備忘録

書きたいことや思ったことの殴り書き。

独り旅

一人旅を初めて1か月ほど経つ。

自分の旅行の大半は一人旅だ。一人旅に抵抗がないことも理由の一つだけれど、やはり自分で見たことや耳にしたことを自分一人で反芻できるというのが大きい。

じゃあ寂しくないのか、といえばそんなことは全くない。

自分はむしろ孤独を感じやすい人間だと思う。一人でいるのが楽なように見えるのは他人に歩調を合わせたりするのが苦手なだけで、本当は自分の思ったことを伝えたいし、経験を共有したりもしたい。定期的に自分の口から吐き出していかないとどんどん孤独が煮詰まっていくような気がしてしまう。

 

サッカーの試合を狂ったように見に行くのはこの孤独を紛らわすのに役立っていると思う。そこに行けば知り合いもいるし自分の感情も吐き出せるし、何よりも毎週ある。それ自身がめちゃくちゃ面白いからというよりも、自分にとっての処世術の一つに知らず知らずなっていたんじゃないか、ってふと思う。いや、サッカー観戦は面白いんだけどね。

 

その場しのぎのように一時的に孤独を埋めるにはそこら辺にいる適当な現地人やホステルの同居人と喋るので十分で、それはある意味旅における機会を増やしてくれることには役に立っているとは思う。けれど人間は適当な人と喋ったくらいで孤独が埋まるような生き物ではない。人間、というと主語を大きくしすぎたかもしれないけど、自分は少なくともそう。

 

一人旅というのは自分自身で物事を反芻できる十分な時間が与えられる一方で、裏を返せばほとんどの時間を自分自身と向き合っていないといけなかったりもする。それは目の前で起きていることだけじゃなくて、過去のことや将来のこと、いろんなことが頭に浮かんできては否応なしに向き合うことになる。旅をしているうえで目の前に起きていることを考えるのはいい。それは自分の喜びに繋がるし、それを求めて旅をしているところもある。でもその旅においての空き時間に大量に浮かんでくるその他のことは、時としてその「目の前に起きていること」を凌駕して、頭の思考領域を侵食してくる。そうなってくると目の前で何が起きているかとかはどうでもよくなってきてしまう。

こうなってくるともう「逆・無敵状態」で、気を紛らわすために他のことをしても、寝ても、結局それが終わったらまた独りで色々考えてしまう。そして独りで考えれば考えるほど、独りであることに自覚的になってしまうという地獄のような状態だ。

 

で、そこで改めて、「そこまでしてなんで一人旅なんかしてるの?」っていう問いに行きつく。他人にも思われるだろうし、自分自身も今思ってる。だからこれを書きながら考えてる。上にも書いたように「人と歩調を合わせるのが苦手」というのはある。でもそれならお互いあまり干渉しないような相手と旅行すれば丸く収まるだろう。「単純にこの時期に3か月も休みを取ってアフリカを旅行しようと思う友達がいない」これはまあ現実的な問題として大きい。もう日本に帰って平日昼とかに遊んでくれるような友達は数えるほどしかいない。結局そういう友達がいない、というところに行きつくのか…とか思っているとまた負のスパイラルに入ってしまう気がするので他にも理由を探してみる。

 

何度も書くけれど、旅をしようがしまいが自分は孤独を感じやすい。信頼できる友達もたくさんいると思うし家族とも良好な関係だけれど、それでもやはり根本的な部分で孤独を感じてしまうのは別に日本にいても思うこと。それが旅で増長されているというだけだ。思うに、自分はこの「根本的」な孤独にどう対処すべきなのかという問いの答えを探すために旅をしているような気がしてきた。FC東京の試合を観に行くだとか、友達と会うだとか、そういった何かに頼らないで(頼ることが悪いことだとは全く思っていないし頼れるものならばずっと頼っていたいというのが本心ではある)、自分自身の中に渦巻く孤独を手懐けられるようになりたいんじゃないかなと思ったりする。そのために自分自身と向き合うほかない環境という意味での一人旅は最高の環境な気がしてきた。ってそれはなんかもはや修行なのではって気もするけど。まあそんなこと言いつつかなりこの旅でも友達とかに頼っちゃっていますけどね。まだまだ甘いな、自分。

 

現在地はタンザニアザンジバルです。ケニアに入ったあたりからブログがあまりかけてないのは、目の前のことに集中出来てない結果、目の前で起きたことに対して感じたこととかがスーッと頭の隅に追いやられているからなわけですが、まあ備忘録もかねて記録くらいはしておきますかね。