備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

トゥンベリさんのスピーチに思うこと

久しぶりに備忘録っぽいこと。

courrier.jp

このスピーチを聞いてもやもやしてる。

正確には、このスピーチに対して本人に批判が行ってるのを目にしてちょっともやもやしている。

個人的には高校生が社会問題に興味を持つことは別に不思議なことじゃないと思ってる。ごく当たり前のことだ、とまではいかなくても授業やニュースを通して興味関心を持つなんてことは中学生くらいになればある話だと思う。彼女が興味を持ったのはウィキペディアによると8歳らしいので本当だったらすげぇなって感じだけど、世の中にたまにいる天才や非常に聡明な人であればあながちあり得ないことでもないと思う。ちなみに北欧は全体的に環境問題への意識がかなり強いと思うので(オーガニックやら、食品の無駄をなくすとか)気候変動とかに意識が行きやすい環境ってのもあるとは思う。

実際自分が高校生の時はアフリカの貧困、砂漠化などにもっぱら興味を持っていた。

興味を持ったら次に行うのは調べる、情報を集める、といったことだと思うのだけれど、高校生においてはここが危ういと思う。高校生は普通論文なんて読まないだろうし、彼女がスピーチで挙げた具体的数値は個人的には環境団体からの入れ知恵もしくはネットで調べてそれっぽいものが出てきた、とかなんじゃなかろうかって思う。この危うさって誰しもが通る道だと思う。自分が高校の時に興味関心を持っていたアフリカの貧困についての考えを今思い返してみると浅いなって思うし、高校生の話を聞いててもそう思うことはたくさんある。今自分が持っている考えとかも年上のひとからすれば浅いな、中身がないな、って思われてしかるべきだとも。

そういった受け売りの知識を吟味して、自分の考えや疑問を追求する場として大学が存在していると思っているので、やっぱり彼女に対して「中身がない」「トンデモだ」っていう批判はちょっと酷じゃないかなぁと。彼女が本心から気候変動に興味があるのであれば大学で色んな事に気づくんじゃないかなって。

ただその前に彼女が潰されてしまいそうなのが心配、というか気の毒というか。

彼女が始めた学校ストライキや未来のための金曜日の運動が広まって関心が気候変動に対する意識が高まっていくことは良いことだし彼女が望んでいたことかもしれないけれど、それによって結果として彼女が有名になり、知名度が上がる。そうなると当然利用しようとしてくる人間も出てくるしああやって国連の場でスピーチをする機会も出てきて、彼女自身が背負うものが、いち高校生が本来背負うもの以上に大きくなり、批判の声も大きくなる。結果として彼女が大人たちに潰されてしまう、なんていう皮肉な結果は見たくない。高校生がやっているからこそセンセーショナルなのかもしれないけれど、本当に気候変動に興味があって、食い止めたいと思っているのであれば敢えて運動に乗っからないのも一つの手なんじゃないかと。彼女が本当に気候変動に興味があろうと、大人に利用されているだけだろうと、現在進行形で起こっていることはどっちであろうとも正解じゃないと思う。そこが、自分が感じているもやもやの正体なのかなと。

 

自分も農業を専攻している以上、そしてアフリカ農業に興味がある以上気候変動とどう向き合っていくか、というのは大変重要なテーマだと思っているので、気候変動に興味がある若い人が周りの悪い大人たちによって潰されずにしっかりと自分の軸をもって健全に育ってくれればな、と願うばかり。

ANA国内線で性別を間違えて予約してしまった時の対処法

先日Gotogateという海外の代理店でANAの航空券を発券した。何かしらのトラブルが起こった時の対処のラクさを考えて基本的には航空会社から航空券を予約することにしているのだけれど、ANAJALは海外からの旅行者向けの航空券を出していて、これが大体どこに行くにしても往復2万円くらい。むろん日本人が取っても何の問題のない航空券なので、羽田ー千歳の便を予約した。

予約から1か月くらいたった時、ふと航空券のeチケットを見てみると一緒に取った親の性別があろうことか間違っていた。さすがに親の性別を間違えるほどバカではないと思うんだけれど、まあこのままだとまずいのは確か。

名前のミスとかならよく聞くのでネットをみるといろいろな情報が出てくるけど、性別のミスはあまり調べても出てこない。

https://mileage-mylife.com/airline/ana/change-sex.html

ネットで調べて出てきた唯一の情報によると乗れるらしいということだったけれど、この人の場合ANAで予約をしているので、Gotogateで予約した場合大丈夫なのか?という話

 

