備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

東欧旅行記#1「バニャ・ルカ紀行」

ひょんなところからバニャ・ルカという、数日前まで名前すら知らなかった都市に行くことになった。

ことの発端は、フランスに住む友達とクリスマス休暇を使ってどこか旅行しようという話をしてて、フランスからの便が軒並み高くサラエボ行きしか安い便がなかったため、サラエボから入って東欧を周遊しようということになった。

自分はケルンまで電車で行き、ケルンからサラエボまで飛行機で飛ぶ予定だった。

ただ、オミクロン株による感染拡大の影響で直前まで旅程が読めなかったこともあって、1週間前くらいまで飛行機を取らずにいると、ケルンからサラエボへの便が値上がりして100ユーロになっていた。

100ユーロでも距離を考えれば十分安いのだけれど、もっと安い方法を探すことに。

ボスニアヘルツェゴビナの国際空港はサラエボ、トゥズラ、バニャ・ルカの3つ。モスタルにも国際空港はあるが、ほとんど運行していない。この3つの空港に飛ぶ安い便を探して行くことに。しばらく探していると、オランダのアイントホーフェンからバニャ・ルカに行く飛行機を見つけた。値段なんと10ユーロ

友達が着く1日後に着く便なので、なるべく同じ日に着く他の便を選びたかったが、これ以上良い便がないことがわかったので予約した。

 

予約して間もないうちに、ある問題に気づく。それは空港までどうやって行くか。自分の住む街からアイントホーフェンの空港まで行こうとした時に始発でも飛行機に間に合わないのだ。飛行機の時間は955分なので、最低でも9時には空港に着いていたい。平日なら間に合うのだが、休日だと始発が遅いので、間に合いそうにもない。

とはいえ、これまで何度早朝の便に乗ってきたかわからないくらい早朝の便に乗ってきてるわけで、朝始発で間に合わないのであれば空港に泊まれば良い。そう思って空港のホームページを確認すると「12時から4時半の間は空港は閉まっています」

このパターンは正直想定していなかった。じゃあ24時間営業のマックとかで、って思ったものの、ロックダウンの影響で午後5時以降は店がやっていない。

ホテルを取るのも考えたが、アイントホーフェンの宿は1人向けのとこがほとんどなく高い。80ユーロとかを払ってホテルに泊まるのであれば、ケルンからサラエボに向かえばいい話である。

そうなってくると最後の手段は野宿。野宿を最後にしたのはセブの空港だと思うけど、あの時は暖かかったから何とかなった。一度ブリュッセルで寒空の下野宿をしたことがあるけど、低体温症になるかと思うほど身体が凍えたのを覚えている。しかもその時は11月、今回は12月。天候は雨。アイントホーフェンにどれくらい雨風を凌げる場所があるか、またどれくらい安全なのかも見当がつかないので、正直この時期の野宿はリスキーだ。

野宿をするのであれば、

・極力遅くまで電車に乗ってる(終電は2時半に着くらしい)

・身体を冷やさないために歩く(空港まで徒歩1時間半)

などをすれば30分ほど駅で耐えれば大丈夫な算段。とはいえ、これは本当に最後の手段。他の方法を考える。

ロックダウンで夜店が空いてない時期、どこで夜を越すのが一番いいか?それは間違いなく24時間やってる空港だと思う。アムステルダムスキポール空港なら24時間やってるし、ある程度安全。そして翌日6時ごろの電車に乗れば間に合うはず。これがここまでで一番無難な案。

ただ、この後さらにいい案が浮かんできた。カウチサーフィンだ。カウチサーフィンというのは交流を目的に無料で宿泊できる、という旅人にとって神みたいなサービスで、今は月額制になったが1.5ユーロとかなので実質タダのようなもの。

