備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

煙立ち昇る街

毎日いろいろなことが起こりすぎてその日のうちに書き留めておかないとすぐに忘れてしまう気がする。

 


その辺の屋台でベンガル名物のフィッシュカリーをいただき、朝食と飲み物を買い込んで寝台列車に乗り込む。スリーパークラスの乗車口では人々が半ば殴り合いのような様相を呈しながら我先にと乗り込んでいた。この光景がもうすでに、観光客はスリーパーに乗らない方がいい、と言う事実を示しているように思う。

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いざ自分の車両に乗り込み席を見つけると、そこには他のインド人グループが当然のように座っていた。チケットを見せると、どうやら団体で来ていて隣の二段ベッドと交換してくれ、と。三段が二段になるので悪い話ではないなと思い、隣に移ることにした。

そして熟睡とまではいかないものの眠りについていると、唐突に叩き起こされた。何事かと思うとどうやら列車の係員で、チケットを見せろと言うことらしい。チケットを見せた上で「隣に乗ってる人が席交換したいって言ってきたから」と言うものの隣の人はとっくに降りている。係員が言うには「お前の席には本当は乗客がパトナから乗ってくるはずだったけど乗らなかったから寝てていいよ」と。駅員も駅員で、問題ないなら起こさないでよという感じだし、交換を申し出てきたインド人も適当すぎだ。笑

そんなこんなで、残り10キロまでは定刻どお着き、そこから長い停車時間を経て、結局1時間半遅れで到着した。


バラナシについて、まず感じた違いは牛の存在である。コルカタではほとんど牛を見なかったが、ここバラナシにはびっくりするくらい牛がいる。牛は神なので、何をするでもなく当然野放しである(といっても実際の牛の扱いは結構雑だったりする)

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そしてコルカタは熱気で満ちているのに対し、バラナシは活気に満ちていると言った感じで、観光客、巡礼客が多い分商人が多い。コルカタではタクシーとリキシャと物乞い運転手以外にはあまり声かけられなかったものの、バラナシではとにかく声をかけられる。

しかしその商人の多さは一方でイスラエルやモロッコカタールで感じた既視感があり、個人的には安心できた。

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まずは荷物を置くためにホテルへ向かう。バラナシは細い道が多く、そこを人、犬、牛が行き来し、時折バイクがけたたましいクラクションを鳴らしながら通っていく。糞もかなりおちているし、危険は感じないが歩くストレスのようなものを多少感じた。人間が捨てたゴミを牛や犬が漁るため道はとにかく汚い。

ホテルに着き、荷物を置いた後は市街地に出て昼食を食べることに。ベジタリアン向けのターリーを食べた後、近くのガートに向かうと、そこにはババという一番偉い人がいたり、人々がリラックスしてたり沐浴していたりした。そこで牛の写真を撮っていると、子供が走ってきて写真に写り込んできた。そしてこっちから写真を撮ったわけでもないのに「10ルピー」と要求してくる。貧しさからくるものだとはわかってはいるものの、それでもなんというか、この狡猾な金銭の要求はなんというか腹が立った。花を売ってくる少年や、ただ食べ物を要求する少女の方がまだかわいい。

ガートでゆっくりするつもりがそんな少年たちが現れたのでそそくさと退散し、マニカルニカーガートへ向かった。ここはガンジス川に面する火葬場で、次から次へと死体が運ばれてきてはヒンドゥー教のしきたりに倣って遺体が焼かれていた。子供や若い人は人生を全うできなかったとして、焼かずにガンジス川に沈められるらしい。

また全土から遺体が運ばれてくる、というと全ての遺体がここで焼かれるような印象を受けるが、実際は日本と同じように近くの火葬場で焼かれてから、灰をガンジス川に流すらしいし、ここに運ばれてくるのはごく一部なのかもしれない。