とりあえずANA国内線デスクに問い合わせる

ANA国内線のカスタマーサービスに電話してみて、そこでなんとかなるならそれが一番良い。

ということで電話したのだけれど、海外代理店を介して予約した場合、変な話だけど国際線扱いになるので国際線のほうに電話をしてくれ、と。

たしかに予約番号も6桁のアルファベット。

ANA国際線デスクに電話してみる

国際線デスクに電話をして、ANAの国内線のチケットを海外代理店を通して電話したこと、そんでもって発行されたeチケットの性別が違ってそれを修正したい旨を伝えたら丁寧に対応してくれたのだけれど、結論から言うとANAのほうからeチケットの修正はできないので、修正するなら代理店に問い合わせて、とのこと。

ちなみにこの時点で席の指定もできたので、海外代理店を介して予約したとしても扱いは普通の国内線と何ら変わりがない。

Gotogateに電話してみる

Gotogateは数々の怪しい海外旅行代理店のそこそこの評価を保っているほう。中の下、といった感じである。そして意外なことに日本語カスタマーサポートもあったので、いろいろ聞く上では便利だった。

で、電話をした結果、

①Eチケットはすでに発行されているので情報の修正はできない

ANAと共通のシステムを使っているので、性別が間違っていた旨をリマークに入れておくので、それで大丈夫

とのことだった。ただその情報もいまいち信用していいのかわからなかったので、その後念のためANAに再び問い合わせることに。

再びANAに電話する

リマークに入れたとGotogate側は言っていたけど、本当に反映されているのかをANAに聞いてみると、「そういった情報は特に入ってません…」との返答。

Gotogate、怪しいなーとか思いつつどうすればいいかを聞いたら、Gotogateから直接ANAに電話をして、Eチケットの性別が違う旨を伝えてくれれば対応できます、とのこと。というわけでもう一度Gotogateに電話することに。

再びGotogateに電話する

めんどくさいなーと思いつつ、乗れないとさらに面倒なのでもう一度電話。ANAに電話をしてくれ、というと案外あっさりと「わかりました、ANAに電話しますので明日までには返答を送ります」と了承してくれた。海外の代理店だから明日まで、っていって対応してくれなさそうだなーとか感じてたら、そんなこともなくきっちり翌日に返事が来た。Gotogate、できる子。

返事の内容としては、

ANAから以下の返事をもらいました

①当日パスポートのコピーを持参してください

②コピーを確認したら、性別が異なることをリマークに入れます

③搭乗が出来ることは保証しかねます

とのことで、ほぼ大丈夫だろうと。③に関しては、ANAは保安検査場の管轄ではないことから来ているだけだな、と予測。

当日空港にて

Gotogateの言質もとってあるし、さすがに大丈夫だろうと思い、空港へ。

空港では有人のカウンターにいって、対処してもらった。職員の反応的にそれなりにあることっぽい。

で、パスポートのコピーを提出して確認してもらったのち、性別が間違っていることをANAのシステム上のリマークに記録してもらい、万事解決。チェックイン時の反応を見た感じ別にそこまで念入りにせずとも、当日カウンターに行って性別ちがってました、って言うだけでも対応してくれそうだけど、それは確認してないのでわかりません。

まああとは国内線の保安検査はとても緩いから性別が違おうとなんとかなる、的な話もネットで見たけど、これも実際問題どうかは分からず。万が一を考えると事前に申し出ておいたほうがよさげだよね。

結論

結論としては、性別の違いは日本国内線であればどうにでもなる、ということ。ただ旅行代理店によっては今回みたいに親切に対応してくれないこともあると思うので、そこは注意が必要(もし旅行代理店が取り合ってくれなくても当日行ってごねればなんとかなるのかも?)

性別の欄を変えてもらうにはパスポートなり、性別を証明できる公的書類が必要なので持っていく必要あり。何もミスがなければ、仮に国際線扱いで取っても国内線同様なにも持たずに空港に行って問題ないです。

Gotogateは意外と信頼できる。あんまり海外旅行代理店でExpediaとか大手を除いていい思いしたことなかったけど、Gotogateの親切な対応にはいい意味で裏切られた。今後も大幅に航空券が安い場合は使っていこうと思います。

 

というわけで機内で手短に描いたブログでした。

東京こそすべて

東京こそすべてなんだろうか。自分にとってFC東京とは何なんだろうか

漠然とそんなことを今年に入ってから考えるようになった。

 

