備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

カメルーン一週目。感じたこととか

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ヤウンデの街並み

ヤウンデの空港に着くや否や、身に覚えのある匂いを感じた。それもアフリカに行ったことがないのにアフリカを連想しうるようなにおい。エチオピア関連で色々やっていた時の匂いだろうか、覚えてないけど、何か不思議な感じだ。

空港から滞在先までは車で向かう。初めてインドのコルカタに降り立った時を思い出した。何もかもが見たことない光景で、そして町全体から底知れないようなパワーを感じる。ただコルカタに降り立った時は底知れぬ不安を感じた一方で、今回は不安どころか外を見れば見るほどワクワクしてくる。10年間、いやアフリカという土地へのあこがれはもっとあったか、それくらい待ち望んでいた場所だからだろうか。

 

ヤウンデは、思っていた以上に西アフリカっぽい首都だなと思う。全体的に平屋や2階建てくらいの建物が多く、一部を除いてはまだまだ道路も未舗装だったり信号がないところも多い。、カラフルな伝統衣服を着た女性が頭にものをのせて運んでいたり、子供たちがはしゃぎまわってたり、路肩で飯や日用品などいろんなものを売ってる男性などが街のそこらじゅうで見られる。なんというか、いろんなことに対するヒントが得られそうだと思った。

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カメルーンでの生活

2か月の滞在のうち、首都ヤウンデにいるのは最初と最後の1週間ずつ、そして農村と農村を行き来する間の日のみだ。
ということで、家のようなところには住まず、オフィスの横にある家族経営の小さなホテルに泊まることになった。そして首都にある研究機関のオフィスといっても、中心地にあるわけではない。農業系の世界共通事項だと思っているが、ここカメルーンでも例の如くオフィスは丘の上にあり、まわりは平屋ばかりの農村地域だ。オーナーのおっちゃんは面倒見がよくて、自宅に招いてくれたりマンゴーを持ってきてくれたり、色々気にかけてくれる。いつもレセプションにいるピエールという男は、英語はあまりしゃべれないが色々気遣ってくれて、散歩に連れて行ってくれたり、手洗いの洗濯を手伝ってくれたりする。そしてフランス語でこちらが何か言うと特徴的な笑い方をする、陽気な男だ。オーナーの奥さんのマダムは(フランス語圏なので、マダムと呼んでいる)、3食カメルーン料理を作ってくれる。これがまたおいしい。

 

カメルーン料理にはいろいろなものがあるけれど、トマトベースの煮込み物が多いが、基本的には炭水化物6割、タンパク質3割、残りの1割が野菜といった感じで、野菜の分量がかなり少ないのが見て取れる。炭水化物はキャッサバ、プランテン(加工用バナナ)、ジャガイモ、コメなどが主で、キャッサバは蒸かすかボボロという粉にしてまとめた、巨大タピオカのようなもの、プランテンも茹でるか揚げたもの、といった感じでバリエーションが多い。タンパク質は、鶏肉、魚が多く、たまに羊なども出てきたりする。量がとにかく多いので、最初のほうは食べるのに1時間くらいかかっていたが、最近は比較的慣れてきた気もする。それでも多いが。1週間一度も空腹を感じない生活を想像してみてほしい。話を聞くと、豪華なものを出すのはカメルーン人のもてなしの一つで、またカメルーン人の食べる量は結構多いとのことだった。

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カメルーンの人はみな親切だ。思ったよりシャイな人が多いけれど、それでも皆暖かく受け入れてくれているし、「ここはお前のHomeだ」「なにかあっても私たちがいるから」など暖かい言葉をかけてくれる。マンゴーが好きだけど、日本では高級品だからあまり食べられないといった話をした暁には数えきれないくらいマンゴーをもらった。その結果マンゴーの食べ過ぎで唇がめちゃくちゃ荒れた。ホテルの近所の売店のおばちゃんとは通り過ぎるたびに挨拶する仲になったし、一度話してしまえばぐっと距離が縮まる、そんなカメルーン人とのコミュニケーション。色々話すようになると、やはり日本のことをよく聞かれる。「やくざはいるのか」「忍者はいるのか」「寿司は美味いか」とか、そういう話だ。ヨーロッパとかにいて聞かれる日本に関する質問とはわけが違う。日本というのがいかに地理的に遠くて、でも確固たるイメージを持った国なのかを表していると思う。そういった気になったことを直球で聞いてこられるのと同様に、自分も気になったことを直球で聞いて、できるだけカメルーンという国だったり、自分が今いる場所だったり、カメルーン人の考えだったり、いろんなことに関することを吸収したいと思う。

