備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

アフリカ旅行記-マラウイ②

リロングウェでバスを降りた後、ムチンジ行きのミニバスを探す。現地のマラウイ人に事前にムチンジ行きのバスがどこに止まっているかをピンポイントで教えてもらっていて、そこに行ったら本当にムチンジ行きが止まっていた。その場所はバスターミナルからも、ミニバスのステーションからも少し離れたところにあったので聞かなかったらかなり苦戦したかもしれない。

乗車後程なくして満席になり出発。この調子だと9時ごろにはムチンジにつきそうだ。どうやら乗客全員がムチンジに行くようで、どこかで停車することもなく、2時間ほどでムチンジに着いた。ここに数か月前にオランダでバイバイした友達がいると思うと感慨深い。

降りて10分ほどしたら友達が迎えに来てくれた。不思議なもので感慨深いのだけれどお互いまるで1週間ぶりに会ったかのようなテンションだった。友達が朝食付き1泊6ドルという破格のロッジをすでにアレンジしてくれていたのでチェックインを済ませてシャワーを浴びる。水しか出ないけれど、今はむしろそれが気持ちいい。汗と脂を落としたのち、ベッドで横になって昼まで過ごす。

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この日のムチンジは雲一つない快晴かつ風がそこそこある絶好の洗濯日和だったので、溜まっていた洗濯ものを手洗いする。ムチンジ、というかアフリカは概して日差しが強く、文字通り日「焼け」するし、「じりじり」という擬音がよく似合う。本当に焼けるように熱い。現地の人によると今は乾季で、こんな感じの雲一つない快晴が毎日続いているのだという。そして10月の終わりから11月にかけて、小雨季のようなものがやってくるらしい。

 

服を洗って干し、昼ご飯を友達と食べるべく街に出る。ムチンジの第一印象は、カメルーンに滞在していた時に滞在期間の半分を過ごしたNtuiという街にサイズ感も雰囲気も非常に似てるな、といった感じだった。ただ銀行や国際的なNGOのローカルオフィスがあったりする点でこっちの方が気持ち発展しているような気がする。

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夕方エアロビクスがあるから来ないか、と友人に誘われたので、一旦宿に戻って休んでから夕方再び宿の外に出る。メインの舗装されている道路ではなく、裏の未舗装の道路を通ったほうが近道だったので、そっちの道を歩く。何日も雨が降っていないからか、道路には粒子の細かい砂が積もっていて、歩くたびに舞い上がる砂のせいで足首より上が砂色になっていく。

歩いていると、小さい子供が裸足で歩いたんだろうな、という足跡がある。よくよく考えてみると地面に残る人の足跡というのは今どきなかなか見ない。これだけ砂が積もっていてなおかつ人通りがすくないからこそ残っていた足跡で、そこからはそこはかとない生命力と力強さのようなものを感じる。少し前にケニアで子どもたちとサッカーをするときに、当然みんな裸足だったので自分も平等にプレーしようと裸足になったのだけれど、整備されているわけでもない砂利のグラウンドでプレーするのは結構痛くて、でもものすごく「生きてる」というのを実感したのを思い出した。

砂だらけの道を20分ほど歩いてエアロビクスの会場に着く。エアロビクスは思ったよりハードだったのだけれど、それよりもマラウイの農村部まではるばる来て一番最初にやったのがエアロビクスというのを客観視すると面白いことこの上なかった。

 

翌日、友人のフィールドワークについていくことにした。フィールドワークはムチンジの中心地から少し離れた集落でやるとのことで、集落がどんな感じなのかを見るのは楽しみだ。

バイクに乗って40分ほど、途中道路が未舗装になり、両脇畑しかないような道を通り抜けて集落にたどり着いた。集落は5-10軒ほどのレンガとかやぶき屋根の家、家畜小屋などからなっていて、かなり整然としている印象だった。そして目的の集落につくまでの道中にもこういった集落が点在していた。幹線道路からかなり外れたところにも、そこだけで生活が完結しそうな集落がそこそこ存在する。これはカメルーンで滞在していた村とはだいぶ違う。

カメルーンで滞在していた村は、村から少し離れると幹線道路沿いにしかそういった集落は存在せず、幹線道路から1本小道にはいったりするともうそこには限界集落のようなものしか存在しなかった。まあカメルーンは村へのアクセスもこことは段違いに悪いし、村から離れた集落に住むメリットが低かったりするのかもしれないけれど、いずれにしてもこの差は面白いなと思う。

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フィールドワークが終わり、バイクで宿に帰ろうとしていると反射的に目をそむけたくなるような仮面をかぶった人が道端を歩いていた。霊媒師とか、呪術師とか、なんなのかわからないけどそんな感じ。木彫りのお面に白でペイントがなされている。観光客からお金を取るのかとおもったら、むしろ地元の人からお金を取っているらしい。ちょうどアチェベの本のなかで仮面をかぶった男の記述とかを見た後だったからこういったものを見ると少しテンションが上がる。

この日は友達づてで知り合ったマラウイ人の家に寄ってFIFAをした。FIFAもエアロビクスもマラウイじゃなくて地元・練馬区で全然出来ることなのだけれど、旅行疲れしていた身としてはこれくらいの緩さのほうがちょうどいい。

 

ということでここから数日も実にのんびりした毎日を送っていた。暇さえあれば本を読み、洗濯物が溜まったら洗濯をし、といった感じで。お気に入りのローカルレストランも見つけて、毎日通ったりで。

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何よりもこの町の雰囲気がとても好きで、頻繁に声をかけられるのだけれど悪意やからかいなどではなく、ただただ挨拶といった感じで声をかけてくれる。一般的にアフリカは都市部より田舎のほうがのんびりしていて人も良い(外国人の目線からして)印象があるのだけれど、ここも例外ではない。「チェワ語を教えてあげるよ!」「何しに来てるの?」「どこに滞在してるの?」などの普通の会話がほとんどだし、商売っ気のある会話だとしてもそれは現地の人への声かけとさほど変わらないのでストレスもない。鋭い目つきをしている老人にも、手を上げて会釈するとニコッとして返してくれる。ここまでの旅で溜まっていた疲れがだいぶ軽減されているのを感じる。