2002年の暮れに東京に越してきて、日韓W杯でサッカーに目覚めてからサッカーにのめりこんで行った小学生の自分は時々新聞社がくれるチケットで父親と味スタに行っていた。

最初に買ってもらったユニフォームというかキッズ用のシャツはケリーだった。かすかな記憶を掘り起こすとその試合でケリーがゴールを決めたんだったと思う。

 

タダ券があれば試合に足を運ぶ日々が4年ほど続き、のめりこみ始めたのは2007年だった。

 

「応援するならもっとちゃんと応援しなよ」

 

父親にその当時言われた言葉で今考えると意味が分からないけれど、じゃあアウェイに連れて行ってよ、となり徐々にアウェイにも行くように。

 

自分がFC東京を好きになり、一緒に来ていた父親も応援するようになり、最初は興味なかった母親や妹もスタジアムに来るようになり、その年の暮れには家族で甲府に行ったりしていた。その年のアウェイ浦和で、意図せずに真ん中で応援したことがきっかけで、以降はずっとゴール裏で試合を見ている。

 

 

中学一年生の時に、今でも仲良くしてくれているサポーターの方々に出会った。初めて応援する仲間が出来た瞬間だった。

 

中学に入ると、お小遣いやお年玉をやりくりして一人でアウェイに行くようにもなった。今考えれば中一が学校休んで一人で名古屋とか異常だけれど、そんなこともしていた。

中学から高校まで、先生も親も、成績さえキープしていれば学校を休んで試合に行くことに関しては何も言ってこなかった。高校2年生くらいまではFC東京のために勉強しているといっても過言ではなかったけれど、そのおかげで今の自分があるとも思う。

 

部活とかでFC東京から少し離れた時もあったけれど、どうも上手くいかなくて結局最終的には味スタのスタンドに戻ってきていた。

 

そんなこんなで、本当にいろんな試合に行った。数えていないから正確な数はわからないけど、相当行ってるんじゃないかって思う。

ナビスコ決勝でタイトル獲得の喜びを知り、

最終節西京極で降格が決定して号泣し、

鳥取でのJ1昇格も、

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天皇杯決勝も見届けた。

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無理を言ってアウェイ北京戦に連れて行ってもらったり、

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あと一歩でベスト8だった上海上港戦で声にならない悔しさを味わった。

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喜怒哀楽だけじゃあ言い表せないようないろんな感情を経験し、ある一つのコミュニティの歴史が作り上げていかれる瞬間を目の当たりにし、そしてそれを共有することが出来る仲間がいる。なんて幸せなんだろう、と改めて思う。

 

そして行く先々で知り合ういろんな人から本当に色々な影響を受けたし、趣味も人格も、FC東京を通じて知り合った人にかなり影響された。もともと引っ込み思案で内向的だった自分がある程度社交的になったのもFC東京のおかげ。FC東京がなかったら自分の人生がどうなっていたか本当にわからない。

 

昨年夏、もともと病気を患っていた父親がもうそんなに長くないということを知らされた。

車いす、要介護の生活になった父親は段々と自分の置かれた状況や記憶などがあいまいになっていた。それでもFC東京の話を振れば「今何位なの」「試合は勝った?」「負けたのか、だめだね」と普通の答えが返ってくることが多かった。

父親の手術の直前、サポーター仲間から一通のビデオが届いた。父親の大好きな石川直宏さんからのメッセージだった。メッセージをみて、父親ははっきりと目を開けて「ナオさんだ」と一言口にした。

退院した後、どうしても父親をスタジアムに連れて行ってあげたい、そう思っていたところ、なんとかホームの磐田戦に行けることになり、クラブスタッフの方のご厚意で試合前に分刻みのスケジュールの間を縫って、石川直宏CCが会いに来てくれた。父親は普段病気のせいで自力で笑顔を作ることが出来なかったが、ナオさんに会ったその時、満面の笑みを浮かべていた。父親にとっては最後の試合で、自分がみた最後の父親の笑顔だったように思う。

そんな父親は18番のユニフォームを纏って旅立っていった。父親のSOCIO番号は今年から自分のSOCIO番号となった。

 

FC東京というクラブはそう簡単にはなくならないだろうし、まだ世界的には歴史も浅いほう。これから輝かしい歴史も、そうでない歴史も刻んでいくと思う。しかしそれと同時に選手は入れ替わり、喜びや歴史を共有できるサポーターも突然居なくなってしまうことだってある。

18番を背負ったスピードスターも、東京の10番を背負ったファンタジスタも、ついぞリーグ制覇を達成できずに引退してしまった。両者ともクラブには残っているけれどもうそのプレーを生で見ることが出来ないと思うと喪失感は大きい。

