備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

アフリカ旅行記-ケニア

3ヶ月間アフリカとカタールに旅行に行ってくる。アフリカは単なる旅行、カタールは言わずもがなW杯だ。近辺で用事を済ませた母親が東京駅まで見送りに来てくれた。

流石にこの年にもなって見送りに来なくても、と少し気恥ずかしく思うけど、実際我が子がアフリカに3ヶ月とか言ったら心配にもなるのはわかる。が、心配されるとこちらまで心配になってきてしまう。

 

インドやブラジルに旅行に行った時と同じく、行く直前が一番不安も募るし行くのがめんどくさいな、となる。が、治安が悪いところは最悪の想定をしておくくらいがちょうどいい。

航空券はカタール航空周遊券を購入。

成田-ナイロビ、ヨハネスブルク-ドーハ、ドーハ-成田の3区間で24万円。このご時世かつ帰りがW杯期間中の直行便であることを考えるとかなり安い。

 

しかし成田にも徐々に人が戻ってきているのを感じる。今回のドーハ行きの便は満席だった。運休などで選択肢が少なくなっている結果かもしれないけど。

 

ドーハには朝3時半着。ドーハからナイロビへの便は夕方に出る便と夜中に出る便があって、到着が夜中になるよりは朝方に着く方がいいだろうと思ったので夜2時の便を予約していた。

22時間のトランジットである。最初はカタールに入国しようかとも思ったけれど、PCRの陰性証明が必要なことや、真夏のカタールを重い荷物背負って行くのはなかなかにキツいだろうなって思ったのでラウンジで過ごすことに。

幸いプライオリティパスを持ってたおかげで終日ラウンジに無料でいれたが、流石に20時間超えの滞在は飽きた。ただただ座ってるだけなのに疲労が溜まっていくのを実感する。

 

搭乗口に行くと、流石にアフリカ系の顔立ちの人が多いが、カメルーンに比べたら白人が多い印象。飛行機の出発時間は午前2時、日本時間にして朝8時。眠すぎたので乗ってすぐ眠りにつき、朝起きた時にはもうケニア上空だった。

ケニアはナイロビに到着、飛行機の外に出ると気温は15度前後で、思ったよりも寒い。

ナイロビの標高は2000メートル弱なので、赤道近くとは言えどかなりひんやりしている。

あらかじめ取得しておいたケニア専用のワクチンの接種証明書を職員に見せると、「問題があるから入れないよ」と言われた。よく見ると3回目の接種日が2022年8月31日になっていた。どうしてこんなミスをしたのかはわからないけど、オランダで発行された元の接種証明書を見せたらあっさり通してくれた。カメルーンとかだったらこういうところで賄賂を請求されそうなので、かなり拍子抜けだ。

ケニアはアライバルビザを廃止しているのであらかじめ申請したeVisaの申請用紙を見せる。すると、ボーダーコントロールでパスポートにVisaを貼ってもらえる仕組み。今回は東アフリカ観光ビザというウガンダルワンダケニアの3カ国のMultiple entryビザを申請して、申請用紙には一言も東アフリカと書いてなかったので不安だったのだけれどもパスポートに貼られたビザにはしっかりEast Africa Tourist Visaと書かれていて一安心。

 

ATMでケニアシリングをおろし、現地のSIMカード購入。SIMカードを購入しがてら店員にスワヒリ語での簡単なフレーズを教えてもらう。ありがとうがAsante、どういたしましてがKaribu。発音が日本人的には覚えやすい。

空港で一通りのことをやって外に出たのが午前8時半。チェックインは14時なのでまだまだ時間があるが、ナイロビはアフリカの中でも有数の治安の悪い都市として知られているわけで、大荷物を背負ってうろつきたくはない。

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というわけで、空港に併設されているカフェに入って時間をつぶすことにした。空港併設だからなのか、値段は高い。コーヒーとクロワッサンで700円ほどした。

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アジア人一人でくるのが珍しいのか、店員にはどこから来たのか、Yokohamaは知っているか、何をしにケニアにきたのか、など色々なことを聞かれる。こういった些細な無害で些細な質問は自分の緊張をいい具合にほぐしてくれる。

2時間ほどカフェでくつろがせてもらって、タクシーで宿近くまで移動し、そこでご飯を食べてチェックインをすることにした。

ここケニアではUberやBoltといった配車サービスが使えるので、値段交渉をする必要もなく、また値段もリーズナブルなので非常に楽。タクシーに乗り込むと、いきなり「ETCが入っていません」の音声が聞こえた。あまりの自然さに一瞬受け入れてしまったが、ここはナイロビだ。噂には聞いていたものの、日本車率はものすごく高いし、ケニアは左側通行右ハンドルなこともあって、日本で使われなくなった車をそのまま再利用できるため、カーナビやETCなどもそのままついているケースが多い。

