備忘録

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東欧旅行記#4「アルバニア・想像と現実」

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モンテネグロポドゴリツァ出発から30分ほどで国境に着いた。シュコダル湖という、モンテネグロアルバニアの国境にある湖が真横にある美しい国境だ。モンテネグロ側では通例的にスタンプを押されず、パスポートを見せて終わりだった。
アルバニア側は、というとこれまた適当で、コロナのワクチン接種証明書すら見せずにパスポートにスタンプを押されて終わりだった。ということであっさりアルバニアに入国する。人生50ヵ国目となるアルバニア。どんな国だろうか。
アルバニアをネットで調べると出てくるのは「ヨーロッパ最貧国」「かつては無神国家」「ヨーロッパ唯一のムスリムが多数の国家」「91年まであらゆる国と断交して実質鎖国状態に」「開国後はネズミ講で国民の1/3が破産」などで、とにかくそこにはカオスが広がってるのだろうと思っていた。果たしてこのイメージはどう変わっていくのか。

 

アルバニア側に入っても景色が急激に変わるわけでもない。強いて言うならアルバニア国旗がそこらじゅうに掲げてあるからアルバニアだ、と認識できるくらいだ。
しばらくするとシュコドラ(シュコダルのアルバニア語名)という地方都市に入る。とにかく車の数が多いのでひどい渋滞が発生している。バスの車窓からは、年季の入った建物とたくさんの露店が見える。汚れたバスの窓というフィルターを通しているからか、見える景色は2021年のそれとは思えない感じだ。想像していた通りのアルバニアだった。それなりに大きい都市なはずだがバスターミナルは存在せず、適当な場所でシュコドラで降りる客を降ろし、そのまま南下してティラナに向かう。

シュコドラの街並み


ひどい渋滞を抜けて、15時ごろにティラナに到着した。バスターミナルは思っていた通り、無数の旅行代理店が並び、一歩歩けばタクシードライバーに声をかけられるカオスが広がっていた。
が、そんなカオスも束の間、自分の思い描いていたアルバニアのイメージは覆ることになる。しばらく歩くと、数年以内に建てられたであろう広々としたガラス窓を持つ近代的な建物が見え、その中はショッピングセンターになっていた。そしてそう言った近代的な建物が一つではなく、いくつもそびえ立っている。共産主義時代に建てられたであろう建造物ももちろんあるが、それにしても新しめの店やおしゃれなカフェが多く、街も活気にあふれている。道路も整備されているし、かなり発展している印象だ。街の中心に近づくにつれ近代的な建物は増え、まだまだ建築途中の高層ビルもたくさんあった。ただそんな建物をバンバン建てるほどの財源がどこにあるのか、はわからず。

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バスターミナル近くのショッピングセンター。

昼から何も食べてなかったので、ホテル近くのBurekを売っている店でBurekを食べる。モンテネグロのBurekとほぼ変わらず、餃子を思い出す味で美味しい。そして値段も安く、120レク。1レクほぼ1円なので計算が楽。ホテルにチェックインをしようとすると、レセプションには誰もおらず、「この番号に電話してくれ」という貼り紙があった。が、インターネットも電話も通じないので連絡手段がない。とりあえずSimを契約しに来た道を戻って、無事Simを契約した後戻り無事宿にチェックイン。

日が暮れ、夜になって街を歩く。ティラなの中心にあるスカンデンブルク広場という巨大広場では、巨大なクリスマスマーケットが展開されており、移動式のアミューズメント。前述した通り、アルバニア人の多くはムスリムが多い。が、共産主義国家時代に無神国家を標榜したこともあって、アイデンティティとしてムスリム文化が残っている、といったくらいな気がする。実際ヒジャブを被ってる人もムスリムの割合に対しては少ない。結果としてクリスマスをカジュアルに楽しんでる人が多いイメージだ。
クリスマスマーケットの真横にモスクがあるので新鮮な光景には変わりはない。

 

