備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

アフリカ旅行記-ケニアリターンズ②

ケニアに戻ってきて3日目、朝からSGRという電車に乗ってモンバサへと向かう。

今日の最終目的地はタンザニア国境近くのShimoniという村。ここには何か特別なものがあるわけでは決してないのだけれど、大学院在学中に関わっていたプロジェクトがあって、そのプロジェクトが行われていたのがこのShimoniという村だった。プロジェクト自体は楽しかったのだけれど、やってればやってるほど「こんなの現場を見ずに何かしらの提案するなんて無理げーじゃんか」っていう思いが強くなって、いつか実際に現場を観に行ってみたいなと思っていたのでこの機会に行くことにした。

この機会に行くことにした、と書いたけれど実際ケニアに来た理由の9割はこれだし、これがなければ単純にケニアウガンダルワンダタンザニアと移動してもよかった気はする。

SGRというのはナイロビからモンバサを結ぶ高速鉄道で(といっても6時間かかるけど)、ナイロビを朝8時に出発してモンバサに14時に着く。

電車のくせにセキュリティがめちゃくちゃ厳しいと聞いていたのと、前日に空席情報を見た時に空席が僅少になっていたので、朝5時に起きて6時前にタクシーを捕まえて向かう。

6時半ごろ、駅に着く。何もないところにものすごく大きくて綺麗なターミナルが突如出現する。偏見かもしれないけれど、いかにも中国による出資、といった印象を受ける。



麻薬犬による荷物のチェック、X線検査、そして身体検査を経てまずはチケットオフィスへ。チケットオフィスの残席数を見るとなんと残り12席。自分の後ろにもちょくちょく人が待っていたので、この時間に来たのは正解だったかもしれない。

チケットを買い、再度チェックを挟んで列車へ。本当は新幹線のような座席のファーストクラスを予約したかったものの、席がなかったのでエコノミーに。エコノミーは向かい合わせのボックスシート、それも日本よりも幾分か前の人との間隔が狭い。

電車は8時ぴったりに出発した。バスと違い時間に正確だし、揺れも少ないので快適だ。ただ足の幅はとにかく狭い。出発から程なくして景色はいわゆるサバンナになる。

が、サバンナもずっと見てるとさすがに飽きるのでひと眠りすることにする。

眠りから覚め、ふと窓の外を見るとゾウの群れがいた。こういうのを見ると「ああケニアに来たな」と実感する。

しかしよく見ると線路の両脇には柵があって、日本のように踏切の数は多くない。動物然り住民然り、地理的な分断を産んでしまうのではないかな、とかいらぬ心配をする。

電車なので揺れは少ないけれど、やはり6時間は長い。それなりの疲労を抱えてモンバサに到着した。

モンバサの駅もこれまた周りに何もない。言ってしまえば全ての駅が三河安城岐阜羽島のような立ち位置と言っても過言ではなく、何もない場所に立派な駅がポツンとある。

駅を出ると大量のミニバスが待っているので、目的地に向かうバスを探す。

プロジェクトの職員と待ち合わせ予定の街、Diani行きのバスを見つけて乗車する。自分が最後の乗客だったので、運良く乗ってすぐに出発する。

モンバサの中心地は島のようになっているので、車ごとフェリーに乗って対岸に渡り、そこからさらに1時間ほどしてDianiに着く。Dianiで落ち合ってからさらに1時間半ほどでShimoniの村に着いた。

村に着いた時にはすっかり日も暮れていたのであまり何も見えなかったけれど、小さい村なのは分かるし、波の音からも海がものすごく近いのも分かる。

今回は、関わってたプロジェクトを運営する機関が借り上げてるボランティアや職員用のゲストハウスに泊めさせてもらった。朝食と夕食を用意してくれて、しかも洗濯までしてくれるのに、今回は数泊だからということでご厚意でタダにしてもらった。ちなみにここで食べたご飯はこの旅で一番美味しかった

