備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

自分が今やっていること - なぜアフリカなのか

このブログは旅行記だったりサッカーの話だったりはたまた留学の話だったりいろいろ書いたりしているのだけれど、今回は自分がわざわざオランダに留学してまで勉強していることの話。オランダに来て勉強しているのは「やりたい勉強を学ぶにはここが一番だったから」。正直同じ内容が日本でできるなら日本に残ってたし、やりたい勉強が出来るならアメリカだろうとペルーだろうとタイだろうとジンバブエだろうとどこでも行ってたと思う。

 

で、やりたい勉強が何か、というとアフリカの農業について、だ。

 

ではなんでアフリカに拘るのか?ということをまあしょっちゅう聞かれるというか、初対面の人に「何勉強してるの?」と聞かれたあとの次の質問の9割は「なんで?」だ。その質問もごく自然で、自分は別にアフリカにルーツがあるわけでも、アフリカに何か原体験があるわけでもない。なぜ「アフリカ」で「農業」なのか、という質問に答えようとすると結構長くなるから、たいていは「学問的に面白いし、社会のためにもなるから」といった感じで答えてる。これ自体は建前でもなんでもなく本心なのだけれど、丁寧に説明しようとするともう少し長くなる。

 

数日後、アフリカの農業をこの目で見るためにアフリカに渡航する。夢にまで見たアフリカ。

ということで、せっかくなので自分がなぜアフリカの農業にたどり着いて、何をやっているのかなどをちょっと整理しておきたいな、という趣旨のブログ記事。

 

~大学:アフリカ農業に興味を持つまで

多分アフリカに興味を持ったのは小学生のころ。いつだか忘れたけど、世界の国々の説明が載ってた図鑑みたいなのを買ってもらって、その本の中で一番行きたいと思った国がタンザニアだった。まあこの時は生き物が好きだったので、サバンナに行ってみたい、みたいな感じだったと思う。とにかく生き物が好きな少年だった。

 

時は進んで高校生。いわゆる自称進学校に通っていたので、高1の時点ですでに「進路をそろそろ決めろ」と口を酸っぱく言われていた。勉強自体は嫌いではなかったけど、そもそもなりたいものもなかったし、サッカーの応援のほうが100倍くらい大事だったこともあってその時は特に進路を決めようとすることもなく、生物好きだし生物学科とかでいいのかなーとか思ってた。生物学科がどういう学科かは知らず、なんとなくのイメージで。で、高2の時にオープンキャンパスに初めて行って、自分が「なんとなくここなのかなー」って思って見に行った生物学科がびっくりするくらい興味が湧かない分野で、これはまずいと思って、真剣に進路について考えだすことに。自分は生物の機能に興味があるんじゃなくて、生物そのものと戯れたりするのが好きなだけなので、生物学科はあまり自分の興味の範疇ではないことが分かった。

 

で、将来何やりたいかなーって思った時に、①自然環境に関係すること②海外でなんかやりたい③何かしら人のためになることが出来たらな、みたいな感じでやりたいことをぼんやり決めて。①と②は自分の興味で、③はなんとなく親に昔から言われてた影響が強い気がする。①に関してはどうやら農学部がよさそうだぞ、となっていた矢先、たまたま教室においてあった「国際協力ジャーナル」なる本を読んでみると、アフリカの農村開発に携わる、という職業があることを知った。忘れもしない高2の秋の三者面談の直前。ここで忘れかけていた小学生の頃のアフリカへの漠然としたあこがれとつながって、「これが自分のやりたいことだ!」となった。まあこのころはどっちかというと砂漠緑化とか森林保全に興味があったのだけれど。

 

ただ、アフリカの農業を専門とした学部は日本にはほとんどない。いや、鳥取大とか東京農業大とかはあるのだけれど、家の経済状況的に下宿NG、できれば国公立、という条件のもと探すと乾燥地の農業を勉強できそうなところはなかった。ただ結果的にはその条件下で、毎週農作業があって虫や田んぼの生き物とも十分に触れ合えそうな面白そうな学科を見つけたので、そこの大学を目指すことに。研究室単位ではアフリカの研究事例もある。

 

大学入学後:興味の変遷

無事大学に入学して、志望していた学科にも入れることに。そこでは基本的には農業に関連する生物学について幅広く学んでいたのだけれど、中にはアフリカや途上国での話をされることもたまーにあった。その中の一つがNERICAというアフリカに特化して開発されたイネの品種。品種開発の分野に長けていたり、イネ中心の農業の国だったりすることもあって、アフリカのやせて乾燥した土地でもよく育つNERICAの話は何回も聞かされた。NERICAの素晴らしさを感じる一方で、「そんな優秀な品種が開発されているのに、アフリカの食糧問題ってなんでまだ解決されてないの?」という疑問が自分の中には生じていた。

