備忘録

旅行とか、それに関する情報とか、応援とか、留学とか、コペンハーゲン留学とか。学生中心として、遠征や旅行の手助けになれば幸いです。

ポルトアレグレ

ポルト・アレグレという地名を耳にしたことはあっても、どこにあるのかは知らなかったし、グレミオというチームもまた耳にしたことはあれどどこのチームなのかは知らなかった。

そんな中、ウルグアイ戦がポルト・アレグレで行われることが1月に決まり、ジャエウという選手がグレミオからFC東京に移籍してくることが決まった。

ジャエウは特徴的なパフォーマンスをする選手だったので、「これはゲーフラにしたらかっこいいな」と思い、移籍が決まった瞬間にゲーフラ作りに取りかかった。ゲーフラを小平に持って行ったらものすごく喜んでくれたので作った甲斐があるものです。

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で、3月くらいからコパアメリカに行く準備を始めた時に、ポルト・アレグレこそがグレミオの本拠地であることを知った。

その時から「グレミオのホームスタジアムで試合やるならジャエウのゲーフラはとりあえず持って行こう」という考えがチラッと浮かんでいた。ジャエウがグレミオサポーターから熱烈に愛されていることはツイッターから容易に推測できたし、彼らに対して「ジャエウは日本でも愛されてるよ」というのをわかりやすく伝えたかったのと、言語によるコミュニケーションが不完全な中でそれを補完するツールとして持って行こうと思った。

 


ここブラジルでは基本的に英語が通じないからポルトガル語でのコミュニケーションが主流。スタジアムのような場所ならなおさら。そんな中でコミュニケーションを図ろうとした時にブラジルという国においてはサッカーというのは強力なツールで、冗談抜きでサッカーが言語となって信頼や友情が生まれうる。コリンチャンスサンパウロのファンに"O Palmeiras não tem mundial!”(サンパウロの主要チームの中で唯一パルメイラスのみが世界一になってないことを揶揄したジョーク)を言えばそれだけで仲良くなれるような世界。

日本人がほとんどいない中で声援を届けるにブラジル人に協力してもらう他ないということは前回のリオで学んだので、自分に出来ること-多少のポルトガル語とブラジルサッカーの知識で心を開いてもらうことで、彼らに日本を応援してもらおうと思っていて、ここポルト・アレグレにおいてはジャエウは言わば最強のツールだった。

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3年前のリオ五輪はサポーター有志の方々のカンパでハチマキを現地組で手分けして持ち込み、こんな感じで応援してもらったり。

 


ポルト・アレグレを散策する

試合当日のブラジルはキリストの聖体祭ということで国民の祝日。殆どの店が閉まり、路上で偽物のユニフォームや日用品を売る人がチラホラいる程度。町中ですれ違う人のほとんどは、やることがなく徘徊しているウルグアイ人だった。

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ポルト・アレグレのあるリオ・グランジ・ド・スル州はウルグアイに隣接した州ということで、首都のモンテビデオポルト・アレグレの距離は東京福岡程度。当日は大勢のウルグアイ人が自家用車やチャーターバスで押し寄せていた上に、この州にはもともと2万人以上のウルグアイ人が住んでいるらしい。

サンパウロでの第1戦も相当なチリ人が訪れていたが、それ以上のアウェイを覚悟した。

 


前試合のチリ戦で0-4で負けたせいか、ウルグアイサポーターには余裕ムードが漂っていて、"Good luck"と声をかけられたりこちらが「日本が勝つよ」と言っても鼻で笑われたり。ブラジル人の評価も厳しめで、「どう思う?」と聞かれたので「日本が勝つよ」と答えると「難しいと思うよ」と返されたり。

 


そんなやりとりを何回かしながら中心地をぶらぶら。サンパウロやリオの中心地に比べると幾分か平和な雰囲気で、カラフルな家が並びリオやサンパウロとはまた異なった印象を受けた。

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試合会場へ

試合会場へは地下鉄かタクシーの二択だったが、試合まで時間があるのでタクシーで近くまで行くことに。

ウルグアイ人の乗った車はクラクションを鳴らしまくりながら国旗を窓から出しているのですぐわかる。

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スタジアムに近づくにつれてスラムのような、明らかに低所得層が住んでいるような平屋が連なっている地域が出現した。ブラジルのファベーラは傾斜のある地域に多いイメージだったので、平地にそう言った地区が広がってるのは新鮮。雰囲気が明らかに周りとは違う。

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翌日スタジアムから撮った図。治安の悪さが見て伺える。

本来は幹線道路を伝ってスタジアムに直接タクシーで向かえるのだが、この日は交通規制がかかっており途中からは進むことができない。そこで降ろしてもらっても良かったのだが、運転手の好意でスタジアムの近くまでなんとか向かってくれることに。ブラジルは親切な人が本当に多い。そしてその運転手は果敢にそのスラムに近いような地区に突入した。普段なら絶対に通れないような場所だけれどこの日に限ってはそれなりに車の交通量もあるのでそれほど危険は感じない。そうこうしている間に、スタジアムにほど近い場所で降ろされた。降ろされた場所のすぐ横に、グレミオのエンブレムの書かれた建物があった。そこにはグレミオサポーターが溜まってて、ジャエウゲーフラを出すならここしかないと思った。


