備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

FC東京のエンブレムが変わるかもしれない件について

巷でプチ話題になってるエンブレム変わるかも、っていう話。

眉唾かもしれない、とは思いつつ、ユベントスから始まり国内外色々なクラブがエンブレムの変更に着手しているなかで、ありそうな話ではある。アンブロやニューバランスサプライヤーが変わった時も発表の半年前くらいから噂は出てたし、意外とこういうのは当たるもので。以下の文章は「FC東京のエンブレムが変わろうとしている」という前提での話。

 

まずエンブレムが変わるということに対して、自分は基本的に反対派。自分は今のエンブレムはかっこいいと思っているのだけれど、そういう次元の話ではなく、もう15年以上も追っているチームの一番の象徴であるエンブレムに愛着がないわけがない。例えば仮に今以上にかっこいいエンブレムになりますよ、と提示されたとして、そのエンブレムを客観視した時に「確かにかっこいいかも」となっても、原形をとどめていないような抵抗しかない。

チーム名、チームカラー、そしてエンブレム。地域に着実に根付いていったり、クラブのアイデンティティを形成していく上ではめちゃくちゃ重要だと思うし、だからこそ気軽に変えてはいけないと思う。

 

もし本当に変えるのであれば…

個人的には原形を留めつつ、時代の流れに合わせたマイナーチェンジ(ごちゃごちゃした部分を取り除くとか)は無しではないとは思ってる。ESTDのふちの部分のゴールドを取るとか、ESTD自体を無くすとか、それくらいなら無しではないかなと。あくまでも無しではない、くらいだけど。ユベントスとかナントとか奈良クラブとかガンバ大阪みたいなウンコみたいなデザインがいきなり発表されたら吐く。大体、変えたチームが目立ってばかりいるけれど、大半のビッグクラブやJリーグクラブはエンブレム変えてませんからね。その意味と現実をよく考えてほしい。

まあでもこれはあくまでも個人的な意見であって、ツイッターを見ていても色々な意見があるんだな、と思う。それでいいと思う。けど、色々な意見があるからこそ、それらを可能な限り汲み取る形でこういう大事な出来事は進んでいってほしいな、と思う。

例えば清水エスパルスのリブランディングはこのような形で、プロセスを公開しつつ意見を募りながらエンブレムの変更に着手している。やるのであれば最低限こういったプロセスの透明化はあってほしいと思う。決定段階がブラックボックス化されてる可能性に関しては否定できないけど、それを言ったら何も決まらないので。

www.s-pulse.co.jp

 

FC東京でも、過去にこういった事があった。マスコットの誕生と、10周年ユニフォーム。これらはどちらとも、ファンのアンケートなどを元に物事が進んでいった事例。特にマスコットに関して、FC東京は2008年時点で唯一マスコットがいないクラブだったこともあって、当時あった掲示板などでもマスコットを持つことに対して賛否両論あったような気がする。以下が当時のフォーム。

https://web.archive.org/web/20080928134122/http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=mascot_enq/mascot_enq

てかいつの間にかニュースのアーカイブがごっそり消えてた…こういうのをしれっとやるから信頼ならないのだよ。

 

FC東京にはSOCIOというものがありましてですね。FC東京公式ホームページによると

※SOCIOとはスペイン語で「仲間」という意味です。
「単に年間チケットホルダーではなく、クラブの仲間であり相棒でいてほしい」そんな思いを込めて、FC東京はこの名称を使い続けてきました。

って書いてあるわけなんですけれど、仲間であり相棒でいてほしい、というFC東京からファンへの思いがあるのであれば、やっぱりこういった大事な話こそしっかりと意見を伝えたいわけで。とにもかくにもプロセスの可視化としっかりとファンの意見を汲み取る方法を取ることが最低限のスタートラインだと思ってます。もしそういうことがないんだったらSOCIOとかいう仰々しい名前は即刻辞めてほしい。

正しい例かわからないけど、15年住んできたシェアハウスに『今日からここに住むことになったから、みんなが住みやすいように色々改善するね!』って入ってきたやつがいて、まだ信頼関係が築けてないうちに大切なものを勝手に買い替えられて、『でも俺たち仲間だよな!?』って言われたらどうしますか?俺はキレる。

 

で、なんでこんなことを書いているかというと、今の経営陣はなんとなくSOCIOだろうがなんだろうがファンを金を落としてくれる客としか見ていない感じがするし、こういう重要なことを水面下で全部進めて出来上がったころに「はい、こうします!」って言ってきそうだし、んで出来上がったもののセンスがそもそもずれてそうだし、ということでまあ全く信頼出来てない。

例えば最近だとクラブサポートメンバーがオフィシャルメンバーシップに変わった件とか。今まではクラブサポートメンバーは育成のために使われている、という明確な目的があったのがその一文が消え、それでも尚今までの会員は自動更新のまま、という。で、問い合わせが増えてから後出しじゃんけん的に「育成のためのメンバーシップは現在検討中です」って、絶対問い合わせの後から検討し始めたやつじゃんっていう。誠意がないよねって思う。

 

さすがにないとは思いたいけれど、エンブレムがしれっと変わったら次はチームカラーだったり、チーム名が変わる可能性だって捨てきれない。例えば青赤の赤色がミクシィのコーポレートカラーになる、とか、それくらいの主張は全然してきそうだよな、とは思ってる。

彼らはあくまで彼らのビジネスのために参画してきていると思うし、FC東京に彼らとしての旨味が無くなれば捨てられるだろう。捨てられるときに残されるのは我々。捨てられてもビジネスの過程で変えられたものは残り続ける。もちろんポジティブな変化もあるだろうけれど、そうそう簡単に変えてはいけないようなもの―エンブレムやチームカラーなど―を一方的な都合で変えられてしまった場合、それと付き合っていくのも我々。そうやすやすと変わってはいけないものが勝手に変えられたら、それは終わりの始まりになってしまうのではないかな、って結構本気で心配しています。

 

 

まあ色々書いたし、親会社であるミクシィを信頼してないのも事実だし、センスが絶望的にズレてそうなのもあるのだけれど、全否定というわけでもなく。ユニフォームが青赤縦縞になったり、クリエイティブが改善されたなって思ったり、「お、いいじゃん」って思う部分もあるわけで。とにかく、何度も書きますけど、変えようという動きが本当にあるならばプロセスは可能な限り透明にしてほしいし、そこには経営母体よりもずっと長くクラブを見守っている、見守っていくファンが関わっていくべきなんじゃないかな、と思ってます。

 

