備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

1か月の共同生活で見えてきた、アフリカで働く難しさと価値

カメルーンに来て、小さな町でフィールドワークを始めて1か月経った。

研究プロジェクトの一環として来ているわけだけれど、ぶっちゃけると研究の内容よりもアフリカでアフリカの人と働く、同じ生活をしてみる、という部分に惹かれて二つ返事でオファーを了承したわけで、今回は研究内容ではなくアフリカで働くことについて多かれ少なかれ見えてきたことを書き連ねてみる。

 

自分が滞在した町には日本人はおろか外国人はほぼおらず、自分が一緒に働いた人、関わった人も全員カメルーン人だ。

 

基本的には自分含め5-6人のチームで行動、内容はプロトコルに沿って1日単位で毎日同じことを違う場所でやる、といった感じだった。チームのメンバーは欠員が出ない限り基本一緒で、メンバーのうち英語がコミュニケーション取れるレベルで喋れるのは1人、2人が自分のフランス語と同レベルの英語、残りの2人は完全にしゃべれない(挨拶がかろうじて出来るレベル)といった感じで、まあそれはそれは体当たりのコミュニケーションだ。

まあ、言語の壁とかは正直アフリカに限らずどこでも起きうるのですっ飛ばして、アフリカだからこその話を書いていこうと思う。ちなみに外国籍のサッカー選手がサッカーに関連する用語を覚えていくように、自分も「この木ちょっと傾いてない?」「直径測った?」「木の本数まだ数えてなかったらやってくんない?」「これ三平方の定理使えるよね」など日常生活で全く活きてこないフランス語と、イポポト、オネネンゲ、イロンバ、シソンゴなど、現地でしか通じない植物の現地名称はかなり覚えた。これで作業は滞りなく行える。

 

リスクに関するあれこれ - Reactiveか、Proactiveか。

まずカメルーンカメルーン人と1か月間仕事をしてみて一番思ったこと。リスクに対する対処の方法だ。

カメルーンにいると様々な問題が生じる。バイクに問題が生じただとか、農家と連絡が取れないだとか、ミスコミュニケーションで仕事に遅れが出るとか。

日本では考えうるリスクや問題に対しては、「起きることを防ぐ」であったり、「もし起きたらどうするか」を事前に考えておくことで対処することが多いと思う。一方でカメルーンでは、「問題が起きてからその問題に対処する」といった方法で、Reactiveな対処方法がとられることが多い。

その結果、What if(もしこうだったら)という仮定のもと動くことをあまり好まないな、と提案などをしてて思った。

これは個人的には文化的な側面が大きいと思っていて、Uncertainty avoidance(不確実性の忌避)の大小が原因だと思う。日本の場合はこのUncertainty avoidanceが高いとされていて、例えば、将来のことをすごくきちんと考えさせるような社会的圧が存在すると思うし(大学受験や就活など)、なんなら従来的な社会システム(終身雇用、年金制度など)はUncertainty avoidanceの最たる例だと思ってる。Uncertainty avoidanceが高いような国の国民が集まれば当然一つの物事を進めるうえでもいろんな懸念などが入ってきて、結果的に物事が進むのが遅くなる、みたいなこともある。

一方でカメルーン。Uncertainty avoidanceはかなり低いと思う。明日のことは明日案じよ、といった感じで、明日以降のことは考えない。最初は「今日の失敗は忘れて明日はまた明日考えればいいよ」といった前向きさに感銘を受けたのだけれど(これを意味するTomorrow is another dayはカメルーン人の口癖だ)、ずっと働いていると「今日起きた問題を明日に生かすためにこうすればいいんじゃないか」みたいな話が8割がた「まあそれは明日考えよう」で流されるので、なかなかリスクに対して前もって対処する、といった方針をとるのが難しい。Tomorrow is another dayの濫用が起きている気がする。そしてそんな感じなので、起きうるリスクとかは考えずにとりあえず物事は進む。「こんな適当な感じで大丈夫なの…?」と思いつつ案外うまくいくことも多い。が、一方で日本人的視点からすると見通しの甘さみたいなのを感じることはしょっちゅうあって、その結果トラブルもたくさん起きる。「え、なんでそれあらかじめやっておかなかったの…?」みたいなことはよく起きて、例えばつい最近の話だと、往路の時点でガソリンを満タンにしそびれた乗っていたバイクが復路でガス欠になった。ガス欠になった時はちょうど計画性とかの話をしているところだった。その時にカメルーン人に言われたのが「計画を立てるって言っても、いつガス欠になるかなんて予測できないだろ?」という言葉。たしかにいつどこでガス欠になるかの予測は難しいけど、ガス欠にならないように満タンにしておくという予防策は取れるはずだよねって思ったりした。もちろん全員が全員リスク管理をしないわけではないし、もちろんみんな将来のことは考えているのだけれど、それでも計画性だったりリスク管理の面では自分のほうが長けているなというのはものすごく実感した。