 

田舎だからなのか、街を歩いているとヤギやニワトリが至る所で生きたまま取引されているのをよく目にする。買われた後のヤギがバイクの荷台に縛られたときに挙げる悲痛な叫び声を聞くと思わず耳をふさいで目をそむけたくなってしまう。ヤギの鳴き声は他の動物以上にエモーショナルな気がする。マラウイ人はそれを聞いてもそこに視線を向けるでもなく、平然としているが、日本人的にはこういった家畜が食卓に届けられるまでの過程の最初の段階を見る機会というのは今どきなかなかないので、少し狼狽えてしまう。それを直視できないのに何食わぬ顔をして肉を食べるという自分のスタンスに少し嫌気が差してしまう。ベジタリアンやビーガンになる理由として、動物愛護の観点からなる人が揶揄されたり批判されるのをネット上でよく見るけれど、個人的には環境的な観点からよりも動物愛護的観点のほうがよっぽど共感できてしまう。まあそれでも食べるんだけど。マラウイ人の友達は「鶏とかヤギを捌くのは普通だからね。大体、野生動物と違って家畜は食べるために育てられてるんだからそりゃあ殺して食べるよ」と言っていて、生半可な自分よりもよっぽど正しいし筋が通っているなと思った。日本人が魚を捌き慣れているけど海外の人からしたら結構抵抗がある、みたいな話にも通じるのかも、とか思ったり。

 

ムチンジに来て1週間ほど経った。徐々に空に浮かぶ雲の割合が多くなってきて、時折「これは雨が降るんじゃないか」って思ったりするような灰色の雲もある。そろそろ雨季が来るかもしれないし、これはムチンジを出る頃合いか。ムチンジでは十分すぎるくらい回復したし、毎朝起きては「今日もここにステイするのでいいかな」と思ってしまうくらいには居心地が良い。けど、そろそろモザンビークに向けて出発しようかなというのを天気の微妙な差異を見て思った。良い思い出を良い思い出のまま留めておくには、去り際も大事な気がする。

 

アフリカ旅行記-マラウイ①

川を渡ってマラウイ側のボーダーオフィスへと行く。行く途中に「ビザ用の写真のコピーを取るならここでとれるよ」と若い男に言われ、値段もそこそこだったのでお願いすることにしてオフィスに行く。が、なかなかプリンターが作動しない。そしてプリンターの起動に手間取っている間に「いや待てよ、マラウイのビザって写真載ってないしコピーいらないのでは?」と思い、「やっぱ大丈夫!」と断りを入れてボーダーオフィスに向かう。

ボーダーオフィスで女性の入国審査官にビザを申請したい旨を伝えると、「なぜ電子ビザで申請しなかったのだ」と詰められる。電子ビザのシステムが陸路入国に対応してなかったり、ホストからのカバーレターが必要だったけどそんなもの用意しようがなかったり、と理由が説明ができないこともないけれど、マラウイ側は「事前に電子ビザを申請して来い」とはっきりとスタンスを示しているので向こうの言い分も尤も。

とはいえここで食い下がってはどうしようもないので、「理由はちゃんと説明できるから時間をくれ」というと、別室に連れていかれる。別室にはいかにも、な大柄の男上司が足を組んで座っていた。再び「なぜ電子ビザを申請しなかったのだ」と言われたので理由を一から説明する。そうすると「マラウイに知り合いがいないのであれば『私自身が私をホストします』と書いて自署を載せればよいだろう、なぜわからないのか」と言われて頭の中にはてなが並ぶ。賄賂を請求されるかなと思いびくびくしていたけれど、「電子ビザを今申請してくれたらここですぐ処理してビザを発行するから、とにかくまずはネットで申請してくれ」という極めて普通の指示をされて安心する。

幸いタンザニア側からのネットが使えること、パソコンを持っているので自署つきのカバーレターをすぐに作れることもあって、30分ほどで申請を済ませ、男上司に伝える。そうすると「これから昼休みだからそれが終わったら処理するからしばらく待って」と言われ、部屋を後にして固い木のベンチで横になる。こっちも昼食を食べたいところだけれど、国境の間にいる自分がありつけるご飯などありもしないので、横になって休むほかない。

1時間ほどして、ビザが承認されたという旨のメールが届き安堵する。そのメールをもって再び入国審査に行くと、「このPDFをプリントしろ」と言われる。朝からスイカ以外食べてないのでこういった些細なやり取りでもストレスが溜まる。仕方なく最初に行ったプリンターのあるオフィスに行って「これ印刷してほしいのだけれど」と頼むと、年配の職員があっさりと、しかも無料で印刷させてくれた。どうやら若い男はそこの職員を装ってお金を取ろうとしているだけだった。

紙に印刷したビザの承認確認書を提出して、晴れてマラウイ入国。

 

アフリカ縦断をする旅行者の多くは、東アフリカを回った後タンザニアからマラウイに行かずにザンビアに行く。これはビクトリアの滝や、ナミブ砂漠等、タンザニア以南の著名な観光地が徐々に西に寄っていることが主な理由だと思う。

自分が今回マラウイに行ったのは、大学院の時の友達がマラウイの小さな町でデータ集めをしているから。たったそれだけなのだけれど、やはり普段10000キロ以上離れたところにいる友達がたった1000キロ以内、それもちょっと足を延ばせば会える距離にいるなら会いに行かない選択肢はない。

ということでマラウイ側に入ったけど、びっくりするくらい道以外なんもない。これ、ミニバス拾えるのか?とか考えつつ、かといって立ち止まっても仕方がないのでとりあえず一本道を歩いていく。