広場の横に核シェルターがある、と言うことでそこに寄ってみる。昔は軍の極秘施設だったようだが、共産主義体制が崩壊した後に観光地として公開し、現在はアルバニア共産主義時代の歴史資料を公開したり、一部をアートの展示場として使用している。500レクを払って入場してみる。最初は核シェルターについての説明が多いもんだと思い込んでいたが、実際はいかにアルバニアが1991年までとち狂った国家だったかが伝わる良い施設だった。まあ実際に一度も使われたことがない機能についての説明が少ないのは仕方ない。1991年の動画も流れていたが、その光景はヨーロッパ最貧国のレッテルに相応しいものだった。そこから良くここまで30年で持ち直したな、と広場の周りの栄えっぷりをみると実感する。そしてそんな狂った時代の最中に国交を樹立した日本も凄いなと思った。

核シェルターを後にして広場を歩いてると太鼓の音と歌い声が聞こえたので近寄ってみると、サッカーのファンだった。どこの試合かは分からないためアルバニアリーグの試合日程を確認すると、ティラナのチーム同士の試合が19:45からあるらしい。時間的にもちょうどいいし、チケットもまあなんとかなるだろう、という算段の元友達とは別行動ということにして、急いでカメラ類などの荷物をホテルに置きに帰りスタジアムに向かう。
スタジアムは一見スタジアムなのか、ショッピングモールなのか分からないくらい近代的で、高層ビルも併設されていた。警察が大量にいることから試合が行われることがわかる。まずはチケットを探すところからだが、チケットカウンターと思しき施設は見当たらない。こう言う時はチケットを持ってそうな人やファンに話を聞くのがいい、が、無闇に聞くのも危険だ。爆竹の音が定期的に鳴り響くスタジアム周りをうろうろしていると、おそらくレプリカではあろうが斧をもった覆面の男と目が合った。その瞬間、向こうは獣の如く徐々にこちらに向かってきた。冷やかしなのか本気なのか分からないが、マジもののレイシストやネオナチなどだと洒落にならないので全力で逃げる。この時点でスタジアムで観戦する気が半減したが、気を取り直してチケット探しを続行する。追いかけて来たのはホームチームのファンだったので、アウェイ側のチケットを探すことに。
アウェイ側に行くと人だかりが出来ていて、そこにはダフ屋が大量のチケットを握っていた。いくらか聞くと、1500レク。まあそれくらいなら良いだろうと言うことでアウェイゴール裏2階のチケットを買う。チケットにはしっかりと500レクと書かれていたが、まあ仕方ない。
アジア人ということもあってあまり変な人に絡まれたくないので、すかさずアウェイチームのマフラーも購入してスタジアムへ。
幾度ものセキュリティチェックののち、無事スタジアムに入場できた。スタジアムは新設で25000人収容。今年のUEFAカンファレンスリーグの決勝の地だが、それに相応しい箱だと思う。

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Air Albania Stadium


試合30分前の客の入りはまあまあだが、2階席まで埋まりつつあるアウェイ側に対して、ホーム側は1階席のみの開放。ティラナのチーム同士の闘いでこれとは情けない。
試合開始直前になり、アウェイ側のゴール裏は埋まる。が、よくよく見ると応援団が二つあり、一つはゴール裏一階の真裏で、もう一つはゴール裏2階の端で応援していた。しかも、後者の方はフェンスで区切られていて行き来も出来なくなっていた。
試合開始。程なくして、敵味方どちらのチャンスとか関係なく、閃光と爆音を発する爆竹のようなものが両チームのゴール裏から投げ込まれる。危険だしそもそも味方が攻め込んでる時にすら投げ込むのは訳がわからない。
そして、2階側のサポーターグループから色付きの煙が出るタイプの発煙筒が投げ込まれる。投げ込む理由も分からないが、チームカラーが青なのに対して投げ込まれるのは黒、赤、黄、青など。相手のチームの色は赤と黄色。この時点でだいぶ幻滅したというか、冷めてしまった。
自分は海外でサッカーを見に行く時は、自分が見ているサッカーを他の国の人はどう見てるのかに興味があるが、こういうのを見ると「なんだ、ただの真似事か」という風に感じてしまう。
試合自体も精彩を欠いていて、気温もかなり低かったので後半途中で試合会場を後にして、ホテルで暖を取ることにした。

