備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

アフリカ旅行記-モザンビーク①

15時前にモザンビークに入国。モザンビーク側には街はなく、小さな集落があるのみ。当然両替所などはなく、個人の両替商がいるだけ。そうなるとかなり分は悪いのだけれど、手数料10%ほどで100ドル札をモザンビークの通貨メティカルに替えてもらう。

今日の目的地はここからさらに250キロほど行ったところにあるテテというモザンビーク中西部の街だけれど、アフリカで250キロの移動は下手したら1日かかる距離。適当な人に聞いてみると、国境から直接テテまで行く手段はなさそうで、アンゴニアのヴィラまで行って、そこからテテまで行くミニバスが出ているらしい。とりあえずそこまで行くことにして、満員に近いミニバスに乗り込む。

押し込まれた最後列はびっくりするくらい空気が澱んでいる。窓を開けようにも最後列には窓がなく、窒息してしまうんじゃないかという錯覚に陥るくらいには息苦しい。パニックになったりして迷惑をかけるのもあれなので、出発直前に窓際の席に変えてもらった。モザンビークポルトガル語公用語なのだけれど、国境沿いはまだまだマラウイ人も多いみたいで、ポルトガル語よりも英語のほうが通じたりするから助かる。

 

20分ほどしてミニバスは出発。ごく普通のハイエースに25人ほど乗っている。乗っているというよりも詰め込まれているという表現のほうが正しいくらいの密度で、ぎっちぎちなハイエースに乗り慣れてきた自分から見てもかなりぎちぎちだ。そりゃあこれだけ人が乗っていれば車内の空気は悪くなるよ、と思うのだけれど、彼らは最後列だろうがどこだろうがお構いなしに話しているのですごい。

出発して程なくして検問のようなところでミニバスが路肩に停車させられた。

警察は窓際に座っている自分を見つけ、「パスポートを見せろ」と言ってくるので渡す。5分ほどしてもパスポートが返ってこないので降りると、銃を持った警察に「こっちに来い」と小屋に連れていかれる。ついさっきビザを取ったばかりだし問題はないはずだが。

恐る恐る小屋に入ると、4人ほどの警察がにやにやしながらこちらを見てくる。そして「荷物の検査をさせろ」と言われる。荷物を全て出してチェックが終わったあと、「コロナの証明書を出せ、出せなかったら罰金だぞ」と言われたので、ワクチンの証明書を見せると、「それはインターナショナルなやつだからだめ。モザンビークのやつを出せ」と。頭の中に?が10個くらい並ぶが、冷静に考えてハッタリだ。

「大使館に電話して必要かどうか確認するわ」とこっちが言うと、向こうはすぐさま「もういいよ。でも冷たいドリンクが飲みたいから金くれ」と言ってきた。結局荷物検査もコロナの証明書も茶番で、金が欲しいだけなモザンビーク警察の腐りっぷりに唖然とする。

ちなみにこのようなやり取りは検問の度に起きた。面倒くさくなって払ってしまう人がいるのは理解できるし、だからこそ賄賂もなくならないんだろうなぁと思う。在住の友達曰く陸運省大臣が変わって汚職や賄賂も昔に比べるとマシになってきたみたいだけれど、こういった部分までは行き届いてない模様。とりあえず今のところのモザンビークの印象は警察のせいであまりよくない。

 

1時間ほどで彼らがヴィラと呼んでいた土地に着く。どうやら正しい名前はウロングウェというらしい。地図を見た感じ宿泊施設や携帯ショップ、銀行など、最低限はありそうな町だったし、この時点でもう17時前だったのでこれ以上移動するのは危険な気がしたので今日はウロングウェで一泊することにした。

適当に目についた宿が1泊2000円ほどのワンルームで、ベッドや水回りもまあまあのクオリティだったのでそこに泊まることにする。聞いてはいたけれどモザンビークの宿は他に比べるとだいぶ高い。