10分ほど歩くと、集落とも言えないくらいの家が何件か並んだところにたどり着き、そこで何人かの男が「カロンガに行くか?」と声をかけてきた。が、今まで乗ってきたようなミニバスは見当たらない。どうやら普通の乗用車に人を集めてそれでカロンガまで行くそうだ。今回の最終目的地はムチンジというザンビアとの国境沿いにあるマラウイ南西部の町。自分が今いるのがマラウイの北端なので、まずは北部の比較的大きな都市であるカロンガまで行き、そこからムズズ、カスングとミニバスを乗り継いでムチンジまで行く予定だ。なのでカロンガまで行けるというのは悪くない。

最初4000クワチャといわれたのが2500クワチャ(400円ほど)まで下がり、感覚としてそこまで悪くないのでタンザニア側で両替したクワチャを使い、カロンガへと向かう車に乗り満員になるまで発車を待つ。待っている間に「Hey my friend!どこから来たの?日本?Oh my god, 番号交換しようよ。君は友達だから僕のために日本に帰ったらギフトを送ってよ!」と友達になった覚えもない知らない人に絡まれる。何度も書くけれど朝からスイカしか食べていないのでそんな面倒くさい相手と会話するエネルギーはさらさら残っておらず、適当にあしらってると「僕はアフリカ人、君はムズング(白人)、友達なんかじゃないよ」と言われて立ち去って行った。状況が状況なら1日くらい考えてしまいそうな言葉を浴びせられたけれど、だいぶ無茶苦茶な言い分なのでスルーする。

車はというとトヨタの普通の7人乗りの乗用車だったけれど、車内には9人が乗り込み、そしてその隙間という隙間に荷物を詰め込むという豪快さ。乗用車の助手席なら比較的広めに使えるかと思いきや、助手席と運転席の間にも人が座っていて狼狽えた。

 

カロンガまでの道中でチヌア・アチェベの『崩れゆく絆』を読む。恥ずかしながらアフリカ文学の父と呼ばれている彼の代表作を知らなかったのだけれど、これも友人の勧めで読むことに。純文学を読むのは久しぶりだったから読み切れるか不安だったけれど存外に面白くて1日で読み終えてしまった。そして当たり前と言えば当たり前なのだけれど、昔のアフリカの生活を事細かに描写しているために農業の描写が多い。そこからはIntercroppingが行われていたり、昔から雨季の始まりを読み誤って不作になってしまったりする事象があることが見て取れる。アフリカの農業に携わるものとしては伝統的な農業だったりをある程度リスペクトする必要があると思っていて、そういった知見を得るためのアフリカ文学、というのは結構新鮮な発見だったように思う。

 

1時間ほどで北部の街、カロンガへと着く。地図で見た時は街だと思ったけれど、それを街と呼んでいいのかどうか迷うくらいには小さな「街」だった。今日はここからさらにミニバスに4時間ほど乗ってマラウイ中部のムズズまで行ければ百点満点だ。この時点で15時なので全然無理な話ではない。とはいえ、マラウイの通貨であるクワチャを持っておらず、ネットも開通してないし、なにより空腹がものすごいので、それらを解決してから向かうことにする。まずは銀行へ行ってお金を手に入れる。ATMか両替か選べるのだけれど、そろそろ旅が終盤に差し掛かってきているなかで結構な額のユーロ紙幣が余っていたのでこれを両替することに。適当な銀行で50ユーロを両替すると、公的レートだと50000クワチャほどもらえるはずのところが何と64000クワチャももらえた。理由は聞かなかったけれど、アフリカではこういった紙幣からの両替のほうがレートが異常に良い、みたいなことがあるということは耳にはさんだことがある。マラウイはそんな国の1つなのかも。そして何気なく両替を担当してくれたおじさんに「ムチンジに行く予定で、今日はムズズまで行く予定なんだよね」と話すと、「ここからリロングウェまで夜行バスが出ているから、ムズズまで行くのはやめて夜行バスに乗ったほうが早く着くよ」と思わぬ情報を教えてくれた。ムズズまでミニバスで行くとその日はそこで移動をやめなければならないし、また着いてから宿を探したりもしないといけない。そしてムチンジに着くのは早くとも翌日の夜だ。夜行バスに乗れば宿の心配はいらないし、翌日の午前中には確実にムチンジについているはずだ。気持ち的には一刻も早くムチンジに着きたかったので、夜行バスを探すことにする。

カロンガからムチンジまでは何社かバスを出しているが、夜行バスを出している会社は少数で、小さなバスターミナルで夜行バスを運行している会社を見つけて値段も悪くなかったためそこのバスに乗ることを決める。

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慣れた手順でSIMカードを契約して、やっと次なる目的の食事処を探す。この時点で16時、タンザニア時間では17時なのでもう1日ほとんど何も口にしていないことになる。旅をしていると徐々に燃費が良くなっていく―少ない食事で長時間行動できるようになる―が、それでも身体がエネルギーを求めているのをかなり感じる。

すこし町を歩いてみるものの基本的にはフライドポテトばかり売っていて、これは正直食べ飽きていたので、結局バスターミナルに隣接した食堂に落ち着いた。

何も言わずに待っていると、トウモロコシから作られたシマという主食とビーフシチュー、豆の煮込み、そして野菜のプレートが出てくる。後々わかるがマラウイといえばこれ、というくらい定番のセットだ。味は特段これといって特別なこともないのだけれど美味い。そしてシマがとにかく腹に溜まるので、夕方に食べたその日初めての食事だというのに「今日はこれでいいかな」と思うくらい満腹になった。