サポーターもそうだ。いろんな事情でこれなくなる人もいれば、もう二度と一緒に試合を見れない人だっている。一番最初に出来た同い年の観戦仲間とは全国、いや地球の裏側まで行動を共にしたけれど、仕事の関係でFC東京から離れてしまった。

もちろん優勝とかACLとか行けたらうれしいけど、クラブが存在さえしていれば俺はいい。 いつか優勝するでしょ。そんなことをつい最近まで思っていたけれど、いろんなものを失うと、あらためて優勝したいという思いが強くなる。

 

東京こそすべてなんだろうか。間違いない。東京こそすべてだ。

自分にとってFC東京とは何なんだろうか。もはや趣味なんかではない。そんなものを超越している。自分が何たるかを構成している要素の周りにはいつもFC東京がある。FC東京がなかったらもはやそれは自分ではない。

そして何よりも、自分の親の最後の笑顔を見れたのがFC東京のおかげであり、石川直宏CCのおかげでもあるという事実が、自分にはとても重い意味を持っている。

 

だからこそ、より一層、優勝できるときに優勝したい。いつまでも自分とFC東京はあっても、喜びを共有できる人はいつまでいるかわからない。選手だって選手生命があるし、いつまでも待ってくれるわけでもない。そして今年、優勝できるチャンスが巡ってきた。4月からの継続しての首位も、明日から始まるアウェイ8連戦も、初めてのことだからどうなるかわからないけれど、今年優勝しないでいつ優勝するんだよ、と思う。

 

こんな文章を考えては削り、考えては削り、下書きに保存しておいて、今年の暮れにでも出せばいいかなーとか考えていたけど、正念場は優勝の決まる試合ではなくてここからのアウェイ8連戦だなと、広島戦終了後の応援歌を歌いながら思った。

「東京こそすべて 俺らを熱くする 情熱をぶつけろ 優勝つかみ取れ」

12月、笑ってシーズンを終えられますように。

バンコクへ

院試の面接が終わったと同時に、バンコクへ向かうためそのまま成田空港へと向かった。

風邪気味だし身体は重たいけれど航空券を取ってしまった以上空港に行く以外の選択肢がない。

今回は6日間。研究室やらバイトの日程を考えるとこの日数がギリギリ。(※研究室にもバイト先にも言ってない)

バンコクはトランジットでの観光とかを合わせるとなんやかんやでもう4回目。コペンハーゲン留学の時の友達にバンコクに旅行しようと誘われてて、一度断ったけどよくよく考えたら行けることに気づいたのが院試の2週間前。どうせ行くなら突然行った方が面白いなって思って一部以外には知らせずにアポなし突撃訪問inバンコク。そこで3日ほど過ごしたあとラオスビエンチャンへ。こちらはただの観光で、目的もないけれど、行ったことない国で安いところを探したら必然的にそうなった。

 

流石に4回目だと色々慣れてきてはいるので、1時に空港について素早く出国、SIMをちゃちゃっと契約して15分後にはタクシーに乗って宿へ。サプライズ登場をしてほとぼりが冷めたあたりで冷静に風邪をひいていたことを思い出して就寝。

 

正直バンコクは友達に会うのが一番の目的だったので、もうこの時点でやりたいことは果たしていたわけで、ここからは全部友達のプランに追従。それはそれで一人じゃ絶対行かないようなところに行けるから良い。

 

ということで水上マーケット。死ぬほど渋滞してて笑った。水上でお土産やらご飯が買えるのは新鮮で良い。次はローカルな水上マーケット見てみたいかも。

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近くにあったトレインマーケット。真ん中のおじさんは知らない。

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帰りはとにかくひどい渋滞で、2時間以上かかった。バンコクだと人数が多ければタクシーの方が割安なんだけど、むやみに乗ると時間だけがただただ食われていくのでそこら辺の選択はしっかりしていかないとなーって思うなど。

本当は夜みんなでクラブに行く予定だったのだけれどひたすらに頭が痛く完全に風邪が悪化している予感がしたので、クラブはパスして宿で爆睡。こういう時にタイだとセブンイレブンで冷えピタとポカリが手に入るので本当にありがたい。

21時ごろから朝8時まで爆睡して幾分か身体が軽くなったので、朝食を求めて外出。本当はセブンで何か買うつもりだったけれど、道中でおもむろにおばあちゃんが麺と草の入ったタッパーと、ビニール袋に入ったタレのようなものを売っていた。直感で美味そうだと感じたのでそれを買って宿へと踵を返す。