プロジェクトに関わることだからあまり詳細は書けないのだけれど、3泊させてもらい、プロジェクトに関わる町や機関の実情なども見れてよかったなと思う。自分があれこれ書いたことの答え合わせをしているような気分になった。

 

Shimoniは小さいが故にかなり平和で、子供たちも元気よく「ジャンボ!」と声をかけてくるし、大人ものんびりしている人が多い。また夕暮れ時は満潮、午前中は干潮で、異なる姿の海を眺めることができる。

普段は海なんてめったに行かないのに、なぜだかずっと海でのんびりしたい気分だった。思うにカンパラ、ナイロビと中々に忙しない都市に2週間ほどいて、身体が落ち着いた場所を求めていたんだろうな、と思う。
アフリカではポレポレという言葉で形容するような、非常にゆっくりとした時間の流れを感じるときもあるし、混沌とした街のなかでは何かしらの衝動に駆られるような感じ方をするときもある。前者の場合、もう考えることを放棄してひたすらに広いアフリカという土地を眺めてぼんやりとしていたい気分になるし、後者の場合はその逆で、活き活きとした街や人に感化されて「もっと人間味があっていいんだな」「感情を殺さなくていいんだな」といったような感じになる。
アフリカという土地でコミュニケーションを取っているといやというほど人間味を感じる。自分の欲求に対して素直すぎるくらい直球のコミュニケーションが多い。それはそれで大好きなのだが、そういう場所に身を置き続けると、すこし気を休めたい気分になる。ゆっくり過ぎる時間というのは一長一短だけれど、気を休めたいときにこれほど最適な環境もない。ただだらだらしているだけで良くて、それを肯定してくれるような環境がアフリカには存在するなと思う。


Shimoniの次の目的地は、タンザニアキリマンジャロ山のふもとの街、モシ。キリマンジャロを登らないのであればモシは通過してそのままサファリの拠点であるアルーシャに行けばよいのだけれど、大学の知り合いがここでインターンをしているということで会いに行く。
Shimoniからモシまで、地図を見ると直線でそれなりに近いのだけれど、ダイレクトに行ける道がないので、タンザニアのTangaという街に入ってそこから北上してモシを目指すか、一度ケニア内を北上して、そこから西に向かうかの二択。現地の人に聞いたら、モンバサまではいかずにDianiまで行って、そこからVoiという都市までバスが出ているから、Diani→Voi→Tavetaと行けば国境沿いまでいけるよ、と教えてもらった。

ということでDianiまで行くことにする。知り合いづてで知り合ったアメリカ人二人と一緒にバイク、ミニバスを乗り継ぎ1時間半ほどでDianiに着いた。
Dianiではプール付きのゲストハウスに泊ったのだけれど、ビーチまで徒歩二分、そしてそのビーチが今まで見たビーチの中でも一番くらいに綺麗で、これだけでDianiに来た価値はあるなという感じ。

せっかく海沿いに来たのでシーフードを食べに行く。評判の良いところに行ってみると、魚は売り切れ、チキンしかないという。残念だったけどほかの店を探すのも面倒くさかったので、仕方なくそれを頼んだら、それはそれはめちゃくちゃおいしかった。評判のいいお店なだけある。

さて、ご飯を食べた後に明日の移動経路を確認する。DianiからVoiに行くバスはたくさんある、と聞いていたものの、いざ聞きまわってみるとそんなバスの気配は全くなく、聞く人聞く人みんな「モンバサに行くしかないよ」と言ってくる。ただ、大体のバスは早朝なので、明日モンバサに行ったところでVoiやモシに行ける確証はない。そもそも元々はというとモンバサに一泊してそこからモシを目指そうと思っていたのだけれど、それを現地の人に話したら「モンバサまで行くなんてありえない!絶対そんな遠回りすべきじゃないよ!」みたいな感じだったのでDianiに泊ったのだけれど、結局モンバサに泊るのが圧倒的に正解だったという。アドバイスしてくれた人に「モンバサまで行くしかないらしいよ」と伝えたら「あ、マジか」くらいの反応で終わったし、彼らも善意で教えてくれているのでやり場のない苛立ちが募ってしまう。意外と自分の勘のほうが正しかったりもするな、と改めて思う。モンバサに泊ったほうが楽だったとはいえ、ビーチも見れたし、まあモシまで行く算段もなんとかついたので良いということにしておく。