 

別にどっちか良いとか、カメルーン人はもっと計画性だったりリスク管理をすべきだとかってことを言いたいわけではなくて、単純に日本人がカメルーン人の中で働く、チームをまとめるうえでのむずかしさを感じるな、という話。日本もカメルーン(というかアフリカ)も不確実性は高いと思う。日本は災害大国だし、カメルーンは食糧供給やインフラの不安定さとかからくる不確実性がたくさんある。が、その結果日本人はリスク管理をかなりするといった方針をとるようになって、カメルーン人は不確実性について考えることを諦めて何か起きた時に考える、という方針をとるようになったのは面白い。

自分の場合、日本人がカメルーン人の中で働く、となる場合の大半は、「どこかしらの組織からミッションを背負ってカメルーン人と一緒に働く」というシチュエーションだろうなと思う。そうなったときには、いくらカメルーンとの親和性がなかろうとある程度計画を立てないといけないし、リスク管理をしつつ進捗を生まなければいけない。この辺のバランスをうまい具合にやることが大事なんだろうな、と思う。

 

力の作用 - 情報の伝達経路

カメルーンでもう一つ気になった、というか難しいなと思ったのはヒエラルキーだ。下から上への意見、というのがとにかく通りにくいし、言いづらい。とにかく風通しの悪さのようなものを感じる。

来る前に、何度かそういう話を聞いていたし、将来的にアフリカで働きたいなら博士号を持っておいたほうがいい、とも言われていた。その意味が実体験を通してわかってきた気がする。とにかく称号とかそういったものによる絶対的な上下関係が強い。

例えば、この前会った話だと、元々の予定で決まっていた次の村への移動日について首都にいる上司に問い合わせたところ、「次の村にその日に行くのは無理だ」と、いまいち筋の通っていない説明と共に送られてきた。まあ要するにその上司が手配を完全に忘れていただけなのだけれど、まず部下に指摘された自分のミスを全く認めようとしないから、いまいち何が問題でどうなっているのかが完全に不透明になる。ただそのミスを犯した上司がミスを認めたくないということにも同情の余地はあって、その上司にも上司がいる。そしてそこではまた同じような絶対的上下関係が存在しているため、自分の上司的にはきっと穏便に過ごしたかったんだろうなと思ったりする。

こういう時にどうすればいいか、というと、自分が所属しているオランダの機関を経由するのが一番早い。オランダは上下関係というものがびっくりするくらいなくて、言いたいことがあれば上司に言える。そしてこのオランダの上司はカメルーンの上司と同じかそれより高いくらいの位置なので、オランダの上司が同じことを言えばすっと通る。

こういった上下関係のせいで物事の進みが遅くなるというのはなんとも面倒くさいなと思うのだけれど(そもそも自分が立てた旅程のアレンジを直前まで忘れる上司ってなんだよというところではあるが)、力の作用をうまく利用するというのは大事なんだろうな、と思う。

逆に、自分が上の立場になった時に相手の本音を聞き出せない、といったことがあったりするという話も聞いたことがある。農家と話すときは目線を合わせるとか、逆に自分の意見をチーム内で通したいときは階級を使うとか、そういった意図的な使い分けをすることが大事なのかなぁと思ったりする。

 

これら二つが主に感じたむずかしさ。これらのせいで、情報の錯綜っぷりがひどい。実際には2割くらいしか決まってなくて、残りの8割は「こんな感じでなんとかなるっしょ」といった状態でも、あたかも10割決まっているかのようなテンションで伝えてくる。そしてそれを鵜吞みにして改めて聞いてみると、きっちり立てられていたと思っていた計画の8割は実は決まってないことが判明して、そのうち4割くらいの内容が知らぬうちに変更されていたりとかもある。それに加えて、下から上に情報が通りにくかったり、上に忖度して違うことを伝えたり、そもそも下には情報が全然流れてこなかったりとか、そういったこともたくさんある。