布一枚での交流

タクシーを降りてそっちに向かい、早速ジャエウの布を出すと「おいおいまじかよ!ジャエウじゃん!」と複数人が騒ぎ立て、即座にジャエウコールが起こり、瞬く間に人だかりが出来た。

反応のほとんどは好意的なものだけど「なんでジャエウの旗持ってるんだよー!」って聞かれるので、こっちは必死で"Jael jogo no meu time, Toquio!"と合ってんのかどうか分からないポルトガル語で伝えると「あー!」ってなり、「写真撮ろうぜ!」と笑

向こうは英語喋れない、こっちもポルトガル語はカタコト、スペイン語は全く喋れない状態ながらがっちり肩を組み写真を撮ったり、グレミオサポーターに「こっちに来いよ!」と言われグレミオのエンブレムの書かれた建物の中に入れてもらって記念写真を撮られたり。今思えば相当数がウルグアイグレミオサポーターだったと思うし、一緒にいた友達は「グレミオサポーターは極右が多いから気をつけて」と言われたらしい。けれども、この瞬間に限ってはウルグアイ人とか日本人とか関係なく、1人の選手を共に応援する人同士として、言語も人種も超えて通じ合えていたと思う。そういうきっかけを作ってくれたという意味でジャエウには感謝しかない。

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試合

いつまでも写真撮影やら交流を続けて居たかったものの気づいたらキックオフ1時間前。中に入って自分のブロックへ行くと複数人の日本人。どうやらある程度かたまっていたらしいので、そこで応援をすることに。3階席ながら、中立のブラジル人などが加勢してくれたおかげで、必死に日本コールやブラジルの応援歌をニッポンに変えた歌などでなんとか選手に声を届ける。

結果は三好の2ゴールで引き分け。現地で見てるとVARはシラケるのは言うまでもないけれど、それでも何度も何度もゴールを脅かされながらよく守ったと思うし、試合後にはスタジアムから拍手が。

そして試合後、帰る人と逆行してゲートから入ってくるグレミオユニフォームの人々が。「君ジャエウのフラッグ持ってるよね?」と笑 後々調べたらそれなりに話題になっていたみたいで、次の日も町中でグレミオファンに声をかけてみたら「君のフラッグの写真見たよー!」と言われたりした。

また試合後に会ったウルグアイ人やブラジル人には「すごい良いチームだったよ」「いい試合だった」などと言われ、一夜にして評価を覆した日本代表を誇らしく思った。

 

サッカーの醍醐味、1チームを応援する醍醐味をこれでもかというほど味わえたポルト・アレグレでの濃い2日間でした。

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そしてジャエウ。今回の旅を華やかにしてくれたのは間接的に彼のお陰だし、超応援してる。「サッカーに集中しろ」ってリプライしたサポーターに「俺は俺のこと気にかけてるからお前はお前の心配をしろ」とDMを送ってブロックしたり、ゲレーロより優れたフォワードという話題で自薦するあたりのメンタルは絶対に後半戦の東京に必要だとおもうし活躍してくれると信じてます。Vai Jael!

 

 

サンパウロでの記憶

観光の話とサッカーの話と。

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日曜日のサンパウロ

2日目の最初はサッカーミュージアムから。ここは3年前も訪れたけれど、何回訪れてもいいようなミュージアム。サッカー好きにはたまらない。

ブラジルの歴代のトッププレーヤーの功績やワールドカップ、サッカーの歴史などなどが展示されている。そんな中でもひときわ目立つのはペレ崇拝。ブラジルサッカー界、いやサッカー史を見た時にそれなりに長い時期彼の時代があったので当然といえば当然ではあるけど。

彼が国の英雄になったのは17歳でブラジルに初のワールドカップ優勝をもたらした時。そのエピソードを見るたびに久保建英にもそうなって欲しかったと思ったりする。

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サッカーミュージアムを後にして、次に向かうのはヘプブリカ広場。

サンパウロの日曜日は他の曜日とは毛色が違う。ヨーロッパ、いやキリスト教の国では大体そうだけれど、サンパウロはそれとも違う。

ヘプブリカやリベルダージの広場では蚤の市が開かれ、ハンドメイドの土産物や日用品が露店で売られている。普段はそんなに治安が良くないヘプブリカも、この日は盛況していて広場に関しては危険な雰囲気は感じなかった。

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ヘプブリカの露店を見て回ったあとはリベルダージの方の蚤の市へ。リベルダージといえば日系コミュニティの中心地。今は中国人とかが増えてきたらしいがそれでも日系人、日本人が多いのには変わりなく、蚤の市では日本にゆかりのあるものが多数売られていた。

しかしここサンパウロでの、明らかに顔は日本人に見える同年代くらいの日系ブラジル人たち同士がポルトガル語でコミュニケーションを取ってるのを見るとなんとなく不思議な気分になる。アイデンティティが揺らぐような感覚。