この時の自分の勘はドンピシャで当たっていて、やっぱりこれは美味しかった。病み上がりの人間が食べるものかどうかはひとまず置いておいて美味い。

ネットで調べて出てくる観光客向けの店よりもこういうローカルを突き詰めたような名もなき店のご飯の方が美味しいことが多い、と思う。

 

朝食を食べたあと、午前中は近くのカフェに行ったりダラダラして、午後は高級ホテルの上層階にあるいかにもインスタ映えしそうなプールへ。とはいえ前日まで明らかに熱を引いていたのでプールサイドで見守ることに。

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プールに入れなくてもジムやリラックスできるスペースもあるし、なにより景色が綺麗なのでいつまでも入れる。プール越しの景色は新宿御苑を思い出すなあと。

たださすが大気汚染がひどい街、数時間もいたら光化学スモッグで咳が止まらなくなってしまった。つくづく病弱だなと思ってしまう。

 

今回まだナイトマーケットに行けていなかったので、最寄りのナイトマーケットに行くことに。グーグルで調べて一番近いところに行くと妖しい雰囲気が漂っていて、あとあと調べたらパッポン通りで、望んでたナイトマーケットとは全然違ったから買い物もはかどらなかったけれど経験としてはこういう通りを通るのも悪くはない、と言い聞かせることに。

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そんなこんなでゆっくり楽しく遊んでいたらあっという間にバンコクでの日々が過ぎてしまって、いよいよ次はラオス

チーム愛とか去り際とか

個人的事情にて去年はどうしても優勝したかった分、去年の後半戦はだいぶ失望したし、太田宏介もそのうちの一人。

 

その分今年は「小川諒也めちゃくちゃ頑張れよ」って思ってたけど、シーズン始まってみるとベンチでもJ3でも腐らずにやってる6番の姿を見て、コースケも取り返すくらい頑張れ〜って思うように。

 

まあそれでもやっぱり本人としてはスタメンで出れないことに不満はあったんだろうし、残りの選手生命とか貰える金額を考えると行くのも止むなしと思うし、「東京愛とか言ってて結局こうかよ!」みたいなことも思わない。チーム愛でひたすらに1チームにこだわり続けるのも一つの在り方だけど、サッカー選手たるものピッチでプレーをしたいという思いはあって当然だと思うから個人的にそこは尊重したい(名古屋でスタメンが確約されてるかといえば全くそんなことはないと思うけど)

 

ただまあ、仮にFC東京が優勝するとして、そこに名が刻まれるのは7年間もいた太田宏介ではなく、これから新しく来るかもしれない、加入半年の選手なんですよね。もったいない。

移籍の経緯は納得できるし禍根を残すほどの移籍ではないと思うけど、去り際見誤ってない?とか思ったり思わなかったり。

まあ清水から最悪の形で出てきた選手だからそこらへんは気にしてなさそうですけれど。

 

2013年天皇杯準々決勝のフリーキックは伝説的だったし忘れない。名古屋でスタメン貼れると良いっすね。

ポルトアレグレ

ポルト・アレグレという地名を耳にしたことはあっても、どこにあるのかは知らなかったし、グレミオというチームもまた耳にしたことはあれどどこのチームなのかは知らなかった。

そんな中、ウルグアイ戦がポルト・アレグレで行われることが1月に決まり、ジャエウという選手がグレミオからFC東京に移籍してくることが決まった。

ジャエウは特徴的なパフォーマンスをする選手だったので、「これはゲーフラにしたらかっこいいな」と思い、移籍が決まった瞬間にゲーフラ作りに取りかかった。ゲーフラを小平に持って行ったらものすごく喜んでくれたので作った甲斐があるものです。

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で、3月くらいからコパアメリカに行く準備を始めた時に、ポルト・アレグレこそがグレミオの本拠地であることを知った。

その時から「グレミオのホームスタジアムで試合やるならジャエウのゲーフラはとりあえず持って行こう」という考えがチラッと浮かんでいた。ジャエウがグレミオサポーターから熱烈に愛されていることはツイッターから容易に推測できたし、彼らに対して「ジャエウは日本でも愛されてるよ」というのをわかりやすく伝えたかったのと、言語によるコミュニケーションが不完全な中でそれを補完するツールとして持って行こうと思った。

 