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ご飯を食べ終わってしばらく食堂で時間をつぶしていると物乞いの人に「お金をくれ」と言われる。カロンガは田舎町といった感じで極めて牧歌的・平和な雰囲気が漂っている一方でこういった物乞いは明らかに他の国で行った街に比べて多い気がする。この日だけでも3回ほどあったし、国境近くで車に乗ってたら絡んできた人もとらえ方によったら物乞いのようなものだ。最貧国の一つともいわれるマラウイに来たから、と短絡的に結びつけたくはないけれど、いやでもそういった考えがよぎってしまう。今までの国でも物乞いは見たのだけれど、物乞いといっても少し雰囲気が異なっているように思う。

 

夜行バスに乗るために6時にはバスターミナルに居て、と言われたものの、バスターミナルにバスが来たのは7時、発車したのは8時過ぎだった。まあアフリカだとさほど珍しいことでもないのでストレスももはや溜まらない。バスは新幹線のような5列シートであることを除けば普通のバスだった。可もなく不可もなく。ただ大柄な人が多いという土地柄、自分の座れるスペースは必然的に狭くなってしまう。そしてありとあらゆる荷物が通路に置かれて、そのなかには煮干しの入った麻袋とかがあるもんだからバス内は煮干しの匂いが充満していた。

ふいに奥歯が痛み出す。虫歯とは違った痛みでこれまでにも経験したことのある痛みだけれど、多分疲労からくるものだろう。思えばこの2日間はとにかく座って移動しかしていない。どうすることもできないので眠りに就こうとする。やっと寝れたと思うと、肩を叩かれて起こされる。服装を見るに軍隊か警察で、パスポートを見せろとのこと。パスポートとマラウイのビザを見せると何かを言われるでもなく解放されるのだけれど、これが結局1回の乗車で6回ほどあり、ろくに寝れなかった。そして起こされるたびに奥歯の痛みを自覚する。

午前2時くらいに最後に起こされてからは比較的深い眠りに就け、次に起きた時にはリロングウェの目前、太陽も昇っていた。幸いなことに奥歯の痛みも心なしか軽減されているように感じた。

リロングウェの街に入る。高層ビルのようなものはあまり見えず、基本的にはそこまで栄えている印象は受けない。まあマラウイ最大の都市はここからさらに200キロほど下ったブランタイアという街なので仕方ないといえば仕方ないかもしれないけれど。

急にごちゃごちゃとした雰囲気になっていき、その先にバスターミナルがある。バスターミナルというよりかはマーケットのなかにある駐車場といった感じだけれども。目的地、ムチンジまでもう一息。2日間移動してきたけれど身体も気持ちも楽になっていくのを感じる。

アフリカ旅行記-タンザニア⑤

朝4時、目覚ましを使うまでもなく目が覚める。普段の早起きは滅法苦手だけれど何か用事がある時に寝坊をしたことはほぼない。

 

宿の人が用意してくれた朝食、というかパサパサの食パンを水で流し込み、前日に手配しておいたバイクでバス停まで向かう。

乗り込んだバスは思ったより綺麗な最新のバスだった。座席の幅は狭いけど、これで移動できるなら16時間の移動も心配なさそうだ。

が、乗り込んだバスはどうやら今日目指すムベヤ行きのバスではなく、5時発のそのバスでバスターミナルまで行き、バスターミナルからは同じ会社の別のバスだと言われた。

 

同じ会社だし同じクオリティのバスなら、、と願っていたものの、バスターミナルで誘導された先にあったバスは内装だけ見るとかなり年季の入ったバスに見えた。実際はUSBポートも付いていて(しかも使用できた!)そんなに古くないのだけれど、酷な使用でかなり早い段階でガタが来たのだろうと思う。

足のスペースは40cmあるかないかとかで体勢を変えるのも難しい。おまけにフットレストが壊れていて変な位置で固定されているため、余計に足の自由度が低くなっている。

 

バスは6時を少し過ぎた時間に出発。時間はたっぷりあるし、何せ4時起きということもあるのでまずは寝る。思ったより道路が悪くないからなのか、急ブレーキ以外は特に問題なく、寝たり携帯をいじる余地があるような感じだったので、思ったよりは快適だ。

しばらく寝て、本を読んだりすると11時ごろに比較的大きな町に着く。そこで10分休憩があったので、揚げドーナツのようなものとオレンジを買って食べる。

つかの間の休憩を挟んで、バスが再び走り出す。席の狭さにも慣れてきて、思ったよりもストレスは感じない。ひたすら本を読んだり、寝たり、動画を見たりを繰り返していれば時間は過ぎる。15時に2回目の休憩。休憩の感覚的におそらくこれが最後の休憩だろうな、ということで露店の牛串を買って空腹を凌ぐ。

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そこからさらに6時間ほどバスに乗り、21時にやっと目的地ムベヤに着いた。思ったよりは疲れなかったけれど、それでもそこそこの疲労を感じる。バスターミナル近くの露店でご飯と豆のシチューを100円くらいで売っていたので食べてエネルギーを回復。食べた後は流れるようにあらかじめ調べておいた近くのモーテルのようなところに転がり込む。

転がり込んだところはごく普通のホテルの一室で小綺麗だったけれど、バスルームの扉を開けると、まずシャワーがあってその奥に和式トイレがあり、和式トイレが排水溝も兼ねているという不思議な構造だった。そしてホットシャワーは出るのだけれど、ホットシャワーの機械が漏電していて、スイッチをオンにしたまま金属の蛇口をひねろうとすると手が震えるというとんでもない仕様だった。

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ムベヤへの道中で友達が電話をかけてくれたけど電波が悪すぎて取れなかったので折り返す。一人旅だと無性に話したくなる時があるので、こうやって電話が気軽にできるのはありがたいなと思ったりする。

 