EL ESTADIO FC東京のマスコット問題。

いきなりマスコットが出来てこれだったら嫌でしょう?声は上げるべきですよ。

カタールワールドカップ回顧録

ワールドカップに行ってきた。

日本代表に関してはFC東京の延長線上という感じのスタンスで、毎試合見に行く、みたいにものすごく真剣に応援しているわけではないし、「まあ4年前行って楽しかったし、今年も行けそうなら行くか」というテンションでなんとなくチケットを応募したのが5月。5月末に来たメールで日本のグループリーグの3試合分のチケットが当たったことが分かった。自分と、ロシアW杯やリオ五輪に一緒に行った友達2人分のチケット。
4年前は学生だったので、時間はあってもお金がない、そんな感じだった。今は逆で、お金の面では問題ないけれど時間が工面できるか分からない、そんな感じ。いや、4年経っても自分だけはまだ学生だから「時間はある」の側だけれど。とりあえずチケット代を支払ったけれど、「やっぱりスケジュール的に厳しそう」というので2人分のチケットをキャンセルしたのは10月ごろ。
大人になっていくというのはこういう事なのだとは分かっていても、残念というかぽっかりと穴が空いてしまったような感じ。6年前のリオ五輪も、4年前のロシアW杯も、この人らと行って本当に良かったなって思ってたし、未だにブラジルやロシアの思い出話をするほどだったから、今回は1人か〜と思うとやはり寂しさが募る。 もちろん他にもカタールに行く友達は沢山いるのは分かっていたけれど、自分の中ではこの2人と旅をするというのは何か特別なんだよな、って思ったりした。


そんなこともあって、正直なところW杯直前になってもそこまで気が乗らなかった。

しかもヨーロッパの国々はカタールにおける人権問題などを問題視してボイコット運動をしている。デンマークのチームをフォローしている以上、嫌でもそういった情報が入ってくると、自分の気分はますます乗り気ではなくなってきてしまう。まあボイコットを本気でするならもっと早い段階からやりゃあいいのに(多様性の否定はともかく、労働者の人権問題に関してはもっと早い段階から明るみになっていたし)、直前になって出場辞退とかが理論上出来ない段階になってからボイコットとか言い出すのはいかにもヨーロッパらしいムーブだなって思ってはいるけれど。

4年前ほどの高揚感はないにせよ、行けば楽しめるだろう、と思いつつカタールに向かう。ドーハの空港に着くと、いろんな国、主にモロッコ中南米諸国からのファンで溢れていて、ワールドカップが行われている国に来たんだなぁと実感する。さすがにこの光景を見たら下がっていたテンションも徐々に上がってくる。

 

ドイツ戦の朝。同じ宿に泊まっている友達と合流する。全員がFC東京ファンだったので、せっかくなので何の脈絡もなくFC東京のチャントをバス停で歌う。顰蹙を買うのではなく、同じメロディの応援歌があるアルゼンチン人に喜ばれるあたり、ワールドカップだ。スタジアムで久しぶりの知り合いと「4年前のロシアぶりですね」と会話をしたり、来てることをお互い知らなかった知り合いと「来てたんですね~」と言いあったり。6年前にリオ五輪の予選で知り合った知り合いと「浅野君はドーハに良いイメージ持ってるはずだし、6年前の決勝みたいに活躍してほしいよね」なんて会話を交わす。世間一般だとドーハというと悲劇という言葉が結びつくかもしれないけれど、自分はドーハという場所で見るサッカーにはいい思い出しかない。何せ6年前のU-23アジア選手権では無敗で優勝しているのだから。

 

さて、試合。明らかに向こうが格上、といったような相手とやる時はいつもテンションが上がる。周りからはさして期待されていないし、試合前からこっちが勝つと信じているのは日本人だけだ。特に今大会のスタジアムは言っちゃ悪いがサッカー後進国のサッカーファンが多く、弱いチームの番狂わせを期待するよりかは有名選手がいる強いチームを応援する気がある。それゆえにスタジアムでは多くのドイツ国旗を見かけた。今に見てろよ、と気合いが入る。国歌が流れる。ドイツ国旗の多さとは対照的な国歌斉唱の声の小ささを目の当たりにして、なんとなく行ける気がしてくる。
とはいえ海外サッカーをほとんど見ない自分ですら知ってる名前が並ぶ相手、やはり強い。前半の0-1はまあ想定の範囲内だけど、勝ちを目指す上では0-0が良かったよなぁなんて思いつつ折り返す。そして迎えた後半。浅野が出てきていきなりチャンス、そして思い出すドーハでの6年前。あの時の後半からの「なんか行けそう感」は尋常じゃなかったし、今回も浅野投入の後からその雰囲気を感じる。そして結果はご存知の通り2-1、なんか行けてしまったのだ。ワールドカップという世界最大規模のイベントで、一気に主役に躍り出た快感というのは凄まじい。

 

そしてコスタリカ戦。正直に打ち明けると、なんやかんやで引き分け以上は行けるでしょうって思ってました。甘いと言われればそうなのだけれど、本心でもある。巻き添えを食らわせると、前日の日本人サポーターの集まりでもベスト16の話ばっかりしてました。すみません。帰り道、スペイン対ドイツの結果がどうなるとどうなのかを脳内シミュレーションをする。スペインが勝って次節日本とスペインが引き分けで両チーム突破が丸いかなぁなんて、まあ及び腰な姿勢で、ドイツ戦後とは対照的。この日の夜スペインがドイツと引き分けて、まあ色々な条件はあるものの、基本的にはスペインに勝利しないとラウンド16に行ける確率は低い、という感じになった。そうなれば簡単で、もう腹をくくって選手もファンも勝ちに行くしかない。中3日の間に勝つイメージをどれだけ持てるか。そりゃあ勿論勝つことを信じて応援するわけなのだけれど、本気で勝つって思うのって案外難しいわけで。友達の多くがコスタリカ戦後に帰ってしまったし、自分も体調を崩し気味だったので、スペイン戦まではがっつり休養。

 

スペイン戦。体調も何とか戻って、いよいよ勝負の日。ドイツ戦で日本があれだけの番狂わせを起こしてもなお、第三者として来る南アジア系・中東系はスペイン贔屓の人が多いな、とスタジアムに着いて感じる。前半。0-1というスコア以上に何もできず、「このチームに負けて敗退ならしゃあないわ」くらい打ちのめされる。とはいえまだ前半だし、1週間前に後半残り45分でその状態からひっくり返したのだから、無理なことじゃあない。コールリーダーの「ちょっとみんな、暗いよ!?」の声でスタンドに笑顔とギラギラ感が戻る。そして今回も感じる、根拠のない「なんか行けそう」感。

 

…行けてしまった。ドーハで作った即席の長友佑都の横断幕を日本の選手が回ってくるタイミングに合わせて最前列に持っていく。それを見て胸を叩く長友佑都(それを見て、というのはこっちの主観だけど)。一生ついていきます。しかし1週間で2度目とかってなると、1戦目の後のようなフワフワした感情はない、というか今置かれている現実が夢なんじゃないかと思うくらい、もうよくわからない。が、置かれている状況―現在午前0時半、翌朝12時チェックアウト、飛行機は24時間後、ラウンド16に向けて延泊するか否か―を前にすると、現実に戻らざるを得ない。延泊するなら飛行機の変更や宿問題をどうするかなどやることは山積みだし、そもそも体調とも相談しないといけない。そんなことを考えつつシャトルバスに乗って宿に向かっていたら、リオやロシアに一緒に行った友達から航空券のEチケットのスクリーンショットが送られてきた。相変わらずサッカーファンのこの条件付きの異常なフットワークの軽さと財布のひもの緩さはイカれてると思いつつ、この瞬間自分が延泊することも決まった。この人らと国際大会に行くことももうないのかなぁなんて諦めかけていたので、これほどワクワクすることもない。急いで航空券、宿、チケットの手配をして延泊の準備をする。

