動するのでこの日は早めに寝て明日に備える。

つづく。

ヨーロッパ旅行

備忘録

11月19日から12月12日まで、24日間、ヨーロッパを旅行してきた。

目的は人に会うことだったり、サッカーを見ることだったり、はたまた見たことないものを見に行くことだったり。

24日というと、結構な長さなわけで、ブラジルに行った時が28日、カタールが23日、1回目のヨーロッパ周遊が23日とかなのでそれに匹敵する長さ。

旅の内訳としては、

スペイン 7泊8日

ジブラルタル 0泊1日

ポルトガル 6泊7日

マルタ 3泊4日

キプロス 2泊3日

デンマーク 5泊6日

といった具合でした。お金は計算していないけど、最後のデンマーク以外はほどほどの出費で済んだような気がします。とはいえここからの日常生活は節約気味で行こうと。

諸々感じたこと

旅行のテーマ、とかはそんなになかったんですが、点と点をつなげていったら線になったという感じで。

ジブラルタルで試合がある、ビルバオで試合がある、マドリードに友達がいる、リスボンに友達がいる、行ったことないところに行ってみたい、デンマークには寄りたい、とかそんな感じで日程を調整していったらおのずと旅程が決まっていました。

 

改めて自分の中の旅行の意義を考えてみると「違うところに行って違う物、違う人、違う考えとかに触れて、そこから自分自身の考えや思考のプロセス、ものの見方や感じ方を相対的に形作っていく機会のようなものの一つ」だと思っていて、いやもちろんもっと単純な動機もあるとは思うんだけど、本質的にはそういった感じで。旅行以外でもそういう機会ってある、とは思うんだけど、それでも同じ環境に居続けると身近に違いがあっても鈍感になっていくよなぁと思うので。

夏に日本に帰ってから、またオランダに帰ってこようと思った動機は実はそれが一番大きい。日本にいるとすごい楽しいんだけど、正直楽しいだけで、発見があまり多くないというか。自分は自分が見たもの、感じたもの、経験したものを軸に考えを形成しているタイプの人間なので、自分の手足を動かさないまま時間を過ごすとどうなるかというと、過去の経験を消費するほかなくなってしまう。

日本にいるとあるタイミングでそれを自覚して、「あ、これはもっと自分で色々見に行かないとだめだわ」と思ったこともあってオランダに帰ってくることを決めた。自分の経験や考えをアップデートしないと、結局自分の考えがいつ何を見たときに生まれたものなのかがわからなくなるし、そういう中で将来どうするかを決めないといけない、ということに対する焦りもあったと思う。

 

行ったことない場所に行って色々なことを経験することもそうだし、色々な人と話すことでモチベーションが生まれてきたり、自分自身がどういう風に物事を考えるのかとかが改めて見えたのがよかったな、とは思う。過去の経験という貯蓄が尽きる前に色々アップデートできたのは非常に良かったし、色々目標もできた気がする。

 

持ち物振り返り

30Lのリュックサック+ウエストポーチ+食べ物などを入れておく小物入れで動いたわけですが、量としてはこれくらいがちょうどいいなといった感じ。

ただ動画も写真も撮るならジンバルは結構邪魔で、個人的にはOsmo pocketが猛烈に欲しくなりました。旅行中100回くらい思った。

 

持って行ってよかったものとしては、ビーチサンダル、固形洗剤。ビーチサンダルはマルタで気づいたらなくなってました。あと、マルタとキプロスはコンセントの形が違うのを知らずに現地に行ってからアダプターを買う羽目になりました。この辺ちゃんと調べておかないとだなぁ、という自戒になりました。

旅のトラブル

自分の旅行といえばトラブルがつきものなわけですが、今回の旅におけるトラブルはほぼなかったです。マルタで夜中に咳が止まらなくなる咳喘息的なのが再発したくらい。PCR検査は陰性でした。

あとは、旅程が若干崩れたくらい。

もともとは12月4-6日でヨルダンに行って、弾丸でペトラ遺跡を見て、そのあとキプロスを経由してブルガリアのソフィアに飛ぶ予定だったのですが、ポルトあたりで疲労を結構感じていたこと、オミクロン株によって国境の閉鎖などが活発になってきたことなどを踏まえて、ヨルダン行きをあきらめました。

ヨルダンに行くにはPCR検査をマルタで受ける必要があり、それが120ユーロ。ただ、120ユーロはらってヨルダンに行くまではいいにしても、ヨルダンでの移動もかなりハードになることが予想されていて、そこで体調崩したら最悪だし、お金の払い損になるな、と思ったのでヨルダンは諦めました。残念ではあるけど仕方なし。

そうするとマルタ以降の旅程が崩れるわけですが、幸い12月5日のマルタ→キプロスの便が格安で手に入ったので単純にヨルダンをスキップするだけで済みました。

 

また、キプロスブルガリアの予定もキャンセルに。これは、単純にキプロスの安全度カテゴリが変わったせいでブルガリアに入国できなくなってしまったためです。トランジットは許可されているとあったものの、明確な要件が書いて無くリスキーだと判断したため、ブルガリアはやめてキプロスからデンマークに飛ぶ飛行機を探しました。

 

10月ごろは、EU内であればワクチンを打っていれば旅行のハードルは低いと思っていましたが、今は結構高めだと思います。シェンゲン協定圏内から出ずに、また極力陸路を使うという方法であればハードルは下がるかなと。今回はキプロスで出てしまったのでちょっと面倒くさかったです。

 

でもまあそれくらいで、ほぼほぼトラブルなく帰ってこれました。