 

そんなリベルダージのすき家で牛丼を食べたあとは、セントロ地区のセー広場へ。

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日曜日のセントロは人が少ないから危ない、という話を聞いていたので街歩きなどはせず、観光はカテドラル・メトロポリターナにタクシーで行くのみに留めた。

タクシーで近づくや否や、ただならぬ雰囲気を感じる。広場にいるほとんどの人は浮浪者で、炊き出しにぞろぞろと集まるか、路上で寝てるか、近づいてきてポルトガル語で何やら捲し立てられるか。幸い警察が監視しているので今すぐにそこで何かされる、ということはないが、セー広場を徒歩で離れたらどうなるかはわからない。カテドラル・メトロポリターナをサクッと観光して、タクシーですぐにセー広場を後にした。

 

一旦宿に戻った後、サンパウロのショッピング街であるオスカル・フレイレ通り(清水にいそうな名前だよね)へ。

セントロの後に見るとギャップがすごくて、ここは表参道か、って感じでおしゃれなショップが並んでる。

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綺麗は綺麗だけど、おしゃれな場所とはすなわち自分にはあまり用のない場所。一通り歩いた後はパウリスタへ。ここに来れば何かしらがある。

普段はビジネス街なパウリスタは、日曜日は歩行者天国になるらしく、2キロにわたるサンパウロ最大級の大通りではそこら中でストリートミュージシャンによる演奏やパフォーマーによるダンス、大道芸が繰り広げられ、こういった場所におきまりの露天商からガラナを買い、それを飲みながらパフォーマンスを楽しんだ。

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あらためて、サンパウロという街の、ブラジルという国のエネルギッシュさ、陽気さに魅了され、ブラジルに住みたいという願望が再燃した。

 

平日のセントロの熱気

暗澹たる雰囲気を感じた日曜日とはうってかわって、月曜日のセントロ地区は熱気にあふれていた。

試合当日、やることもなくゴロゴロしたり買い物をしたりしていたけれど、やはりもう一度、セントロ地区へ行ってみたかったので、セーの隣の駅であるサンベントから、セーの方まで歩いてみることにした。

駅を出るや否や、通りは商人や観光客、地元民、ビジネスマンで賑わっていた。

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昨日閑散としていたところも店が開いてるとこんなに雰囲気が違うものかと。

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写真を撮る気にはやはりならなかったが、セーの広場も活気に満ち溢れていた。

昨日感じた雰囲気は、家を持たない労働者たちが安息日ということであるべき日曜日の過ごし方を行なっていたに過ぎないのかもしれないな、と少し反省した。

 

チリ戦

分かってはいたけれど、スタジアムに向かう道には圧倒的にチリ人の割合が高い。しかしこれは日本人と比べて、ではなくブラジル人と比べても、である。

ただし道中では写真をせがまれたり「コンニチハ〜」と声をかけられたり、と牧歌的な雰囲気。ただコパアメリカという本気の舞台でのこのサポーターの振る舞いは裏を返せばなめられてる、日本には勝つだろう、そう思ってるんだろうな、と思うとむしろ悔しい。

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スタジアムに近づくにつれてチリ人は自然発生的に馴染みのあるチャントを繰り返し、スタジアムに入っても圧倒的アウェイになることは想像に難くない。

道中たまたま会った日本人の知り合いなどと合流していき、自然と集まった日本人で、3回のゴール真裏に集まることに。

周りをチリ人に囲まれ、巻き込む予定だったブラジル人も今回はあまりいない。

それでもブラジル人を見つけては声を掛けて日本を応援してもらうように頼み、チリの歓声が収まった途端にニッポンコールをするなどして応戦。

ブラジル人をどうやって取り込むか、は前のリオ五輪の時に色々学んだけれど、それでも結果がついて来なければどうしようもない。

チリが得点を重ねるにつれて、チリはサポーターも余裕ムード全開になるし、日本を応援していたブラジル人も徐々にスタジアムを後にしだしてしまったり。

 

0-4という結果は仕方ない。戦術云々という話もあるけれど、いくら戦術が整っていても決めるところを決めなきゃ勝てないし、逆にいえば昨日だって決めるべきところで決めてれば結果は変わっていたかもしれない。

我々サポーターが、チリ人に満面の笑みで4本指を立てられ、ビバチレのコールを歌われるのを思い出すように、きっと上田の頭の中にも前半44分の決定機はしばらく頭の中に残るんだと思う。それを糧にして、今大会中に一つ結果が出ればいいな、と。

 

仕方がないとはいえ、「これがフットボールだよ」とか言われたり、4本指を立てられたりとかするとやっぱり悔しさが増すし、日本代表におけるこの大会の位置付けを考えても、勝ちに行って欲しいと思う。次のウルグアイはこれよりももっと強いだろうけれどきっとある程度は舐めてくるはず。そこで足元を掬って、本気になったウルグアイに本気で勝ちに行って、かけがえのない経験値を得られれば、と。

