備忘録

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東欧旅行記#5「バルカンの異端、コソボ」

前回の記事はコチラ↓

kerompa-tokyo.hatenablog.com

 

昼食を取って、コソボ行きのバスに乗る。首都のプリシュティナではなくまずは古都のプリズレンまで行き、プリズレンを観光したのちにプリシュティナに向かう。2時のバスで5時到着予定、着く頃には日は暮れているはずなので、観光のメインはおそらく明日だ。

久しぶりにバンではなくちゃんとしたバスでの移動。座席に付いていたコンセントは機能しなかったが、それでも快適なのには変わりはない。バスの中で流れるちょっとアラブっぽい音楽やラジオにももうすっかり慣れきった。
1時間ほどすると休憩に入る。英語の喋れるおばちゃんが「10分の休憩だからね」と教えてくれた。ほんと、アルバニア人にここまで親切な人が多いとは予想していなかった。
出発から2時間半ほど。バスが国境で止まる。コソボの警察がバスに乗ってきて、ワクチンのチェックをした後にパスポートを回収していく。どうやらアルバニア側のチェックはないようだ。
外を見るとトランクの中や、トラックの荷台の中なども入念にチェックしているようだった。15分ほどするとバスが動き出し、パスポートが手元に返ってくる。これで晴れてコソボに入国。

コソボは旧ユーゴスラビアの一部で、近年までセルビア内の自治州として国際的には認識されていた国だが、国民の大半はアルバニア系で言語もアルバニア語、国の中でもアルバニア国旗やシンボルである双頭鷲のマークをよく見る。アルバニアがそもそも旧ユーゴスラビアには含まれていないことを考えると独立も自然だが、とにかくこの辺の歴史は複雑だなと感じる。
しばらく乗っていると、先ほどの親切なおばちゃんが「このバスはプリズレンには行かないから、あなたたちは途中で降りて乗り換える必要があるわ」と伝えてくれた。ネットの情報でもそういうケースが存在することは知っていたが、まさか自分らがそのケースに当たるとは。
バスステーションとも言えないようなガソリンスタンドで降ろされ、そこからミニバンに乗り継いでプリズレンのバスステーションへ。
プリズレンは勝手にベラットやジロカストラのような、こじんまりとした古都だと思ってたが、市街に入ると、ショッピングモールが沢山あり街としての規模がかなり大きいことに気付かされた。

プリズレン市内のショッピングモール


旧市街の周りも比較的新しい建物が多く、クリスマスということもあって非常に賑わっていた。街を歩いていると教会よりも圧倒的にモスクの方が多いのにも関わらず、街はクリスマスムード一色、という点ではアルバニアと同じだ。川沿いの景色は少し鴨川っぽくもあり懐かしさを感じた。やはり川が流れてる街は好きだ。ただ空気は例の如くかなり悪い。煙突からの煙に加えて、やたら喫煙率が高いためか、しばらく歩くと洋服が雀荘に入った後のような臭いになっていた。

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プリズレンの旧市街。やはりモスタルと雰囲気は被る。


コソボに入ってからやたらと声をかけられる。アルバニアでも声をかけられることはあったが、コソボはその比じゃない。アジア人が珍しいんだろう。が、多くは「コソボへようこそ」とか「メリークリスマス、Bro!」とかで友好的なものが多く悪い気はしない。
夜景を見にプリズレン要塞を登ろうと試みたが、道が暗くて断念。次の日に回すことに。
宿では「コソボでは電力不足だから、もしかしたら停電するかも」と説明された。慢性的な電力不足なのかと思って調べてみるとどうやらそういうわけではなく、つい1週間ほど前に技術的な問題で最大の火力発電所が止まってしまったらしい。