不便さの受容。出来るだけ同じ視座でカメルーンを見たい。

不便なこともたくさんある。ホテル暮らしだけれど、初日以降は水が使えない。なので、バケツに汲んでもらった水で体を洗ったり、トイレを流したり、手を洗ったりしている。雨が激しく降る日などは、いやそうでなくても、停電がよく起こる。雨が降るのはたいてい夕方以降なので、暗闇の蒸し暑い部屋でじっと待つほかない。インターネットもオフィス以外は使えない。ホテルにはWi-Fiは通ってないので、たまに隣のオフィスから飛んでくるWi-Fiが使えるくらいだ。もともとWi-Fiカメルーンに着く時点ですでに手配されている、という話だったはずなのに、未だに手配されていない。まあこういった情報伝達がうまくいかない感じは、カメルーンというかアフリカ全体でよくある話なんだと思う。
もともとある程度の不便さも経験の一つとしてとらえようと思っていたからなのか、自分でもびっくりするくらいストレスを感じない。いや、ストレスを感じないと言ったらウソかもしれないけど、ヨーロッパに帰りたい、とかとはならない。もちろん水もちゃんと出て電気もついてネットも使えるヨーロッパだったり日本って今思うとありがたかったんだなぁ、とは思うけれど、それ以上でもそれ以下でもない。むしろ周りの家々が停電していたり断水している中で、自分はネットが使えて暖かいシャワーも浴びれたら、カメルーンにせっかくいるのに外からカメルーンを眺めているような気がして居心地悪く感じるんじゃないか、と思ったりもする。今はカメルーンに住んでいるカメルーン人とできるだけ同じような生活をして、それを肌で感じたいなと思う。

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情報の立体化

カメルーンに来て1週間、よかったなと思うことは、今まで習ってきた、教科書上の事象がどんどん立体化されていくことだ。これが本当に面白い。例えば「アフリカではマンゴーがよく栽培されている」ということを習ったとして、自分のなかでは日本の果樹園のイメージについつい当てはめて考えてしまう。が、実際はというとその辺に生えててそれらを各々の家庭が収穫し、路上で売ったり自分たちで食べたりしている。どちらかというと日本の家の庭に植わっているミカンのようなイメージだ。ケニアのプロジェクトに携わった時に、ある日向こうから「ペットボトルとかプラスチックのごみがひどいから、これらを農業に有効活用したい」と言われた。その際に、「プラスチックのごみを集めて再利用しているNGOがあるから、そこと連携するといいと思う」とも付け加えられた。自分の中のプラスチック、特にペットボトルのごみというと、飲み終わったペットボトルがそのままペットボトルの形をしてゴミ箱に捨てられている、という日本やオランダのイメージが浮かんでくる。まあペットボトル専用のごみ箱に捨てられずポイ捨てされているにせよ、少なくともペットボトルの形をしてゴミになっているのだろう、と。ペットボトルごみの農業への使い道は正直いくらでもあるし、なぜわざわざNGOを通す必要があるのか?と疑問に思っていた。実際にカメルーンに来ると、確かにペットボトルのごみがかなり多い。が、ほとんどはぺしゃんこにつぶされて、とてもじゃないけどこのまま使えるものではない。もしケニアの状態も多かれ少なかれ似たような状態だったのなら、NGOの話もうなずけるなと思った。まあもちろん、ミクロ的にはペットボトルのごみをつぶさずに回収するスキームを作るのがいいのだろうけど、マクロ的にはNGOを通して再利用品を使うほうが短期の視点では効率的ではある。
飯を見てもそうだ。「アフリカではカロリー的には最低限の食糧が足りていても、栄養面で食糧問題が発生している地域も多い」と聞いていた。ヤウンデもその一つだ。とにかく炭水化物の割合が圧倒的に多いから腹は膨れる。しかしその一方で、栄養が取れているか、というと疑問は残る。野菜の量が圧倒的に少ないのだ。結果として栄養失調の兆候が見られる子供をよく見かける。そしてそういった地域では、ダノンやネスレなどが栄養素がたくさん入ったココアパウダーやミルクパウダーを販売していて、これをFortificationという。要するに、普段のご飯で栄養が十分に取れない分を、栄養素を砂糖や塩、ミルクなどの「1日に摂取する量がおおよそわかるもの」に混ぜることで、栄養を補完する、というもので、短期~中期的な栄養不足の解決策としてあげられる。これが毎朝出てくるし、こういった食生活をしているとこれの有難みがわかる。またこのFortifyされたココアパウダーはその辺の売店で買うことが出来る。