 

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ブラジル1日目

お久しぶりです。

3年ぶり2度目のブラジルに来ております。時差ぼけで眠い。

前回は成田→香港→バンクーバー→ニューヨーク→サンパウロで片道合計55時間というクレイジーな旅程だったのですが、今回は羽田→ロンドン→サンパウロで片道合計35時間という比較的まともな日程で来ております(感覚のバグ)

とはいえ、ロンドンについたと思ったらシステムトラブルで1時間くらいおりれなかったり、ロンドンついた途端一緒に行ってた友達の体調が悪くなって病院に行って飛行機にギリギリ乗ったり、その乗った飛行機はシステムトラブルで2時間近く飛ばなかったりともうサンパウロに来るまでにだいぶトラブル満載。

 

ロンドンから飛行機に乗ったらCAのほとんどはポルトガル語スペイン語しか通じず、"De onde e voce?"とか"Fala portugues?"とか聞かれて、懐かしい感覚を覚えると同時に、錆びついたポルトガル語を必死に思い出しながらコミュニケーションを取ったり。

 

日本を出る前は「ブラジル治安悪そうだなー怖いなー」と思っていたものの、いざ着いてみると思っていたほど悪くはないし、雰囲気で言えばインドの方がヤバい匂いを感じるくらい。そういえば前回行った時も行く前は「本当に強盗に襲われるんじゃないか」ってすごい思ってたけど帰ってきた時は「ブラジルめっちゃ楽しかったなー」という感じだったので、今回もそんな感じで乗り切れるといいな、と。

 

3年前はなかった空港からの電車が出来ていてそれに乗って市内へ。

市内でSIMカードを買って、チェックインしたのちにブラジルに来て初めての昼食。適当に入ったお店はブラジルでよくあるプレートを出しているお店。土曜日でフェイジョアーダがあるから、それとガラナを頼んだらサービスでカイピリーニャまで出してくれて、ブラジル初ご飯としては満点の食事。

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これを食べた後はコリンチャンスの元聖地、パカエンブーを横目に通り過ぎてコパアメリカのチケット引換所に。

並んでいるとやはりチリ人がかなり多く、ビールを飲みながらひたすらチャントを歌っていて知ってはいたけど早速アウェイを感じる。痺れるようなアウェイは久し振りなので怖さ半分、楽しみ半分笑

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しかしこうやってサポーターが集まって街で騒いでるのをみるとサッカーのお祭りに来たことを改めて実感しますね。楽しい。

チケットを換えた後はショッピングモールに行ったりして必要なものを買ったり。事あるごとに「あーここ3年前行ったなあ」とか「えーこんなの3年前にはなかった!」みたいな感じになるのでとても楽しい。

夜はパウリスタ通りとて少し物々しい雰囲気なので宿でゆっくり。昼のサンパウロは至って平和でした。

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明日はサッカーミュージアムとか、リベルダージとかに行って参ります。

 

FR2とのコラボの意味するところを考える

面白いことやってきたな。それが最初の感想。
FR2というブランドは聞いたことないけどどうやらオシャレなブランドらしくてストリートとかで国内外問わず人気らしいってことも調べたらわかった。


まあでも派手な色合いだし、普段使いとかはまあ無理なわけで。モデルが吉田凛音ちゃんだったから「おー!」って思ったけど、まじまじと見ると「いやーこれはたしてありなのか?」って思ったわけですね。

www.fashionsnap.com

ただまあこれを読んで、あのデザインにしても個人的に非常に納得が言ったというか。
きっとこのスウェットはFR2というブランドがあえてこの派手さの違和感みたいなものを逆手にとって利用して作って、そして吉田凛音が着るからドンピシャなものになってるのでは、と。多分これFR2のロゴがなかったら「なんだよこれ」ってなっただろうし、たぶん吉田凛音が着るんじゃなくて商品だけを白い背景バックにして撮っても「ん?」ってなってた気がするんですね。売れる売れないは置いておいて作品としてはかなりイケてるのでは、といろいろ考えて思いました。例として適切かどうかは分かんないけど、ピカソのあの独特の絵はピカソが描くからすげぇってなる、みたいな。


売れる売れないとかいう目先の利益以上に、東京がこういうブランドとのコラボをJの中で先陣を切るとは思ってもなかったんでちょっと嬉しかったりします。だって左に2羽のウサギがヤってるロゴ、右に東京のTのマークでしょ、めっちゃ尖ってるじゃんトーキョー。

しかもFR2というブランドは16万人のフォロワー(東京の5倍以上!)でそれなりに国内外の若手に影響力を持つ。そことコラボしてフィーチャーしてもらったってのはクラブのスタジアム外でのブランディングの構築の一歩としてかなり大きな意味があるのでは、と思います。FR2にクールなイメージを持っててなんとなくFC東京を知ってるような層にとって、FC東京はクールに映るんじゃないかなぁと。数年後に渋谷にスタジアムができてそこを本拠地にするとなれば、、、ってわけですよ。