宿に併設されていた食堂でチキンとライスの定食をオーダー。30分ほどかかるといわれたので気長に席で待っていると、食堂内にあったビリヤード台で遊んでいたおじさん達が「日本人か?ビリヤードやろうぜ」と誘ってくれたのでやることに。ビリヤードなんてもう何年もやってないので思ったとおりに全然球がいかないけれど、何かしらの遊びを通した交流みたいなのはとにかく楽しい。そして一見パッとしない(失礼)おじさんたちはびっくりするくらいビリヤードが上手い。

あっという間に30分が過ぎ、チキンを食べるがこれがびっくりするくらい美味しかった。これまでの旅程では、鶏肉と言えば硬めのローカルチキンのトマト煮込みがデフォだったのが、ここではジューシーなチキンをレモン塩でマリネしてグリルしたものが出てきた。モザンビークでは鶏肉を食べよう。

夕食後は特にやることもないので、部屋に帰って水シャワーを浴びる。水シャワーは浴びる前は苦行だけれど、浴びたあとは1日の疲れを流せた気がして心地が良い。

 

翌日、朝6時に起きてテテ行きのバスを探す。前日降りたバス停で待っていると、10分ほどしてミニバスが来る。ちなみにモザンビークではミニバスはシャパと呼ばれている。国境を越えるたびに物の呼称や挨拶が変わるのは良い頭の体操になるなと思う。

 

テテ行きのバスに乗っている間も検問で止められて賄賂を何度か請求され、挙句の果てにはドライバーに「早くいきたいから払ってくれよ」と言われる始末。こうなってくると逆に1円たりとも払いたくないのが人間の性。

テテ行きのバスに乗ったものの、今日の目的地はテテではなく、テテから5キロほど手前のムワティゼという街。友人がここに住んでいる知り合いを紹介してくれて、ありがたいことに泊まってもいいよとのお言葉をいただいたので、お言葉に甘えて宿泊させてもらうことにした。

7時間ほどシャパに揺られてムワティゼに着く。ドライバーには賄賂のときに俺が助けてやっただの、外国人だから高く請求してもいいだの、色々ケチをつけられて相場の3倍の値段を請求されたけどムカついたので相場しか払わずに降りる。

ムワティゼは雲一つない快晴で、降りた瞬間に熱気を感じる。それもそのはず、ここの地域はモザンビークで一番暑い地域で、そんな地域に一年で一番暑い時期に来てしまったらしい。湿度も低く少し歩くだけでとにかくのどが渇く。買った500mlの水が一瞬でなくなってしまう。

ムワティゼに住んでいる方と合流して、マーケットの中の食堂で昼食を取る。小さい町(というかほぼ村)で白人がほぼいないからか、食堂にいるだけで小さい子が寄ってくる。ちなみにここで食べたチキンも前日のチキン同様とても美味しかった。

 

ムワティゼの街を歩く。ここムワティゼは、炭鉱の町として知られていて、周りにはたくさんの鉱山が存在している。インスタ映えするような観光地では全くないけれど、炭鉱にまつわる面白いスポットはたくさんある。

ムワティゼからテテまでを結ぶ大きな道から北にそれてしばらく歩くと、十字架の立っている丘が見えた。これはサンタバルバラというカトリックにおける鉱山などの守護聖人が祭られている丘で、モザンビークだけのものではなくポルトガルやブラジルなど他の国にも存在しているらしい。炭坑は古今東西危険がつきものとのことで、炭坑に入る前に皆ここの丘に行ってお祈りをするらしい。

実際ここムワティゼでも1970年に大規模な炭坑事故が起きており、その記念碑のようなものも存在する。記念碑の周りにはごみが雑然と捨ててあって少し残念な雰囲気ではあったけれど。

