備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

アムリトサル

アムリトサルへ着いた。

シク教の聖地である。シク教といえばターバンを巻いた人たちのこと。👳🏾‍♂️はここアムリトサルにかなりの数居住している。というかバラナシでもコルカタでもこう行ったターバン巻いてる人たちはほとんど見かけなかった。

なぜアムリトサルに来たか?それは1つはこのシク教に多少なりとも興味を抱いていたからだ。宗教の規模の大小に関わらず、一つの宗教の聖地になっているというだけで興味深い。そしてシク教の聖地があるが故に、宗教からみたここの人口構成も一般的なインドのそれとは異なっている。さらにデンマークで一度シク教の寺院に訪問したことがある、というのも一つ。

もう一つは、ここアムリトサルの近くには印パ国境の中で唯一陸路で抜けられる場所がある(ワガ・アターリー国境)。パキスタンに行くわけではないが、ここワガ国境では、なぜか盛大な国境閉鎖パレードが行われているのである。こういうのが大好物な人間なのでアムリトサルに行かない理由はない。

 


というわけでアムリトサルに着いたのが朝5時。何もリサーチしていないが、空港の外に出るとFree Busの文字が。どうやらシク教の聖地、黄金寺院まで無料のバスを走らせているらしい。「タダほど高いものはない、それもインドで。ただしアムリトサルは除く」と言った感じで、アムリトサルのタダは割と信用な値する。シク教カーストを完全否定しているからか、寺院で無料のご飯、お菓子、さらには宿までを、見た目や宗教に関係なく提供しているのだ。そんなうまい話があるかという気もするが、これが本当に無料だから驚く。今回のバスもなんてことなく無料だった。

 


黄金寺院に入ると、そこでは何か聖句のようなものを唱えてる人、祈る人、聖なる水を飲むために列をなす人、沐浴する人など早朝なのにとにかく人が多かった。爆音でエキゾチックな音楽が流れ、大型ビジョンには聖句がひたすら映されている。やはり聖地は他教徒であっても畏敬の念を抱かざるを得ないような力強さを感じさせてくれる。イスラエルで感じた感情と似ている。

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本当はここで思召しを頂きたかったが、あいにくの腹の調子なので我慢して胃に優しそうなものを食べることに。胃の状態が格段と良くなっている以上ここで無理するわけにはいかない。

ご飯を食べた後は宿に直行しアーリーチェックインを使って10時ごろにチェックインし、シャワーを浴びて一休みすることにした。

午後は例のワガ国境に行くことに。旅の道中に会ったインド人には「カシミールの揉め事のせいでもうパレードはやってないよ」と言われたものの、この国では自分を信じるしかない。ワガ国境まではシェアのタクシーまたはオートリキシャで行くことになり、14時半くらいに黄金寺院付近を出発する。14時くらいに黄金寺院周りをうろついてると、立て続けに「Border?」と声をかけられ、ツアーをやってるということを確信した。一番最初に声をかけてくれたシェアタクシーに乗り込んで、いざ国境へ。

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着いた頃には通り雨みたいな大粒の雨が降っていたが、皆気にせずに国境へ向かう。おかしな話なのだが、この国境のセレモニーのためにスタジアムのようなものがインド側、パキスタン側に設置されているのだ。

セレモニーが正式に始まるまでは、軍人が観衆を煽り、音楽に合わせてその場で集まったであろう若い女性達が踊っている。

セレモニーが始まると兵隊達がドラムの音に合わせて階段からおりてきて、観客は軍人とコールアンドレスポンスを行う。この時点で観客のボルテージは最高潮である。

そしてパキスタン側の兵隊と息のあった威嚇を行い、全兵隊がそれぞれのパフォーマンスを終えると、一番偉いであろう印パの兵士ががっちりと握手をし、国境が閉ざされる。

こう淡々と書いているが、この旅で一番テンションが上がったのはこの瞬間だと思う。サッカー観戦やライブと同じで、この臨場感は行かないと伝わらないと思う。なので少しでも興味を持ったら行くのが早い。

 

 

 


国境から帰ってきた後は夕食を食べて、ふたたび黄金寺院へ向かった。早朝よりシク教徒の割合が少なかったが、夜の黄金寺院は想像を絶する綺麗で、聖地にふさわしいオーラを放っていた。

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そこから下痢止めの薬を買い足して、宿への帰路へ着いた。そしてここで翌日からの予定を決める必要があった。

この日を入れてのこり4日。ここからデリーに戻ってタージマハルを見に行くか、さらに北へ行ってチベット亡命政府のあるマクロードガンジに向かうか、で揺れていた。無難なのは前者だが、後者の方が奥深さはある。結局リスクとかそんなものは置いておいて、より興味のある後者を取ることにした。

 

 

 

アムリトサルという街

たった24時間強のステイでは街のことなどわからないとは思うが、アムリトサルコルカタやバラナシに比べれば随分と洗練されていたように思う。黄金寺院の周りはインドらしからぬ建物だったし、普通の通りでもカオスさはそこまでない。

 人柄に関しては、インドとは思えないほどおしとやか、という話を聞いていたけれど、ここに関してはうーんという感じ。というかインドだけでなく世界中どこでも、良い人はいるし悪い人もまたいるということを再認識させられた。

乗ったリキシャでは二台立て続けに乗った後に値段を倍にするというせこい真似をしてくると思えば、次に乗ったリキシャのおじさんには言い値を払っただけなのに感謝のハグまでされたり。

全く知らないクソガキに水風船を後ろからぶつけられたと思えば、入った薬局のおじさんが「君は外国人だよね?そしたらディスカウントしてあげる」と2割引で薬を売ってくれたり。

どうしようもない卑しい人もいれば、聖人のように優しい人もたくさんいる。ただインドでは、そのどうしようもない人間がどうしようもなさを思いっきり発揮して悪目立ちするから、インド人はウザいと言われるのだろうな、と。逆に日本人と言えば値段を倍にしてくるリキシャを見て腹が立ったが、これもまた彼が今までに乗せた旅行者の態度が悪かった可能性もある、と思うと、、

そんな風に自戒した、アムリトサルでの1日だった。