備忘録

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東欧旅行記#3「モンテネグロ、2つの街のコントラスト」

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kerompa-tokyo.hatenablog.com

 

12月21日。朝8時起床。9時半のバスなので、8時半に宿を出て歩いてモスタルのバスターミナルに向かう。途中のカフェで、これ以上使わないマルクを綺麗に使い切る。
バスの時刻表にも予約サイトにも記載されていないバスって何なんだろう?と疑問に思いながらバスを待つ。バスはコトルが終点ではなく、アルバニア国境に近いウルツィニという街まで行くらしい。予定出発時刻から10分ほど遅れて、発着所に到着したのはバスというよりは大型のバンだった。確かにこれは調べても出てこなさそうではある。コトルに行く上で右側の席が眺めがいいと聞いていたので、右側の1人がけの席に座る。
モスタルを出ると、10分もしないうちに荒野と山が広がりだした。これが何東部ボスニアの標準的な景色なんだろうなと感じる。バンはものすごい速さで山道を走っていく。1時間半ほどすると、トレビンイェという町に入る。トレビンイェに入ると、見慣れた旗がはためいていた。2日前にバニャルカで見た、スルプスカ共和国の旗だ。ここもスルプスカ共和国なのか、と驚くと同時に軽く混乱した。なぜかというと、バニャルカは北西に位置し、ここトレビンイェは南東に位置する。そしてその間にあるモスタルサラエボボスニアヘルツェゴビナ連邦の側にある。そして、過去行ったことのあるボスニア北東の都市、トゥズラも同じく連邦の領土だった。一体どういう形をしているのだろうか、と思って調べてみると、どうやら北西から南東まで、ブーメランのような形をしながら国境に沿ってスルプスカ共和国が広がっていた。

 

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赤い部分がスルプスカ共和国

トレビンイェで1時間休憩をする、というので、せっかくなので歩いてみる。やはりスルプスカ共和国キリル文字を目にする機会が飛躍的に多くなる。旧市街にも入ってみたが、まあ非常に小さい田舎町、という感じでそれ以上でもそれ以下でもなかった。サッと昼食を取りバンに戻る。
出発して30分もしないくらいで山中にあるボスニアモンテネグロの国境についた。バンを降ろされた後は飛行機のパスポートチェックと同じ要領でチェックして行き、特段何もなくモンテネグロに入国する事ができた。ボスニアヘルツェゴビナ側を見ると、「スルプスカ共和国へようこそ」という文字しか記載されていなかった。

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モンテネグロ側に入ると、一気に山を降っていき海岸沿いの道に出る。Herzeg Noviという都市を経由してコトルへ。入り組んだ湾に沿った道を駆け抜けるのだが、この道がとにかく絶景だった。目の前には青々とした海。そしてそのすぐ向こうには赤い屋根を持った白い家、そして背景に雪が被った山脈。とにかく絶景というほかない。

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バスからの景色

そんな絶景を堪能している間にコトルに着く。時刻は15時。9時半に出た時は「このバンで6時間弱か」とため息をついたけど、終わってみればかなり楽しめたバス移動だった。
コトルは入り組んだ湾に面した港町で、モンテネグロ一の景勝地とも言われている。とにかく城壁の上からの景色が絶景だと聞いていたので、荷物を背負ったまま城壁を登る。
断崖絶壁に作られた城壁を重い荷物を背負って登るのは正直かなり大変で、途中で諦めようかとも思った。が、せっかく来たのに登らないのは勿体なさすぎるので、心を無にして歩いた。中腹で友達と喋りながら休んでいると、「日本人ですか?」と日本語で声をかけられた。コロナ禍で日本人の旅行者が激減しているので、お互いこんなところで日本人に会うとは思っていなかった。その人と喋りながら登山を再開する。
そうこうしながらかれこれ40分ほど登ると、城壁の頂上についた。
落ちかかってる太陽が山の斜面を半分ほど照らして、その部分がピンクになっている。下を見下ろせば城壁と赤い屋根の家が連なっている。そして複雑な形の湾。ここでしか見えない絶景だったと思う。かなりキツかったが、キツかったことを忘れるくらいの絶景だった。

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コトル城壁からの景色。

日が完全に落ちると道が見えなくなり危険なので、ギリギリの時間帯で下山する。そしてそのまま明日のチケットを買うためにバスターミナルへ。
アルバニアのティラナ行きのバスは1日1本。それも朝だったので、これに翌日乗るとすなわちコトルの観光は一切出来ないことに。
一方で、1日ずっとコトルにいるほど、コトルに色々あるわけではない。
ということでアルバニアのティラナに行く前に、中間にあるモンテネグロの首都、ポドゴリツァに翌日行くことにした。