次の日、朝8時ごろにチェックアウトを済ませ、国境沿いの街であるイピンダを目指す。宿の人に手伝ってもらってバスターミナルの中からイピンダ行きのミニバスを探しだして乗り込む。今回も明らかに4人掛け(3人分のシート+補助席)のシートに5人が乗るぎゅうぎゅう詰めのスタイル。途中謎に車の乗り換えをさせられたが、2時間半ほどでイピンダからさらに国境沿いに行ったカスムルという村に着いた。ここまで来ればバイクも使わずに徒歩で国境まで行けそう。おびただしい数の客引きを振り払って歩き出す。

朝から何も食べてないので、国境沿いで何か店を見つけて空腹を満たしたい、と思っていたところでスイカ売りの露店があったので、1/6カットほどのスイカをいただく。いくらかわからずに5000シリング札(300円)を渡すと「おつりがないよ…」とぼそっと言われたので、1000シリングを渡すと、500シリングが返ってきた。なんと30円でこのスイカである。味もめちゃくちゃ甘くて、「こんなのが30円で食べられてしまっていいのか…!」となる。アフリカの果物は品質維持とかの問題で日本にはなかなか回ってこないけれど、現地で食べるとやはりものすごくおいしい。

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15分ほど歩いて国境に着いた。川が国境になっていて、これを渡ればマラウイだ。いわれるがままにタンザニアのボーダーオフィスで出国手続きを済ませて川を渡る。

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陸路で国境を越えるとき、国境を越えてガラッと雰囲気が変わるような場合もあれば、国境が単なる記号でしかないような場合もあるが、今回は後者な気がする。ボーダーオフィスを超えてもなお橋の下では農作業が繰り広げられているし、現地の人は特に手続きなしに行き来が出来る様だ。

今まで行った中だと、例えばオーストリアからスロバキアに入ると露骨に工場や団地が多くなり、国境を越えたと共に全く別の国に入ったことを実感したりした。国境一つを取っても面白いなと思う。

 

川を渡って、58か国目、マラウイへ。

アフリカ旅行記-タンザニア④

ザンジバル島を後にしてダルエスサラームに来た。

久しぶりに見る近代的な高層ビル思えばモンバサもモシもアルーシャも、比較的大きい都市とは言え都会とは少し違った街だったのでちょっとテンションが上がる。自分でいうのもあれだけど、ある程度都会で育っていると都会に安心感を覚えるものだ。

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ダルエスサラームでは特に何かをやるわけではなく、マラウイに向かうための中継地点だ。とりあえず火曜発のTAZARAというタンザニアザンビアを結ぶ電車のチケットを予約しに行く。日本ではタンザン鉄道という名称で知られている鉄道だ。これでムベヤというマラウイの国境にある程度近い街まで行って、そこからマラウイを目指す予定。

「明日のファーストクラス、ムベヤまでのチケットを1枚」と伝える。「明日は満席だ」と言われる。「セカンドクラスは?」と聞くと、「明日はない、金曜日まで待て」と。

金曜まで待つという選択肢はない。この瞬間にバス移動が確定し、心が折れた音がした。サファリ・ザンジバルなどの刹那的な楽しさはあったものの、モシで騙されて警察署に行ったあたりから徐々に狂い始めていた気持ちがついに折れた気がした。

一体自分は何が楽しくて、こんな旅をしているんだろうか?そんなことを思ってしまう。旅は間違いなく自分の趣味であるとは思うけれど、一人で道を突き進まないといけないというのはなかなかの苦痛が伴う。そして何よりも、旅以外の好きなことが一切できないというのもそれはそれで苦痛なんだと、改めて思う。

もちろんずっと移動し続けないといけないストレスみたいなのもある。まあこればっかりは自分で設定した旅程だから仕方がない。

 

昨日活字を久しぶりに読んで、それが旅に出たくなるようなお話で、かなり盛り返した気がしてたんだけど、いとも簡単に心が折れてしまった。2点差から1点返して「行ける!」って思ったら3点目のダメ押しを決められた、みたいな。

 

久しぶりの都市といっても高層ビルが見え、時折「ニーハオ!」と声をかけられるだけで数分も歩けばいつもの感じで慣れと飽きが来てしまう。変わったのは全体的に日焼けしてきて「タイランド!」と声をかけられる頻度が少し増えてきたくらいだ。

 

まあそうは言っても、先に進まないと落ちていくだけだし、先に進むことで見えてくる何かがあるかもしれない、そう信じてムベヤ行きのバスを購入。朝4時半出発。まじかー。

アフリカ旅行記-タンザニア③

モシでの最悪のスタートの後はというと、モシに住んでる友達と会い美味いローカル飯を見つけ、キリマンジャロコーヒーを飲み、そしてサファリツアーを満喫し、とかなりの巻き返しを図った。

 

そして今はザンジバルに来た。陸路旅を貫くならモシから鉄道でダルエスサラームへ、そしてそこからフェリーだったのだけど、今後の日程と疲労を考慮して飛行機で行くことにした。

元々旅を始めた時点ではザンジバルに行く気はあまりなかったのだけれど、あまりにも色んな人に勧められるので行くことにした。ただその代わり、ザンジバルがどんなところなのかとかは一切調べていない。

 

というわけでザンジバル空港に降り立ち、まずは中心地らしいストーンタウンを目指す。空港内にはミニバスは停まっておらず、またタクシーを見つけようとするとどうやらかなり取られそうだったので、客引きを振り切って空港外に出る。バイクタクシーを探す間もなく向こうから声をかけてくる。向こうの言い値も悪くはなかったので、バイクに乗って中心を目指す。

道中、あたりを見渡してみる。もう辺りもすっかり暗くなっているので全容がわかるわけではないけど、歩道も含めて道がしっかり舗装されている以外は今のところはタンザニアの他の街と変わらない。

が、ストーンタウンに着いた瞬間、まるで別の大陸に迷い込んだのではないかと思うような錯覚に陥った。白っぽい家が連なって出来た迷路のような路地は、北アフリカや地中海沿い、中東のそれを思い出す。アラブ諸国と交流があったという数少ないザンジバルに関する知識と景色がリンクする。