ここに来たのは怖いもの見たさみたいなのもあったが、それ以上に死を理解するのにはいい場所なのではないか、と思ったことが大きい。親が死んで、身体が焼かれて骨になるというのはだいぶ堪える事象であって、自分の中でも未だに頭で理解しきれていなかったけれど、こうやって当たり前のように遺体が焼かれているのを見ると、理解もだいぶ追いついたような気がした。

改めてインドという国はすごい。焼かれる遺体があり、それを悲しむ遺族、淡々と燃えかすを整理する人、薪を割る人、吠えて争う犬、遺体の装飾の花を食べる牛、それらが同じ場所に存在しているのだから。自分の想像を毎回軽く超えてくる。

そんなことを色々と考えながら、2時間ほどぼーっとして、着いた時に運ばれてきた遺体が焼かれて原形をとどめなくなったあたりで火葬場を後にした。

 


そのあとはしばらく細い道をブラブラしていた。時折バイクは通るものの細い道だと交通量も多くなく、自分が今どこの国にいるかを一瞬忘れてしまうあたり、自分の中でのインドのイメージはやはり桁違いの喧騒らしい。あまり観光地としての魅力はないコルカタという都市から旅行をスタートしたのは正解かもしれない、とこのとき思った。

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夕食時、ライトの近くに案内されたこともあって蚊がものすごくたくさんいた。一度ブラジルでデング熱にかかってる以上、蚊には神経質なのでついつい殺そうと手を叩くと、ウェイターがすごい怯えたような、不快なようなしかめっ面をしてきた。その時、ヒンドゥー教が不殺生なことをふと思い出した。不殺生という戒めがあるからこそ、牛はともかく、蚊や犬なども自然がなすままに増えるんだなということを思った。この国で犬に噛まれたらだいぶやばいので、犬の存在はかなり厄介である。まあでも、劣悪な環境とはいえ、増えすぎたからといって殺されることもなく、それはそれで幸せなのかなとも思ったり。


2日目はまず日の出をみれるボートツアーに参加することにした。5時半に起き、ガードへ行ってボートに乗る。船一艘で400ルピー。

船に乗って漕ぎ出すと早くも太陽が昇り始める。こういうのって普通クライマックスだと思うんだけど、まあ日の出前なんて対して何も見えないから個人的にはこのくらいの方がいい。陽が昇ると、ガートで沐浴してる人、洗濯してる人など、いろんな人が見えた。なんというか、水質云々は抜きで、こうやって人々がガンジス川で沐浴したり生活用水として使ってるのを見ると、だんだんガンジス川が神聖に見えてくる。ヒンドゥー教でなくともここにずっといると沐浴したくなってくる気持ちがなんとなくわかる気がする。

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ボートツアーの後は一回睡眠を挟み、再び街へ。とはいえ市街地中心は歩き回ったので、サイクルリキシャを使ってバラナシヒンドゥー大学へ。ここにはかなり大きなヒンドゥー教寺院があるらしい。

寺院まで行くと、どうやら靴を預けないといけないらしい。インド人は50%くらい土足で入っててそこはノーチェックだけど、外国人だからか、土足で入ろうとすると止められる。せっかくきたので中に入るために靴を預けに行くと、1.00RS/personの表記が。流石に100ルピーではないよね、と思って預けようとすると受付の少年が「100ルピー」だと言う。絶対そんなことはない、と思って戦ってるとインド人の大学生2人組が助けてくれた。

彼らのおかげで無事靴を預けられ、流れで彼らと共に回ることにした。彼らは流暢な英語を喋れる、と言うわけでもないが、それでも色々と世間話をしたり、神々の説明などをしてくれた。

その後彼らと別れて、図書館の見学に行き30分ほどで図書館を出てリキシャを探しに行くと、たまたまさっきの大学生と鉢合わせた。彼らと一緒なら向こうもぼったくってこないし、交渉も楽だから、と思って声をかけると、彼らの乗るオートリキシャに一緒に乗ろうと言うことになった。当初のプランとしては図書館見学の後市街地に出る予定だったが、彼らがアッシ・ガートに行くと言うのでそれに同行した。日没前後にガートではプージャーという儀式のようなものが行われているので、それを見つつ川沿いを歩いていった。

