備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

エンブレムと行く先

新エンブレムが発表されて一晩経ち。改めて色々考えると、自分がエンブレム変更にあまり乗り気ではなかったのは、「自分の中で大きな意味合いを持っているものが変わってしまう怖さ」みたいなところから来ていたと思う。

自分の人生の中でめちゃくちゃ大きな意味合いを持っているFC東京のことを、自分ごとと思えなくなるのではないか。仮にそうなってしまった時、人生の大きな部分を失った自分はやっていけるのだろうか。そんなIFを想像することから来る不安が大きかったのだと思う。

東京こそすべて - 備忘録

 

一晩経って、エンブレムが変わるという事象自体で自分のFC東京への気持ちが失われるということはなさそうだな、とは思った。これだけ大事にして来たものがすぐに自分の中から失われることはなさそうだと思って安心した。1番の不安は拭えたように思う。

「なんだこれ?」と発表時に思ったエンブレムも、見慣れてはきた。これを自分のクラブのものだと受け入れるには時間はかかりそうだけれど、意地になって受け入れないという逆の努力をするつもりは全くなく、あくまで自然体で。

これから入ってくる選手や今いる選手が新しいエンブレムを胸に、自分の好きなFC東京というチームを代表して戦って行くのを見て、自然と自分ごとになっていけば、と願っている。

 

で、それはそれとして、今までのエンブレムはクラブが歩んできた25年間の歴史と共に残るし、歴史と共に心の中に生き続けるものだとも思っている。そういう思いから幕を作った。

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これは、今季だけではなく、これからも出し続けたいと思っている。旧エンブレムへの固執とか、レジスタンスとか誤解されそうだけど、そうでは全くないというところはここに書いておきたいと思っている。

新しいものは新しいもので受け入れつつ、過去のものは過去のもので記憶に残し続ける。そこを伝えるのはサポーターの役目なのかとも思っている。そして別にどちらか一つを選ばないといけないものではないと思っているし、どちらも愛し続けることは悪いことでないと思っている。

 

最後に。FC東京というチームはコレクティブからかけ離れた文化を有していると思っていて、それはポジティブな形で残して行くべきだと思うし、事実クラブの出している多様性という方向とも合致する(クラブの意図する多様性がそれを意図してるかは別として)。自分自身が右に倣えの社会が嫌いだから、FC東京のこの辺りはすごく居心地がいいと思っている。

サッカーファン文化人類学 - 備忘録

多様なものを許容しながら、ここ一番、ここぞのタイミングで息が合う瞬間があるのが、たまらなく好きだったし、今もそうありたいと願っている。

SNS、特にTwitterが普及してから、今までは住み分けできていたであろう、完全に意見の違う人たちの意見が目に入るようになったり、攻撃的な発言も目に入ってしまう、という構造の変化が起きたように思う。クローズドな場所で言うならば全く問題ないことも、他の人の目に触れることで摩擦が起きることも多い。多様性はある程度の棲み分けによって実現できるが、壁が取り払われた結果摩擦が生まれると言うのは、社会でも起きうること。

SNSは自分の言いたいことを言う場だから言動自体を否定するつもりはないし、これはもう世の中の変化なので不可避的な事だとは思うけれど、少し残念に感じてしまう。

自分(これでも)ある程度は気をつけてる、つもりだけど、それでも全方位に良い顔とかは無理だと思うし、SNS全盛期の現代において多様性を維持しつつまとまる時はまとまる、なんて無理なのか?とも思う。

色々考えてみた時に、見てる場所とか考え方に関係なくオフラインでの集まりだったり色んなレイヤーが存在することが大事なのかなと思ったり。フットサルとか、ペーニャとか、バーベキューとか、そういうので色んなコミュニティがメッシュ状につながり合いつつ、考えが違っても直接会ってコミュニケーションを取る事で「ああこう言う人もいるんだな」と尊重できるようになるんじゃないかな、とぼんやり思う。

なので、サラリーマンミニサッカー大会はめちゃくちゃ楽しみにしてます。(結論そこ!?)