12月24日。クリスマスイブ。今日から友達と、コトルで出会った日本人と3人で車を借りてアルバニア世界遺産、ジロカストラとベラットを回る。
ヨーロッパでは基本マニュアルを運転しているが、アルバニアの混沌とした運転マナーを昨日見ていたのでオートマ車を借りることにした。2日間で50ユーロなのでかなり安い。
慎重に運転をしてティラナの市街地を抜けていく。中心から離れると、中心地の発展度合いが嘘のように古びた平家ばかりになる。
ティラナからジロカストラまでは約3時間だ。距離こそあるものの、アルバニアは意外と地方への幹線道路の整備がしっかりとなされているためそれなりに速度を出すことができる。とはいえ遅い車もいるので、片側1車線の道路だろうとそういう車を追い抜かしていく必要があり、これが案外怖かった。
曇りと聞いていたものの、所々雲の切れ間から光が差し込んでいてかえって幻想的だった。紅葉している山、冠雪している山肌が見える山、平地、散在する家、ライトブルーの川が織りなす景色はどこまでも雄大だった。
昼食を間に挟みながら3時間ほど運転してジロカストラに到着する。ジロカストラの道は入り組んでいて、非常に運転しづらい。なんとか宿の近くに車をつけて、ジロカストラ1番の見所、ジロカストラ城にむけて登っていく。日没まで残り1時間ほど。
ジロカストラ城は1500年の歴史を持つ城で、そこが驚くべき保存状態で残っている。そして城からはジロカストラの街やその下に広がる平野、奥の山脈を一望できる。コロナ禍かつオフシーズンというのもあるだろうけど、この絶景をほぼ人がいない状態で堪能できるというのは贅沢極まりない。

 

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ジロカストラ城の内部

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ジロカストラ城からのながめ

 

観光を終えて、宿のオーナーに勧められたお店に夕食を食べにいく。店に着くと、優しそうなおばちゃんが出迎えてくれる。英語は喋れないものの、身振り手振りで色々説明してくれる。結局、ここジロカストラの名物料理であるライスコロッケと、おすすめされたTiganja Derri(直訳するとフライドポーク)という料理を頼む。これらが絶品で、特に後者は今まで食べてきた旅行飯の中で5本の指に入るような美味しさだった。せっかくなのでこの料理はメモしておきたい、と思ってネットで料理名を調べても出てこないし、多分家庭料理のようなものなんだと思う。そこに行かないと食べれないような料理、というのもそれはそれで旅行っぽくて良いとは思うけど。とにかくまた食べに来たい、と思うくらい美味しかった。しばらくすると、店を経営してる夫婦の息子が帰ってきて、その息子がラキヤという果実の蒸留酒をサービスしてくれた。とにかくサービス精神が旺盛なお店だった。息子曰く、「中国のお土産とか、韓国のお土産は店に飾ってあるんだけど日本だけないんだよ、次来たら何か持ってきてほしい!」と言われたので、その時持ってたオリンピック記念で作ったステッカーを渡したら嬉しそうにしてくれて、こういうのを見るとステッカーとか作成して良かったなとなる。
帰り際に旧市街を通るとイルミネーションが点灯していて、クリスマスソングが流れていた。地元の子と思しき若い子たちが友達同士で楽しく歩いていた。もちろんアルバニアキリスト教の主流である正教会のクリスマスは1月6日なのでそういった人たちにとっては12月24日はただの1日、という気はするが、それでもメリークリスマス!と言ってくる人もちらほらいるし、やっぱりクリスマスはカジュアルなイベントなのだろうな、と思う。

 

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ジロカストラ旧市街の様子

 

12月25日。この日はブルーアイという透き通った湖に行った後、ベラットに行き、ティラナまで戻るという全長300km超えのハードスケジュール。朝9時前に宿を出発してブルーアイへ向かう。
ブルーアイは今まで見てきた湖、川のなかでも屈指の透明度で、1時間弱山道を運転した甲斐があった。帰り際に道を工事していたアルバニア人のおじさんに「ブルーアイは良かったか?」と言ったニュアンスでサムアップをされたのでサムアップを返しといた。アルバニア人は予想に反して(と書くと少し失礼だが)陽気で親切な人が多い。