 

 

独り旅

一人旅を初めて1か月ほど経つ。

自分の旅行の大半は一人旅だ。一人旅に抵抗がないことも理由の一つだけれど、やはり自分で見たことや耳にしたことを自分一人で反芻できるというのが大きい。

じゃあ寂しくないのか、といえばそんなことは全くない。

自分はむしろ孤独を感じやすい人間だと思う。一人でいるのが楽なように見えるのは他人に歩調を合わせたりするのが苦手なだけで、本当は自分の思ったことを伝えたいし、経験を共有したりもしたい。定期的に自分の口から吐き出していかないとどんどん孤独が煮詰まっていくような気がしてしまう。

 

サッカーの試合を狂ったように見に行くのはこの孤独を紛らわすのに役立っていると思う。そこに行けば知り合いもいるし自分の感情も吐き出せるし、何よりも毎週ある。それ自身がめちゃくちゃ面白いからというよりも、自分にとっての処世術の一つに知らず知らずなっていたんじゃないか、ってふと思う。いや、サッカー観戦は面白いんだけどね。

 

その場しのぎのように一時的に孤独を埋めるにはそこら辺にいる適当な現地人やホステルの同居人と喋るので十分で、それはある意味旅における機会を増やしてくれることには役に立っているとは思う。けれど人間は適当な人と喋ったくらいで孤独が埋まるような生き物ではない。人間、というと主語を大きくしすぎたかもしれないけど、自分は少なくともそう。

 

一人旅というのは自分自身で物事を反芻できる十分な時間が与えられる一方で、裏を返せばほとんどの時間を自分自身と向き合っていないといけなかったりもする。それは目の前で起きていることだけじゃなくて、過去のことや将来のこと、いろんなことが頭に浮かんできては否応なしに向き合うことになる。旅をしているうえで目の前に起きていることを考えるのはいい。それは自分の喜びに繋がるし、それを求めて旅をしているところもある。でもその旅においての空き時間に大量に浮かんでくるその他のことは、時としてその「目の前に起きていること」を凌駕して、頭の思考領域を侵食してくる。そうなってくると目の前で何が起きているかとかはどうでもよくなってきてしまう。

こうなってくるともう「逆・無敵状態」で、気を紛らわすために他のことをしても、寝ても、結局それが終わったらまた独りで色々考えてしまう。そして独りで考えれば考えるほど、独りであることに自覚的になってしまうという地獄のような状態だ。

 

で、そこで改めて、「そこまでしてなんで一人旅なんかしてるの?」っていう問いに行きつく。他人にも思われるだろうし、自分自身も今思ってる。だからこれを書きながら考えてる。上にも書いたように「人と歩調を合わせるのが苦手」というのはある。でもそれならお互いあまり干渉しないような相手と旅行すれば丸く収まるだろう。「単純にこの時期に3か月も休みを取ってアフリカを旅行しようと思う友達がいない」これはまあ現実的な問題として大きい。もう日本に帰って平日昼とかに遊んでくれるような友達は数えるほどしかいない。結局そういう友達がいない、というところに行きつくのか…とか思っているとまた負のスパイラルに入ってしまう気がするので他にも理由を探してみる。

 