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目星をつけていたホステルのうち、よりセキュリティ等がしっかりしてそうなホステルにチェックインをする。思えば朝ごはんを食べて以降ほとんど何も口にしていなかったので、夜ご飯を食べに行く。ホステルのレセプションで「ローカルなレストランを教えてほしい」と伝えておすすめを聞いて、そこを目指す。

入るや否や見える白人旅行客の多さを見て少し後悔したが、もう空腹で他をあたる元気がなかったのでとりあえず入る。ライス、野菜、肉の王道セットを頼んだが普通のお店で頼むより2倍ほど高くて味は普通。まあなんというか、「ローカルなご飯が食べれる観光客向けのお店」だった。

レセプションの彼は「本当にローカルなお店なんて紹介しても観光客は喜ばない」と思ったのか、「ローカルのお店を教えたくない」と思ったのか、「ローカルのお店はそもそも名前とかもなかったりするから教えづらい」と思ったのか。まあいずれにせよ、美味いものは自分の嗅覚を信じて探すしかない。

 

その日はそのまま眠りにつき、次の日、豪雨の音で起きる。自分のベッドのすぐそばにエアコンがあって、これもまあうるさいのだけれど、明らかにそれとは違う雨音が外に響いている。ザンジバルに来て豪雨なんて聞いてない…。幸い通り雨だったので、1時間ほど待ってから外に出る。

 

改めて日中にザンジバルのストーンタウンを見ると、やっぱりアフリカからどこか遠くに来たような感覚に陥る。白を基調とした家と青空のコントラストは地中海や中東を想起させるし、そこにいる人々も今までとは少し違う。観光客の割合も多いし、アラブ系の顔立ちをしたタンザニア人も多い。雨が降った後で湿っぽい空気から独特の匂いがして、それでやっとアフリカにいることを思い出す。ストーンタウンをしばらく歩いてたどり着いた市場は観光客に向けたスパイスなども置いてあるものの、人口密度やそれによる喧噪、精肉店からする血なまぐささはアフリカ大陸で見てきたそれと変わらない。



ザンジバル、特にストーンタウンの周りは観光業を生業にしている人がとても多い。「ニーハオ!」という声のかけられ方も普段ならあまり気にならないけれど、「どうせこれからお金の話が始まるんだろうな」と思うとどうも返事をする気になれない。モシでの一件以来、かなりコミュニケーションに神経質になっているのもあるけれど。個人的にはただただ挨拶をしたいだけの―ルワンダカメルーンでかけられたような―「ニーハオ!」や"Chinois!"といった掛け声に関してはあまり嫌な気はしないので極力返すようにしていた。彼らは自分のことをただ珍しいから声をかけているだけで、なんて声をかければいいかわからない結果のその挨拶だと感じるから。ただ一方で、商売客に対して一律で「ニーハオ!」と声をかけるのが得策だとはどうも思えないし、面倒くさくなって無視してしまう。

 

あまりにも観光観光しているとそれはそれで疲れてしまうし、自分は別にそれを見にアフリカに来たわけではない。スパイス農園に見学に行ったときに「この島ではジンジャーティーやコーヒーにスパイスを入れるのが定番です」と言われたけれど、実際にそういったお店を探そうとすると大抵欧米の観光客向けのカフェにぶち当たるが、それは自分が探しているお店ではない。

とはいえ観光業を営んでいる人は現地の人たちで、彼らが集まる場所は絶対にあるはず、そう思って街歩きを続けていると、大きな樹の下でおじさんたちが集まっている場所にたどり着いた。

木を取り囲んでいる石造りのベンチのようなところに、油性ペンで盤を書き、ペットボトルのふたを使ってチェッカーを遊んでいた。まじまじと見ていると、向こうからしてもおじさんたちの遊びをまじまじ見てるアジア人が面白かったのか、「お前も参加しろ」といった感じで参加する。こういった場では「ニーハオ」などの声かけをされるわけでもなく、早口のスワヒリ語でまくしたてられるので、スワヒリ語が理解できない自分としては雰囲気で察する以外方法はない。けれど、こっちのほうが居心地はよい。結局チェッカーは序盤は優勢だったものの、途中から細かいルールが曖昧になって試し試しやっていたら形成を逆転され負けてしまった。ちょっと悔しかったけど、がっちり握手。

そしてその樹の横ではおじさんがコーヒーとジンジャーティーを売っていた。エスプレッソのような小さなカップだと10円、もう少し大きめの紙カップだと30円という破格の安さ。陶器で飲む方が風情があると思ったので10円のジンジャーティーを飲む。

ここでいうジンジャーティーは、ショウガをパウダーにしたものに水を注ぎ、そこに大量の砂糖を入れたもの。ショウガの辛さと砂糖の甘さが絶妙なバランスでとにかくおいしい。10円のジンジャーティーと無料のボードゲームが広がる空間では誰も自分のことを気にかけておらず、それがかえって心地が良い。

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ここからは完全に感覚をつかんだようにローカルなものを楽しめた気がする。その日の夜に見つけた露店で食べたオロジョというスープ。ライムとザンジバルのスパイスをベースにしたスープで、その中に生野菜、ジャガイモ、肉、肉団子が入っている。露店で買って、露店の前に置いてある木のベンチで並んで食べる方式。その酸味は食べたことのない味だったので一口食べて「めちゃくちゃうまい!」となる感じではないのだけれど、それでも癖になる味で、ザンジバルを離れて1週間した今もうすでにこの味が恋しくなっている。価格も120円ってお手頃。

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次の日にたどり着いたローカルな食堂で出てきた牛肉のトマトベースの煮込みは、声が出るレベルのおいしさだった。アフリカでは時折びっくりするくらい美味しいご飯が食堂とかで出てくるのが面白い。

 