今回の場合はこの錯綜っぷりに加えて、自分がフランス語を喋れないがゆえに議論の中心に入ろうにも入れなかったことによってかなり右往左往したなと感じた。


農家の視点と自分ができること。 - SDGsとTomorrow is another dayの精神

話は戻って、カメルーン人の多くは物事を長期的な視点で見ようとせず、「明日は明日の風が吹く」な感じでゆったり構えている人が多い。そうなったときに、今トレンドであるSustainable development(持続可能な開発)を実現していくというのは非常に難しいのでは?ということ。ここでいうSustainabilityというのは、次世代まで続くという意味でもそうだし、開発援助プロジェクトが終わった後も彼らが自分たちで維持していける、という意味合い。

農家に「農場を持つことによる将来への安心がどれくらいか」ということを聞くとたいてい「かなり安心できる」と返ってくる。けれど、その一方で「農場の肥沃さなどの変化を感じるか?」と聞くと、「低下してきている」という答えが返ってくる。農場の肥沃さが低下しているのに、10年、20年後の保証のようなことを感じるというのはどういうことか、というと、結局のところ「今の状態の農場が10年後、20年後もあれば安心できる」という話なのであって、今の状態を維持するためにはどうしていく必要があるか、というところまで頭が回っている農家はなかなか少ない。

ただ、これは農家の知識量とかそういったことではなくて、何度も言うように長年培われてきたマインドの違いによるものだろうな、と思う。そうなったときに、「SDGs的考え方なんて持ってないんだから、考えても無駄」となるのも違うし、「長期的な視座を農家に持たせるべき」と一辺倒になるのも違う。

実際にアフリカの現状を俯瞰してみると、人口増加による食糧需要の増加によって土地への負荷は現在進行形で上がっているし、それに加えて気候変動などの影響もあるわけで、「今は大丈夫だから今後もOK」とはならない。長期的な目線を持たずになんとなくやっていて、土地がやせた時に何とかしようとするのではもう遅かったりする。農家が今後も変わらず農業をやっていき、アフリカの食糧問題を減らしていくには、Sustainabilityてきな考えは必要不可欠だと思ってる。

個人的には、長期的な計画のようなものを考えるのは、それが得意な人がやればいいと思っていて、そこに農家が享受できる短期的なインセンティブを見出すことが出来れば、農家からしても取り組みやすいし、結果として長期的に農場が使えるようなシステムのようなものを構築できるのでは、とぼんやり思っている。ただまあ、「どういったことが農家にとって可能なのか」「なにがインセンティブになりえるのか」とかはインフラや国の発展などによって随時変わってくるのだから、定期的な計画の見直しも重要なんだろうなとも思ったり。アフリカにおいて、自分自身の中に見いだせる価値はこの辺に隠れているのではないかなと思う。

 


後もう一つ考えているのは、長期的な目線だったり、リスクに対してあらかじめ対処することだったりとかは獲得できるものなのか、獲得できるとしてそれは果たしていいことなのだろうか、ということ。何かしらのトレーニングなどで獲得できるものなのであれば、それを通して持続可能な食糧生産がより容易になるのでは?と思ったりする一方で、落とし穴があるような気もしている。これは完全に野生の感覚のような、なんとなくそうな気がする、といったレベルだけれど。というのも、Tomorrow is another day的な考え方は価値観に深く根付いているわけで、そこに長期的な視点とかを無理やりぶち込もうとするとものすごく中途半端なことになる気もするし、一定のリスクをはらんでいるのでは、という。なんか、欧州諸国がアフリカに無理やりヨーロッパ的な政治システムを持ち込んだ結果全然うまく機能していない、というのと被るなぁと思ったり。

ただ農家だって例えば果物の木を植えるときは長期的なことを考えているわけで(果物が取れるのは植えてから少なくとも数年はかかる)、やはりまだまだアフリカの農家の考え方とかを把握するには時間がかかるなって思った。これを把握することは、持続可能な開発計画をアフリカ流に落とし込むにはどうすればいいかという問いに非常に大事なんだろうな、ということを働きながら思ったりした。

 

たかが1か月、されど1か月。お試し期間としてはこれ以上ないくらいいい経験だったと思う。と書くともう終わったかのような感じがするけれど、まだフィールドワークは終わっていない。が、情報の錯綜やごたごたがあって無意味にヤウンデで時間を過ごしているので、仕方なく一区切りとしてこれを書いた。