 

クロアチア戦当日。朝5時に空港に友達が着くと聞いたので、コーヒー片手に迎えに行く。留学などで日本に帰ってなかったから、なんやかんやで1年ぶりの再会。そういえば4年前のワールドカップのときも、ロシアが久しぶりの再会だったなって思い出したり。そんな懐かしさにしみじみする暇はあまりなく、仮眠を取って2人用の宿にチェックインして、とかやってたらもう試合会場に向かう時間。4年ぶりのラウンド16の空間、そして史上初のベスト8へ。

 

試合結果は知っての通り。PK戦、なんとなく行ける気がしたのだけれどな。4年前負けて本田のロスタイムのフリーキックが槍玉に上がっていた時も思ったけど、ここまで来て試合後に「PK戦が挙手制だったのがいけないんじゃないか」とか敗因さがしをする気になんて全くなれない。選手にも監督にも、ここまで連れてきてくれてありがとう、な気持ち。まあそもそも自分は気持ちでサッカー見てる側面が強いので、敗因探しとかそういうのは他の人が頑張ってくださーい、みたいな。それはそうと、4年前と比べると気持ちは微妙に違っていて、確かに悔しいのだけれど、一方で充足感のようなものもある。

翌日、カタール最終日。友達とドーハの街を適当にぶらぶらしつつ、いつも行っていたトルコ料理屋に入る。いつもはバカ話ばっかりしているけれど、たまーに真面目な話とかをすることもあって、今回がそれだった。その友達とはもう10年以上前に東京の試合で出会って、以後ずっと一緒にゴール裏で応援していたのだけれど、4年前のワールドカップあたりで色々な事情で一緒に応援することはなくなり、別々の視点でサッカーを見るように。そんな彼と4年ぶりに、隣で、本気で応援できたのって幸せなことだったよね、なんて話し合う。昨日の光景を振り返って、まさしくそうだなと思う。長いこと引いてきた線が4年前で途切れて、そこにまた点が打たれた感じ。ここからまた線が引かれていけばいいなと。

 

あまり乗り気ではなかったカタールワールドカップ、なんやかんやで来てよかったなって思う。4年後に自分がその場にいるイメージが全くつかないのだけれど、それでも、その場にいれたらいいな、なんてことを思う。

アフリカ旅行を終えて

9月1日から、11月21日までにかけての80日ほどのアフリカ旅行が終わった。

結局ケニアからスタートし、ケニアルワンダウガンダタンザニアマラウイモザンビークエスワティニ、南アフリカの8か国に滞在。概ね予算の範囲内で旅行も終えられたし、大きなトラブルもなく3か月弱旅ができたのはよかったと思う。

今回このルートを選んだのはマラウイモザンビークに友達がいたからで、そうじゃなかったらザンビアジンバブエナミビア等を回っていた気がする。

そして、最後の方は旅に飽きてたというか、もうわざわざどこかに移動するのも面倒くさくなっていたので、結局喜望峰にも、アフリカ大陸最南端にも、レソトにも行くことなく旅を終えてしまった。行こうかなーとか迷うこともなくいかないことを選択したので、特に後悔もない。

3か月旅行をした、といっても、半分くらいは家に近いようなところを見つけて、そこで「生活をしていた」ように思うし、自分は別に旅行という行為が特段好きでもないらしい。旅行が好きというよりかは、並々ならぬ好奇心とそれを支えるフットワークが備わっていた結果、ただひたすら動き回っていただけで、その結果として60か国も回ったといった感じ。

サッカーが好きで、異文化が好きで、「もっと違う世界を見たい」「新しい経験をしたい」となってあちこち行ってる結果、旅行好きに見える、という。

アフリカの場合、どこも文化的には多様だし、いろんなところに行けばその分発見もあるのだけれど、すべてが違いすぎて一か所に居続けるだけでも毎日発見があるから別にずっと動き続けるってことにならなかったのかな、と思う。そして今回も自分のやりたいようにやった結果が喜望峰とかそういったアイコニックな場所に行かなかったという。

 

南アからはカタールに飛ぶ。カタールは自分が初めてひとりで行った海外の国。今ヨーロッパではカタールワールドカップに対するボイコット騒動が起きているけれど、そんなボイコットの原因となる社会の仕組みを6年前に自分の目で見たことが、自分が海外の異文化に興味を持つことになったきっかけでもある。そんな因縁?思い出?の国に6年ぶりに行くわけで(これまでもトランジットでは何回か街歩きはしたけれど)、どういった風に変わっているのか、はたまた変わっていないのか、色々気になることがある。もちろん日本代表も。なんやかんやで応援している日本代表が今回どういった歴史を作るのか、歴史の立会人になれるのか。そんなことを考えながらカタールに向かう。

アフリカ旅行記-エスワティニ

居候させてもらっていた友達が一時的に家を空けるとのことなので、それに合わせて自分もちょっとだけ旅行に出よう、と思った。住んでいるわけでもないマプトに居ながら「旅行に出よう」という気持ちが出てくるくらいにはマプトでの毎日は日常生活、といった感じだ。

地図を見てみると、エスワティニが近い。単純計算で2時間ほどで行けそうだし、この国に入るのにビザも必要ない。幸い今持っているモザンビークのビザもダブルエントリーで、エスワティニからモザンビークに再入国が可能なので、気軽に行って帰ってこれそう。

 

ということでエスワティニへと向かう。エスワティニといえば絶対王政の国で、王様がヤバいという話くらいしか印象がない。観光地も調べたけれど、「ここに行かねば!」といった場所もなさそうなので、あまり期待はせずに行く。まあでも2-3日の小旅行なので、それくらいの場所のほうがちょうどいいかもしれない。

ネットで調べた情報を頼りに、マプトの西側にあるJUNTAというバスターミナルをシャパで目指す。マプトのシャパは時刻表こそないものの、しっかりとした路線図があるから乗りやすい。

30分ほどしてバスターミナルに着き、エスワティニ最大の都市であるマンジニへ行くシャパを探そうとしているところ、警察に呼び止められる。もうここからは以下略でいい気もするけれど、数人に囲まれてにやにやされながら荷物チェックをされた。これだけで本当に1日のテンションが下がる。

シャパを探すと、マンジニ行きはコチラ、と書かれた看板はあるもののバスはない。そこでうろうろしていると、モザンビーク人に「マンジニ行きはないから、ナマーシャという国境沿いの町まで行ってそこからまたシャパを捕まえるのがいいよ」と教えてもらった。

モザンビークの通貨メティカルの一部を南アフリカランドに替え(エスワティニではランドが使える)、シャパに乗り込む。130メティカル(260円)。モザンビークの長距離シャパがすし詰めになるのは目に見えていたので、助手席に座る。助手席は最大でも3人なので楽。