最終日、ザンジバルからダルエスサラームに向かうための船に乗るまで、ストーンタウンの中心にある小さな広場で本を読みながら時間をつぶす。ここの小さな広場にもコーヒーとジンジャーティーを入れているお爺さんがいるので、今回はコーヒーをもらう。同じく10円ほど。なんてことのないコーヒーだけれど美味しい。そしてここでも例の如くだれも話しかけてこない。話しかけてくるとしたらそれはスワヒリ語だし、お金の匂いがしないただの挨拶だ。こういう場所にいると心地が良いし、少しすさんでいた心が浄化されていく。

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スパイス農園もプリズンアイランドも行ったけれど、ザンジバルで一番心地が良かったのはこういった空間だったように思う。そして観光客として扱われる頻度が高いからこそ、このコントラストのようなものがより一層心地よく感じられたのだろうなと。

アフリカ旅行記-タンザニア②サファリツアーに参加してきた

普段の旅行記とはテイストを変えて、今回はタンザニアのサファリツアーについて。

アルーシャ発の3泊4日のサファリツアーに行ってきました。

  • タンザニアのサファリツアーとは
  • サファリツアーを選ぶ
  • サファリツアー1日目:タランギレ国立公園
  • サファリツアー2日目:マサイツアー・セレンゲティ国立公園
  • サファリツアー3日目:セレンゲティ国立公園
  • サファリツアー4日目:ンゴロンゴロ保全地域
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アフリカ旅行記-タンザニア①

朝4時半にアラームで起き、身支度を済ませ、前日に頼んでおいたバイクタクシーでシャトルバスが出る場所まで連れて行ってもらう。

 

朝5時にシャトルバスに乗ってモンバサのSGRステーションを目指す。シャトルバスと言っても、いわゆるミニバスだ。寝れれば良いのだけれど、至る所にあるバンプの度にシートごと突き上げられ目が覚める。寝ては起きてを繰り返しながら、2時間弱でモンバサのSGRステーションに到着する。

 

今日の行程としては、とりあえず高速鉄道SGRで行ききた道を戻ってVoiで下車、VoiからTavetaという国境沿いの街まで行って国境を越え、そこからモシを目指す。

 

行きはエコノミーしか席が残ってなかったので仕方なくエコノミーを選んだけれど、帰りはファーストクラスが大量に余っていたのでファーストクラスを選択。今日は長丁場なので楽できるところは楽して行く。

ファーストクラスラウンジなるものもあると聞いていたけれど、単純にファーストクラスの人のみが滞在できるフロアというだけで、ドリンクや軽食もないし待合の席も普通だった。これならわざわざ3倍の値段(と言っても1000円ほど)を払わずにエコノミーにしてもよかったかもしれない。

車内もそうで、新幹線タイプなのでまあまあリラックスはできるけど、それ以上でもそれ以下でもない、と言った感じで、車両には自分含めて4人ほどしか乗っていなかった。

音楽を聞きながら本を読んでいると後ろの席に座ってる人に声をかけられる。何かを注意されるのかと思ったら「お願いがあるんだけど、髪を触らせてもらえる?」という新手のナンパのようなものだった。新手の、と書いたけど実はこういった事を言われるのはアフリカでは2,3回目なので、電車の中で言われたのにはびっくりしたけど言動に対しては慣れてきた。意味不明だけど。

 

2時間ほどでVoiに着く。ここも高速鉄道の駅舎は立派だけれど周りには例の如く何もない。ミニバスが出ているところまで歩くと結構かかりそうだったので、100シリングでトゥクトゥクに乗って中心地まで行く。

VoiからTavetaという国境沿いまでのミニバスを探し、一番人が乗っているバスに乗り込む。1時間ほど待って出発し、そこから2時間ほどでTavetaへ到着。道中車内からはゾウやキリンが見えた。Tavetaの街から国境までは5キロほど離れているので、今度はバイクタクシーに乗って国境まで連れて行ってもらう。

ということで、ここまでミニバス→鉄道→トゥクトゥク→ミニバス→バイク、と4回も乗り換えていることに。とはいえ14時半に国境に着くというのは結構順調なように思う。

国境のところには1つのオフィスがあり、そこでケニア出国とタンザニア入国の手続きを済ませられるのだけれど、タンザニアのビザをあらかじめ取得していたにもかかわらずシステムに登録されていないとかでかなり時間がかかった。今までの国境と違うのは、入り口と出口が限りなく近いので、変な話タンザニア側のスタンプをもらったままケニアに行くこともできてしまう。何のメリットもないけれど。あとは、しれっと不法入国することも可能といえば可能な気がする。それくらいぬるっとした感じで、タンザニアに入国した。

 

タンザニアは小学校の頃に親に買ってもらった世界の国々大図鑑のような本の中で一番行ってみたいと思っていた国。その気持ちが今までずっと続いていたかといわれればそんなことはないのだけれど、自分をアフリカという場所にいざなった国であることには間違いない。

 

国境を越えたタンザニア側の街はHoliliという。とはいえ国境を越えてからしばらく歩かないと街の中心にはつかないので、15分ほど歩く。そこからミニバスに乗ってモシに行く予定なのだけれど、果たしてミニバスが見つかるかはわからず。

中心地に着くと、数台のミニバスらしきものが止まっているのが見えた。「これに乗りな」と手招きされたミニバスには一人も乗っておらず、これではいつ出発するか分かったもんじゃない。その隣にあった比較的人が乗っているミニバスに乗ることに。今まで乗ってきた車の中でも5本指に入るくらいのおんぼろ車で、車内の至る所が配線むき出しになっているし、車のドアを開けるレバーすら壊れているような車だった。そんな車の中にはすでに10人ほどが乗っており、車の後部座席の方には大量の荷物が積まれている。