ここブラジルでは基本的に英語が通じないからポルトガル語でのコミュニケーションが主流。スタジアムのような場所ならなおさら。そんな中でコミュニケーションを図ろうとした時にブラジルという国においてはサッカーというのは強力なツールで、冗談抜きでサッカーが言語となって信頼や友情が生まれうる。コリンチャンスサンパウロのファンに"O Palmeiras não tem mundial!”(サンパウロの主要チームの中で唯一パルメイラスのみが世界一になってないことを揶揄したジョーク)を言えばそれだけで仲良くなれるような世界。

日本人がほとんどいない中で声援を届けるにブラジル人に協力してもらう他ないということは前回のリオで学んだので、自分に出来ること-多少のポルトガル語とブラジルサッカーの知識で心を開いてもらうことで、彼らに日本を応援してもらおうと思っていて、ここポルト・アレグレにおいてはジャエウは言わば最強のツールだった。

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3年前のリオ五輪はサポーター有志の方々のカンパでハチマキを現地組で手分けして持ち込み、こんな感じで応援してもらったり。

 


ポルト・アレグレを散策する

試合当日のブラジルはキリストの聖体祭ということで国民の祝日。殆どの店が閉まり、路上で偽物のユニフォームや日用品を売る人がチラホラいる程度。町中ですれ違う人のほとんどは、やることがなく徘徊しているウルグアイ人だった。

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ポルト・アレグレのあるリオ・グランジ・ド・スル州はウルグアイに隣接した州ということで、首都のモンテビデオポルト・アレグレの距離は東京福岡程度。当日は大勢のウルグアイ人が自家用車やチャーターバスで押し寄せていた上に、この州にはもともと2万人以上のウルグアイ人が住んでいるらしい。

サンパウロでの第1戦も相当なチリ人が訪れていたが、それ以上のアウェイを覚悟した。

 


前試合のチリ戦で0-4で負けたせいか、ウルグアイサポーターには余裕ムードが漂っていて、"Good luck"と声をかけられたりこちらが「日本が勝つよ」と言っても鼻で笑われたり。ブラジル人の評価も厳しめで、「どう思う?」と聞かれたので「日本が勝つよ」と答えると「難しいと思うよ」と返されたり。

 


そんなやりとりを何回かしながら中心地をぶらぶら。サンパウロやリオの中心地に比べると幾分か平和な雰囲気で、カラフルな家が並びリオやサンパウロとはまた異なった印象を受けた。

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試合会場へ

試合会場へは地下鉄かタクシーの二択だったが、試合まで時間があるのでタクシーで近くまで行くことに。

ウルグアイ人の乗った車はクラクションを鳴らしまくりながら国旗を窓から出しているのですぐわかる。

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スタジアムに近づくにつれてスラムのような、明らかに低所得層が住んでいるような平屋が連なっている地域が出現した。ブラジルのファベーラは傾斜のある地域に多いイメージだったので、平地にそう言った地区が広がってるのは新鮮。雰囲気が明らかに周りとは違う。

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翌日スタジアムから撮った図。治安の悪さが見て伺える。

本来は幹線道路を伝ってスタジアムに直接タクシーで向かえるのだが、この日は交通規制がかかっており途中からは進むことができない。そこで降ろしてもらっても良かったのだが、運転手の好意でスタジアムの近くまでなんとか向かってくれることに。ブラジルは親切な人が本当に多い。そしてその運転手は果敢にそのスラムに近いような地区に突入した。普段なら絶対に通れないような場所だけれどこの日に限ってはそれなりに車の交通量もあるのでそれほど危険は感じない。そうこうしている間に、スタジアムにほど近い場所で降ろされた。降ろされた場所のすぐ横に、グレミオのエンブレムの書かれた建物があった。そこにはグレミオサポーターが溜まってて、ジャエウゲーフラを出すならここしかないと思った。


布一枚での交流

タクシーを降りてそっちに向かい、早速ジャエウの布を出すと「おいおいまじかよ!ジャエウじゃん!」と複数人が騒ぎ立て、即座にジャエウコールが起こり、瞬く間に人だかりが出来た。

反応のほとんどは好意的なものだけど「なんでジャエウの旗持ってるんだよー!」って聞かれるので、こっちは必死で"Jael jogo no meu time, Toquio!"と合ってんのかどうか分からないポルトガル語で伝えると「あー!」ってなり、「写真撮ろうぜ!」と笑