個人的には東京ってJの中でもこういうのには無頓着なイメージがあったから、これはちょっと意外。今シーズンはチームの調子もいいし、こういうこともどんどんやって話題とかを作って波に乗って欲しいなぁと思います。

 

まあ、これはこれとして、クラブにはわれわれが普段使うようなのでいいのもたくさん作っては欲しいよね、とも思ったりします。

とはいえアンセムジャケットはかなり攻めてきていい感じだし、U23のアウェイユニフォームも個人的にはどストライク。NEW ERAとのコラボ商品も学生にはちと高いけどいい感じだと思うし、この感じでSHIPSとかBeamsとかのコネをつかって無難に使えるおしゃれなものもまた作っていってくれるとより良いな、とも思います。

あとはスタッフの着てるジャケット、このUmbroのウォームアップトップにエンブレムが入ったやつだと思うんだけど非売品にせずにガンガン売って欲しい(ユニフォームの長袖もついでに)

www.umbro-jp.com

 

いずれにせよ今後にとても期待が持てるな、って思った今回のリリースでございました。

Jリーグのアパレルでストリートスナップは成立するか?のその後

note.mu

 

だいぶ前にこんなのをやりました。賛否ともどもたくさんの意見があったわけですが、まあとにかく議論が生まれれば面白がってくれる人もいるわけで。

実はちょっと前から数人で集まって、これをもうちょっと本格的にやってみようよ、という動きがスタートしました。

www.instagram.com

方向性としては、Jリーグのアパレル使っておしゃれな感じで写真撮ってみたら面白くない?っていうところから、日常に溶け込んだりしたら面白いよね、とか思っております。

まあとはいえ自分がファッションに興味があるか、というとそういうわけではあまりないし、どっちかというとサッカー文化とかそういう方面に興味があるのでどの程度貢献できるかはわかりませんが…

とりあえずロゴとかは得意分野なので、デザインしました。日本っぽく、それでいてカルチャーっぽく、ということで蹴鞠をやっている人のアイコンに日本の象徴である日の丸を重ねて作りました。自分で作っておいてなんですがそれなりに気に入っております。

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まだこのアカウントは駆け出しなので、投稿7フォローも100人以下みたいな感じなわけですが、きっと面白くなってくるんじゃないかな、と思います。

個人的にはこっちが一方的にやるんじゃなくて、参加型というか、タグ付けとかハッシュタグとかを使って(名前が#jsnapなのもそれをもくろんでのことです)、JリーグのサポーターがJリーグの試合に行くときのファッションとかを投稿したりしたら面白いんじゃないの?って個人的には思っています。

 

マクロードガンジ

マクロードガンジに行くという選択をしたわけだが、行き方としてはまずアムリトサルからパタンコートというカシミールにほど近い都市までバスまたは電車で行き、パタンコートからダラムサラまでバス、さらにダラムサラからマクロードガンジまでバス、という形になる。

パタンコートまでの電車は本数が少ないので、バスで行くことに。バスターミナルに着いて水とスナックを手にして、発車しかけているパタンコートいきのバスに飛び乗る。

何回か停車を繰り返した後、3時間半ほどでパタンコートに着く。オンボロバスだったが臭いとかもなく、130ルピー(200円程)なので全然許容範囲内。

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パタンコートに着いてからはダラムサラ行きのバスを探す。ダラムサラ行きのところにはすでにバスが停まっており、近くにいた警察にいつ出発するのかと聞くと「多分16時半」と。3時間後に出発じゃあ遅すぎる、と思いもう一度係の人らしきところに聞きに行くと、15分後に出るぞ、と言われたので、バスターミナルの露店で売っていたポテトパイをささっと食べてバスに乗った。乗ろうとしたときには自分と同じような質問をしている外国人旅行客がいた。この人もダラムサラに行くらしい。

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パタンコートからダラムサラまでは3時間ほどで140ルピー。バスは綺麗とはお世辞にも言えないが、車窓からの景色はとても綺麗だったので退屈することはなかった。とにかくヒマラヤ山脈はでかいし、どこまでも広がる緑色の景色はとても心地よいものだった。

ただインドの運転のセオリーと山道の相性はすこぶる悪く、とにかく横に縦に揺れる揺れる。前に座ってたインド人も完全にダウンしていた。

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そんなこんなでダラムサラに着いて、そこからさらにマクロードガンジ行きのバスを探した。バスを見つけて乗り込むとさっきの外国人旅行客がいて、ああこの人もマクロードガンジに行くのか、となった。マクロードガンジ行きのバスに乗るとチベット仏教の僧侶がたくさん乗っていて、まるで違う国に来たかのような錯覚に陥ったと同時に、いよいよ来たなと言った興奮も覚えた。

ゆっくりゆっくりと山道を登ってマクロードガンジに着くと、そこはインドとは思えないくらい涼しく、街並みも全然違っていた。まずチベット色が強いので、学校や家、お寺などにタルチョーというカラフルな旗がつけられているし、街もかなり整然としている。インドなのにリサイクルやゴミ捨てへの意識も高く、これも宗教の差から来てたりするのか?などと考えていた。