乗車して10分ほどで発車する。さすがに12時間近く移動していると疲れもくるので、バスのなかでウトウトするのだけれど、バンプのせいで目が覚める。長時間の移動なんて寝るくらいしかやることがないのにそれもできないといよいよやることが無くなる。

そして、途中人が乗り降りするわけでもないのに車がよく止まる。よく観察してみると、警察によって止められて荷物検査をされていた。なるほど荷物がたくさん載っている車だとこういうことにもなるのか。途中後ろの席から何か声をかけられるがスワヒリ語なのでわからないので適当に流す。わかる単語といえばMzungu(外人)という単語だけなので、まあなんとなくいい気はしない。疲労がたまっていなければもう少し会話をしようとか思うんだろうけど、今はあまり乗り気じゃない。ごめんよ声かけてくれた人。

 

18時頃、ケニアを出発して12時間後、やっと目的地のモシに着いた。見えると思っていたキリマンジャロは深い雲が覆いかぶさっていてどこにあるかさえわからない状態だけれど、とにかくその日のうちに着けたのはよかった。朝からほとんど食べていないような状態だったので、バスターミナル前に会ったバーベキューグリルのローカル食堂でチキンを頼んで食べることに。変なおじさんに声をかけられるがとりあえず無視して食べる。

チキンは少しパサついていたけれど、それでも空腹だったのもあってかなり美味しかった。で、会計を済ませようといくらか聞くと、30000シリングと言われた。耳を疑った。30000シリングというと日本円で大体1900円ほど。ローカル食堂でそんなにするわけもないので、そんなしねぇだろと抗議をするものの、これが正しい値段だとの一点張り。何度もやり取りをしたが、疲れていたのもあって、もう議論するくらいなら胸糞悪いけど払って出てきた方がと思って机に30000シリングを叩きつけて外に出る。

ぼったくられたのは明らかだけど、今は宿に着いて休みたい。目星をつけていた宿に着いてチェックインを済ませた後に、「これに30000シリング払えって言われたんだけど、どう思う?」って聞いたら「そんなのありえない!お金を返してもらうべきよ」と言われた。ローカル食堂なのでレシートとかいう概念もないし、返金してくれないだろうなとは思うものの、疲れによって抑圧されていた怒りが再びふつふつと湧いてきた。

というわけで荷物を宿において再び先ほどの食堂に向かって、対応した店員を見つけ「お前さっきの値段絶対嘘だろ、金返せよ」と言う。が、スワヒリ語が通じないので近くで暇をしていたトゥクトゥクのドライバーに頼んで翻訳してもらう。店員は「これが正しい値段だ」の一点張り。

らちが明かないので、事情を知らない他の店員を捕まえて「チキンとポテトでいくらか」と聞くと「7000シリングだ」と言われる。言質を取ったうえでもう一度店員に言うと「お前と一緒に来たやつがいるだろ、そいつの分も合わせて30000シリングだ」と言い分をしれっと変えてきた。これ以上言い合いしてもらちが明かないし、周りに人がたくさん集まってきたので、警察署に行って話し合うことに。警察署に行って話し合ったところで何も変わらないだろ、とは内心思ったけれどわずかな希望を残して警察署に向かう。

薄暗い警察署の中には老若男女いろんな人が足繫く出入りしていた。カウンターの向こうにある南京錠付きの鉄扉が時折開くと、その先には檻のようなものも見える。なるほど、なにかあったらとりあえずここに拘留されるのか。自分たちの番が回ってくる。警察に対して双方言い分を伝える。向こうがスワヒリで何を伝えたのかわからないが、こっちはこっちで英語で説明をする。ヨーロッパや日本の感じだと「そういうのは当事者同士で解決してくれ」と言われそうなところだが、意外にも警察は「何も知らない外国人に対して、7000シリングのものに30000シリング請求した店員が悪いだろ、ちゃんと返金しろ」と自分の味方をしてくれた。まあ向こうに非があるのは間違いないけれど、ここまで警察がはっきり言ってくれるとは思っていなかった。結局向こうもお金を持っていないだとかなんだとかで、10000シリングを返してもらうというので折れることに。これ以上は議論してもらちがあかなさそうだったし、何よりもう時刻は22時を回っていた。

返してもらった10000シリングのうち、5000シリングをトゥクトゥクのおじさんに謝礼として渡す。彼がいなかったらそもそもこのお金は帰ってこなかった気がする。そうすると「ありがとう、宿までおくってあげるよ」と言われたので、ありがたく送ってもらうことにする。

宿に着くと、「5000シリングだ」と相場の5倍の値段を要求される。いやいや、さっき5000シリングあげてこれで5000シリング渡したら俺の返してもらったお金なくなるじゃん、というと「俺はお前のためにかなり長い時間待ってたんだぞ」と言われる。勘弁してくれよ、と思いとりあえず相場の1000シリングだけ渡してそそくさと宿に逃げ込む。

とにもかくにも鬼のように疲弊した1日だった。ここまでのタンザニアの印象ははっきり言って最悪。騙すやつ、1円でも多く金をせびろうとするやつ、に当たりすぎた気がする。

 

次の日、朝起きて朝食を宿で取り部屋に戻ると、オーナーに「あなたを迎えに来たっていってるトゥクトゥクがいるんだけれど」と言われる。窓から外を見ると昨日のトゥクトゥクだった。配車頼んでないんですけど。外に出たら昨日のやり取りの続きをするんだろうな、と思うので「寝てることにしておいてくれ」と伝える。が、待てど待てどその彼は帰らない。3時間ほどして外を見ると、さすがにあきらめたのか彼の姿はなかった。タンザニア2日目も疲労の溜まるスタートである。

こういうストレスが溜まると胃に負担がくる傾向があるのだけれど、今回も胃が痛い。これサファリ大丈夫かな、そんなことを考えるけど、とにかく一刻も早くサファリに参加して次の街アルーシャに向かいたい、そんなことを考える。