自分もかつて何度か使っていたので、久しぶりにログインして、アイントホーフェンに住んでてアクティブなユーザーに片っ端からオファーをする。

すると、出発前日にアニオタでストリーマーというプロフィールのベルギー人が受け入れてくれることになった。ということで、これまでの心配も全て杞憂になり、ほぼ無料でアイントホーフェンの宿を手に入れることができた。

 

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前日に来たメッセージ。ありがたい。

 

当日、19時ごろにアイントホーフェンに着き、ホストのもとに向かう。気さくなベルギー人に迎え入れられ、話を聞くとライフコーチングをこれから職業にするらしく、人生についての話だとかを11時くらいまでしてたように思う。ぶっちゃけ話としては結構重たかったしカウンセリングのようなものを望んでたわけではなかったけど、それでも面白い経験だったとは思う。

マットレスで快眠し、天皇杯のラスト5分をストリーミングサイトで観戦して、8時に彼の家を出てバスで空港に向かう。

空港は朝早いというのに多くの人で賑わっていた。それもそのはずで、ヨーロッパは今日からクリスマスホリデー。いうならばゴールデンウィークやお盆の初日のようなもので、帰省ラッシュになる。

オペレーションが間に合っておらず、飛行機は軒並み2-30分ほど遅延していた。自分の場合、非EU国籍なこともあって、搭乗までに諸々手続きをしないといけなかったためかなり焦ったが何とか搭乗には間に合った。

アイントホーフェンバニャ・ルカなんてガラガラだから10ユーロ投げ売りなんでしょ、と思って乗ると実際は8割以上埋まっていた。殆どがボスニア国籍、もしくはボスニアにルーツを持ったオランダ国籍の人で、当然アジア人は1人もいない。そう考えると、この10ユーロという運賃は帰省をするためのウィズエアーからのプレゼントなのでは?という気もしてきた。

12時半、バニャルカ国際空港到着。

着陸する時も、まだ滑走路を飛行機が動いている状態なのに皆立ち上がって荷物を取り出した。機内アナウンスなんて何も役に立たず。規律を重んじたハリルホジッチが生まれた国とはとても思えないが、まあ厳密にはハリルホジッチがルーツを持つモスタルのあたりと、この辺りでは国は同じといえどそもそもが決定的に違う。

ボスニアヘルツェゴビナ、というバルカン半島に位置する国は、ボスニアヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国によって構成されている。スルプスカというのはセルビア人、という意味で、セルビア人共和国とも言えるがこれでは紛らわしいため、スルプスカと表記することが多いらしい。そしてこのスルプスカ共和国の首都がバニャ・ルカ。

降りるとまず目につくのはキリル文字の多さ。同じスラヴ系言語でも、ボスニアヘルツェゴビナでは基本的にはアルファベットを使うことが多く、セルビアではキリル文字を使うことが多い。つまりキリル文字を多用するというのはすなわちまさしくセルビア人共和国だからなのだろう、と思った。そしてボスニアヘルツェゴビナの国旗はほとんど見かけず、見かけるのはセルビア国旗に用いられている、トリコロールの旗。

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バニャルカ空港の外観

 

20分ほど並んだのちにパスポートチェックを行って、無事入国。バニャ・ルカ空港は、地方空港のくせにバニャ・ルカから20キロも離れている。市内へのアクセスの情報もろくに出てこなかったが、基本的にバルカン半島は「行けば何とかなる」

実際、空港の外に出ると市内に出るミニバンが待機していた。10マルクだと言われるが、現地通貨のマルクを持っていないため5ユーロを払う。大体1マルクが0.5ユーロなこともあって、ボスニアではユーロでの支払いが比較的容易。また、1マルクが実際には0.51ユーロなので、変な話ユーロで払った方が得である。

バニャ・ルカからサラエボまでのバスはネットで調べると16時のバス1本だったが、大都市間のバスなのでこれより早いバスが存在する可能性もある。ということで、30分ほどバンに乗りバスターミナルで降りてチケットを買うことにした。予想通り、14:30というバスがあったのでそのバスのチケットを購入する。30マルク、15ユーロだ。マルクはもちろん、ユーロすらあまり持っていないのでここはカードで支払う。