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また、ほかの土地では見かけなかったおしゃれなカフェがいくつも存在し、日本で言うならば軽井沢のような場所が近いかもしれない。

着いたときすでに18時。朝昼とほとんど食べていないに等しく流石にお腹も空いていたので、チベット料理を食べに行くことに。

宿から15分ほど歩いたところにある評判の良いレストランに行き、テントゥクというすいとんのような料理とモモを注文したがこれがめちゃくちゃ美味しかった。スパイスを使ったものももちろん美味いのだけれど、ずっとスパイスを使ったものを食べ続けてると発酵調味料系の食べ物のおいしさ、ありがたさが際立つ。やっぱり自分は日本人だなあと思わずにはいられなかった。

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食べた後少しぶらつくとまたさっきの外国人旅行客に出会った。彼女はインドネシア人で自分の母親くらいの年齢、旅行が趣味で一人で回っているらしく、翌日暇だと言うので一緒に行動することにした。

 


しかしこれだけ平和な街にいるとなかなか書くことがない。改めてインドのメインストリームは日本人の目から見るといかに特異だったかがわかる。

この街はほかの街に比べてリキシャやタクシーの客引きも少ないし、路上生活者もあまりいない。しかしそんな街でも一度物乞いにあった。正確には二回か。

赤ちゃんを抱えた50歳くらいのおばさんに、「彼女はミルクを欲しててとてもお腹を空かせてるの。お金はいらない、ミルクを買って」と言われた。一気に無視して立ち去ればいいのだが、やはりまだ慣れておらず一瞬立ち止まったが故にかなりしつこく付いてこられた。ミルクなんて20ルピーくらいで買えるだろう、と思って仕方なくその老婆と一緒に売店に行くと、粉ミルクのような袋を二つ買ってくれ、と。値段を見たら二つで800ルピーで、無言でその場を立ち去った。

倹約をすれば800ルピーあれば3日は余裕で暮らせるくらいのお金だし、何よりも「お金は要求しないから食べ物さえくれれば」みたいな善人面をしてきて、お金で渡すとしたら法外な値段のものを買ってという傲慢さに腹が立った。

そのあとしばらく経ってから近くを歩いていると、今度は同じ老婆が金銭だけを要求してきた。そこに赤ちゃんの姿はないのを見て、ああこれがレンタル赤ちゃんかな、と思った。インドでは赤ちゃんが金稼ぎの方法として使われていることがしばしばあり、実子ではなくレンタルな場合もよくあると言う。もしあそこで粉ミルクを親切に買っていてもあの赤ちゃんのお腹は満たされなかっただろうと思うと払わなくてよかったな、と思った。もちろん元を辿れば貧困が悪いのかもしれないけれど、それでも幼児を金稼ぎの道具として使っているのはどうしても受け入れられない。

 


その後ぶらぶら歩いていると、ふと張り紙が目に入った。大半がチベットの弾圧に対するものであったり、行方不明者に関するものだった。行方不明と言っても、日本の行方不明とは訳が違う。彼らのほとんどは、どこかで中国政府等に逮捕され、その後の行方が分からなくなっているというものだ。

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またチベットに関するポスターもただ貼ってあったというより、たまたま訪れた3日前がチベット人の民衆蜂起からちょうど60周年で、そのための抗議活動を呼びかけるものであった。

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チベット博物館にその後行き、弾圧や焼身自殺の歴史などをちらっと勉強したけれど、このマクロードガンジという場所は彼らにとってとても安心できる場所なんだろうな、と思った。それと同時に、いつか彼らがチベットに帰ることが出来れば、とも。

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マクロードガンジはこの度の最終目的地のようなもので、残りの1日はデリーに帰るしかなかった。

デリーへはそれなりに豪華なバスが出ていて、それに乗って帰ることに。所要時間11時間、値段900ルピー。

悪くないと思っていたもののそもそもの道が山道の連続、バスもすきあらば追い越し、加速をかけるのであっという間に気持ち悪くなり、かなりしんどいまま朝を迎えた。

 


さてデリーである。デリーについての情報を何も知らないので、とりあえずバスを降りた後は安全な場所に行くのが最優先だった。降りた瞬間からリキシャに囲まれ、「どこに行くんだ」と聞かれるが、どこに行きたいかなんてこっちも分からない。とりあえずそこから地下鉄の駅まで歩けるというわけでもなさそうだったので、最寄りの地下鉄駅までリキシャで行ってもらう。すると「ほら見ろ、地下鉄は閉まってるだろ!6時半まで動かないぞ。良いホテルがあるからそこに連れて行ってやるよ」と運転手。この自信満々の嘘からのホテル誘導を聞くのを楽しみにすらしている自分がいる。運転手が力説している目の前で人が地下鉄駅に入っていったので無視してお金を払い降り、地下鉄駅に向かった。地下鉄駅は驚くほどきれいだしなによりカードが使えるのがいちばんの驚き。デリーに来てほとんど国際カードが使えなかった中でこれはありがたかった。そして無論地下鉄も5時半にちゃんと来た。