タクシーに乗りながら街の様子を見ていると、ナイロビという都市の発展度合いに驚かされる。アフリカ随一の新興国の首都は伊達ではない。高層ビルはあちらこちらにあるし、道路も、また道路交通事情もかなり整然としている印象を受ける。車線が車線の意味を成しておらず、信号もほとんどなく道路は未舗装なところが多く、時には逆走する車も見かけていたカメルーンとは雲泥の差だ。

街全体が熱気にあふれていたヤウンデに比べると、ナイロビの街は幾分か落ち着いていている。当たり前ではあるのだけれど、同じアフリカといえど西アフリカとは全く異なる雰囲気だ。個人的にはアフリカの解像度をもっと高めるために来たので、来て早速差異を感じられたのはありがたい。

 

昼ご飯を食べに入ったレストランも、一つの料理の値段は軒並み1000ケニアシリングを超えていた(1シリングは1.2円ほど)。想像していたよりもずっと高くテンションが少し下がる。店は小綺麗だし、店内で流れている音楽は一昔前の世界的なヒットチャートだし、で、全然アフリカっぽくない。なんというか、自分がこれまで見てきたアフリカの飯屋というのは、画質の悪いテレビから延々とアフロミュージックのMVが流れているようなところで、西洋の音楽を少し耳にするだけで感動するような場所だったわけで。

ケニアカメルーンと比べて、自分に馴染みのある環境にずっとずっと近いような気がする。もし最初に行った国がケニアで、そのあとにカメルーンで働いたりしたら挫折してたかもしれない、と思った。

 

ケニア2日目

蚊に手足を刺されて深夜に起きてしまった反動もあって、この日は朝起きるのがだいぶ遅かった。やることも特に決めていなかったので昼前まで時間をつぶして適当に昼ご飯を食べに行こうと決めた。

現地の人になんかおすすめの場所がないかと聞いたらNairobi Street Kitchenという場所をお勧めされたので行ってみることにする。屋台村のような感じと聞いているので期待大だ。

タクシーで行こうとBoltを使って配車をしたらキャンセルされてしまい、同じくBoltのバイクタクシーを使うことに。バイクタクシーは交通量の多い地域では交通事故に遭いやすい&タクシーと比べるとセキュリティ面で劣るためあまり乗りたくなかったのだけれど、移動手段がそれしかないのなら仕方がない。

バイクタクシーに乗るや否や、その心地よさを覚える。確かに信号を無視して、スマホを見ながら運転されるバイクというのはなかなかに怖いのだけれど、やはりガラスなどを通さずに自分の目で景色が見え、音やにおいも感じられるのは非常に良い。完全にバイクタクシーのとりこになってしまった。

 

10分ほどバイクでNairobi Street Kitchenに到着する。が、それらしきものが見えない。どこにある?と聞くと隣にあった巨大な倉庫のようなものを指さされた。セキュリティチェックをした後中に入ると、イメージとはだいぶ違ったこぎれいなお店が広がっていた。廃倉庫の中をおしゃれなお店で埋め尽くす、みたいなのはヨーロッパとかでよくあるやつだけど、実際客は白人系の人が多かった。「あ、自分の居場所はここじゃない」と思ったので、そそくさと出る。いや、客観的に見たら自分の居場所はそこなのかもしれないけれど。

とりあえずNairobi Street kitchenがあるWestlandという地域は比較的安全という話を聞いたので、恐る恐る街を歩いてやすそうな食堂を探す。

3分ほど歩いて、人がまばらに入った食堂を見つけた。主食を選んで、付け合わせを選ぶスタイル。これはカメルーンと同じだ。とりあえずまだ食べたことのなかったウガリと、適当にひき肉の炒め物を頼む。300シリングなのでまあまあ安い。味は可もなく不可もなく、だったけれどとにかくこの安さは正義だ。

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飯を食べていると、ボロボロになった服を着たおじさんが入店してきて会釈をしてきたので会釈をしたら、どうやら物乞いで、ご飯をおごってくれ、といったジェスチャーをしていた。ケニア人はいい人が多いから出来るだけコミュニケーションを取ろうと思うけれど、そこが危ないところというか、見境なくコミュニケーションを取ろうとするのは危険とも隣り合わせ。気を引き締めないと、と思った。

それはそれとして、自分の中で「物乞いに対して無視する」ということに対する上手い理由付けができない。自分がアフリカ農業を勉強しているのは、テーマ自体の面白さもあるけれど、やはり「アフリカの未来が明るくなってほしい」という点も大きい。で、自分は今目の前にいる見るからに自分より貧しい、空腹を感じている人からの「数百円」のお願いに対して拒否をしてしまった。ここでお金をあげることは長期的に見て何も解決にならないけれど、空腹を凌ぐことはできるわけで。何か自分の中に矛盾があるような気がしてモヤモヤしてしまう。