12月27日。朝10時にチェックアウトして朝食を食べる。この日はプリシュティナに行くだけなので、比較的ゆったりしていた。プリズレンの旧市街はそこまで大きくないので、少ない時間で歩ききれてしまう。雨雲が少し心配なものの、とりあえず昨日登れなかったプリズレン要塞に登ってみることにする。途中で逆方向から歩いてくるおばちゃんに日本語で「こんにちは、またね〜」と声をかけられる。何者かはわからないが、気前のいいちょっと日本語が少しできるコソボ人、と言ったところだろうか。とにかくプリズレンではよく声をかけられる。要塞へのルートは夜だと分かりにくいだろうな、という感じで昨日は登らなくて正解だった。きついと思ったらやめる。損切り大事。ジロカストラの旧市街での教訓だ。
要塞を登り切ると、プリズレンの街が一望できた。こうみると単なる古都ではなく、かなり大きな街であることを改めて実感する。高い建物こそ少ないものの、かなり先まで密な建築群が続いている。そしてモスクの数もかなり多い。

ただ慣れとは怖いもので、これだけ毎日のように街を一望できるスポットに行ってると感動は薄れていく。きっとプリズレンが初めての要塞ならもっと感動したのだと思う。

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プリズレン市内を一望。

登るのは大変でも降りるのは一瞬だ。プリズレンの街はある程度歩いたので、行き来た道とは違う道でバスターミナルを目指す。途中、煌びやかな店が並ぶショッピングストリートを通る。女性が身につける金属の装飾品や、正装らしきドレスなどが売ってた。コソボの伝統衣装なのだろうけど、とにかく煌びやかで美しい。

13時過ぎ、バスターミナルに到着すると、おじさんに「プリシュティナ?」と声をかけられる。Yes、と力強く答えると、発車しかけのバスに声をかけてくれ、半分動いてるバスのドアが開く。何分間隔でバスが出てるのかは分からないが、着いてすぐ乗れたのはラッキーだ。これならなんとか夕暮れ前にプリシュティナに着きそうだ。
結構な数の街を経由し、予想より遅い15時半ごろにバスターミナルに着いた。
バスターミナルは少し中心から離れたところにあるが、そこから宿までの道のりで主要な観光地を回れそうだったので、徒歩で宿に向かうことにする。
プリシュティナには旧ユーゴ時代のものと思しき団地がたくさん存在していた。が、色が塗られているものも多いためそれほど無機質だとは感じない。同じような地域でも場所によって微妙な雰囲気の違いを感じ取れるのは東欧の良いところであり、複雑さを表しているようにも思う。とりあえず、プリシュティナは思ったより都会だなと感じるし、「何もない」と言う評判を同様に持つポドゴリツァに比べるとだいぶ都市の規模も大きい。

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プリシュティナの団地。相変わらずごちゃついているのには変わりはない。

しばらく歩くと、ビルクリントンの像と巨大な壁画が現れた。コソボアメリカからの多大な支援を受けていて、至る所でアメリカに関連する銅像や、星条旗を見ることが出来る。アルバニアの国旗があるのはまだ理解できるが、第3カ国であるアメリカの星条旗がたくさんある、というのはいくら支援が手厚かったとはいえ新鮮だ。ちなみにコソボと仲の悪いセルビアは親ロシア路線なので、ここでも対立構造が見られる。

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ビルクリントン像。

歩いていると建設中の近代建築をよく見かける。が、外資系のショップなどはやはりあまり見かけず、この辺はティラナと同様で、きっと街の発展も過渡期なのだろうと予測できる。
実は4年前にセルビアベオグラードからプリシュティナに行こうとしてて断念している。バスチケットも買ったが、まあ色々あってベオグラードからテルアビブに飛んだため、プリシュティナに行くことはなかった。この時に行ってたらまた色んな新しい発見があっただろうか、とか思ったりもする。

