備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

アフリカ旅行記-ルワンダ③ 陽と陰

2日目。適当に起きてホステルの朝食を食べる。ホステルは2泊しかとっていなかったので、実質今日が最終日になるかもしれない。キガリで一番行きたかったのはルワンダ大虐殺の記念館だ。今までこういう系の負の歴史を語る施設はアウシュビッツ南京大虐殺記念館と行ってきたけれど、やはりどっちも行ってよかったなと思うし、そういった歴史を学ぶことは重要だ。

 

記念館までは宿から歩いて45分ほど、昨日の感じでキガリは歩けるなという確信を得たので歩いて向かうことにする。

歩いていると時々声をかけられる。それはただ手を振って"Hi"というだけのこともあるし、ニーハオと声をかけられることもあれば、Chinaと声をかけられることもある。アフリカで中国人に間違われがちなのはもうあきらめているというか、統計上仕方ないことだし、特にこの国では悪気がない場合がほとんどなので気にせずに会話を始める。会話といっても多くの人がキニャルワンダ語しか喋れないので、とりあえずキニャルワンダ語で挨拶をする。そうすると向こうも「キニャルワンダ語しゃべれるのか!」となって色々しゃべりかけてくれる。

むろんこっちはキニャルワンダ語はわからないのでコミュニケーションというコミュニケーションが取れているとも思わないけれど、それでも現地の人たちとそういったやり取りができるのは非常に心地いい時間だ。この国にいると流れている空気感が平和過ぎて警戒という概念を忘れてしまう。まあそれはそれでいいのだけれども、これからまた気を引き締めないといけない、と思う。

40分ほど歩いて大虐殺記念館に着く。中に入ろうとするとセキュリティに止められて、「今日は午後からしかやってないよ」といわれる。Google mapを見ても朝8時から開いてるはずなのにおかしい、って思って聞いてみると、どうやらジンバブエの首相が訪問するからセキュリティの都合上閉めているらしい。午後2時には開くからその時間に来て、といわれる。まだ10時過ぎだからだいぶ暇だ。そしてこの周りには特に何もない。挙句の果てに交通整理が始まってバイクに乗ろうにも全く交通量がないような状態なので、とりあえずまた歩き始める。

 

せっかくなので歩いてバスターミナルまで行ってみる。ルワンダの田舎に行くのか、それともカンパラまで直接行くのかは決めてないけれど、どちらにせよバスの情報を集めるために行くつもりだったので、予定を前後させてバスターミナルへ。これもまた徒歩40分ほど。

Google Mapに従って歩いていると、ちょっとした小道に入る。そしてそれと同時に道路が未舗装になる。ルワンダに来て初めて未舗装の道路を歩く。そして見るからに雰囲気はすこし変わって、治安の良しあしは置いておいて外国人があまり歩かないような場所だろうな、と感じた。

緩んでいた警戒を再度少しだけ引き締めて歩く。ジロジロと視線は感じるが、別になにか敵意のようなものではない。そしてこちら側も敵意がないことを示すために会釈をすると、かすかに微笑んで親指を立ててくれたり、握手を求めてくる。そのタイミングでキニャルワンダ語で話しかければ、もうあとは普通だ。引き締めた警戒がまた緩む。

とはいえ、未舗装の道に入った途端、やはり家はトタン屋根の家の割合が増えてきたし、やはり格差のようなものは感じざるを得ない。それでも外国人に対してこれだけ友好的な態度なのだから、本当にルワンダ人は優しいというか、心が豊かだなと感じる。

小雨の中赤土色の道路を歩く。跳ね返りの土がふくらはぎについて、気付いたらふくらはぎは真っ茶色になっていた。これもなんだかカメルーンを思い出す。

雨が強くなってきたので、適当な商店に入って飲み物を買う。若い人だったが、フランス語で値段を言われた。ならばこちらもということでフランス語でやり取りをしてると、「まあでも私は英語のほうが得意だから…」といわれて!?となる。なら最初から英語で…この辺の使い分けとかは気分によって変えているのだろうか。自分にとってはフランス語を思い出すいい機会だからいいのだけれど。

雨を凌いで、ニャブゴゴ・バスターミナルへ。この辺は人口密度も高く道路も未舗装、建物も昔のビルといった感じで、ヤウンデと似た雰囲気を感じる。さすがにバスターミナルに着くと、声かけもしつこくなってくるし、向こうも客引きのための声かけという感じで、ニーハオやチャイナの呼びかけがうっとうしくなってくる。とりあえずカンパラ行きのバスと、田舎で興味のあるルバビューというDRコンゴとの国境近辺の都市行きのバスの情報を集める。カンパラにはどのバス会社も朝と夜の二本、ルバビューには30分おきに朝から晩まで出ているとのことで、ルバビューであればとりあえずは焦らなくてもいいか、ということになった。カンパラ行きもネットで出てきた相場よりも高くなっていたので、まあ買わなくていっか、ということでとりあえず今日はバスのチケットを買わないことにした。後々この判断は正解だったな、と思うことになる。

 