 

そんななかで、「アフリカの農業に携わりたい」という目標に向けてどうしても避けられないのが語学力。正直この時の英語は壊滅的で、その年の入試の英語の点数で自分より低い点数の人を見たことがないくらい。とはいえまあ何とかしないといけなかったし何とかしたいとは思ってたので、一念発起して交換留学することに。決めた当初はアメリカの大学しか眼中になかった。というのも高校の時にアメリカの大学に2週間ほど滞在する機会があって、その経験以降めちゃくちゃあこがれてたため。ただ交換留学のためには英語のスコアが必要だったけど、壊滅的な英語力の人間が受けたテストは壊滅的なので、自分のスコアで行ける大学は1,2校しかなかった。そのうちの一つがコペンハーゲン大学。壊滅的な英語力のおかげで、その当時は眼中になかったコペンハーゲンという素晴らしい場所に住めたのは今思うと本当にラッキーだったと思う。

 

コペンハーゲン大学で受けた授業の中で、東アフリカに特化した授業があった。東アフリカのありとあらゆること(生物学、考古学、地学、政治学、呪術、文化、宗教などなど)をそれぞれの分野の専門家が講義し、最終試験では学んだ17のトピックから3つランダムで選ばれて、それについて口頭で論述するという授業だった。これがめちゃくちゃ面白くて、アフリカにおいて、いやアフリカ以外もそうだとは思うけども、農業を見るうえで農業だけじゃなくて政治や地理的な話、宗教や文化なども考慮する必要があるんだな、という視点が自分の中で芽生えたのがこのあたり。例えば上で挙げたNERICAは、そもそもコメを食わない文化地域に持ち込んだところで流行らないのはそりゃそうだし、種を毎年供給するインフラも整ってなかったりする。「アフリカの食糧問題って、実は農業技術だけじゃなくてもっといろいろ見ないとわからないし、技術だけ持っていくような開発援助はそりゃ失敗するよね」という風に思い始めた。

 

そんな感じで日本に帰って授業を受けると、大学の農学部の「狭く、深く」といった具合に自分の学びたいこととのギャップを感じ始める。確かに授業自体は面白いし学びにはなっている一方で、「これって自分が本当にやりたいことなのか?」って思ったし、果たしてこのまま卒業したとして、アフリカ農業に携わりたい、って思った時に「自分にはこれがわかります!これができます!」って胸張って言えることがあるんだろうか、って思い始めた。加えて日本にいるままだと修士の間にアフリカに行くのは難しそうだなって思ったので、この辺りで大学院留学を本格的に目指すことに。

kerompa-tokyo.hatenablog.com

同時期にエチオピアンダンスを日本でやってた時に見たり経験したコミュニケーションの摩擦とかを踏まえても、やっぱりアフリカに行かないとわかんないことが死ぬほどあるだろうなぁって思ったりもしてました。

 

基本的にはアフリカに行けそうなところ、農業というものの全体像をつかめそうなところ、というのを軸に選んで、結局オランダのWageningenというところで勉強してます。決め手は「こういう風なことをやりたいなあ」というすごいぼんやりした自分の考えをもっと具体化したようなことを、第一線で活躍しながらやってる先生がいたこと。

そんなこんなでやりたいことだったり勉強したいなぁということを勉強できてて非常に幸せなわけですが、コロナ禍のせいでアフリカに行く、という目標だけは達成できずにいて。

本当はコロナの規制でアフリカには行けないことになっていたので、フランスに行く予定だったのが、それが色々な障壁にぶち当たりキャンセルに。合意までしてて交渉破談になるサッカー選手の気持ちを思い知る。そうこうしてる間にいつの間にか大学の規制が緩和されて、アフリカ行けるじゃん、ということで色々探しまわった結果アフリカに行けることになったのだから、うまくできてるなと思う。

 

座学はたくさんやってきたけど、実は今回のテーマは今まで勉強してきたこととはガラリとかわったテーマ(農業ではあるけど)。どちらかというと小学生のころとかに興味を持っていたようなことに近いんだから、めぐりあわせは不思議だなと思ったり。とにかく、2か月でいろんなことを吸収して、自分にとってベストなアフリカとのかかわり方を探したいと思ってます。やりきるぞ~