4年前に迷った時の記事↓

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プリシュティナで見たいと思ってたのはコソボ図書館。ここは異様な見た目で有名な図書館だ。ブロックを積み重ねたような見た目、天井には無数のドーム、そしてなによりも壁面につけられた格子状の飾り。中の明かりは付いているものの入れるわけではなく、遠くから見たら異様な廃墟のよう。日が落ちて薄暗い中ぽつりと建っている図書館の屋根には、おびただしい数のカラスが止まって鳴いていて、より一層不気味さを増していた。

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プリシュティナにはこれ以外にも奇抜な建築は沢山ある。お世辞にもクールな建築だとは思えないが、記憶には残る。
そのほかのプリシュティナといえば、な観光地といえばNEWBORNと書かれたモニュメント(BE KOBEみたいなやつ)だが、これが観光名所なくらいプリシュティナには何もない。まあただ、これはコソボが独立した日に出来たものであって、コソボの象徴として捉えるのであれば歴史的価値は高い。歴史を体感できるようなアート作品やモニュメントは実は意外と多いなと思う。
プリシュティナのメインストリートはクリスマスのイルミネーションとともに賑わっていた。それと同時に、子供の物乞いもちらほら見かける。発展はしつつあるとはいえ、まだまだ貧しい層が沢山いるという事実の現れだとは思う。
宿についてチェックインを済ませる。部屋に入り一休みしつつ、明日以降の移動について考える。明日28日はプリシュティナからまずスコピエに移動し、そのまま夕方ごろにスコピエからギリシャテッサロニキに移動できればベストだ。とにかく、明日はなるべく早めにプリシュティナからスコピエに移動したい。プリシュティナからスコピエへの移動手段は、電車かバス。調べていると電車が朝7時にあるということだったので、これを第一候補にして予定を立てる。早朝の電車ということでその日にチケットを買えるかどうかが怪しかったので、夕食を食べに行きがてら鉄道駅に行き、チケットを買えるかどうか確かめに行くことにした。
プリシュティナには多くの路線バスが走っていて、値段も0.35ユーロと格安なのでこれに乗り鉄道駅の近くまで行く。鉄道駅なのか家なのか分からないくらいこじんまりした駅舎が暗闇の中にぽつりと建っていた。鉄道駅の中を覗くと、明かりは付いておらず鍵も閉まっていた。これは明日の電車があるかどうかも怪しい。
今日はもうどうしようもないので駅から宿に帰るまでの道中で夜ご飯を食べることにした。入ろうと思ったお店がまさかの満席だったので、ウェイターにおすすめの店を聞きそこに行く。かなりの量を2人で平らげ、オランダなら1人50ユーロはしそうなところ1人17ユーロで済んだ。やはり物価の安い国は最高だ。

食べたご飯の一部。エビのリゾット、牛ランプのステーキ


宿に帰ると、コモンスペースで「君たち今朝プリズレンにいなかった?」と訛りのない英語で話しかけられる。話していると、要塞に向かう途中で日本語を話しかけてきたおばちゃんであることが分かった。彼女はアメリカ人でバルカンには旅行で来ており、たまたま全く同じ行程を辿っていたらしい。日本語については、日本に何回も遊びに行く過程で少し覚えたそうで、地理にもかなり詳しかった。世間は狭いし、こういった再会はなんでか分からないが少し嬉しくなる。

 

2日弱の滞在ではあったけれど、コソボは十分満喫できたと思う。いや、満喫しようと思えばもっとできたんだろうけど。とにかく飯が最高だった。住民構成はほぼアルバニア人ではあるものの、国としてはユーゴスラビア、そしてセルビアの一部として1世紀近く見なされてきていて、なおかつ母体のようなアルバニア本国は鎖国していたりしたのだから、どこの国とも違うような雰囲気を醸し出していて当然だと、行ってみて実感した。コソボは日本人からするとどうしても紛争のイメージがまだ強く、バルカン半島の中ではかすんでしまう存在かもしれないけれど、間違いなくどこの国とも違った異端のような存在だと思った。

そんな考えを宿で消化させつつ、溜まっていた洗濯を済ませ、翌日に備えて休息を取る。

つづく。