備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

マクロードガンジ

マクロードガンジに行くという選択をしたわけだが、行き方としてはまずアムリトサルからパタンコートというカシミールにほど近い都市までバスまたは電車で行き、パタンコートからダラムサラまでバス、さらにダラムサラからマクロードガンジまでバス、という形になる。

パタンコートまでの電車は本数が少ないので、バスで行くことに。バスターミナルに着いて水とスナックを手にして、発車しかけているパタンコートいきのバスに飛び乗る。

何回か停車を繰り返した後、3時間半ほどでパタンコートに着く。オンボロバスだったが臭いとかもなく、130ルピー(200円程)なので全然許容範囲内。

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パタンコートに着いてからはダラムサラ行きのバスを探す。ダラムサラ行きのところにはすでにバスが停まっており、近くにいた警察にいつ出発するのかと聞くと「多分16時半」と。3時間後に出発じゃあ遅すぎる、と思いもう一度係の人らしきところに聞きに行くと、15分後に出るぞ、と言われたので、バスターミナルの露店で売っていたポテトパイをささっと食べてバスに乗った。乗ろうとしたときには自分と同じような質問をしている外国人旅行客がいた。この人もダラムサラに行くらしい。

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パタンコートからダラムサラまでは3時間ほどで140ルピー。バスは綺麗とはお世辞にも言えないが、車窓からの景色はとても綺麗だったので退屈することはなかった。とにかくヒマラヤ山脈はでかいし、どこまでも広がる緑色の景色はとても心地よいものだった。

ただインドの運転のセオリーと山道の相性はすこぶる悪く、とにかく横に縦に揺れる揺れる。前に座ってたインド人も完全にダウンしていた。

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そんなこんなでダラムサラに着いて、そこからさらにマクロードガンジ行きのバスを探した。バスを見つけて乗り込むとさっきの外国人旅行客がいて、ああこの人もマクロードガンジに行くのか、となった。マクロードガンジ行きのバスに乗るとチベット仏教の僧侶がたくさん乗っていて、まるで違う国に来たかのような錯覚に陥ったと同時に、いよいよ来たなと言った興奮も覚えた。

ゆっくりゆっくりと山道を登ってマクロードガンジに着くと、そこはインドとは思えないくらい涼しく、街並みも全然違っていた。まずチベット色が強いので、学校や家、お寺などにタルチョーというカラフルな旗がつけられているし、街もかなり整然としている。インドなのにリサイクルやゴミ捨てへの意識も高く、これも宗教の差から来てたりするのか?などと考えていた。

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また、ほかの土地では見かけなかったおしゃれなカフェがいくつも存在し、日本で言うならば軽井沢のような場所が近いかもしれない。

着いたときすでに18時。朝昼とほとんど食べていないに等しく流石にお腹も空いていたので、チベット料理を食べに行くことに。

宿から15分ほど歩いたところにある評判の良いレストランに行き、テントゥクというすいとんのような料理とモモを注文したがこれがめちゃくちゃ美味しかった。スパイスを使ったものももちろん美味いのだけれど、ずっとスパイスを使ったものを食べ続けてると発酵調味料系の食べ物のおいしさ、ありがたさが際立つ。やっぱり自分は日本人だなあと思わずにはいられなかった。

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食べた後少しぶらつくとまたさっきの外国人旅行客に出会った。彼女はインドネシア人で自分の母親くらいの年齢、旅行が趣味で一人で回っているらしく、翌日暇だと言うので一緒に行動することにした。

 


しかしこれだけ平和な街にいるとなかなか書くことがない。改めてインドのメインストリームは日本人の目から見るといかに特異だったかがわかる。

この街はほかの街に比べてリキシャやタクシーの客引きも少ないし、路上生活者もあまりいない。しかしそんな街でも一度物乞いにあった。正確には二回か。

赤ちゃんを抱えた50歳くらいのおばさんに、「彼女はミルクを欲しててとてもお腹を空かせてるの。お金はいらない、ミルクを買って」と言われた。一気に無視して立ち去ればいいのだが、やはりまだ慣れておらず一瞬立ち止まったが故にかなりしつこく付いてこられた。ミルクなんて20ルピーくらいで買えるだろう、と思って仕方なくその老婆と一緒に売店に行くと、粉ミルクのような袋を二つ買ってくれ、と。値段を見たら二つで800ルピーで、無言でその場を立ち去った。

倹約をすれば800ルピーあれば3日は余裕で暮らせるくらいのお金だし、何よりも「お金は要求しないから食べ物さえくれれば」みたいな善人面をしてきて、お金で渡すとしたら法外な値段のものを買ってという傲慢さに腹が立った。

そのあとしばらく経ってから近くを歩いていると、今度は同じ老婆が金銭だけを要求してきた。そこに赤ちゃんの姿はないのを見て、ああこれがレンタル赤ちゃんかな、と思った。インドでは赤ちゃんが金稼ぎの方法として使われていることがしばしばあり、実子ではなくレンタルな場合もよくあると言う。もしあそこで粉ミルクを親切に買っていてもあの赤ちゃんのお腹は満たされなかっただろうと思うと払わなくてよかったな、と思った。もちろん元を辿れば貧困が悪いのかもしれないけれど、それでも幼児を金稼ぎの道具として使っているのはどうしても受け入れられない。

 


その後ぶらぶら歩いていると、ふと張り紙が目に入った。大半がチベットの弾圧に対するものであったり、行方不明者に関するものだった。行方不明と言っても、日本の行方不明とは訳が違う。彼らのほとんどは、どこかで中国政府等に逮捕され、その後の行方が分からなくなっているというものだ。

