ポルト・アレグレという地名を耳にしたことはあっても、どこにあるのかは知らなかったし、グレミオというチームもまた耳にしたことはあれどどこのチームなのかは知らなかった。
そんな中、ウルグアイ戦がポルト・アレグレで行われることが1月に決まり、ジャエウという選手がグレミオからFC東京に移籍してくることが決まった。
ジャエウは特徴的なパフォーマンスをする選手だったので、「これはゲーフラにしたらかっこいいな」と思い、移籍が決まった瞬間にゲーフラ作りに取りかかった。ゲーフラを小平に持って行ったらものすごく喜んでくれたので作った甲斐があるものです。
で、3月くらいからコパアメリカに行く準備を始めた時に、ポルト・アレグレこそがグレミオの本拠地であることを知った。
その時から「グレミオのホームスタジアムで試合やるならジャエウのゲーフラはとりあえず持って行こう」という考えがチラッと浮かんでいた。ジャエウがグレミオサポーターから熱烈に愛されていることはツイッターから容易に推測できたし、彼らに対して「ジャエウは日本でも愛されてるよ」というのをわかりやすく伝えたかったのと、言語によるコミュニケーションが不完全な中でそれを補完するツールとして持って行こうと思った。
ここブラジルでは基本的に英語が通じないからポルトガル語でのコミュニケーションが主流。スタジアムのような場所ならなおさら。そんな中でコミュニケーションを図ろうとした時にブラジルという国においてはサッカーというのは強力なツールで、冗談抜きでサッカーが言語となって信頼や友情が生まれうる。コリンチャンスやサンパウロのファンに"O Palmeiras não tem mundial!”(サンパウロの主要チームの中で唯一パルメイラスのみが世界一になってないことを揶揄したジョーク)を言えばそれだけで仲良くなれるような世界。
日本人がほとんどいない中で声援を届けるにブラジル人に協力してもらう他ないということは前回のリオで学んだので、自分に出来ること-多少のポルトガル語とブラジルサッカーの知識で心を開いてもらうことで、彼らに日本を応援してもらおうと思っていて、ここポルト・アレグレにおいてはジャエウは言わば最強のツールだった。
3年前のリオ五輪はサポーター有志の方々のカンパでハチマキを現地組で手分けして持ち込み、こんな感じで応援してもらったり。
ポルト・アレグレを散策する
試合当日のブラジルはキリストの聖体祭ということで国民の祝日。殆どの店が閉まり、路上で偽物のユニフォームや日用品を売る人がチラホラいる程度。町中ですれ違う人のほとんどは、やることがなく徘徊しているウルグアイ人だった。
ポルト・アレグレのあるリオ・グランジ・ド・スル州はウルグアイに隣接した州ということで、首都のモンテビデオとポルト・アレグレの距離は東京福岡程度。当日は大勢のウルグアイ人が自家用車やチャーターバスで押し寄せていた上に、この州にはもともと2万人以上のウルグアイ人が住んでいるらしい。
サンパウロでの第1戦も相当なチリ人が訪れていたが、それ以上のアウェイを覚悟した。
前試合のチリ戦で0-4で負けたせいか、ウルグアイサポーターには余裕ムードが漂っていて、"Good luck"と声をかけられたりこちらが「日本が勝つよ」と言っても鼻で笑われたり。ブラジル人の評価も厳しめで、「どう思う?」と聞かれたので「日本が勝つよ」と答えると「難しいと思うよ」と返されたり。
そんなやりとりを何回かしながら中心地をぶらぶら。サンパウロやリオの中心地に比べると幾分か平和な雰囲気で、カラフルな家が並びリオやサンパウロとはまた異なった印象を受けた。
試合会場へ
試合会場へは地下鉄かタクシーの二択だったが、試合まで時間があるのでタクシーで近くまで行くことに。
ウルグアイ人の乗った車はクラクションを鳴らしまくりながら国旗を窓から出しているのですぐわかる。