何度も書くけれど、旅をしようがしまいが自分は孤独を感じやすい。信頼できる友達もたくさんいると思うし家族とも良好な関係だけれど、それでもやはり根本的な部分で孤独を感じてしまうのは別に日本にいても思うこと。それが旅で増長されているというだけだ。思うに、自分はこの「根本的」な孤独にどう対処すべきなのかという問いの答えを探すために旅をしているような気がしてきた。FC東京の試合を観に行くだとか、友達と会うだとか、そういった何かに頼らないで(頼ることが悪いことだとは全く思っていないし頼れるものならばずっと頼っていたいというのが本心ではある)、自分自身の中に渦巻く孤独を手懐けられるようになりたいんじゃないかなと思ったりする。そのために自分自身と向き合うほかない環境という意味での一人旅は最高の環境な気がしてきた。ってそれはなんかもはや修行なのではって気もするけど。まあそんなこと言いつつかなりこの旅でも友達とかに頼っちゃっていますけどね。まだまだ甘いな、自分。

 

現在地はタンザニアザンジバルです。ケニアに入ったあたりからブログがあまりかけてないのは、目の前のことに集中出来てない結果、目の前で起きたことに対して感じたこととかがスーッと頭の隅に追いやられているからなわけですが、まあ備忘録もかねて記録くらいはしておきますかね。

アフリカ旅行記-ケニアリターンズ

午後6時半のバスに乗ってウガンダの首都カンパラからケニアのナイロビに向かう。

出発直前に友達がサプライズで見送りに来てくれて、ますますケニアに行くのが億劫になる。自分が決めたことなので仕方ないけれど、純粋に12時間以上バスに乗ってまた新しい場所にいくくらいなら慣れてきた宿でゴロゴロしていたほうが楽だ。

 

バスはキガリから乗ったものよりかは快適そうだが、いかんせん暑い。バスは満席で冷房はない。どんどん蒸し暑くなっていくし、発車していないので窓が開いていたところで風も吹かない。

バスに乗ってからなんやかんやで1時間ほどして、やっと出発。カンパラを抜けるまでは徐行運転、ガタガタの道を進むので揺れに揺れて、かなり気持ち悪くなった。

徐々に郊外に出ていくにつれてバスはスピードを上げ、その分車内の気温も下がっていく。時折バスの車輪が段差などにはまると、建付けの悪いシートが鈍い音とともに跳ね上がって起こされる。

アフリカでの長距離バスに乗っていてうすうす気づいてきたのだけれど、いくらバスのクオリティが高かろうと(今回のバスのクオリティはたいしたことなかったが)、道がガッタガタなので基本的にはあまり快適ではない。

 

24時を回り、やっと睡眠についたあたりでバスの灯りがつき起こされる。バスに乗り込んで6時間ほど、やっと国境に着く。

ウガンダケニアの国境のオフィスは2か国が共有しているタイプで初めてだった。

人数に対して係員が少ないのでとにかく進みが遅い。1時間ほどで出国、入国審査を問題なく終えた。

地図を見ると、まだ3分の1も進んでいないことが分かる。ここからが長いというのはいささか憂鬱だ。

とりあえずバスに再び乗り込んで眠りにつく。

なんどか停車を繰り返して、そのたびに起こされ、またやることもないので眠りにつき、を繰り返し、昼の1時前にやっとナイロビに着いた。バスに乗り込んでからおよそ18時間、本当に長かった。そしてこの長さのバスを経験してしまうと、ますますここからの旅程が億劫になってくる。

 

まあとにもかくにも、ナイロビに着いた。バスは中心部に止まるので、仕方なく「アフリカ随一の凶悪都市」「昼間でも歩くのはダメ」と言われているようなCBD地区を歩く。危険はあらゆるところに潜んでいるとは思うのだけれど、意外にもリオデジャネイロに行った時のような明らかな空気のヤバさのようなものはあまり感じなかった。

とりあえず手っ取り早くバイクタクシーを捕まえて宿へ向かう。

 

改めて半月ぶりにナイロビを見るとその大きさ、発展度合いを実感する。ただその一方で、キガリほど綺麗な感じではないし、カンパラほどエネルギーを感じるわけでもないし、という感じでただただ大都会、といった印象を受ける。

