備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

サンパウロでの記憶

観光の話とサッカーの話と。

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日曜日のサンパウロ

2日目の最初はサッカーミュージアムから。ここは3年前も訪れたけれど、何回訪れてもいいようなミュージアム。サッカー好きにはたまらない。

ブラジルの歴代のトッププレーヤーの功績やワールドカップ、サッカーの歴史などなどが展示されている。そんな中でもひときわ目立つのはペレ崇拝。ブラジルサッカー界、いやサッカー史を見た時にそれなりに長い時期彼の時代があったので当然といえば当然ではあるけど。

彼が国の英雄になったのは17歳でブラジルに初のワールドカップ優勝をもたらした時。そのエピソードを見るたびに久保建英にもそうなって欲しかったと思ったりする。

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サッカーミュージアムを後にして、次に向かうのはヘプブリカ広場。

サンパウロの日曜日は他の曜日とは毛色が違う。ヨーロッパ、いやキリスト教の国では大体そうだけれど、サンパウロはそれとも違う。

ヘプブリカやリベルダージの広場では蚤の市が開かれ、ハンドメイドの土産物や日用品が露店で売られている。普段はそんなに治安が良くないヘプブリカも、この日は盛況していて広場に関しては危険な雰囲気は感じなかった。

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ヘプブリカの露店を見て回ったあとはリベルダージの方の蚤の市へ。リベルダージといえば日系コミュニティの中心地。今は中国人とかが増えてきたらしいがそれでも日系人、日本人が多いのには変わりなく、蚤の市では日本にゆかりのあるものが多数売られていた。

しかしここサンパウロでの、明らかに顔は日本人に見える同年代くらいの日系ブラジル人たち同士がポルトガル語でコミュニケーションを取ってるのを見るとなんとなく不思議な気分になる。アイデンティティが揺らぐような感覚。

 

そんなリベルダージのすき家で牛丼を食べたあとは、セントロ地区のセー広場へ。

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日曜日のセントロは人が少ないから危ない、という話を聞いていたので街歩きなどはせず、観光はカテドラル・メトロポリターナにタクシーで行くのみに留めた。

タクシーで近づくや否や、ただならぬ雰囲気を感じる。広場にいるほとんどの人は浮浪者で、炊き出しにぞろぞろと集まるか、路上で寝てるか、近づいてきてポルトガル語で何やら捲し立てられるか。幸い警察が監視しているので今すぐにそこで何かされる、ということはないが、セー広場を徒歩で離れたらどうなるかはわからない。カテドラル・メトロポリターナをサクッと観光して、タクシーですぐにセー広場を後にした。

 

一旦宿に戻った後、サンパウロのショッピング街であるオスカル・フレイレ通り(清水にいそうな名前だよね)へ。

セントロの後に見るとギャップがすごくて、ここは表参道か、って感じでおしゃれなショップが並んでる。

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綺麗は綺麗だけど、おしゃれな場所とはすなわち自分にはあまり用のない場所。一通り歩いた後はパウリスタへ。ここに来れば何かしらがある。

普段はビジネス街なパウリスタは、日曜日は歩行者天国になるらしく、2キロにわたるサンパウロ最大級の大通りではそこら中でストリートミュージシャンによる演奏やパフォーマーによるダンス、大道芸が繰り広げられ、こういった場所におきまりの露天商からガラナを買い、それを飲みながらパフォーマンスを楽しんだ。

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あらためて、サンパウロという街の、ブラジルという国のエネルギッシュさ、陽気さに魅了され、ブラジルに住みたいという願望が再燃した。

 

平日のセントロの熱気

暗澹たる雰囲気を感じた日曜日とはうってかわって、月曜日のセントロ地区は熱気にあふれていた。

試合当日、やることもなくゴロゴロしたり買い物をしたりしていたけれど、やはりもう一度、セントロ地区へ行ってみたかったので、セーの隣の駅であるサンベントから、セーの方まで歩いてみることにした。

駅を出るや否や、通りは商人や観光客、地元民、ビジネスマンで賑わっていた。

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昨日閑散としていたところも店が開いてるとこんなに雰囲気が違うものかと。

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写真を撮る気にはやはりならなかったが、セーの広場も活気に満ち溢れていた。

昨日感じた雰囲気は、家を持たない労働者たちが安息日ということであるべき日曜日の過ごし方を行なっていたに過ぎないのかもしれないな、と少し反省した。

 

チリ戦

分かってはいたけれど、スタジアムに向かう道には圧倒的にチリ人の割合が高い。しかしこれは日本人と比べて、ではなくブラジル人と比べても、である。

ただし道中では写真をせがまれたり「コンニチハ〜」と声をかけられたり、と牧歌的な雰囲気。ただコパアメリカという本気の舞台でのこのサポーターの振る舞いは裏を返せばなめられてる、日本には勝つだろう、そう思ってるんだろうな、と思うとむしろ悔しい。

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スタジアムに近づくにつれてチリ人は自然発生的に馴染みのあるチャントを繰り返し、スタジアムに入っても圧倒的アウェイになることは想像に難くない。

道中たまたま会った日本人の知り合いなどと合流していき、自然と集まった日本人で、3回のゴール真裏に集まることに。

周りをチリ人に囲まれ、巻き込む予定だったブラジル人も今回はあまりいない。

それでもブラジル人を見つけては声を掛けて日本を応援してもらうように頼み、チリの歓声が収まった途端にニッポンコールをするなどして応戦。

ブラジル人をどうやって取り込むか、は前のリオ五輪の時に色々学んだけれど、それでも結果がついて来なければどうしようもない。

チリが得点を重ねるにつれて、チリはサポーターも余裕ムード全開になるし、日本を応援していたブラジル人も徐々にスタジアムを後にしだしてしまったり。

 

0-4という結果は仕方ない。戦術云々という話もあるけれど、いくら戦術が整っていても決めるところを決めなきゃ勝てないし、逆にいえば昨日だって決めるべきところで決めてれば結果は変わっていたかもしれない。

我々サポーターが、チリ人に満面の笑みで4本指を立てられ、ビバチレのコールを歌われるのを思い出すように、きっと上田の頭の中にも前半44分の決定機はしばらく頭の中に残るんだと思う。それを糧にして、今大会中に一つ結果が出ればいいな、と。

 

仕方がないとはいえ、「これがフットボールだよ」とか言われたり、4本指を立てられたりとかするとやっぱり悔しさが増すし、日本代表におけるこの大会の位置付けを考えても、勝ちに行って欲しいと思う。次のウルグアイはこれよりももっと強いだろうけれどきっとある程度は舐めてくるはず。そこで足元を掬って、本気になったウルグアイに本気で勝ちに行って、かけがえのない経験値を得られれば、と。

 

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