スタジアムに近づくにつれてスラムのような、明らかに低所得層が住んでいるような平屋が連なっている地域が出現した。ブラジルのファベーラは傾斜のある地域に多いイメージだったので、平地にそう言った地区が広がってるのは新鮮。雰囲気が明らかに周りとは違う。
翌日スタジアムから撮った図。治安の悪さが見て伺える。
本来は幹線道路を伝ってスタジアムに直接タクシーで向かえるのだが、この日は交通規制がかかっており途中からは進むことができない。そこで降ろしてもらっても良かったのだが、運転手の好意でスタジアムの近くまでなんとか向かってくれることに。ブラジルは親切な人が本当に多い。そしてその運転手は果敢にそのスラムに近いような地区に突入した。普段なら絶対に通れないような場所だけれどこの日に限ってはそれなりに車の交通量もあるのでそれほど危険は感じない。そうこうしている間に、スタジアムにほど近い場所で降ろされた。降ろされた場所のすぐ横に、グレミオのエンブレムの書かれた建物があった。そこにはグレミオサポーターが溜まってて、ジャエウゲーフラを出すならここしかないと思った。
布一枚での交流
タクシーを降りてそっちに向かい、早速ジャエウの布を出すと「おいおいまじかよ!ジャエウじゃん!」と複数人が騒ぎ立て、即座にジャエウコールが起こり、瞬く間に人だかりが出来た。
反応のほとんどは好意的なものだけど「なんでジャエウの旗持ってるんだよー!」って聞かれるので、こっちは必死で"Jael jogo no meu time, Toquio!"と合ってんのかどうか分からないポルトガル語で伝えると「あー!」ってなり、「写真撮ろうぜ!」と笑
向こうは英語喋れない、こっちもポルトガル語はカタコト、スペイン語は全く喋れない状態ながらがっちり肩を組み写真を撮ったり、グレミオサポーターに「こっちに来いよ!」と言われグレミオのエンブレムの書かれた建物の中に入れてもらって記念写真を撮られたり。今思えば相当数がウルグアイ人グレミオサポーターだったと思うし、一緒にいた友達は「グレミオサポーターは極右が多いから気をつけて」と言われたらしい。けれども、この瞬間に限ってはウルグアイ人とか日本人とか関係なく、1人の選手を共に応援する人同士として、言語も人種も超えて通じ合えていたと思う。そういうきっかけを作ってくれたという意味でジャエウには感謝しかない。
試合
いつまでも写真撮影やら交流を続けて居たかったものの気づいたらキックオフ1時間前。中に入って自分のブロックへ行くと複数人の日本人。どうやらある程度かたまっていたらしいので、そこで応援をすることに。3階席ながら、中立のブラジル人などが加勢してくれたおかげで、必死に日本コールやブラジルの応援歌をニッポンに変えた歌などでなんとか選手に声を届ける。
結果は三好の2ゴールで引き分け。現地で見てるとVARはシラケるのは言うまでもないけれど、それでも何度も何度もゴールを脅かされながらよく守ったと思うし、試合後にはスタジアムから拍手が。
そして試合後、帰る人と逆行してゲートから入ってくるグレミオユニフォームの人々が。「君ジャエウのフラッグ持ってるよね?」と笑 後々調べたらそれなりに話題になっていたみたいで、次の日も町中でグレミオファンに声をかけてみたら「君のフラッグの写真見たよー!」と言われたりした。
また試合後に会ったウルグアイ人やブラジル人には「すごい良いチームだったよ」「いい試合だった」などと言われ、一夜にして評価を覆した日本代表を誇らしく思った。
サッカーの醍醐味、1チームを応援する醍醐味をこれでもかというほど味わえたポルト・アレグレでの濃い2日間でした。
そしてジャエウ。今回の旅を華やかにしてくれたのは間接的に彼のお陰だし、超応援してる。「サッカーに集中しろ」ってリプライしたサポーターに「俺は俺のこと気にかけてるからお前はお前の心配をしろ」とDMを送ってブロックしたり、ゲレーロより優れたフォワードという話題で自薦するあたりのメンタルは絶対に後半戦の東京に必要だとおもうし活躍してくれると信じてます。Vai Jael!