そしてなんというか良くも悪くも落ち着きのある雰囲気が不気味な印象を醸し出している。

 

なんとなく、もうナイロビは良いかなという気分にすでになっている。南に進んで新しい景色を見たい。

アフリカ旅行記-ウガンダ③

まあなんやかんや書きましたけど、ウガンダ滞在楽しんでます。

週末はNyege Nyege Festivalというアフリカ最大級の音楽フェスに行き、ナイル川にラフティングをし、その後は世界遺産のカスビ王墓に行ったり、カダフィモスクに行ったり、空の玄関口であるエンテベにある植物園に行ったりしてました。

 

Nyege Nyege Festivalはくそでかい森林公園というかキャンプ場のような土地の至る所にステージがあり、クラブっぽい音楽のみならず歌謡だったり伝統的な音楽だったり、いろんなジャンルの音楽がそこかしこで流れていて、それに合わせてみんなが踊っている感じがとてもよかった。



ラフティングは激流にもまれておぼれ死ぬかと思った。いや、楽しかったとは思うのだけれどもう一回やりたいかといわれると…みたいな笑

ブリーフィングの時に「波に飲まれたらまずは泳ごうとせずに流れがゆっくりになるまで待て」「もしヘルプが必要だったらこのハンドサインをしろ」って言われてて、いざ転覆して水を飲んでしまい結構しんどい時にハンドサインをしたら「泳げ!!!」と言われたときは一周回ってちょっと面白かった。

でもラフティングを終えた後のご飯と、トラックの荷台に乗ってウガンダの田舎の道を疾走するのは本当に気持ちよかった。あの気持ちよさのためにラフティングしてるまである。

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カスビ王墓はなんかリフォーム中でそれ自体はフェンスで囲まれていたのだけど、ロイヤルガードに会えたり、ロイヤルファミリーの生活を覗けたり、結構興味深かった。

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カダフィモスクのミナレットから見るカンパラの眺めは本当に良かったし、なんかやっぱカンパラ好きだな~って改めて実感。

 

エンテベはかなり小綺麗な街で、植物園は小鳥の鳴き声でにぎやかだし、ビクトリア湖も見れるしでいい息抜きに。

 

 

そんな感じでウガンダはある程度満喫しました。好きな国になったからまた戻ってきたいな。

2週間弱でいい出会いがたくさんあったけど、その人たちとしばらく会えないのが寂しかったりもする。ここから先の旅でまたいい出会いがあるといいなって思う。

アフリカ旅行記-ウガンダ②

6日目

朝6時ごろに目が覚めてしまった。なんでかはわからないけど、二度寝しようとしてもなかなか寝付けない。1時間半ほど経ってようやく寝落ちし、次起きた時には10時前だった。

外を見ると太陽がしっかり出ている。この時期ウガンダは雨季なので、太陽が出ている時間帯に洗濯をして干さないと洗濯物が溜まっていく一方である。

ということで朝食をさっと取り、洗濯を済ませる。

 

しかし外に出て行く気力が昨日も今日も全く起きない。

ウガンダに来て、ありがたいことに何人もの在留邦人やウガンダ人の知り合いが出来た。おかげで色んなことに誘ってもらって、それはそれでとても楽しい。

ただその楽しさは非常に刹那的で、1人になった瞬間に自分は旅人で、彼らは住人であり、そこで生まれる関係性はウガンダを出た途端に希薄なものになってしまうのだろうな、と思ってしまう。そう考えた途端、週末に企画している小旅行やアクティビティも楽しいんだろうけど、その分孤独を増幅させてしまうのだろうなと想像してしまい、なんだかとても虚しくなってしまった。