2時間ほどして森の中にある小さな集落で降ろされる。ナマーシャという村のはずれ、エスワティニとモザンビークの国境だ。モザンビーク側の出国審査。ポルトガル語で矢継ぎ早に質問される。「英語は喋れるか」と聞くと「シャンガナ語なら喋れる。シャンガナ語で質問するか?」と言われて「んなもん無理だわ」となったので、渋々ポルトガル語で応対。エスワティニから来る人はポルトガル語は喋れないだろうに、せめて英語くらいは喋れてほしい。とはいえ色々な質問をされた以外は問題なく出国審査が完了。検問所を出てエスワティニ側に向かって歩いていくと、モザンビーク警察に呼び止められた。以下略。最後の最後までこの国の警察はくそだ。

 

エスワティニ側。コロナのワクチン証明書をチェックされた後、特に質問されることもなくスタンプを押される。びっくりするくらいシンプルだ。そしてその後に全員が受ける荷物チェックのようなものはあったけれど、これも簡易的なチェックで終了。国境一つまたいだだけでこうも違うか、と思ってしまう。

エスワティニ側の土地名はロマハシャ。ここも集落といったレベルだけれど、幸いATMはあったのでいくらか現金を下ろして、ローカルの食堂で昼食を食べる。カレーのような味付けのチキン・ご飯・千切りキャベツのコールスロー。無難に美味しい。

外は霧雨が降っていて結構寒い。この辺は森に囲まれているのだけれど、高地なのもあってあまりアフリカの森、といった感じではない。そんな視覚的な情報のおかげもあって、余計に寒い。

さすがに陸路で来る旅行者、それもアジア人は珍しいのか、声をたくさんかけられるが、色々質問をされるだけでからかいとかは一切ない。そしてみんな「スワジ人は親切で平和的だからここは良いところだ」と言ってくる。実際これは本当だなと思うくらい、今のところは好印象。

そういえば、この国の旧称はスワジランド。スワジ人の土地、という意味だったのだけれど、「土地って単語が英語なのおかしくね?」ということで、スワジ語での呼称であるエスワティニに改められたそう。JapanがNipponになるようなものなのかな。でもみんな呼称に慣れてないのか、スワジ人自身も「スワジランド」という人がかなり多い。

 

昼食を食べた後、マンジニへ行くミニバスに乗り込む。ミニバスは他の国同様ハイエースなのだけれど、かなり新しめだし、椅子も新車の椅子。サンバイザーには日本語ではなく英語が書いてあるので、日本からの中古車でもないらしい。となるとおそらく南アからの輸出だ。通貨が相互互換だったり、南アとの繋がりが強いことによる恩恵が見て取れる。車内はガラガラで出発までまだまだかかりそうかなー、と思っていると、乗車率が4割ほどで出発した!こんなことは今まであり得なかったのでうれしい驚きだ。

バスの中から外の景色を眺める。山が多いところを走っているときはヨーロッパを思い出すし、平地に広がる農地とたまに見えるポプラの木はもうものすごくオランダっぽい。天気の悪さも相まって非常にオランダ。留学先に帰ってきたような気分になる。

30分ほどしてバスが検問所のようなところで止められる。どうやら全員の荷物をチェックされるらしい。が、ここでも荷物を全て出せ、といった感じは全くなく、ある程度チェックをしたら「オッケー」と言われて終了だった。モザンビーク警察との歴然とした違いに驚きチップをあげたくなるくらい。

舗装された道をしばらく行くと、途中からなんと中央分離帯のある高速道路になった。これも南アフリカの恩恵かもしれないけれど、とにかくこの小国の発展ぶりには驚く。

午後4時。ロマハシャから2時間ほど、エスワティニ最大の都市であるマンジニに着く。最大といっても、大都会というわけでは全くない。あくまでもエスワティニという小国においての最大都市、といった規模だ。バスターミナルはそれなりにごちゃごちゃしているが、少し離れるとかなり綺麗なケンタッキーの店舗とショッピングモールが見えた。格子状の道路にケンタッキーと綺麗なショッピングモール、そしてビルがないが故の広い空という光景は、今までの国で見てきた光景とは少し異なる。そして何故かは形容しがたいのだけれど漠然と「あ、この町好きだ」と感じる。

宿もなければネットも開通していないので、最寄りの携帯ショップでsimカードを契約し、宿を探す。が、ネット上で調べた宿はどれも高い。もう少し安宿があるのではないかと踏んで、近くの旅行代理店に入って(別にマンジニの宿を扱っているわけではないが)、「この辺の安宿を知らない?」と聞く。すると、受付に座っていたおばちゃんが「うーん、宿は何個か知ってるけど正確な値段は分からないね。ちょうど今退勤して車で帰るから、ついでに宿まで送ってあげようか?」と。おばちゃんの子供も学校帰りで一緒だったし、直感的に「この人は危なくない」と思ったので車に乗せてもらう。

5分ほどで着いた宿が許容範囲内の安さだったので、おばちゃんにお礼を言うと、「何かあったら電話してね、現地の人の連絡先知ってた方が安心でしょ」と電話番号を渡してくれた。何から何まで親切すぎるこの国。しつこすぎたりするわけもなく、旅行客だからとお金を要求するでもなく。旅行客が珍しいからか声をかけられたり凝視されたりはするが、からかいとかも殆どない。

宿にチェックインをして、夕食を食べに行く。が、どうやらローカル食堂的なのはあまりなさそうなので、ホテルの向かいにあるインド系のレストランでカレーを食べて一日を締める。

 

翌日。まずはスワジキャンドルというエスワティニの名産である蝋燭が売っているところに行ってみる。日本だとスワジキャンドルという名称で通っているけれど、どうやらスワジキャンドルを売っているお店もある、工芸店や職人が集まっている場所、と言った方が正確らしい。なのでキャンドル以外にもエスワティニ国内で作られた様々なお土産が売ってて、みていて飽きない。お土産はあまり買わない性分なのだけれど、ありきたりではない、その地の人が手作業で作っていたり何かしらのメッセージが見えるものはついつい手に取りたくなってしまう。

 

自分用のお土産を買った後、マンテンガという場所に向かうべくバス乗り場に向かう。とにもかくにも、どこを切り取っても画になる風景を撮りたくてカメラを首から下げていると、昼間から飲み会をしてた6-7人の若者に「写真を撮ってくれ!」と言われる。人の写真を撮るのが好きな一方で見知らぬ人を撮ることに抵抗があるので、「撮って欲しい」と言われるのはありがたい。が、今までにも撮った後に金をせびられたことがあったので、少し警戒。何枚か写真を撮った後、メッセージアプリで写真を送ってあげようとすると「ハウマッチ?」と言われる。「あー今回もお金せびられるパターンか」と思いお茶を濁していると、「いくら払えばいい?ワイン飲む?今ワインしかないから、もし他の飲み物飲みたかったらこれで買って」とむしろお金を渡された。まさかお金をもらう側の話だとは思ってもいなかったので、困惑してしまった。お金をもらうのは気が引けたので断って、気持ちだけ受け取っておく。しかしこの国の人柄は今までのアフリカの国々とはだいぶ異なる気がする。