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ブルーアイ。その名の通り中心が真っ青になっている。



ブルーアイを出発するとそろそろ昼時だったのでレストランを探す。昨日ロードサイドのレストランに寄ったが「まあまあ」と言った感じだったので、今日はうまい昼飯に辿り着きたい。ということで、昨日食べた夕食をもう一度食べようということになった。これが悲劇の始まりだった。
ジロカストラの街をGoogleマップに沿って車で登っていくと、道がどんどん狭くなっていく。ある地点で車が通れるかどうかかなり怪しい。しかし、引き返せそうな場所もないので、我々は進むことにした。格闘すること数分、皆の悲鳴が。嫌な音と共に車の右前ドアには塗装が剥がれた傷跡が。痛恨すぎるレンタカーでの傷。これは流石に進むのは無理だろう、と言うことで100mほど細い道をバックして引き返した。
時間のロスをしただけではなく、皆のテンションも下がる。保険には入っているものの10%は払わないといけなかったので、運転手的には皆に対してそこが申し訳ない気持ちになった。同乗者の2人が優しかったおかげでなんとか持ち直せたが、車の事故はいくら軽微でもへこむ。
気を取り直し、結局昨日ご飯を食べたロードサイドの飯屋で同じものを食べ、ベラットへ。
ジロカストラからベラットまで抜ける山道はあるが、速度が出せないため結局山脈を迂回する形で幹線道路を走ったほうが早い。3時間ほど車を走らせて、またしても夕暮れ直前に目的地に着く。ベラットの街はジロカストラよりも整備されていて、また活気がある。クリスマスマーケットやイルミネーションも多数用意されてて、街はお祭りムードだ。
ここベラットは無数の窓が並ぶ建造物群が有名なのだが、それと同時に城壁からの景色も壮観。ということでまたしても頂上を目指して登る。
ベラットの城砦の場合、城壁内部にも普通に家が存在しているというなんとも不思議な作りになっている。登り切ったところからの景色は絶景で、アルバニア観光を締め括るにはちょうどいい景色だった。ちょうど日没を知らせるアザーンがモスクから流れてきて心地が良い。

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ベラット城塞からの景色

さて、一通りベラットの観光を済ませて頭にチラついてくるのは「車の傷をどうするか」だ。おそらくアルバニアの物価なら板金修理はそんなに高くないはず。むしろレンタカー屋に国際価格で請求されるほうが怖いから、だったら板金屋に持っていって道中で直してもらおうということになった。ベラットからティラナに向かう道で一番近いカーサービスの店に行き、Google翻訳を使って直せないか店の若者衆に聞いてみた。が、そこでは塗装などの修理はやってないようだった。「多分ティラナに行ったほうがいいんじゃないかな」というようなことを伝えられ、じゃあもうティラナに向かうか、と思って車を出そうとした瞬間若者のうちの1人が車をノックしてきた。アルバニア語で何かを言われたが分からなかったのでGoogle翻訳を使ったら「あそこの店がやってるかもしれないから一緒に今見に行ってみよう」とのことだった。便利な時代である。そして本当にアルバニアは優しい人が多いな、と思った。残念ながらそのお店はやってなかったけど、それでも人の優しさに触れられたという意味では修理以上の価値があった。結局板金修理は諦めて、レンタカー会社による請求が安く済むことを願うことにした。
車内では日本食を食べたい話で盛り上がりに盛り上がったので、その日の夕食は日本食で、ということになった。渋滞を経て2時間ほどでティラナへ到着。到着する頃には自分もすっかり図々しく車線を変え、遅い車がいたらガンガン抜かしていくアルバニアのドライバーになっていた。さすがにまだクラクションをガンガン鳴らすのははばかられるけど。車を置き、再合流して寿司屋へ。3000円ほどで食べ放題のお店で、まあクオリティは推して知るべし、と言った感じだけれど長らく寿司を食べていなかった自分からすれば十分満足できるものだった。
コトルから4日ほど共に旅をしたが、我々はここからも急足でバルカンを回らないといけないため、この日でお別れ。寿司屋を出て前の広場で11時過ぎまでいろんな話をして別れた。
以前であれば旅人で日本人、なんてそこら中で見かけたからあまり声をかけたりとかはしなかったし、行程を一緒に、なんてことはあまりしなかったけれど、コロナ禍で海外で日本語をめっきり聞かなくなってから、日本人を見かけた時に話しかける、話しかけられる頻度が上がった気がする。そしてこうやって旅程の一部を共にする、みたいなのも良いなと思った。
この日はバスタブ付きの部屋を取っていたので、数ヶ月ぶりの湯船に浸かって長距離運転の疲れを癒した。

