備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

アフリカ旅行記-マラウイ②

リロングウェでバスを降りた後、ムチンジ行きのミニバスを探す。現地のマラウイ人に事前にムチンジ行きのバスがどこに止まっているかをピンポイントで教えてもらっていて、そこに行ったら本当にムチンジ行きが止まっていた。その場所はバスターミナルからも、ミニバスのステーションからも少し離れたところにあったので聞かなかったらかなり苦戦したかもしれない。

乗車後程なくして満席になり出発。この調子だと9時ごろにはムチンジにつきそうだ。どうやら乗客全員がムチンジに行くようで、どこかで停車することもなく、2時間ほどでムチンジに着いた。ここに数か月前にオランダでバイバイした友達がいると思うと感慨深い。

降りて10分ほどしたら友達が迎えに来てくれた。不思議なもので感慨深いのだけれどお互いまるで1週間ぶりに会ったかのようなテンションだった。友達が朝食付き1泊6ドルという破格のロッジをすでにアレンジしてくれていたのでチェックインを済ませてシャワーを浴びる。水しか出ないけれど、今はむしろそれが気持ちいい。汗と脂を落としたのち、ベッドで横になって昼まで過ごす。

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この日のムチンジは雲一つない快晴かつ風がそこそこある絶好の洗濯日和だったので、溜まっていた洗濯ものを手洗いする。ムチンジ、というかアフリカは概して日差しが強く、文字通り日「焼け」するし、「じりじり」という擬音がよく似合う。本当に焼けるように熱い。現地の人によると今は乾季で、こんな感じの雲一つない快晴が毎日続いているのだという。そして10月の終わりから11月にかけて、小雨季のようなものがやってくるらしい。

 

服を洗って干し、昼ご飯を友達と食べるべく街に出る。ムチンジの第一印象は、カメルーンに滞在していた時に滞在期間の半分を過ごしたNtuiという街にサイズ感も雰囲気も非常に似てるな、といった感じだった。ただ銀行や国際的なNGOのローカルオフィスがあったりする点でこっちの方が気持ち発展しているような気がする。

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夕方エアロビクスがあるから来ないか、と友人に誘われたので、一旦宿に戻って休んでから夕方再び宿の外に出る。メインの舗装されている道路ではなく、裏の未舗装の道路を通ったほうが近道だったので、そっちの道を歩く。何日も雨が降っていないからか、道路には粒子の細かい砂が積もっていて、歩くたびに舞い上がる砂のせいで足首より上が砂色になっていく。

歩いていると、小さい子供が裸足で歩いたんだろうな、という足跡がある。よくよく考えてみると地面に残る人の足跡というのは今どきなかなか見ない。これだけ砂が積もっていてなおかつ人通りがすくないからこそ残っていた足跡で、そこからはそこはかとない生命力と力強さのようなものを感じる。少し前にケニアで子どもたちとサッカーをするときに、当然みんな裸足だったので自分も平等にプレーしようと裸足になったのだけれど、整備されているわけでもない砂利のグラウンドでプレーするのは結構痛くて、でもものすごく「生きてる」というのを実感したのを思い出した。

砂だらけの道を20分ほど歩いてエアロビクスの会場に着く。エアロビクスは思ったよりハードだったのだけれど、それよりもマラウイの農村部まではるばる来て一番最初にやったのがエアロビクスというのを客観視すると面白いことこの上なかった。

 

翌日、友人のフィールドワークについていくことにした。フィールドワークはムチンジの中心地から少し離れた集落でやるとのことで、集落がどんな感じなのかを見るのは楽しみだ。

バイクに乗って40分ほど、途中道路が未舗装になり、両脇畑しかないような道を通り抜けて集落にたどり着いた。集落は5-10軒ほどのレンガとかやぶき屋根の家、家畜小屋などからなっていて、かなり整然としている印象だった。そして目的の集落につくまでの道中にもこういった集落が点在していた。幹線道路からかなり外れたところにも、そこだけで生活が完結しそうな集落がそこそこ存在する。これはカメルーンで滞在していた村とはだいぶ違う。