 

ミニバスに乗り、マンテンガへ。マンテンガではエスワティニの伝統舞踊を観れる文化センターへ。マンテンガで降りてから3キロくらい登山をした先に文化センターはあった。エスワティニに来てから薄々思っていたのだけれど、エスワティニ観光は車があった方が断然楽だ。ここに来て紛失のリスクを考えて免許を持ってこないという決断が仇となるとは思ってもなかった。

文化センターでは、スワジ人の伝統的な生活様式を説明してもらった後、近くの滝へのトレッキング、そして最後に伝統舞踊といった流れ。生演奏に合わせて踊る伝統舞踊はなかなかに迫力がありそれ自身も良かったのだけど、それと同じくらい彼らのダンスに合わせてノリノリで踊る修学旅行で来た学生たちも良かった。演者にお構いなしで踊り、前に出て一緒に踊ったり指笛を鳴らしたり。国によっちゃあ顰蹙を買いかねないけれど、ビートに合わせて心の底から全身で踊りを楽しむアフリカのこの感じが大好きなんだよな。自分も幸せな気分になれる。

ダンスが終わって、いい気分で来た道を歩いて帰ってると、後ろから来た修学旅行生が乗ったバスにクラクションを鳴らされる。邪魔なのかと思って避けると、「乗れ!」というジェスチャーをされる。帰りも3キロ歩くのか〜と思ってたところだったので今回も言葉に甘えてメインロードまで乗せてもらう。いやはやスワジ人は本当に優しい。観光資源的には乏しいかもしれないけれど、それ故なのか観光客に対しても優しいし、その結果としてものすごく好きな国になった。

 

三日目。マンジニを出て南アのムボンベラに行くか、首都のムババネに寄ってからマプトに帰るか。南アに行くにせよムババネは通るので、とりあえずムババネに向かってみる。エスワティニの首都、ムババネはエスワティニ西部の南アとの国境近くにある都市。マンジニからはミニバスで40分ほどで着く。ここには行政的な機能が集まっていると言った感じで、マンジニと比べると新しめの建物が多い。山岳地帯に作られた都市ということもあって、パッと見たらスイスとかスロベニアあたりの小都市のように見えてしまう。

ミニバスを降りると、早速バイクや他のミニバスの運転手が寄ってきて、「どこに行くんだ」と聞かれる。「今着いて、ムババネ散歩する予定だから何も乗らないよ」と伝えると「そうか、スワジランドを楽しんで!」と言われサッと人が引いていく。このアッサリさはアフリカの他の国にも見習って欲しいくらいだ。

ムババネには何か特別なものがあるわけではないが、強いて言うならアフリカ唯一の台湾領事館がある。入れるわけでもないし外から眺められるだけだけど、せっかく来たので眺めるだけ眺めてきた。

で、まあ1時間も歩けばやることも無くなるので、次どうするかを考える。ムボンベラに行こうと思ってはみたもののどうやら交通手段が限られていそうなこと、今からマプトに戻れば夜前には着けそうな感じだったので、マプトに帰ることにした。短い滞在だったけれどエスワティニを好きになるには十分な時間だったように思う。平和で人柄が良くて自然が豊かな小国。同じく南アに接するレソトは「南アのスイス」なんて言われるけれど、エスワティニも同じくらい評価されたっていいと思う。でもそんなエスワティニも問題が全くないかと言われるとそういうわけでもなく、エイズの感染率の高さはアフリカ随一らしい。それ故か公衆トイレには避妊具が置いてあった。なんとイミグレのトイレにすら。また絶対王政ということもあって、やはり国としての脆さはあるんじゃないかなとは思う。まあそんなエスワティニだけれど、好きな国なのでいい方向に発展していって欲しいなと思う。

 

 

アフリカ旅行記-モザンビーク②

早朝、テテの宿を出て空港に向かう。空港はザンベジ川の東岸にあるので、東岸のほうまで行くシャパ乗り場で空港行きを探す。

15-20分ほど乗って、コンダクターに「空港はここから300メートルくらい歩いたところにある」と言われ、メインロード沿いで降ろされる。

メインロードを離れしばらく歩くと、今まで見たことのないくらい質素な空港があった。空港というよりむしろ鉄道駅とかの雰囲気に近い。1日3-4便ほどしか発着していない、そんなテテ空港。

木造の入り口には”Check-In”と書かれた質素な看板が立っており、入り口を入ってすぐ左手にチェックインのカウンターがある。

チェックインを済ませようとするが、セキュリティに「預け入れ荷物の中身を確認させろ」と言われる。お決まりの賄賂パターンか…と思って自分の態度も露骨に悪くなるが、拒否して乗れなくなったりしても問題なので渋々応対する。結局これは本当にただの荷物検査だったので、係員に対して少しだけ申し訳なくなってしまった。まあでもこれもすべて腐敗したモザンビーク警察が悪い。

チェックインを済ませ、キオスクで買ったコーヒーを飲みながらセキュリティゲートが開くのを待つ。待合スペースも駅舎にしか見えない佇まいだ。

国内線かつ利用者も少ないテテ空港の導線は極めて簡素で、簡単なX線検査の後に小さな売店があり、その先には唯一の搭乗ゲートがある。搭乗ゲートを抜け、ボンバルディアのプロペラ機に乗り込む。これだけ飛行機に乗りつつも実は飛行機は得意ではないし、プロペラ機に関してはものすごい心もとなさを感じてしまう。

2時間ほどしてマプトが近づいてくる。上空から見るマプトは、碁盤目状の整備された街といった感じで、なかなかアフリカでは見ない計画都市のように見える。調べてみると、マプトは19世紀にポルトガル人によって作られた計画都市らしい。いかにも、といった感じだ。

 

モザンビークの首都、マプトに降り立った。空港にはシャパもないので、タクシーを使って街に出る。

マプトの第一印象は、これまで来た旅の中で群を抜いて都会、といった感じ。ナイロビやダルエスサラームも大きかったけれど、これらはまだアフリカっぽさのある都会だった。それに対してマプトは、なんというかヨーロッパや南米っぽい都会さを感じるので、ベクトルが少し違う。

ポラナ地区でタクシーを降り、昼食を食べたのち少し街を歩いてみる。するといろんなところからブラジルっぽさを感じた。高層ビルが立ち並びそれなりの賑わいを見せている24 de Julho通りからは、リオのコパカバーナ地区の少し内陸側の大通りを想起させる。時折白と黒のタイルが張り巡らされている場所を見るが、それはリオの象徴でもある。少し小さめの通りを入ってみると、全体的に白基調の家が並んでおり、サンパウロのジャルディン地区の高級住宅街っぽさを感じる。24 de Julhoを突き進んでBaixaという繁華街のほうに歩く。この辺になってくるとさすがに少しアフリカっぽいけれど、Baixaにある中央市場は外観が豪華な建物の中に小売業者がたくさんはいっていて、これはマナウスの市場と全く同じだった。ブラジルっぽさを探している感は否めないけれど、それでも同じポルトガル植民地だったこともあって共通点は結構ある。それに、今までの国とは明らかにちがう雰囲気がモザンビークにはある。