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このプージャーを見ていると、儀式を執り行う人がいて、それに対して祈る人々がいかに沢山いるかがよく分かる。イスラエルに行った時も思ったことだけれど、宗教のもつ力強さを改めて実感した。

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沐浴はしない予定だったが、せっかくきたのだから控えめな沐浴をした。インド人曰く誰もが皆全身をガンジスに沈める訳でもないらしい。

この街はいろんなところで煙が立ち上っている。といっても遺体が焼かれているというよりは、仙人のようなババという人たちが火を焚いてたり、といったものがほとんどなのだが、この煙はバラナシを特徴付けてる気がする。

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そうして宿まで歩き、彼らと別れ、その後、勧められた有名レストランで夕食をとった。マサラコーラとかいう飲み物が死ぬほど美味しくなかったので(インド人もまずいって言ってた)、興味本位で頼まない方が良い。

 


朝6時、腸がグルグル鳴っているので起きた。下痢気味でもなく、腹痛はないし、大丈夫かな、と思いトイレを済ませて二度寝

朝9時、再び起きるとまた便意を催した。そしてトイレに行くと液体しか出ず、これはやばいかもしれない、と思った。

とはいえこの時点では頻繁にトイレに行きたくなるだけでお腹も痛くなかったので、そのまま活動することに。前日紹介してもらった布屋で色々物色していると、またしてもトイレに行きたくなる。この時点から段々と腹痛が激しくなってきた。スパイスは極力避けた方がいい、とのアドバイスに従って泣く泣く近くの日本食レストランでヘルシーなものを食べる。

しかし食べれば食べるだけ痛いのだ。そしてこれはイスラエルでもドバイでもロシアでも経験した胃腸炎と同じ類だな、と悟った。「意外と大丈夫じゃん?」と4日目までは思っていたけれど全然大丈夫ではなかった。

とりあえずこれまた教えてもらった信頼できる薬屋にいって、症状を簡潔に伝えると、バカでかい2種類の錠剤を売ってくれた。45ルピーで腹痛が治るなら万々歳だ。

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段々と身体も弱りつつあるのを感じたので、泣く泣く泊まってたゲストハウスに戻ってコモンスペースで休ませてもらうことに。そうするとオーナーが「自分の部屋のベッド使っていいよ」と言ってくれたのでベッドで横になることができた。

インド人は基本的に優しい人が多い。もちろん商売をしている以上、あくまで商人と顧客の関係であることには変わらないが、お金を要求するわけでもなくとにかく親切にしてくれる人は結構いる。しかし問題なのはそういった人と騙そうとしている人の区別が全くつかないことだ。これだと仕方なく街中で声をかけてくる良いインド人に対しても冷たい対応をせざるを得なくて、毎回申し訳なく思ってしまう。

 


さて、話はずれたが薬を飲んだらびっくりするくらい腹痛がマシになった。下痢は依然として治らないが、少なくともトイレに駆け込みたい衝動は消えた。その代償かどうかはわからないが、とにかく寒気と関節痛が止まらない。今までにも何回も同じ目に遭ってきてるので、とりあえず我慢することに。

しかしここから空港までの道のりはめちゃくちゃしんどかった。インドの交通量の性質上仕方ない部分もあるが、とにかく行けると思った時にアクセルベタ踏み、ぶつかりそうになると急ブレーキ、の繰り返し。これのせいで吐き気を催すことになった。全身から汗が噴き出してきて本気でやばいと思ったが、なんとか耐えて空港へ。

空港で軽く夕食を食べ、2回目の薬を飲むと、関節痛と寒気もだいぶ消えていった。まだ寛解とはいかないが、それでもインドの薬は偉大であると感じた。このままホテルで寝れれば良いのだが今日はあいにく空港泊。空港で夜を明かした後、シク教の聖地である、パキスタンにほど近いアムリトサルへ飛ぶことに。