部外者の自分に何ができるのか?

また、ある日ホテルの周りをピエールと散歩する機会があった。小規模の農家に特段興味がある自分からすると、散歩は絶好のフィールドワークだ。散歩をしていると各々の家庭が家のすぐ横にキャッサバだったりマンゴー、プランテンなどを植えていたり、またトウモロコシと落花生の混作をしていたりする。トウモロコシと落花生の混作はよく授業などでも取り扱われる王道の組み合わせだ。ある家は木などを焼いた灰を庭の隅に置いている。灰は養分になるほか、アフリカ特有の酸性土壌を中性化する効果もある。いわゆる焼き畑農業のメリットの一つだ。また苗木を作ってそれを地元の人に売っている農家にもお邪魔させてもらった。一体どういった人たちがどれくらいの規模を管理しているのかは分からなかったが、子供たちが堆肥を作り、それをビニールのポットのようなものに詰め、そこに種を植えていく。ビニールに詰められた土は明らかに元々の土よりも粘土質で保水性もよく、また養分も豊富だ。結果として苗木がより確実に育つようになる。自分もパパイヤの播種に参加させてもらった。パパイヤの種をまきながらふと考える。「自分がアフリカ農業について出来ることって何なのだろうか?」この質問に対する答えを見つけに来ている、いや、答えが見つからなくてもヒントを見つけにここにきているのだけれど、それにしてもまさかフィールドに行く前の段階でその質問にぶち当たるとは思わなかった。この人たちは自分が思っている以上に農業に詳しいというか、理にかなった農業を行っている。しばしば小規模農家の知識の欠落がアフリカでは問題とされているが、それでもやはりコミュニティで共有されている「暗黙知」のような知識はかなり蓄積されているように感じる。そんななかで、部外者である自分が出来ることというのは何なのだろうか。ケニアのプロジェクトに関わった時に、向こうの人に「現地の農家は何も農法を知らない」と言われたが、本当にそうなのだろうか、という疑問がわいてくる。やはりケニアにもいかないといけなさそうだ。

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Intercroppingの例

対話を通して問題を見つけたい

ただ一つ言えるだろうというのは、あくまで自分が短時間の間に観察したなかでは、かなり理にかなっていた農業をやっていたけれど、それが果たして何の問題も抱えてないのか、というのはもっと観察して、もっと対話を重ねないとわからないことだろうな、とも思う。そして対話を重ねるうえで自分が、いや、相手が何かしらの問題に気付けるのであれば、そこが自分の貢献できるところなのかな、とも思ったりもする。

こっちに来てから、「途上国の人々との話し方」という本を読んでいる。本のタイトルだけだとどうも上から目線のような気がしてしまってならないけれど、内容はというと対話術に関する極めて有用な本だ。部外者で、先進国でそだってきた自分とアフリカの農村の人との間でコミュニケーションを行う際に摩擦やずれが生じるのは当然であり、そういったずれにどのように対処していくのか、という点で非常に参考になる本で、以前読んだのだけれどもう一度読み返している。この本のノウハウは、農村や農家が抱える本当の問題にアプローチする上で非常に有用だとおもうから、出来るだけ頭に入れた状態でフィールドに行きたいなと思う。