 

マプトにはオランダ留学時代の友達に会いに来た。それに付随した形で色々観光ができればいいなとは思っているけれど、それでも友達に会う、というのが第一目標だったので、基本はマプトにステイしながら観光をする感じ。

そう思うと、マプトの町の雰囲気も相まってこれまでの慌ただしい旅が終わったような気分になってくる。これまでずっとローカルな食堂で食べていたのもここで一区切り、といった感じだし。地理的にも、ゴールに設定してあるヨハネスブルグまではまあでもそれに対してネガティブな気持ちはなくて、どちらかというとポジティブ。そもそも自分の度にはあまり明確な目標とかもないというか、「動きたいときに動いて、休みたいときに休む、行きたいところには行くし面倒くさかったら行かない」がポリシーだし。ずっと動き回っていてそれなりに疲れてきたところもあったので、しっかりエネルギーを補充だけ補充して、ラストパートを頑張れたらそれでいいのかなと。

アフリカ旅行記-モザンビーク①

15時前にモザンビークに入国。モザンビーク側には街はなく、小さな集落があるのみ。当然両替所などはなく、個人の両替商がいるだけ。そうなるとかなり分は悪いのだけれど、手数料10%ほどで100ドル札をモザンビークの通貨メティカルに替えてもらう。

今日の目的地はここからさらに250キロほど行ったところにあるテテというモザンビーク中西部の街だけれど、アフリカで250キロの移動は下手したら1日かかる距離。適当な人に聞いてみると、国境から直接テテまで行く手段はなさそうで、アンゴニアのヴィラまで行って、そこからテテまで行くミニバスが出ているらしい。とりあえずそこまで行くことにして、満員に近いミニバスに乗り込む。

押し込まれた最後列はびっくりするくらい空気が澱んでいる。窓を開けようにも最後列には窓がなく、窒息してしまうんじゃないかという錯覚に陥るくらいには息苦しい。パニックになったりして迷惑をかけるのもあれなので、出発直前に窓際の席に変えてもらった。モザンビークポルトガル語公用語なのだけれど、国境沿いはまだまだマラウイ人も多いみたいで、ポルトガル語よりも英語のほうが通じたりするから助かる。

 

20分ほどしてミニバスは出発。ごく普通のハイエースに25人ほど乗っている。乗っているというよりも詰め込まれているという表現のほうが正しいくらいの密度で、ぎっちぎちなハイエースに乗り慣れてきた自分から見てもかなりぎちぎちだ。そりゃあこれだけ人が乗っていれば車内の空気は悪くなるよ、と思うのだけれど、彼らは最後列だろうがどこだろうがお構いなしに話しているのですごい。

出発して程なくして検問のようなところでミニバスが路肩に停車させられた。

警察は窓際に座っている自分を見つけ、「パスポートを見せろ」と言ってくるので渡す。5分ほどしてもパスポートが返ってこないので降りると、銃を持った警察に「こっちに来い」と小屋に連れていかれる。ついさっきビザを取ったばかりだし問題はないはずだが。

恐る恐る小屋に入ると、4人ほどの警察がにやにやしながらこちらを見てくる。そして「荷物の検査をさせろ」と言われる。荷物を全て出してチェックが終わったあと、「コロナの証明書を出せ、出せなかったら罰金だぞ」と言われたので、ワクチンの証明書を見せると、「それはインターナショナルなやつだからだめ。モザンビークのやつを出せ」と。頭の中に?が10個くらい並ぶが、冷静に考えてハッタリだ。

「大使館に電話して必要かどうか確認するわ」とこっちが言うと、向こうはすぐさま「もういいよ。でも冷たいドリンクが飲みたいから金くれ」と言ってきた。結局荷物検査もコロナの証明書も茶番で、金が欲しいだけなモザンビーク警察の腐りっぷりに唖然とする。

ちなみにこのようなやり取りは検問の度に起きた。面倒くさくなって払ってしまう人がいるのは理解できるし、だからこそ賄賂もなくならないんだろうなぁと思う。在住の友達曰く陸運省大臣が変わって汚職や賄賂も昔に比べるとマシになってきたみたいだけれど、こういった部分までは行き届いてない模様。とりあえず今のところのモザンビークの印象は警察のせいであまりよくない。

 

1時間ほどで彼らがヴィラと呼んでいた土地に着く。どうやら正しい名前はウロングウェというらしい。地図を見た感じ宿泊施設や携帯ショップ、銀行など、最低限はありそうな町だったし、この時点でもう17時前だったのでこれ以上移動するのは危険な気がしたので今日はウロングウェで一泊することにした。

適当に目についた宿が1泊2000円ほどのワンルームで、ベッドや水回りもまあまあのクオリティだったのでそこに泊まることにする。聞いてはいたけれどモザンビークの宿は他に比べるとだいぶ高い。

宿に併設されていた食堂でチキンとライスの定食をオーダー。30分ほどかかるといわれたので気長に席で待っていると、食堂内にあったビリヤード台で遊んでいたおじさん達が「日本人か?ビリヤードやろうぜ」と誘ってくれたのでやることに。ビリヤードなんてもう何年もやってないので思ったとおりに全然球がいかないけれど、何かしらの遊びを通した交流みたいなのはとにかく楽しい。そして一見パッとしない(失礼)おじさんたちはびっくりするくらいビリヤードが上手い。

あっという間に30分が過ぎ、チキンを食べるがこれがびっくりするくらい美味しかった。これまでの旅程では、鶏肉と言えば硬めのローカルチキンのトマト煮込みがデフォだったのが、ここではジューシーなチキンをレモン塩でマリネしてグリルしたものが出てきた。モザンビークでは鶏肉を食べよう。

夕食後は特にやることもないので、部屋に帰って水シャワーを浴びる。水シャワーは浴びる前は苦行だけれど、浴びたあとは1日の疲れを流せた気がして心地が良い。

 

翌日、朝6時に起きてテテ行きのバスを探す。前日降りたバス停で待っていると、10分ほどしてミニバスが来る。ちなみにモザンビークではミニバスはシャパと呼ばれている。国境を越えるたびに物の呼称や挨拶が変わるのは良い頭の体操になるなと思う。

 

テテ行きのバスに乗っている間も検問で止められて賄賂を何度か請求され、挙句の果てにはドライバーに「早くいきたいから払ってくれよ」と言われる始末。こうなってくると逆に1円たりとも払いたくないのが人間の性。

テテ行きのバスに乗ったものの、今日の目的地はテテではなく、テテから5キロほど手前のムワティゼという街。友人がここに住んでいる知り合いを紹介してくれて、ありがたいことに泊まってもいいよとのお言葉をいただいたので、お言葉に甘えて宿泊させてもらうことにした。

7時間ほどシャパに揺られてムワティゼに着く。ドライバーには賄賂のときに俺が助けてやっただの、外国人だから高く請求してもいいだの、色々ケチをつけられて相場の3倍の値段を請求されたけどムカついたので相場しか払わずに降りる。