 

12月26日。9時起床。湯船に使ってゆっくり寝れたこともあって、かなり疲れが取れた気がする。珍しくちゃんとしたホテルを取っていたので朝食をホテルで頂き、いよいよ運命のレンタカーの返却。
レンタカーを返却し、正直に傷がついてしまったことを伝える。初日に対応してくれたスタッフが眉をひそめながら傷をまじまじと見つめる。すかさず「いくら払えば良い?」と聞くと、数秒間の間を挟んで、彼は「オーケーオーケー、ノープロブレム」と発した。まさかのまさかだ。日本なら100%数万円を取られるような傷跡だ。念のために0ユーロかどうか確認すると、力強いYESが帰ってきた。
前日に冗談で「クリスマスプレゼントに傷を消して欲しい」とか言ってたのが、形が違えど本質的な願いは叶った形に。ありがとうサンタさん。
車を返し、しばらくホテルでゆっくりした後チェックイン。この日はコソボのプリズレンに移動する予定だが、それまでの時間でティラナの街歩きをする。
核シェルターに並ぶ共産主義時代の負の遺産の一つが、ピラミッドの形をした美術館跡だ。独裁者の娘がデザインしてそれをそのまま建てたらしいが、今は廃墟になっていると聞いた。
その地に実際に行ってみると、建物はフェンスに囲われ見えないようになっており、フェンスにはパース図のようなもの、完成予定のデザインが掲示されていた。どうやら公共施設に生まれ変わるらしい。向かい側にも、アルバニア銀行の本社ビルの建設が予定されていた。ティラナの中心は建設ラッシュで、至る所に建設中のビル、クレーンなどが見受けられる。調べてみると、Tirana2030という都市開発プロジェクトの最中で、今はこの街の過渡期らしい。これをみると数年前にティラナに来ていれば、というふうにも思ったが、共産主義時代の建物と近未来的な高層ビルのコントラストは過渡期ならではだと思う。

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ティラナの高層ビル。こういったのが市内にはいくつもある。

ティラナの地価も年間6%ほど上がっていて、現在の地価は平米あたり20万円近く、ということで日本の地方都市並みの地価はあるようだ。ただ気になるのは、外資系の大企業が入ってるのをほとんど見かけないし、これと言った産業の面影も見当たらない。果たして街が出来上がった時に、それがうまく機能するのか。機能しなかったら抜け殻のようになったビルが乱立するのではないか、そんな予感もしてしまう。
が、とにもかくにももう一回来て変化をこの目で確かめたい、と思う街だ。
せっかくなので中心地以外も歩いてみる。少し中心地から外れると、そこはポドゴリツァと同じか、それ以上に古びた無機質な団地が並んでいた。中心地だけを見れば発展しているように見えるが、すぐそばに寂れた団地街があるのを見るとアルバニアの格差も凄いのだろうなと思う。地方都市と首都ティラナの格差だけではなく、首都内部でも格差は激しい。
ティラナの無機質な建造物と他の近隣国のそれの違いを無理やり見つけるならば、必ずと言って良いほどバルコニーに日除けがついてること、やたらとインコを飼ってるところが多いこと、壁面アートが多いことくらいか。理由はいずれもわからないが、これがティラナの特徴だとは思う。いずれにしても不思議な街だなと感じた。

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すこし中心から離れればこの雑多さ。

 

想像していたアルバニアと、現実のアルバニアはかなり違ったように思う。それもいい意味で。またいつか来る予感はするし、そのころには最貧国のレッテルをはがせているといいなと思う。

つづく。