バスまでちょうど1時間あるので、少し街を歩いてみることにする。

中心地まで行くと最悪帰ってこれない可能性もあったので、1.5キロ先にあるスルプスカ共和国の政府本部の建物を目指して歩くことに。

最初に抱く印象としてはやはりバルカン半島の地方都市、といった感じ。セルビアのスボティツァ、ボスニアモスタル郊外やトゥズラと同じように、無機質で面白みのない、煤がついたコンクリートの建物がまばらに建っている感じ。メインストリートを歩いたが、結局この風景は政府関連の建物があるところまで行ってもさほど変わらなかった。

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ラウンドアバウトにポツンとたつスルプスカの旗

 

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バニャルカのメインストリート。いかにも寂れた東欧の田舎町、と言った感じだ。

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政府系の建物は流石に立派。

 

そして政府の建物は街の雰囲気に似つかわない高層ビルだった。その先を眺めると徐々に近代的な建物が増えていき、建造物の密度も増していたので、これよりも先の中心街に行くと状況も違うのかもしれない。そう思うと、14時半のバスじゃなくて16時のバスを取ってもう少し観光すればよかった気もするが、友達をサラエボで待たせている以上そういうわけにはいかない。政府系の建物の裏にはスタジアムがあった。FKボラツというチームのホームスタジアムらしい。チームカラーが青赤なのでグッズを売ってる店が開いてるなら、と思ったが日曜で閉まっていた。残念。スタジアムはいかにも一昔前のもの、といった感じで個人的には一度試合を見たいとも思った。

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FKボラツのホームスタジアム。

 

時間はすでに14時。そろそろ引き返さないと間に合わなくなるのでバス停に向かって踵を返す。

最短距離で歩いていると、H&Mなどの外資が入ったかなり大きなショッピングモールが登場した。東欧のショッピングモールは現地の小売店とかが入ってるような所が多いからこれは意外だ。残念ながら中を覗く時間はなかったから、外から見て満足したことにする。

バスの時間5分前にバス停に着いた。朝にマフィンを食べて以降なにも食べていなかったので、キオスクでサンドイッチと水を買う。現地通貨のマルクを持っていなかったのでユーロで払ってお釣りをマルクでもらう。

店を出るとATMが目に入ったので、50マルクだけ下ろした。1429分。バスに向かって急ぐ。

バスの内装は予想通り。日に焼けて色褪せたシート。コンセントもWi-Fiも当然ない、ごく普通の長距離バス。バスは意外にも定刻ぴったりに出発した。

バニャルカからサラエボまでは直線距離で120キロほど。なのにバスの所要時間は5時間とのことで、どういうカラクリかと思えば、スルプスカ共和国の街をひたすら経由していくため、とてつもなく迂回をしていた。

それでも、5時間の心算でいたので幾分か楽だった。

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哀愁ただよう古めのバス。

 

19時半、サラエボバスステーションに到着。4年前に来た時にこのバスターミナルを使った記憶が微かに甦ってくる。タクシーを使うのも怖いので、とりあえず旧市街の方にいる友達と落ち合うために勘を頼りに歩く。

10分ほど歩いていると、高層ビルの上にマイクロソフトのネオンという、見覚えのある光景が見えてきた。急激に4年前の記憶が蘇ってくる。

トラムに乗れば旧市街に着くはず。そう思ってトラムに乗り込む。トラムからは4年前に見たかどうか分からないようなかなり新しめのショッピングモールも見えた。

友達と合流して夕食を食べる。セバピという、味付けされた炭火焼きハンバーグをピタパンに入れた料理と、クレぺと言う水餃子を食べた。物価がとにかく安いので、会計を見るとユーロなのかと錯覚してしまう。

翌日は朝早くにモスタルに移動するのでこの日は早めに寝て明日に備える。

つづく。