ムワティゼは雲一つない快晴で、降りた瞬間に熱気を感じる。それもそのはず、ここの地域はモザンビークで一番暑い地域で、そんな地域に一年で一番暑い時期に来てしまったらしい。湿度も低く少し歩くだけでとにかくのどが渇く。買った500mlの水が一瞬でなくなってしまう。

ムワティゼに住んでいる方と合流して、マーケットの中の食堂で昼食を取る。小さい町(というかほぼ村)で白人がほぼいないからか、食堂にいるだけで小さい子が寄ってくる。ちなみにここで食べたチキンも前日のチキン同様とても美味しかった。

 

ムワティゼの街を歩く。ここムワティゼは、炭鉱の町として知られていて、周りにはたくさんの鉱山が存在している。インスタ映えするような観光地では全くないけれど、炭鉱にまつわる面白いスポットはたくさんある。

ムワティゼからテテまでを結ぶ大きな道から北にそれてしばらく歩くと、十字架の立っている丘が見えた。これはサンタバルバラというカトリックにおける鉱山などの守護聖人が祭られている丘で、モザンビークだけのものではなくポルトガルやブラジルなど他の国にも存在しているらしい。炭坑は古今東西危険がつきものとのことで、炭坑に入る前に皆ここの丘に行ってお祈りをするらしい。

実際ここムワティゼでも1970年に大規模な炭坑事故が起きており、その記念碑のようなものも存在する。記念碑の周りにはごみが雑然と捨ててあって少し残念な雰囲気ではあったけれど。

他にもポルトガル植民地時代の石炭公社の跡地や、石炭をストックしておく場所など、至る所から石炭の町たる所以を感じる。そしてここでとれた石炭は、列車によってインド洋沿いの港に運ばれていく。このムワティゼの鉄道駅からは現在は貨物列車しか走っていないものの、列車を待っている乗客もちらほらいる。話によるとどういった貨物列車もセキュリティの人が乗るための車両があり、そこでセキュリティの人に直接お金を払うことで乗ることが出来るらしい。

 

そんなこんなでムワティゼには2日ほど滞在。小さな町というのもあるかもしれないけれど、モザンビークは警察の横柄さとは対照的に普通の人の人柄はとても良いなと感じる。嫌なこともあまりない。

ムワティゼを後にして目的地のテテに向かう。とはいってもテテになにか用事があるわけではなくて、テテからマプトまでの距離が2000キロもあるので飛行機を使っていくことにしたからテテに行くだけ。中西部最大の都市を素通りするのももったいないので、1泊だけすることに。

 

ムワティゼからテテまでは直線距離では10キロほどなのにもかかわらず、この二つを結ぶ橋が今年初めのサイクロンで破壊されて、未だに復旧工事中ということで通行止め。だいぶ南の方にある他の橋を渡って大回りするほかないため、1時間半ほどかかる。アフリカに来てみると川というのがいかに大きな交通の障壁になるのかを実感するし、開発援助として橋が建設される理由もよくわかる。しかし年明けに橋が破壊されてもうすぐ1年が経つわけで、これが直ったところでまたサイクロンで破壊されてしまう気がしてならない。

テテは街の真ん中にザンベジ川が通っていて、その両岸に街が発展している。西側は植民地時代に発展した地区で、東側が現在開発中の地域だ。ザンベジ川の河川敷には農地があるけれど、川の水位が上流にあるダムによってコントロールされており、このダムの放水によって農地が氾濫することがしばしばあるそう。自分が行った時もトウモロコシを育てているような土地が水浸しになっているのを見た。なんともいたたまれない。

 

テテもムワティゼ同様死ぬほど暑い。少し歩くだけで体中から滝のように汗が噴き出て水分が失われていくのを感じる。ムワティゼとの違いは、こちらはしっかりとした街なのである程度気温の低い屋内施設が存在すること。今風のカフェに入って体をリセットする。

ザンベジ川西岸を歩く。通りに並ぶ古びた3階建てほどのビルからはなんとなくブラジルのポルトアレグレの風景を思い出す。比較的大きな街だけれど、特段これと言って面白味のある風景が広がっている、というわけでもない。ということでシャパに乗って東岸に向かう。東岸には比較的新しいショッピングモールがあるとのことでそこをまずは目指して向かってみる。西岸は比較的狭めの地区に3-4階建てのビルが集合したような形で発展している一方で、東岸は1本のメインロードを起点に1階建ての建物が低密度で広がっていて、メインロード沿いにショッピングモールなどの大きな店舗が建っている。ショッピングモール自体の規模はまあまあ大きいのだけれど、入っている店舗はショップライトという大型のスーパーマーケットといくつかのローカルのアパレル店舗、残りは空のテナントといった感じで平日なのを差し引いてもなんとも寂しい雰囲気。だだっ広い駐車場と隣にあるケンタッキーは、なんとなくアメリカやオーストラリアの地方の小さなショッピングモールを想起させる。

ショッピングモールの隣にはヨーロッパ、特に東欧でよく見たSPARがあり、ヨーロッパが懐かしくなる。すっかりアフリカに慣れきってしまったけれど、今ヨーロッパを旅行したらどういう感想を抱くだろうか。

 

特段映えるような景色があるわけでもないムワティゼ・テテではあったけれど、それでも文化的にも地理的にもかなり面白い、歩き甲斐のある地域だったように思う。それゆえに猛暑で歩くモチベーションをことごとくそがれたのが残念ではあったけれど。

いよいよモザンビークの首都、マプトへと飛び立つ。マプトはモザンビークの最南端に位置するので、もうここまでくるといよいよゴール目前だ。

アフリカ旅行記-マラウイ~モザンビーク

マラウイの次の目的地はモザンビークモザンビークに行くのも友達がいるからなのだけれど、裏を返せば友達がいなければ行っていない国の一つ。

事実マラウイモザンビークというルートは観光地的に、ビクトリアの滝やナミブ砂漠などに比べると面白味に欠けることもあって、旅人の王道ルートからは外れる。そのため情報が笑っちゃうくらい少ない。

日本人がモザンビークに入る場合はビザが必要で、モザンビークのオフィシャルな情報だと、「出国先に大使館がある場合は事前にビザを取得すること、ない場合はアライバルビザも可能」という風に書いてあって、マラウイには大使館があるので、事前にビザを取得する必要がありそうだ。

数年前の情報だと、在マラウイモザンビーク大使館では申請当日もしくは翌日にビザが発行されるということが書いてあったので、翌日に発行されるていでビザの申請をしにリロングウェにある大使館に向かう。

リロングウェの宿代>ムチンジ・リロングウェの往復+ムチンジの宿代だったので、この日は荷物はムチンジに置いて、あらかじめ印刷した必要書類とパスポートのみをもってリロングウェに向かうことにした。

リロングウェにあるモザンビーク大使館の場所を調べると、大使館の場所はすぐに出てくるのだけれど、Google mapの口コミに「ここは昔の場所で大使館は移転した」と書いてある。が、事前にマラウイ在住のモザンビーク人に聞いたら「ここが正しい場所だから問題ない」と念を押されたのでそこに向かう。