向こうは英語喋れない、こっちもポルトガル語はカタコト、スペイン語は全く喋れない状態ながらがっちり肩を組み写真を撮ったり、グレミオサポーターに「こっちに来いよ!」と言われグレミオのエンブレムの書かれた建物の中に入れてもらって記念写真を撮られたり。今思えば相当数がウルグアイグレミオサポーターだったと思うし、一緒にいた友達は「グレミオサポーターは極右が多いから気をつけて」と言われたらしい。けれども、この瞬間に限ってはウルグアイ人とか日本人とか関係なく、1人の選手を共に応援する人同士として、言語も人種も超えて通じ合えていたと思う。そういうきっかけを作ってくれたという意味でジャエウには感謝しかない。

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試合

いつまでも写真撮影やら交流を続けて居たかったものの気づいたらキックオフ1時間前。中に入って自分のブロックへ行くと複数人の日本人。どうやらある程度かたまっていたらしいので、そこで応援をすることに。3階席ながら、中立のブラジル人などが加勢してくれたおかげで、必死に日本コールやブラジルの応援歌をニッポンに変えた歌などでなんとか選手に声を届ける。

結果は三好の2ゴールで引き分け。現地で見てるとVARはシラケるのは言うまでもないけれど、それでも何度も何度もゴールを脅かされながらよく守ったと思うし、試合後にはスタジアムから拍手が。

そして試合後、帰る人と逆行してゲートから入ってくるグレミオユニフォームの人々が。「君ジャエウのフラッグ持ってるよね?」と笑 後々調べたらそれなりに話題になっていたみたいで、次の日も町中でグレミオファンに声をかけてみたら「君のフラッグの写真見たよー!」と言われたりした。

また試合後に会ったウルグアイ人やブラジル人には「すごい良いチームだったよ」「いい試合だった」などと言われ、一夜にして評価を覆した日本代表を誇らしく思った。

 

サッカーの醍醐味、1チームを応援する醍醐味をこれでもかというほど味わえたポルト・アレグレでの濃い2日間でした。

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そしてジャエウ。今回の旅を華やかにしてくれたのは間接的に彼のお陰だし、超応援してる。「サッカーに集中しろ」ってリプライしたサポーターに「俺は俺のこと気にかけてるからお前はお前の心配をしろ」とDMを送ってブロックしたり、ゲレーロより優れたフォワードという話題で自薦するあたりのメンタルは絶対に後半戦の東京に必要だとおもうし活躍してくれると信じてます。Vai Jael!

 

 

サンパウロでの記憶

観光の話とサッカーの話と。

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日曜日のサンパウロ

2日目の最初はサッカーミュージアムから。ここは3年前も訪れたけれど、何回訪れてもいいようなミュージアム。サッカー好きにはたまらない。

ブラジルの歴代のトッププレーヤーの功績やワールドカップ、サッカーの歴史などなどが展示されている。そんな中でもひときわ目立つのはペレ崇拝。ブラジルサッカー界、いやサッカー史を見た時にそれなりに長い時期彼の時代があったので当然といえば当然ではあるけど。

彼が国の英雄になったのは17歳でブラジルに初のワールドカップ優勝をもたらした時。そのエピソードを見るたびに久保建英にもそうなって欲しかったと思ったりする。

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サッカーミュージアムを後にして、次に向かうのはヘプブリカ広場。

サンパウロの日曜日は他の曜日とは毛色が違う。ヨーロッパ、いやキリスト教の国では大体そうだけれど、サンパウロはそれとも違う。

ヘプブリカやリベルダージの広場では蚤の市が開かれ、ハンドメイドの土産物や日用品が露店で売られている。普段はそんなに治安が良くないヘプブリカも、この日は盛況していて広場に関しては危険な雰囲気は感じなかった。

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ヘプブリカの露店を見て回ったあとはリベルダージの方の蚤の市へ。リベルダージといえば日系コミュニティの中心地。今は中国人とかが増えてきたらしいがそれでも日系人、日本人が多いのには変わりなく、蚤の市では日本にゆかりのあるものが多数売られていた。

しかしここサンパウロでの、明らかに顔は日本人に見える同年代くらいの日系ブラジル人たち同士がポルトガル語でコミュニケーションを取ってるのを見るとなんとなく不思議な気分になる。アイデンティティが揺らぐような感覚。

 

そんなリベルダージのすき家で牛丼を食べたあとは、セントロ地区のセー広場へ。

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日曜日のセントロは人が少ないから危ない、という話を聞いていたので街歩きなどはせず、観光はカテドラル・メトロポリターナにタクシーで行くのみに留めた。