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またチベットに関するポスターもただ貼ってあったというより、たまたま訪れた3日前がチベット人の民衆蜂起からちょうど60周年で、そのための抗議活動を呼びかけるものであった。

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チベット博物館にその後行き、弾圧や焼身自殺の歴史などをちらっと勉強したけれど、このマクロードガンジという場所は彼らにとってとても安心できる場所なんだろうな、と思った。それと同時に、いつか彼らがチベットに帰ることが出来れば、とも。

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マクロードガンジはこの度の最終目的地のようなもので、残りの1日はデリーに帰るしかなかった。

デリーへはそれなりに豪華なバスが出ていて、それに乗って帰ることに。所要時間11時間、値段900ルピー。

悪くないと思っていたもののそもそもの道が山道の連続、バスもすきあらば追い越し、加速をかけるのであっという間に気持ち悪くなり、かなりしんどいまま朝を迎えた。

 


さてデリーである。デリーについての情報を何も知らないので、とりあえずバスを降りた後は安全な場所に行くのが最優先だった。降りた瞬間からリキシャに囲まれ、「どこに行くんだ」と聞かれるが、どこに行きたいかなんてこっちも分からない。とりあえずそこから地下鉄の駅まで歩けるというわけでもなさそうだったので、最寄りの地下鉄駅までリキシャで行ってもらう。すると「ほら見ろ、地下鉄は閉まってるだろ!6時半まで動かないぞ。良いホテルがあるからそこに連れて行ってやるよ」と運転手。この自信満々の嘘からのホテル誘導を聞くのを楽しみにすらしている自分がいる。運転手が力説している目の前で人が地下鉄駅に入っていったので無視してお金を払い降り、地下鉄駅に向かった。地下鉄駅は驚くほどきれいだしなによりカードが使えるのがいちばんの驚き。デリーに来てほとんど国際カードが使えなかった中でこれはありがたかった。そして無論地下鉄も5時半にちゃんと来た。

とりあえずいちばん大きそうな駅であるニューデリー駅に行き、6時にバーガーキングが開くというので店の前で待って開店と同時に入った。

バーガーキングで見慣れないメニューばっかりだなあ、と思った後にふと気付いたが、ここインドではヒンドゥー教の教えで豚と牛が食べれないため、肉といえば鶏か羊しかない。バーガーとはかなり相性の悪い国だ。そしてここで食べたチキンバーガーが、実に初日ぶりの肉だったし、魚も2日目以降食べていなかったので、1週間擬似ビーガン的体験をしてきたことになる。

1週間野菜生活はしたくてした訳ではなく、入るレストランが大体ベジタリアンレストランだった、という方が正しい。でも大体の食事は美味しかったし、バーガーキングに入るまで自分が1週間も肉を口にしていないだなんて考えもしなかった。動物愛護の観点からベジタリアンになりましょう、というアプローチはあまり響かないけれど、単純に野菜しか使わない美味しいお店が日本にも増えれば、気付かぬうちに肉の消費量が減るんじゃないかなあとも思ったり。

 


デリーの観光地とかを調べていると、さすが首都、とにかく見どころがたくさんある。

これを全て見るわけにもいかないので、クトゥブミナールとフマユーン廟を見に行くことに。

とはいえ連日の旅で多少なりとも疲れていて、ダラダラしながらこれらを回ってると気付いたら夕方になっていた。タージマハルに行かない決断をしていた分、フマユーン廟に行けたのは良かった。

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ご飯を食べて残金をお土産などで消費して、空港行きの電車のチケットを買い残金を残り1ルピーにして電車に乗り込む。空港駅に着き降りたものの、空港らしきものは見えず、まばらな降車客は皆散っていくしリキシャは「ホテルはどこだ」と聞いてくる。あれ?ここ空港駅じゃないの??となり警備員に聞くと「空港駅は次だぞ」と言われた。

残金1ルピーでは公衆トイレも使えない。終わった、と思った。背に腹はかえられぬということで、駅員に対して、マジで1ルピーしか持っていないこと、間違えて降りてしまったことを必死に伝えてなんとか電車に乗れることに。そうして無事空港に着き、税関の検査やらシャワー浴びれなかったりと色々あったもののインドを出ることが出来た。

 


インドという国は人生観を変える、なんて言葉をよく聞くし、2度と行きたくなくなるか沼にハマるかの二択だ、なんて言葉もよく聞く。

人生観は変わるというのはなかったかな、と。変わったのはトイレの汚さに対する免疫くらいだ。今なら日本のどのトイレでも我慢できる自信がある。

割と思い描いていた通りのインドだし、現地の人と仲良くなるみたいな出会いも宗教・信仰の力強さも今までいった国で経験していたからだと思う。というか多分人生観というか世界観みたいなのはカタール1ヶ月滞在でだいぶ変わったからもう一回変わるってことはないのかな、という気もする。

もう一回行きたいかどうか。これに関しては絶対にもう一回、いや、後何度でも行きたい。今回コルカタ、バラナシ、アムリトサル、マクロードガンジ、デリーを訪れたが、どの街もそれぞれに特徴があったし、今まで訪れた国にはないくらい多様性があったように思う。それ故に、ふと自分がどこの国にいるのかが分からなくなることがしばしばあった。

しかし自分が見たのはインド全体のほんの一部だ。南インドデカン高原のあたりも見たいし、バングラデシュのさらに東側とかも見たい。とにかくまだまだ新しい発見が沢山ありそうなので、もう一度行きたいな、と思った。

 

経由地のクアラルンプールは発展度合いにビビり、それでいてなお昔の街並みも残ってはいてなかなかユニークだなあと思いました。レトロとモダンの混在もいいですね。これにてインド旅行記は終了です。今回の旅行記が今までで一番長かったんじゃなかろうか。読んでくださった方ありがとうございました。