地図に示されたArea40という地域まで歩き、ピンを建てた場所に来たが、それらしき建物はない。仕方ないので近くにいた警備員に聞くと、「昔までは大使館だったけれど、今は別の場所に移転した」と。移転した場所はそこからさらに3キロほど北に行ったArea43という場所にあるらしく、仕方なくバイクタクシーを捕まえて正しい場所に行ってみる。

近づいてくると、モザンビーク大使館(正確には領事館のような感じ)の文字が見えてきたので、案内板に従ってバイクタクシーを誘導する。Area43には小綺麗な家が立ち並び、そこには「〇〇国大使の家」などと書かれている。どうやらそういった偉い人が住むエリアのようで、そういった立派な家以外ほぼ何もない。

目的の大使館に着き、バイクを降り、門のところで受付を済ませて中に入ろうとすると守衛に「半ズボンじゃ入っちゃいけないよ!」と呼び止められた。これに関しては完全に自分の不手際だった。実際前日に「ドレスコードとかあるかな」と一瞬頭をよぎったものの、「いや、長ズボンは暑いよな」と思って半ズボンにした経緯があったので、完全に自分のせいだ。

せっかくリロングウェに来たのに大使館に入れずに帰るのは勿体なさ過ぎるので、周りで長ズボンを買ってもう一度入ろう、と気を取り直す。Google Mapを開いて洋服屋を探す。が、見ての通り周りは豪邸ばかりで洋服屋なんて全くなさそうで、1.5キロほど戻ったところにあるスーパーに売っていることに賭けるしかない。相変わらず焼き付けるような暑さだったのでバイクタクシーを使いたいところだが、財布を取り出して中を見て唖然とする。4000クワチャ(3ドル弱)しか入っていない。これじゃあそもそもズボンを買えるかどうかも怪しい。銀行ATMはさらに離れて4キロほど歩かないとなさそうだ。立て続けに色々なことが裏目に出てしまって思わず大きなため息が出るけれど、とりあえず歩いてスーパーまで戻り、もしズボンが売ってたらとりあえず買って大使館まで歩いて戻ることにする。

25分ほど歩いてスーパーに着く。道中「ズボン落ちてないかなぁ」とか本気で考えながら歩いていたけれど、ついぞ道端に落ちているズボンは発見できずにスーパーまで来てしまった。スーパーを見渡しても長ズボンはなかったが、スーパーから出たらズボンを手売りしている商人がいた。値切り交渉の末2500クワチャでゲット。とりあえずこれで大使館には入れそうなので、気を取り直してモザンビーク大使館に再突撃。

 

無事大使館に入れたので、「観光ビザの申請をしたいのだけれど」と伝える。必要な書類を伝えられたのでそれを一通り渡したうえで、「いつ頃発行されるの?」と聞くと、「早ければ1週間、普通なら2週間、一番遅くて3週間。あなた25日の国内線のフライトもってるけど、これには間に合わないわよ」とあっさり言われてしまった。

数年前の情報だと当日または翌日発行と聞いていたので、「Expressみたいなのないの?」と聞くと、どうやら廃止されて、今は書類を全部モザンビーク本国に送って照会しないとビザが降りないことになっているらしく、領事権限でのビザ発行とかはできないらしい。

6日後のモザンビーク国内線のフライトを予約していたので、だいぶ困った。ダメもとで「アライバルビザはないの?」と聞いてみると、「国境に行ってビザを取れなかったとしてもそれはあなたの自己責任です」という、答えになってそうでなっていないような答えが返ってきた。正直「無理です」ときっぱり言われると思っていたので、そこで煮え切らない回答が返ってくるのであればこれは行けるんじゃないか、と思い、気を取り直して国境に行くことにする。

 

というわけで後日、国境に向かう。マラウイからモザンビークに入ることが出来る国境はいくつかあるのだけれど、自分が今回目指すテテというモザンビーク中西部の都市に入るボーダーはDedzaボーダーかZobueボーダー。どっちの国境にしてもアライバルビザを発行している確証はなかったので、より距離の近いDedzaボーダーに行くことにした。

リロングウェからDedzaまでは大体バスで2時間ほど。料金は8000クワチャほどでもう少し安くなる気もしたけれど、クワチャを残しても仕方なかったので言われた通り支払う。Dedzaの街からボーダーオフィスまでは2キロ弱なので歩けないこともない距離だけれど、あまり時間を使いたくなかったこともあってバイクタクシーで。

Dedzaのボーダーは近いうちにマラウイモザンビークの共同出資で1つのオフィスにまとめられるらしい、というニュースを見たのだけれど自分が行ったときはまだオフィスは別々だった。マラウイ側の出国は出国カードのようなものを書いて完了、のはずが「PCR検査を受けてないと出国できない」と審査官に言われる。そんなわけなかろうと思って調べるとやはりそんなことはなかったので、後ろに並んでた人に「PCRの陰性証明必要らしいんですけど持ってますか?」と聞いたり、審査官に「日本大使館に電話しますね」というと、苦い顔をしながらスタンプを押してくれた。賄賂のための簡単なウソなんてすぐにばれるし、向こうとしてもウソを押し通すリスクは高いのでこっちが毅然とした態度でやりあえば払わずに済むのだけれど、それでも賄賂が横行しているのは払う人がそれなりにいるからなのだろう。

 

マラウイでの思い出に泥を塗るような賄賂請求をかわしてモザンビークのボーダーオフィスに入る。「ビザは持っているか」と聞かれたので「持ってないから観光ビザを取りたい」と伝えると、「パスポートを見せろ」と言われる。正直ここで断られていない以上「これは行ける!」と感じた。

言われた通りにパスポートを渡し、ついでに大使館に行ったときに申請に必要な書類と言われていた宿の予約証明書、銀行の残高証明書、パスポート用の写真、モザンビークからの出国手段を明記した書類を渡す。ただ、「証明写真は後で取るからいらないよ」と言われたり、残高証明書を渡したときに「こんなものまで持ってきたのか、用意周到だねぇ」と言われたりしたので、アライバルビザの申請時の必要書類はどうやら大使館でのそれよりも緩いっぽい。

しばらく待っていてと言われたのでオフィスの中で待つ。入国審査のボスはどうやら親日っぽい感じで、いろいろと日本についての質問をされたりで嫌な感じはせず、会話をしながら時間が過ぎるのを待つ。1時間ほどして、入国に必要なカードを配られ、それを言われた通り記入する。そしてその後証明写真をオフィスの小部屋で撮ってもらい、ビザの印刷を待つ。

写真を撮った後さらに30分ほど待つと再び呼ばれ、ビザ料金の支払いを済ませる。ビザはどうやらダブルエントリーで30日間有効のもので50ドル。聞いていた感じ100ドルくらいかと思っていたので、思ったより安い。てかダブルエントリービザなんてモザンビークにあったのか。最後にしっかりと入国スタンプを押され、"Mr. Ken, Welcome to Mozambique"とボスに言われる。この度一番の難関だと思っていた国に無事入国出来、肩の荷が下りる。

そんなこんなで、59か国目、モザンビークに入国。