とりあえずいちばん大きそうな駅であるニューデリー駅に行き、6時にバーガーキングが開くというので店の前で待って開店と同時に入った。

バーガーキングで見慣れないメニューばっかりだなあ、と思った後にふと気付いたが、ここインドではヒンドゥー教の教えで豚と牛が食べれないため、肉といえば鶏か羊しかない。バーガーとはかなり相性の悪い国だ。そしてここで食べたチキンバーガーが、実に初日ぶりの肉だったし、魚も2日目以降食べていなかったので、1週間擬似ビーガン的体験をしてきたことになる。

1週間野菜生活はしたくてした訳ではなく、入るレストランが大体ベジタリアンレストランだった、という方が正しい。でも大体の食事は美味しかったし、バーガーキングに入るまで自分が1週間も肉を口にしていないだなんて考えもしなかった。動物愛護の観点からベジタリアンになりましょう、というアプローチはあまり響かないけれど、単純に野菜しか使わない美味しいお店が日本にも増えれば、気付かぬうちに肉の消費量が減るんじゃないかなあとも思ったり。

 


デリーの観光地とかを調べていると、さすが首都、とにかく見どころがたくさんある。

これを全て見るわけにもいかないので、クトゥブミナールとフマユーン廟を見に行くことに。

とはいえ連日の旅で多少なりとも疲れていて、ダラダラしながらこれらを回ってると気付いたら夕方になっていた。タージマハルに行かない決断をしていた分、フマユーン廟に行けたのは良かった。

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ご飯を食べて残金をお土産などで消費して、空港行きの電車のチケットを買い残金を残り1ルピーにして電車に乗り込む。空港駅に着き降りたものの、空港らしきものは見えず、まばらな降車客は皆散っていくしリキシャは「ホテルはどこだ」と聞いてくる。あれ?ここ空港駅じゃないの??となり警備員に聞くと「空港駅は次だぞ」と言われた。

残金1ルピーでは公衆トイレも使えない。終わった、と思った。背に腹はかえられぬということで、駅員に対して、マジで1ルピーしか持っていないこと、間違えて降りてしまったことを必死に伝えてなんとか電車に乗れることに。そうして無事空港に着き、税関の検査やらシャワー浴びれなかったりと色々あったもののインドを出ることが出来た。

 


インドという国は人生観を変える、なんて言葉をよく聞くし、2度と行きたくなくなるか沼にハマるかの二択だ、なんて言葉もよく聞く。

人生観は変わるというのはなかったかな、と。変わったのはトイレの汚さに対する免疫くらいだ。今なら日本のどのトイレでも我慢できる自信がある。

割と思い描いていた通りのインドだし、現地の人と仲良くなるみたいな出会いも宗教・信仰の力強さも今までいった国で経験していたからだと思う。というか多分人生観というか世界観みたいなのはカタール1ヶ月滞在でだいぶ変わったからもう一回変わるってことはないのかな、という気もする。

もう一回行きたいかどうか。これに関しては絶対にもう一回、いや、後何度でも行きたい。今回コルカタ、バラナシ、アムリトサル、マクロードガンジ、デリーを訪れたが、どの街もそれぞれに特徴があったし、今まで訪れた国にはないくらい多様性があったように思う。それ故に、ふと自分がどこの国にいるのかが分からなくなることがしばしばあった。

しかし自分が見たのはインド全体のほんの一部だ。南インドデカン高原のあたりも見たいし、バングラデシュのさらに東側とかも見たい。とにかくまだまだ新しい発見が沢山ありそうなので、もう一度行きたいな、と思った。

 

経由地のクアラルンプールは発展度合いにビビり、それでいてなお昔の街並みも残ってはいてなかなかユニークだなあと思いました。レトロとモダンの混在もいいですね。これにてインド旅行記は終了です。今回の旅行記が今までで一番長かったんじゃなかろうか。読んでくださった方ありがとうございました。

アムリトサル

アムリトサルへ着いた。

シク教の聖地である。シク教といえばターバンを巻いた人たちのこと。👳🏾‍♂️はここアムリトサルにかなりの数居住している。というかバラナシでもコルカタでもこう行ったターバン巻いてる人たちはほとんど見かけなかった。

なぜアムリトサルに来たか?それは1つはこのシク教に多少なりとも興味を抱いていたからだ。宗教の規模の大小に関わらず、一つの宗教の聖地になっているというだけで興味深い。そしてシク教の聖地があるが故に、宗教からみたここの人口構成も一般的なインドのそれとは異なっている。さらにデンマークで一度シク教の寺院に訪問したことがある、というのも一つ。

もう一つは、ここアムリトサルの近くには印パ国境の中で唯一陸路で抜けられる場所がある(ワガ・アターリー国境)。パキスタンに行くわけではないが、ここワガ国境では、なぜか盛大な国境閉鎖パレードが行われているのである。こういうのが大好物な人間なのでアムリトサルに行かない理由はない。

 