他にもポルトガル植民地時代の石炭公社の跡地や、石炭をストックしておく場所など、至る所から石炭の町たる所以を感じる。そしてここでとれた石炭は、列車によってインド洋沿いの港に運ばれていく。このムワティゼの鉄道駅からは現在は貨物列車しか走っていないものの、列車を待っている乗客もちらほらいる。話によるとどういった貨物列車もセキュリティの人が乗るための車両があり、そこでセキュリティの人に直接お金を払うことで乗ることが出来るらしい。

 

そんなこんなでムワティゼには2日ほど滞在。小さな町というのもあるかもしれないけれど、モザンビークは警察の横柄さとは対照的に普通の人の人柄はとても良いなと感じる。嫌なこともあまりない。

ムワティゼを後にして目的地のテテに向かう。とはいってもテテになにか用事があるわけではなくて、テテからマプトまでの距離が2000キロもあるので飛行機を使っていくことにしたからテテに行くだけ。中西部最大の都市を素通りするのももったいないので、1泊だけすることに。

 

ムワティゼからテテまでは直線距離では10キロほどなのにもかかわらず、この二つを結ぶ橋が今年初めのサイクロンで破壊されて、未だに復旧工事中ということで通行止め。だいぶ南の方にある他の橋を渡って大回りするほかないため、1時間半ほどかかる。アフリカに来てみると川というのがいかに大きな交通の障壁になるのかを実感するし、開発援助として橋が建設される理由もよくわかる。しかし年明けに橋が破壊されてもうすぐ1年が経つわけで、これが直ったところでまたサイクロンで破壊されてしまう気がしてならない。

テテは街の真ん中にザンベジ川が通っていて、その両岸に街が発展している。西側は植民地時代に発展した地区で、東側が現在開発中の地域だ。ザンベジ川の河川敷には農地があるけれど、川の水位が上流にあるダムによってコントロールされており、このダムの放水によって農地が氾濫することがしばしばあるそう。自分が行った時もトウモロコシを育てているような土地が水浸しになっているのを見た。なんともいたたまれない。

 

テテもムワティゼ同様死ぬほど暑い。少し歩くだけで体中から滝のように汗が噴き出て水分が失われていくのを感じる。ムワティゼとの違いは、こちらはしっかりとした街なのである程度気温の低い屋内施設が存在すること。今風のカフェに入って体をリセットする。

ザンベジ川西岸を歩く。通りに並ぶ古びた3階建てほどのビルからはなんとなくブラジルのポルトアレグレの風景を思い出す。比較的大きな街だけれど、特段これと言って面白味のある風景が広がっている、というわけでもない。ということでシャパに乗って東岸に向かう。東岸には比較的新しいショッピングモールがあるとのことでそこをまずは目指して向かってみる。西岸は比較的狭めの地区に3-4階建てのビルが集合したような形で発展している一方で、東岸は1本のメインロードを起点に1階建ての建物が低密度で広がっていて、メインロード沿いにショッピングモールなどの大きな店舗が建っている。ショッピングモール自体の規模はまあまあ大きいのだけれど、入っている店舗はショップライトという大型のスーパーマーケットといくつかのローカルのアパレル店舗、残りは空のテナントといった感じで平日なのを差し引いてもなんとも寂しい雰囲気。だだっ広い駐車場と隣にあるケンタッキーは、なんとなくアメリカやオーストラリアの地方の小さなショッピングモールを想起させる。

ショッピングモールの隣にはヨーロッパ、特に東欧でよく見たSPARがあり、ヨーロッパが懐かしくなる。すっかりアフリカに慣れきってしまったけれど、今ヨーロッパを旅行したらどういう感想を抱くだろうか。

 

特段映えるような景色があるわけでもないムワティゼ・テテではあったけれど、それでも文化的にも地理的にもかなり面白い、歩き甲斐のある地域だったように思う。それゆえに猛暑で歩くモチベーションをことごとくそがれたのが残念ではあったけれど。

いよいよモザンビークの首都、マプトへと飛び立つ。マプトはモザンビークの最南端に位置するので、もうここまでくるといよいよゴール目前だ。