備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

東京こそすべて

東京こそすべてなんだろうか。自分にとってFC東京とは何なんだろうか

漠然とそんなことを今年に入ってから考えるようになった。

 

2002年の暮れに東京に越してきて、日韓W杯でサッカーに目覚めてからサッカーにのめりこんで行った小学生の自分は時々新聞社がくれるチケットで父親と味スタに行っていた。

最初に買ってもらったユニフォームというかキッズ用のシャツはケリーだった。かすかな記憶を掘り起こすとその試合でケリーがゴールを決めたんだったと思う。

 

タダ券があれば試合に足を運ぶ日々が4年ほど続き、のめりこみ始めたのは2007年だった。

 

「応援するならもっとちゃんと応援しなよ」

 

父親にその当時言われた言葉で今考えると意味が分からないけれど、じゃあアウェイに連れて行ってよ、となり徐々にアウェイにも行くように。

 

自分がFC東京を好きになり、一緒に来ていた父親も応援するようになり、最初は興味なかった母親や妹もスタジアムに来るようになり、その年の暮れには家族で甲府に行ったりしていた。その年のアウェイ浦和で、意図せずに真ん中で応援したことがきっかけで、以降はずっとゴール裏で試合を見ている。

 

 

中学一年生の時に、今でも仲良くしてくれているサポーターの方々に出会った。初めて応援する仲間が出来た瞬間だった。

 

中学に入ると、お小遣いやお年玉をやりくりして一人でアウェイに行くようにもなった。今考えれば中一が学校休んで一人で名古屋とか異常だけれど、そんなこともしていた。

中学から高校まで、先生も親も、成績さえキープしていれば学校を休んで試合に行くことに関しては何も言ってこなかった。高校2年生くらいまではFC東京のために勉強しているといっても過言ではなかったけれど、そのおかげで今の自分があるとも思う。

 

部活とかでFC東京から少し離れた時もあったけれど、どうも上手くいかなくて結局最終的には味スタのスタンドに戻ってきていた。

 

そんなこんなで、本当にいろんな試合に行った。数えていないから正確な数はわからないけど、相当行ってるんじゃないかって思う。

ナビスコ決勝でタイトル獲得の喜びを知り、

最終節西京極で降格が決定して号泣し、

鳥取でのJ1昇格も、

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天皇杯決勝も見届けた。

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無理を言ってアウェイ北京戦に連れて行ってもらったり、

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あと一歩でベスト8だった上海上港戦で声にならない悔しさを味わった。

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喜怒哀楽だけじゃあ言い表せないようないろんな感情を経験し、ある一つのコミュニティの歴史が作り上げていかれる瞬間を目の当たりにし、そしてそれを共有することが出来る仲間がいる。なんて幸せなんだろう、と改めて思う。

 

そして行く先々で知り合ういろんな人から本当に色々な影響を受けたし、趣味も人格も、FC東京を通じて知り合った人にかなり影響された。もともと引っ込み思案で内向的だった自分がある程度社交的になったのもFC東京のおかげ。FC東京がなかったら自分の人生がどうなっていたか本当にわからない。

 

昨年夏、もともと病気を患っていた父親がもうそんなに長くないということを知らされた。

車いす、要介護の生活になった父親は段々と自分の置かれた状況や記憶などがあいまいになっていた。それでもFC東京の話を振れば「今何位なの」「試合は勝った?」「負けたのか、だめだね」と普通の答えが返ってくることが多かった。

父親の手術の直前、サポーター仲間から一通のビデオが届いた。父親の大好きな石川直宏さんからのメッセージだった。メッセージをみて、父親ははっきりと目を開けて「ナオさんだ」と一言口にした。

退院した後、どうしても父親をスタジアムに連れて行ってあげたい、そう思っていたところ、なんとかホームの磐田戦に行けることになり、クラブスタッフの方のご厚意で試合前に分刻みのスケジュールの間を縫って、石川直宏CCが会いに来てくれた。父親は普段病気のせいで自力で笑顔を作ることが出来なかったが、ナオさんに会ったその時、満面の笑みを浮かべていた。父親にとっては最後の試合で、自分がみた最後の父親の笑顔だったように思う。

そんな父親は18番のユニフォームを纏って旅立っていった。父親のSOCIO番号は今年から自分のSOCIO番号となった。

 

FC東京というクラブはそう簡単にはなくならないだろうし、まだ世界的には歴史も浅いほう。これから輝かしい歴史も、そうでない歴史も刻んでいくと思う。しかしそれと同時に選手は入れ替わり、喜びや歴史を共有できるサポーターも突然居なくなってしまうことだってある。

18番を背負ったスピードスターも、東京の10番を背負ったファンタジスタも、ついぞリーグ制覇を達成できずに引退してしまった。両者ともクラブには残っているけれどもうそのプレーを生で見ることが出来ないと思うと喪失感は大きい。

サポーターもそうだ。いろんな事情でこれなくなる人もいれば、もう二度と一緒に試合を見れない人だっている。一番最初に出来た同い年の観戦仲間とは全国、いや地球の裏側まで行動を共にしたけれど、仕事の関係でFC東京から離れてしまった。

もちろん優勝とかACLとか行けたらうれしいけど、クラブが存在さえしていれば俺はいい。 いつか優勝するでしょ。そんなことをつい最近まで思っていたけれど、いろんなものを失うと、あらためて優勝したいという思いが強くなる。

 

東京こそすべてなんだろうか。間違いない。東京こそすべてだ。

自分にとってFC東京とは何なんだろうか。もはや趣味なんかではない。そんなものを超越している。自分が何たるかを構成している要素の周りにはいつもFC東京がある。FC東京がなかったらもはやそれは自分ではない。

そして何よりも、自分の親の最後の笑顔を見れたのがFC東京のおかげであり、石川直宏CCのおかげでもあるという事実が、自分にはとても重い意味を持っている。

 

だからこそ、より一層、優勝できるときに優勝したい。いつまでも自分とFC東京はあっても、喜びを共有できる人はいつまでいるかわからない。選手だって選手生命があるし、いつまでも待ってくれるわけでもない。そして今年、優勝できるチャンスが巡ってきた。4月からの継続しての首位も、明日から始まるアウェイ8連戦も、初めてのことだからどうなるかわからないけれど、今年優勝しないでいつ優勝するんだよ、と思う。

 

こんな文章を考えては削り、考えては削り、下書きに保存しておいて、今年の暮れにでも出せばいいかなーとか考えていたけど、正念場は優勝の決まる試合ではなくてここからのアウェイ8連戦だなと、広島戦終了後の応援歌を歌いながら思った。

「東京こそすべて 俺らを熱くする 情熱をぶつけろ 優勝つかみ取れ」

12月、笑ってシーズンを終えられますように。