接してくれてる人は皆とてもいい人だ。いい人だからこそ、もっとここに滞在して彼らと遊んだり喋ったりしたいと思う。が、いくら滞在しても自分はいつかは離れないといけない身分だし、彼らはここにとどまり続ける。自分にとっては旅行の中の大切な思い出の一つでも、彼らにとっては何年も生活している空間にちょろっと来た日本人にすぎない。思い出は不均等だし、それが想像に難くないからこそ、ここに居続けることは自分の孤独を浮き彫りにするだけなような気がしてしまう。

もっと滞在していたいけれど、そろそろ別の場所に移動したほうがいいかな。そんなことを思った。

旅というのは出会いと別れの繰り返しで、孤独を感じては人の優しさに救われて、の繰り返しだと思う。

 

そんなことを考えながらボーッとしてるともう13時。風が強くなってきて、空も暗い。雨が降りそうなので洗濯物を室内に移動させる。

外に出る気にならなくても、外に出ないとご飯もなければお金もないから、外には出ないといけない。

外に出ると、大粒の雨がポツポツと降り出している。最寄りのATMに行くまでの道にバナナを焼いて売っている露天商のおばちゃんがいた。せっかくなので昼ごはんがわりにバナナをいただく。地べたに座ろうとすると、おばちゃんが「これ敷きな」と段ボールをくれる。そして雨が本降りになってくると、露天の裏にある小屋の鍵を開けて、雨宿りをさせてくれた。名も知らぬ人の優しさはちょっと荒んだ旅人の心を暖めてくれる気がするし、これくらいの塩梅の楽しさが旅人にとってはちょうどいいのかもしれない、なんて思う。

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雨が止んだので、おばちゃんにお礼を言って小屋を後にする。

ATMでお金をおろし、スーパーで買い物をし、という何も特別でないことを済ませる。量り売りのコーナーで数十グラムだけの調味料、野菜を買おうとしたら「It’s too small」と渋い顔をされた。仕方ないじゃん、一人なんだから。

 

宿に帰る。道中頭の中でずーっとフジファブリックのClockがぐるぐるぐるぐる流れている。

いつも気がつけば 気がつけば孤独という名の 一人きり明日になればきっと 良くなるなんて 希望持てれるものならば とっくに持ってるよ夢が覚めたらまた ひとりぼっちなんだまた戻って 仕方ないないないや捨てちゃいけないもの 捨ててしまったんだまた拾って 仕方ないないないや

良い歌詞だなって思う。旅行の前から断続的ではあるにせよもうずーっとこんな感じな気がする。友達もたくさんいる、家族も気にかけてくれる、そんな中で何を言ってるんだと思われるかもしれないけど、ふとした時に孤独を感じてしまう。

旅をしていればいつもに増して孤独を感じることが多いし、それでいやになってしまうこともある。けど、それは必ずしも悪いことじゃあなくて、自分の落ち着く居場所を見つけようともがく原動力にもなるし、些細な幸せを享受できるようになると自分に言い聞かせる。

そろそろ新しい場所に行って旅を進めていこうかな~なんて思った一日だった。

アフリカ旅行記-ウガンダ①

1日目(0日目)

ルワンダキガリのニャブゴゴ・バスターミナルは昼よりも落ち着いている気がする。

午後8時40分にターミナルに着き、9時発のバスが来るのを待つ。

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バスターミナルといっても日本のように整理されているわけでもなく、巨大な空き地に膨大な数のバスが駐車しているといった感じだ。カンパラ行きのバスはなかなか来ず不安になる。周りの人にはここで待っていれば大丈夫と言われたので待つこと20分ほど、やっとバスが来る。

バスは思ったより狭いし、思ったよりも昔のバスといった感じだ。まあ仕方ない。バスは瞬く間に満員になった。しかし荷物を持って乗ったのは大失敗で、全く身動きが取れない。

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日付が変わるか変わらないか、くらいの時間に国境に着く。ルワンダ側を出国し、ウガンダ側まで歩く。ウガンダ側の国境審査は一瞬で終わった。