というわけでアムリトサルに着いたのが朝5時。何もリサーチしていないが、空港の外に出るとFree Busの文字が。どうやらシク教の聖地、黄金寺院まで無料のバスを走らせているらしい。「タダほど高いものはない、それもインドで。ただしアムリトサルは除く」と言った感じで、アムリトサルのタダは割と信用な値する。シク教カーストを完全否定しているからか、寺院で無料のご飯、お菓子、さらには宿までを、見た目や宗教に関係なく提供しているのだ。そんなうまい話があるかという気もするが、これが本当に無料だから驚く。今回のバスもなんてことなく無料だった。

 


黄金寺院に入ると、そこでは何か聖句のようなものを唱えてる人、祈る人、聖なる水を飲むために列をなす人、沐浴する人など早朝なのにとにかく人が多かった。爆音でエキゾチックな音楽が流れ、大型ビジョンには聖句がひたすら映されている。やはり聖地は他教徒であっても畏敬の念を抱かざるを得ないような力強さを感じさせてくれる。イスラエルで感じた感情と似ている。

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本当はここで思召しを頂きたかったが、あいにくの腹の調子なので我慢して胃に優しそうなものを食べることに。胃の状態が格段と良くなっている以上ここで無理するわけにはいかない。

ご飯を食べた後は宿に直行しアーリーチェックインを使って10時ごろにチェックインし、シャワーを浴びて一休みすることにした。

午後は例のワガ国境に行くことに。旅の道中に会ったインド人には「カシミールの揉め事のせいでもうパレードはやってないよ」と言われたものの、この国では自分を信じるしかない。ワガ国境まではシェアのタクシーまたはオートリキシャで行くことになり、14時半くらいに黄金寺院付近を出発する。14時くらいに黄金寺院周りをうろついてると、立て続けに「Border?」と声をかけられ、ツアーをやってるということを確信した。一番最初に声をかけてくれたシェアタクシーに乗り込んで、いざ国境へ。

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着いた頃には通り雨みたいな大粒の雨が降っていたが、皆気にせずに国境へ向かう。おかしな話なのだが、この国境のセレモニーのためにスタジアムのようなものがインド側、パキスタン側に設置されているのだ。

セレモニーが正式に始まるまでは、軍人が観衆を煽り、音楽に合わせてその場で集まったであろう若い女性達が踊っている。

セレモニーが始まると兵隊達がドラムの音に合わせて階段からおりてきて、観客は軍人とコールアンドレスポンスを行う。この時点で観客のボルテージは最高潮である。

そしてパキスタン側の兵隊と息のあった威嚇を行い、全兵隊がそれぞれのパフォーマンスを終えると、一番偉いであろう印パの兵士ががっちりと握手をし、国境が閉ざされる。

こう淡々と書いているが、この旅で一番テンションが上がったのはこの瞬間だと思う。サッカー観戦やライブと同じで、この臨場感は行かないと伝わらないと思う。なので少しでも興味を持ったら行くのが早い。

 

 

 


国境から帰ってきた後は夕食を食べて、ふたたび黄金寺院へ向かった。早朝よりシク教徒の割合が少なかったが、夜の黄金寺院は想像を絶する綺麗で、聖地にふさわしいオーラを放っていた。

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そこから下痢止めの薬を買い足して、宿への帰路へ着いた。そしてここで翌日からの予定を決める必要があった。

この日を入れてのこり4日。ここからデリーに戻ってタージマハルを見に行くか、さらに北へ行ってチベット亡命政府のあるマクロードガンジに向かうか、で揺れていた。無難なのは前者だが、後者の方が奥深さはある。結局リスクとかそんなものは置いておいて、より興味のある後者を取ることにした。

 

 

 

アムリトサルという街

たった24時間強のステイでは街のことなどわからないとは思うが、アムリトサルコルカタやバラナシに比べれば随分と洗練されていたように思う。黄金寺院の周りはインドらしからぬ建物だったし、普通の通りでもカオスさはそこまでない。

 人柄に関しては、インドとは思えないほどおしとやか、という話を聞いていたけれど、ここに関してはうーんという感じ。というかインドだけでなく世界中どこでも、良い人はいるし悪い人もまたいるということを再認識させられた。

乗ったリキシャでは二台立て続けに乗った後に値段を倍にするというせこい真似をしてくると思えば、次に乗ったリキシャのおじさんには言い値を払っただけなのに感謝のハグまでされたり。

全く知らないクソガキに水風船を後ろからぶつけられたと思えば、入った薬局のおじさんが「君は外国人だよね?そしたらディスカウントしてあげる」と2割引で薬を売ってくれたり。

どうしようもない卑しい人もいれば、聖人のように優しい人もたくさんいる。ただインドでは、そのどうしようもない人間がどうしようもなさを思いっきり発揮して悪目立ちするから、インド人はウザいと言われるのだろうな、と。逆に日本人と言えば値段を倍にしてくるリキシャを見て腹が立ったが、これもまた彼が今までに乗せた旅行者の態度が悪かった可能性もある、と思うと、、

そんな風に自戒した、アムリトサルでの1日だった。