お昼時、バスターミナル付近ならローカルで安い食堂がたくさんあるだろうと思って探してみる。そうすると、どうやらバスターミナルのすぐわきにあるデカいビルの2回に食べる場所がありそうなので、そこに行く。びっくりするくらい細い通路を通り抜けると、店のおばちゃんに手招きされる。席に着くと、隣の席に座ってた老人にキニャルワンダ語で話しかけられた。わからないのでとりあえず挨拶だけするといつもの如く「おお、キニャルワンダ語が喋れるのか!」という感じで握手を求められる。

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メニューは一個しかないとのことで、とりあえず牛肉のシチューと炭水化物盛り合わせのようなプレートを頼む。見た目以上に美味しかったし、炭水化物が多いのでこれで午後はしのげそうだ。唯一の誤算は値段が少し高かったこと。ランチなので2000フランほど(2ドルほど)で済ませたかったところ、5000フランもかかってしまった。まあ美味かったしいいか。

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時間を見ると、まだ1時前。ここから記念館まで歩いても時間が余りそうだが、とはいえバスターミナルにずっといるのも疲れそうなので、とりあえず後にして記念館に向かうことにした。途中カフェによってコーヒーを飲み時間をつぶして、2時過ぎに記念館に着く。

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記念館の入館料自体は無料で、寄付という形でお金を募っている。記念館に入ると最初に動画を見せてもらい、その後展示に進む、といった形。1階の展示はルワンダの虐殺に至るまでの経緯と虐殺の様子、そしてその後の歩みなどを時系列順で示しており、2階では他の国での虐殺の例や、虐殺で命を落とした子供がどういった子だったかの展示、そしてカウンセリングルームなどがあった。

 

ここまでの2日間で、いやたった2日しかいないのだけれど、ルワンダがいかに平和で、ルワンダ人がいかに優しいのか、ということはものすごく実感した。そしてそれを実感すればするほど、この30年前の虐殺という事実にしっかりと目を向けないといけないなという気持ちが大きくなっていた。なので、展示のどれだけ細かい部分も見逃すまいと思って一字一句を追う。

それでも、虐殺部分の展示の一字一句を追うのはかなり精神的にきつかった。写真もそうだけれど、文字情報だけですらもかなりキツい。

そして国連ルワンダ支援団のリーダーであったダレール少将の決断や、国連の消極的姿勢を見るに、自分だったらどうだろうか、と考えてしまう。

 

とにもかくにも、展示は壮絶だった。虐殺があったのが1994年。自分が生まれる2年前だ。自分よりも年上の人の大半がこの壮絶な経験をしていると思うと、この国はなんだかものすごく大きなものを背負っているように感じる。それがたとえ虐殺されたツチの人でなくとも、幼くてあまり記憶がなかろうと、フツ側の人だろうと、亡命して国外にいた人だろうと、各々に壮絶な経験があるに違いないと思う。

争いは争いを生むことが少なくない中、これだけの虐殺があったうえで平和を実現できたのは、リベンジに走らなかったルワンダ人の強さがあってこそだと思う。彼らは強い。展示には、虐殺の生存者のうち、90%は自分は死ぬ運命にあると感じ、70%は誰かが殺されているところをその目で見て、50%(この数字は正確なものを忘れてしまった)は自分の身内が殺されたと書いてあった。今まで遊んでいた近所の人がなたを持って殺しに来る。命乞いに対して無言でなたを振りかざす。そんな地獄のような経験をしたゆえに、生き残ったとしても他人を信じられなくなってしまったひとも沢山いる。

そういった過去があっての、どこから来たかもわからない外国人に対しての親切だと思うと(考えすぎかもしれないけれど)、なんだかいろんな感情がこみあげてくる。

ルワンダは奇跡という名前にふさわしい進歩を遂げたのは事実な一方で、ここまで凄惨なことがあって初めて平和が実現されるというのも、なかなか重い事実として受け止めないといけないと思う。虐殺から30年近く立った今なおウクライナ・ロシアの戦争では民族浄化および虐殺が起きているわけで、なんとも言えない気分になる。

 

彼らルワンダ人に思いを馳せると同時に、「自分には何ができるのだろうか、何かをする覚悟があるのだろうか」という自問自答が始まる。上に書いたダレール少将は、虐殺の情報を事前に知ったため、国連に対して武器庫の制圧作戦を提案されたが却下され、その結果武装を静観するほかなく、虐殺を止められなかった。最終的には国連の要請を無視してツチの人々を保護するも、ルワンダでは憎悪の対象になっている。

 

展示の最後は、気候変動による人口の移動、それによって生じる軋轢やジェノサイドの危険性についてだった。ここにどういう風に自分が関われるのか。いや、関わることはできる。関わることで、そういったリスクを未然に防ぐことが出来るのか。防げなかった時に、自分はそれを受け入れる覚悟が出来ているのか。外国人としてアフリカにかかわることの意味と責任のようなものを今一度自分のなかで考えないといけないな、と思ったりする。

 

記念館を出てベンチに座り込む。すべてのエネルギーを使い果たしたようでドッと疲れてしまった。外は小雨が降っていて、とてもじゃないけれど行きのように歩けない。出てすぐにバイクタクシーを見つけ、宿に帰る。

本当は明日がチェックアウトの予定だったけれど、延泊の申請をして、いろんなことを消化するための休養を取ることにした。バスのチケットを取らなくてつくづく正解だったと思う。