 

そんなモヤモヤを抱えながら店を後にする。あまりぶらぶらするのも得策ではないと思ったので、ちょっと歩いて比較的大きめなモールに入り、そこから再びバイクタクシーに乗って戻る。宿の近くにある個人商店でドーナツを購入し宿に戻る。やはり個人商店は安い。ドーナツを4つ買って50円もしないくらいだった。

その後は宿でだらだらして、ご飯を宿で作るか、それとも食べに行くかで迷う。食べに行く場所を探そうとしても、比較的いいレストランしか出てこないので、とりあえず宿から近いスーパーマーケットに行くことにした。今回もバイクタクシーで向かうと、道中たくさんのローカル食堂があることに気づく。そして匂いがとても良い。

バイクタクシーを降りた後、迷わずローカル食堂の方に吸い込まれた。メニューも看板もなく、あるものだけを調理してもらうスタイル。チキンソテーとライスで600円ほどだった。鶏肉はアフリカ特有の地鶏のような噛み応えのある鶏肉で、味はとてもおいしかった。

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今考えると、カメルーンで毎日ご飯を食べていた場所なんてGoogle Mapへの記載はおろか、メニューもなければ看板すらもない。Google Mapで安いお店を探そう、といった考え自体が野暮だった気がする。

 

宿に帰ってからやることは正直日本にいても出来ることばかりだから自分がケニアにいるという事実を忘れてしまいそうになるけれど、まあそれも悪くない。長旅なので、「何かやらないと!」と焦ることなく過ごしていきたいと思ってる。

 

3日目

午前中はVlogの編集作業を進める。Vlogと言っても、旅程の説明だとかそういった前振りの部分だ。が、とにかく撮っているカットが少なすぎてこれはボツになるのでは…?と思ってしまう。自分の中でVlogは自分の記録用であって、別にVlogを撮るために旅行しているわけではないし、そうなったら本末転倒だと思っている。なのでまあ、撮れなかったらそれはそれでいいや、と思うようにしている。

 

この日はTwitterでたまたま見かけたナイロビ旅行中の人に連絡を取って会うことにした。ナイロビであまりやることがなかったのと、意外と食費がかさむので、だれかと一緒にいた方が楽しいかな、と思って(向こうからしたらだいぶ不審者だったろうけど)連絡をしてみた。

相手の宿近辺で落ち合って、昨日夕飯を食べた場所で昼食を食べる。昨日より豪華になっていたのに100シリング安い300シリングで飯が食べられた。ナイロビでこの値段とクオリティなら毎日でも通いたくなってしまう。

そこから、ケニアの文化村のようなところにバイクタクシーで向かう。道中で突如として左右の景色が一変した。高い建物はなくなり、トタン屋根のバラック小屋が一面に広がる。そして時折生ごみを煮詰めたような異臭も漂ってくる。後々地図を見たら、ナイロビいち治安が悪いとされるキベラスラムだった。

文化村に着くや否や、ガードの人に「今日は選挙の影響で閉まってる」と言われた。ケニアでは8月に総選挙があり、そこで反支配者層である前副大統領が僅差で勝利を収めた。が、それに対して支配者層の立候補者が不正を申し立て、裁判の結果がこの日に下される、というものだった。結果によっては、つまり裁判の結果選挙が覆って、支配者層の擁立した候補が仮に当選した場合、民衆による暴動などが起きるのでは、といった見立てがあり、その結果として学校や公共施設は軒並み閉まっているようだった。

やることもないので、乗ってきたバイクタクシーに再び乗り元の場所に戻ることにする。ドライバーからしたら非常に美味しかったと思う。戻っている途中、キベラスラムのあたりには軍のトラックが止まっていた。緊迫感が高まるのかと思いつつ市内に戻って結果を見ると、不服申し立ては棄却されたようで、ひとまず暴動などは起きなさそうであった。この結果を祝う人たちなども見かけたし、ケニアの未来が明るくなるといいけれど。

カフェでお茶をしていると、何やら道路沿いで鈍い音がする。よく見ると、車とバイクが衝突している。移動手段としてバイクは好きだけれど、やはりバイクは危険だというのを再認識。

旅行している日本人の人と、ナイロビでインターンをしている日本人の人といろんな話が出来てよかったなと思う。個人情報とかもあるしあまりかけないけれど、でも自分の思ったことはまとめておかないとな、と思ったり。

 

ひとまずケニアはそんな感じで、明日からルワンダ。またケニアには戻ってくるけど、ルワンダウガンダを見た後にケニアを見るとどういう風に見えるだろうか、それはそれで楽しみ。