日の暮れたコトルを歩く。現地人向けのショッピングモールがあったりと、モスタルよりかは幾分か活気があったような気がする。
モンテネグロEU非加盟国なのに通貨がユーロということで、ATMで下ろしても手数料がかからない。ボスニアで現金不足に苦しんだので100ユーロほどおろす。

この日はおすすめされたレストランで夕食を食べ、家で作業をして2時ごろに寝た。

 

12月22日。朝9時起床。昨日洗濯したものが乾ききってなかったので、チェックアウトの時間までドライヤーなどを使って乾かす。
この日は夕方ごろのバスでポドゴリツァに行くことに決め、それまではコトルの少し北にあるペラストという町に行くことに。昨日会った日本人とも合流して、ここからしばらく旅程を共にすることに。
ここには1400年代に湾の真ん中にぽつりと建てられた教会が存在している。せっかくここまで来たので行くことにした。
教会まではボートで行けるものの、コロナ禍で中には入れなかった。それでも島から見るペラストの風景はこれまた絶景だった。
水辺に浮かぶ教会というと、スロベニアブレッド湖も有名。ここには過去2回行ってるが、正直ペラストの方が綺麗だった気もする。時期と天候に左右される気もするが。

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湖に浮かぶ教会と修道院

 

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教会側から撮ったぺラストの街並みとコトル湾

 

ペラストを観光して、コトルのバスターミナルへ。20分後のポドゴリツァ行きのバスがあったのでそのチケットを買う。
昼ごはんを何も食べていなかったので、バスターミナルについてたパン屋でボスニアで食べたピタを食べる。モンテネグロではブレクという名前らしい。

コトルからポドゴリツァまでは2時間ほどで、寝て起きたらポドゴリツァだった。着いたその流れで翌日のティラナ行きの便を予約する。「チケット3枚」というと、「1枚しか用意できない」と言われて焦ったが、その後少しすると「3枚ね、大丈夫」と言われた。なぜ1枚しかないと言われたのかは分からないが、とりあえず買えて一安心。

ポドゴリツァに着いた頃にはもう夕暮れ時であまり街を見渡せなかったが、無機質な団地がかなり多いことはわかる。日本の地方都市を想起させる光景だ。
宿にチェックインした後、街を歩いてみる。独立広場という広場を中心に広がるダウンタウンは比較的新しい建物も多く、外資系の店こそないものの賑わっていた。セルビアベオグラードと雰囲気は近いが、こっちの方が幾分か規模は小さい。そして高い建物もあまり多くない。
ダウンタウンエリアを抜け、川を越えたところにあるNovi Gradというエリアに入る。新市街という名前なので比較的高いビルがあるのか?と思ったもののそういうわけでもなさそう。とはいえ比較的新しめのパン屋など、先進国にあってもおかしくないような見た目のお店も沢山あった。
ポドゴリツァが他の街と決定的に違うのは空気の悪さだ。基本的に煙突からの煙が原因だと思うが、それだけでこれだけ空気が悪くなるか?って思うくらい視界も悪く、息をすると喉がやられるような感じだった。市街地でマスクをしてる人が多かったが、コロナ禍によるものなのか、大気汚染によるものなのかは正直分からない。

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光の線がはっきり見えてるのは煙のせいだ。


街の雰囲気、というか建物の雰囲気は正直夜歩いても分からない。ご飯を食べて宿へ。明日のバスが10時なので、それまでに少し歩いて雰囲気を感じられればいいな、とは思う。

12月23日。午前8時起床。バスの時間は10時だが、朝食を外で取って、その後街歩きをするために少し早めに起きる。8時40分ほどに出たので、歩ける時間は1時間くらいだ。ダウンタウンの方に行くと時間が厳しくなりそうなのでバスターミナルの周りを歩くことにする。
朝ごはんを求めてカフェ&バーという名前の店に行くが、食べ物はないと言われた。カフェというとパンの1つや2つあっても良いのでは、と思うが、バルカンのカフェ&バーは本当に飲み物以外提供してないようなところが結構ある。ということで近くにあったベーカリーで適当に朝ごはんを済ませる。
色彩がよりはっきり見える朝に街を歩いてみると、いかにポドゴリツァに無機質な団地が多いか、がわかる。箱型の無機質な建物は白か淡いピンク、黄色などが多く、それらが煤で黒ずんでいる。そして景観を全く気にすることなく置かれた室外機。1階には商店が入ってるが栄えているお店は少ない。どこか昔ながらの日本の団地を思い出して懐かしくなる。こういう光景に失望したかといえばむしろ逆で、所謂ヨーロッパ的な洗練された街並みはもう嫌というほど見ているので、ポドゴリツァはむしろ期待に応えてくれた形だ。

 

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ポドゴリツァの団地。

そんなポドゴリツァの団地巡りを済ませ、ポドゴリツァからアルバニアの首都、ティラナに向かう。