カメルーンで滞在していた村は、村から少し離れると幹線道路沿いにしかそういった集落は存在せず、幹線道路から1本小道にはいったりするともうそこには限界集落のようなものしか存在しなかった。まあカメルーンは村へのアクセスもこことは段違いに悪いし、村から離れた集落に住むメリットが低かったりするのかもしれないけれど、いずれにしてもこの差は面白いなと思う。

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フィールドワークが終わり、バイクで宿に帰ろうとしていると反射的に目をそむけたくなるような仮面をかぶった人が道端を歩いていた。霊媒師とか、呪術師とか、なんなのかわからないけどそんな感じ。木彫りのお面に白でペイントがなされている。観光客からお金を取るのかとおもったら、むしろ地元の人からお金を取っているらしい。ちょうどアチェベの本のなかで仮面をかぶった男の記述とかを見た後だったからこういったものを見ると少しテンションが上がる。

この日は友達づてで知り合ったマラウイ人の家に寄ってFIFAをした。FIFAもエアロビクスもマラウイじゃなくて地元・練馬区で全然出来ることなのだけれど、旅行疲れしていた身としてはこれくらいの緩さのほうがちょうどいい。

 

ということでここから数日も実にのんびりした毎日を送っていた。暇さえあれば本を読み、洗濯物が溜まったら洗濯をし、といった感じで。お気に入りのローカルレストランも見つけて、毎日通ったりで。

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何よりもこの町の雰囲気がとても好きで、頻繁に声をかけられるのだけれど悪意やからかいなどではなく、ただただ挨拶といった感じで声をかけてくれる。一般的にアフリカは都市部より田舎のほうがのんびりしていて人も良い(外国人の目線からして)印象があるのだけれど、ここも例外ではない。「チェワ語を教えてあげるよ!」「何しに来てるの?」「どこに滞在してるの?」などの普通の会話がほとんどだし、商売っ気のある会話だとしてもそれは現地の人への声かけとさほど変わらないのでストレスもない。鋭い目つきをしている老人にも、手を上げて会釈するとニコッとして返してくれる。ここまでの旅で溜まっていた疲れがだいぶ軽減されているのを感じる。

 

田舎だからなのか、街を歩いているとヤギやニワトリが至る所で生きたまま取引されているのをよく目にする。買われた後のヤギがバイクの荷台に縛られたときに挙げる悲痛な叫び声を聞くと思わず耳をふさいで目をそむけたくなってしまう。ヤギの鳴き声は他の動物以上にエモーショナルな気がする。マラウイ人はそれを聞いてもそこに視線を向けるでもなく、平然としているが、日本人的にはこういった家畜が食卓に届けられるまでの過程の最初の段階を見る機会というのは今どきなかなかないので、少し狼狽えてしまう。それを直視できないのに何食わぬ顔をして肉を食べるという自分のスタンスに少し嫌気が差してしまう。ベジタリアンやビーガンになる理由として、動物愛護の観点からなる人が揶揄されたり批判されるのをネット上でよく見るけれど、個人的には環境的な観点からよりも動物愛護的観点のほうがよっぽど共感できてしまう。まあそれでも食べるんだけど。マラウイ人の友達は「鶏とかヤギを捌くのは普通だからね。大体、野生動物と違って家畜は食べるために育てられてるんだからそりゃあ殺して食べるよ」と言っていて、生半可な自分よりもよっぽど正しいし筋が通っているなと思った。日本人が魚を捌き慣れているけど海外の人からしたら結構抵抗がある、みたいな話にも通じるのかも、とか思ったり。

 

ムチンジに来て1週間ほど経った。徐々に空に浮かぶ雲の割合が多くなってきて、時折「これは雨が降るんじゃないか」って思ったりするような灰色の雲もある。そろそろ雨季が来るかもしれないし、これはムチンジを出る頃合いか。ムチンジでは十分すぎるくらい回復したし、毎朝起きては「今日もここにステイするのでいいかな」と思ってしまうくらいには居心地が良い。けど、そろそろモザンビークに向けて出発しようかなというのを天気の微妙な差異を見て思った。良い思い出を良い思い出のまま留めておくには、去り際も大事な気がする。