審査が終わると両替商が寄ってくるが、大してレートがよくないので無視してバスに再び乗り込む。今度はサブのリュックに必要なものだけ詰めて、それ以外はバスのトランクに入れた。

待てど待てどバスは出発せず、時差が1時間進んだこともあって出発したのは午前3時前。寝心地は悪いがとりあえず寝る。深夜だろうが何だろうが、よく停車して乗客は下車するしそのたびに灯りがつくので起こされてしまう。そして地図をみて「まだまだか…」と思い眠りにつく。これを10回近く繰り返して、午前11時過ぎ、やっとカンパラのバスターミナルに到着した。12時間超の長旅だった。

 

カンパラの中心街はケニアルワンダと比べるとだいぶカオスだ。車やバイクの台数も多いし、人の密度も高い。街からエネルギーを感じるし、カメルーンで見た光景を思い出す。

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そして声をかけられる回数も多くなる。ニーハオ!チャイナ!などなど。ただルワンダと違うのは、ルワンダはただただ挨拶をしてくれている場合が多いのに対してウガンダのこれは商業っ気がある印象を抱く。彼らと話している余裕はあまりないので無視して歩く。

両替屋で両替を済ませ、携帯電話回線の会社のサービスセンターに行く。が、列に並んで待てども待てども進まない。自分の前に並んでいたおばちゃんが警備員に不満をぶちまけるものの状況は変わらない。しかしこの国のおばちゃんの強さを見せつけられた気がする。

思えば朝から何も食べてないし飲んでもない状態だったので、だいぶ体力的には限界が来ていた。1時間ほど並び、もうあきらめてご飯を先に食べようかと思った矢先、やっとサービスセンターに入れた。SIMカードを無事契約し、ネットも開通したので宿に向かう。

宿に近づくにつれて、最初に見たカオスさは徐々になくなっていき、逆にゴルフ場やショッピングモールなどの近代的な設備が増えてくる。この辺のカオスと秩序の塩梅は個人的には好みだなと感じた。

宿にチェックインしシャワーを浴び、街に出る。

宿に行く際に目立っていたAcacia Mallというショッピングモールに入ると、その近代的な綺麗さに驚いた。内装の綺麗さもそうなのだけれど、他と圧倒的に違うのは、中に外資がたくさん入っていること。AdidasやPuma、Hummelなどが入っていたのにはかなりびっくりした。まあ値段は日本よりもだいぶ高いし、Hummelに至っては隣のフードコートからの煙がめちゃくちゃ入っていて屋台臭がすごかったのだけれど、それでもこの発展具合はすごい。

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モールの中にはカルフールもあり、主に外国人や富裕層向けといった感じだ。中には中国製品を扱う棚もあり、中国人の多さ(というか影響力の強さ)がうかがえる。そういえば中国語の看板はこれまでの都市以上に頻繁に見かける気がする。

 

ウガンダに来た主な目的は人に会うことだったけれど、街のコントラストを見るに街歩きも楽しそうだな、と思った。

 

4日目

初日から泊まっていた宿のドミトリールームが微妙だったので宿を移って翌日、せっかっくなにも予定のない日だったので赤道直下のモニュメントに行くことにする。モニュメントまではカンパラの中心地近くのTaxi Parkというところからミニバス(ウガンダではTaxiと呼ぶ)に乗って2時間ほどで行ける。

まずはバスに乗る前に、中心地近くのOwino Marketという大きそうな市場に行って布を物色しに行く。カメルーンで作ったオーダーメイドのシャツをかなり気に入ってるので、できればもう一着くらい作りたい。

Owino Marketに着く。明らかに市場内はカオスだろうけれど、意を決して中に突入してみる。そこには今まで見てきた中でも指折りのカオスが広がっていた。格子状に張り巡らされた狭い道を人々が行き交い、両サイドには様々な店が並んでいる。香辛料の店、野菜の店、Gナッツソース(ピーナッツのソース)を売っている店、魚の店といった食品点だけでなく、靴屋、布屋、衣服を取り扱ってるお店、紙を売ってるお店、ガラクタ屋と、とにかく多様なお店が恐ろしい密度で並んでいる。結果として2メートル歩けば様相も変わるし匂いも変わる、という感じで、面白い以上に圧倒される。とにかくカオスを煮詰めた場所といった感じだった。