タクシーで近づくや否や、ただならぬ雰囲気を感じる。広場にいるほとんどの人は浮浪者で、炊き出しにぞろぞろと集まるか、路上で寝てるか、近づいてきてポルトガル語で何やら捲し立てられるか。幸い警察が監視しているので今すぐにそこで何かされる、ということはないが、セー広場を徒歩で離れたらどうなるかはわからない。カテドラル・メトロポリターナをサクッと観光して、タクシーですぐにセー広場を後にした。

 

一旦宿に戻った後、サンパウロのショッピング街であるオスカル・フレイレ通り(清水にいそうな名前だよね)へ。

セントロの後に見るとギャップがすごくて、ここは表参道か、って感じでおしゃれなショップが並んでる。

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綺麗は綺麗だけど、おしゃれな場所とはすなわち自分にはあまり用のない場所。一通り歩いた後はパウリスタへ。ここに来れば何かしらがある。

普段はビジネス街なパウリスタは、日曜日は歩行者天国になるらしく、2キロにわたるサンパウロ最大級の大通りではそこら中でストリートミュージシャンによる演奏やパフォーマーによるダンス、大道芸が繰り広げられ、こういった場所におきまりの露天商からガラナを買い、それを飲みながらパフォーマンスを楽しんだ。

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あらためて、サンパウロという街の、ブラジルという国のエネルギッシュさ、陽気さに魅了され、ブラジルに住みたいという願望が再燃した。

 

平日のセントロの熱気

暗澹たる雰囲気を感じた日曜日とはうってかわって、月曜日のセントロ地区は熱気にあふれていた。

試合当日、やることもなくゴロゴロしたり買い物をしたりしていたけれど、やはりもう一度、セントロ地区へ行ってみたかったので、セーの隣の駅であるサンベントから、セーの方まで歩いてみることにした。

駅を出るや否や、通りは商人や観光客、地元民、ビジネスマンで賑わっていた。

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昨日閑散としていたところも店が開いてるとこんなに雰囲気が違うものかと。

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写真を撮る気にはやはりならなかったが、セーの広場も活気に満ち溢れていた。

昨日感じた雰囲気は、家を持たない労働者たちが安息日ということであるべき日曜日の過ごし方を行なっていたに過ぎないのかもしれないな、と少し反省した。

 

チリ戦

分かってはいたけれど、スタジアムに向かう道には圧倒的にチリ人の割合が高い。しかしこれは日本人と比べて、ではなくブラジル人と比べても、である。

ただし道中では写真をせがまれたり「コンニチハ〜」と声をかけられたり、と牧歌的な雰囲気。ただコパアメリカという本気の舞台でのこのサポーターの振る舞いは裏を返せばなめられてる、日本には勝つだろう、そう思ってるんだろうな、と思うとむしろ悔しい。

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スタジアムに近づくにつれてチリ人は自然発生的に馴染みのあるチャントを繰り返し、スタジアムに入っても圧倒的アウェイになることは想像に難くない。

道中たまたま会った日本人の知り合いなどと合流していき、自然と集まった日本人で、3回のゴール真裏に集まることに。

周りをチリ人に囲まれ、巻き込む予定だったブラジル人も今回はあまりいない。

それでもブラジル人を見つけては声を掛けて日本を応援してもらうように頼み、チリの歓声が収まった途端にニッポンコールをするなどして応戦。

ブラジル人をどうやって取り込むか、は前のリオ五輪の時に色々学んだけれど、それでも結果がついて来なければどうしようもない。

チリが得点を重ねるにつれて、チリはサポーターも余裕ムード全開になるし、日本を応援していたブラジル人も徐々にスタジアムを後にしだしてしまったり。

 

0-4という結果は仕方ない。戦術云々という話もあるけれど、いくら戦術が整っていても決めるところを決めなきゃ勝てないし、逆にいえば昨日だって決めるべきところで決めてれば結果は変わっていたかもしれない。

我々サポーターが、チリ人に満面の笑みで4本指を立てられ、ビバチレのコールを歌われるのを思い出すように、きっと上田の頭の中にも前半44分の決定機はしばらく頭の中に残るんだと思う。それを糧にして、今大会中に一つ結果が出ればいいな、と。

 

仕方がないとはいえ、「これがフットボールだよ」とか言われたり、4本指を立てられたりとかするとやっぱり悔しさが増すし、日本代表におけるこの大会の位置付けを考えても、勝ちに行って欲しいと思う。次のウルグアイはこれよりももっと強いだろうけれどきっとある程度は舐めてくるはず。そこで足元を掬って、本気になったウルグアイに本気で勝ちに行って、かけがえのない経験値を得られれば、と。

 

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