結局何も買わなかったのだけれど、ここのマーケットは歩いているだけでかなり楽しめた。

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New Taxi Parkに行く。Masaka行きのバスに乗って途中で降りればいいはずなのでMasaka行きのバスを探す。基本的には客引きが呼び込んでいるかバスに行き先が書いてあるのでMasakaの文字を見つければいいのだけどなかなか見当たらない。あまり頼りたくないが、その辺にいる人に聞くと「ついてこい」と誘導される。違う場所に誘導されるのはなんだか少し怪訝に感じるが、まあそうなんだろうということでついていく。そうするとMasaka行きのバスは実際にあって、中にも人は乗っている。まあ大丈夫だろうということでお金を払ってチケットを買い乗る。

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アフリカの中長距離のミニバスの多くは時刻表が存在せず、人が集まったら出発する、という形をとるところが多い。自分が乗ったバスにはすでに6-7割ほど乗っていたので、まあ1時間ほどで出発すればいいかな、なんて考えていた。が、甘かった。1時間に乗ってきたのはわずか2人で、出発する気配もない。車内の風通しは悪く日差しのせいでどんどん暑くなっていく。

風通しを良くするために窓を開けていると、色んな人がものを売りに来る。正直何もいらないので、Noという。軽く50人以上とはやり取りした気がする。「Bluetoothイヤホン買ってくれよ」と言われ「持ってるからいらないよ」というと、「いや、お前が持ってるかどうかとか関係ないんだ、俺は金が欲しいんだよ」と言われたりする。正直でよろしいけれど、それを言われて買う人がいるだろうか。

結局3時間ほど待っただろうか。全く発車せず、このままだと向こうに着くのが夕方になってしまう。日帰りで行きたかったのでそれは勘弁だし、なによりも雨季なので夕立というリスクがある。ということでバスを降りることにした。チケット代は勿体ないが仕方ない。別に騙されたわけでもないと思うけれど、これだけ待たされちゃあどうしようもない。

しかしこれだけ待たされているのにも関わらず文句の一つも言わずに待っている乗客はすごいと思う。アフリカの時間の流れの緩さを改めて実感した。

だいぶ精神的に疲れたし、「やっぱ普通の観光向いてないな」ってなった。宿に向かって歩き始めるや否や雲行きが怪しくなってきたので、とりあえずバイクタクシーを捕まえて急いで帰る。着いて2分ほどしたら嵐のような豪雨が降り始めたので、結果的に正解だったように思う。

ドッと疲れた。こんな時は、と思いEVISBEATSの良い時間を聞いていたらいつの間にか寝落ちしてしまっていた。

アフリカ旅行記-ルワンダ④

大虐殺の歴史を見てだいぶ心が疲れたので、次の日は少し遅めに起きていつものように宿で出される朝食を食べる。

 

午前中いっぱいは休んで、午後はルワンダに来ていた日本人の子と会う。20歳前後でお金をためてルワンダに来たのだそうだけどその行動力は素晴らしいなと思う。

バイバイしたあと、バスターミナルに向かって歩いてみることにする。とりあえずやることがなければ歩くのが最善策だ。昨日歩いた道と同じだけれど、途中にあった苗木屋さんや農家にちょっと立ち寄って色々聞いてみたい気分になった。

 

10分ほど歩くと教会のようなものが丘の下に見える。牧師がかなり熱のこもった声量と音圧で説教をしている。そして「ハーレルーヤ!」と言った後に歓声と指笛が鳴り響く。さすがに気になったのだけれど、とりあえずバスターミナルに向かって歩き続ける。

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